澄一道亮とは? わかりやすく解説

澄一道亮

読み方ちんい どうりゅう

江戸前中期黄檗宗渡来禅僧浙江省杭州銭塘生。姓は陳。号は慈済軒。長崎渡来興福寺逸然性融学び住持となる。長崎大火後大雄宝殿再建次いで永福庵を建て開基となる。医学本草学通じ門下石原鼎庵・上野玄貞・今井弘済らがいる。元禄四年(一六九一)寂、八四才。

澄一道亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/24 15:30 UTC 版)

澄一道亮
1608年 - 1691年
生地 浙江省杭州府銭塘県
宗派 禅宗
寺院 興福寺
逸然性融
弟子 悦峯道章
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澄一道亮(ちょういつ どうりょう、1608年万暦36年) - 1691年元禄4年))は、初に来日した中国僧。浙江省杭州府銭塘県の出身。

生涯

若い時に出家した。

1653年承応2年)6月に来日し、長崎興福寺に入寺し、逸然性融に従った。澄一は、医術に通じており、そのもとからは、石原鼎庵・上野玄貞・今井弘済らが出ている。

1656年明暦2年)、逸然の隠退にともなって、興福寺の住持の座を継承した。

1663年寛文3年)、長崎市中の大火が類焼し、堂塔伽藍の大半を焼失するも、1667年(寛文7年)には、大雄宝殿を再建している。

1686年貞享3年)、悦峯道章に住持を譲り、塔頭の永福庵に隠退した。

1691年4月に没した。享年84。




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