王潤貞とは? わかりやすく解説

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王潤貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/14 13:14 UTC 版)

王潤貞
プロフィール
出生: 1891年(光緒17年)[注 1]
死去: 没年不明(1943年3月時点では存命)
出身地: 湖北省漢陽府
職業: 政治家・鉄道官僚
各種表記
繁体字 王潤貞
簡体字 王润贞
拼音 Wáng Rùnzhēn
ラテン字 Wang Jun-chen
和名表記: おう じゅんてい
発音転記: ワン ルンジェン
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王 潤貞(おう じゅんてい、1891年光緒17年〉 – 没年不明)は、中華民国の政治家・鉄道官僚。冀東防共自治政府中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会で各職を歴任した。別号は伯高[1][2]

事績

日本に留学し、旧制第四高等学校鉄道院教習所を卒業した[3][4][注 2]。帰国後は北京政府において、京漢鉄路管理局車務処運輸課主任員、交通部交通研究会会員、交通部鉄路技術委員会委員、交通部路政司などを歴任している[5]1930年民国19年)時点では平漢鉄路所長に在任しており、同年7月16日に来日、視察した[6]

1936年(民国25年)秋、冀東防共自治政府秘書長の池宗墨が外交処処長の兼務を解かれ、王潤貞が後任の処長となった[3]。翌1937年(民国26年)7月28日に通州事件が起き、自治政府政務長官代理となった池が唐山へ政府所在地を移す。この際に自治政府の改組が行われ、王は総務庁庁長に改任された[7]

中華民国臨時政府成立後の1938年(民国27年)1月6日付で、王潤貞は河北省政府公署(省長:高凌霨)民政庁庁長に任命された[8][9][注 3]。同年4月、北支産金株式会社の子会社である華北採金股份有限公司が創設されると、董事長・池宗墨の下で王は董事となった[10]。翌1939年(民国28年)3月、高凌霨の河北省長辞職に伴い、王も民政庁庁長を辞職している(後任は高培枢)[11][注 4]

中華民国臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流して華北政務委員会へ改組された後の1940年(民国29年)6月末、王潤貞は同委員会政務庁交通局局長代理に任命された[12][注 5]。華北政務委員会委員長が王揖唐から朱深に交替した後の1943年(民国32年)3月、王潤貞は局長代理から免職となった[13]

当該委員会令では別途任用を想定していたものの、その後における王潤貞の人事情報は『華北政務委員会公報』では見当たらず、その他の動向・行方も不詳となる[注 6]

脚注

注釈

  1. ^ 満蒙資料協会(1941)、925頁が「光緒17年(1891年)」、神田・東洋事情研究会(1937)、48頁が「年歳四十七」(数え年ならば1891年生)とそれぞれ記述していることに基づき、本記事は1891年説をとる。高木(1937)、138頁は「本年四十八歳」(数え年ならば1890年生)。外務省情報部(1928)、399頁は「年齢四十四」(数え年ならば1885年生)としている。
  2. ^ 満蒙資料協会(1941)、925頁は「早大卒」、外務省情報部(1928)、399頁は「東京帝国大学卒業」としているが、これらについて高木(1937)、138頁及び神田・東洋事情研究会(1937)、48頁では記載が無い。
  3. ^ なおこの時、冀東防共自治政府で同僚(政務処長)だった陳曽栻も、同公署建設庁庁長に任命された。
  4. ^ 劉ほか編(1995)、1127頁では、後任の高培枢が「同年6月」に就任としているが、誤り。王潤貞の辞職と同日(3月14日)に高は任命された(臨時政府令、令字第341号)。
  5. ^ 前任者は、旧・臨時政府行政委員会交通局局長の李宣威と見られるが、華北政務委員会での人事情報が見当たらず、いつ退任したかは不明。
  6. ^ 華北採金股份有限公司董事については、1942年(民国31年)時点までは在職が確認できるものの(満蒙資料協会(1941)、925頁及び1131頁。『北支会社年鑑 昭和十七年版』大連商工会議所、130頁など)、それ以後につき不詳である。

出典

  1. ^ Who's who in Japan TWENTY-FOURTH ANNUAL EDITION, 1943, p.25.
  2. ^ 劉ほか編(1995)、1253頁。
  3. ^ a b 高木(1937)、138頁。
  4. ^ 神田・東洋事情研究会(1937)、48頁。
  5. ^ 中華民国政府官職資料庫「姓名:王潤貞」
  6. ^ 『日華学報』16号、1930年9月号、日華学会学報部、87頁。
  7. ^ 『外交時報』83巻5号通号786号、1937年9月1日号、外交時報社、190頁。
  8. ^ 臨時政府令、民国27年1月6日(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第1号、民国27年1月17日、17頁)。
  9. ^ 劉ほか編(1995)、1127頁
  10. ^ 『支那関係主要会社一覧表 昭和十四年十一月一日現在』興亜院政務部、1939年。
  11. ^ 臨時政府令、令字第340号、民国28年3月14日(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第65号、民国28年3月16日、2頁)。
  12. ^ 華北政務委員会任用令、任字第416号、民国29年6月30日(『華北政務委員会公報』第7-12期合刊、民国29年7月9日、本会11頁)。
  13. ^ 華北政務委員会令、会字第1014号、民国32年3月15日(『華北政務委員会公報』第199・200期合刊、民国32年4月9日、本会3頁)。

参考文献

  • 満蒙資料協会編『満華職員録 康徳九年版 民国三十一年版』満蒙資料協会、1941年。 
  • 高木翔之助編『冀東政権の正体』北支那社、1937年。 
  • 神田隆介著・東洋事情研究会編『冀東綜覧 北支経済資料 改訂増補』東洋事情研究会、1937年。 
  • 外務省情報部『現代支那人名鑑 改訂』東亜同文会調査編纂部、1928年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 



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