源博雅とは? わかりやすく解説

みなもと‐の‐ひろまさ【源博雅】

読み方:みなもとのひろまさ

918?〜980]平安中期雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王の子博雅三位(はくがのさんみ)と称される雅楽精通し、琴・琵琶・箏(そう)・笛などの名手伝説的な逸話が多い。


源博雅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 16:58 UTC 版)

 
源博雅
菊池容斎『前賢故実』より
時代 平安時代中期
生誕 延喜18年6月7日[1]918年7月17日
死没 天元3年9月28日980年11月8日
改名 博雅王→源博雅
別名 博雅三位、長秋卿
官位 従三位皇太后宮権大夫
主君 朱雀天皇村上天皇冷泉天皇円融天皇
氏族 醍醐源氏
父母 父:克明親王、母:藤原時平の娘
兄弟 博雅、源正雅、源清雅、源助雅、妍子女王
不詳
信貞、信明、信義、至光
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『朱雀門の月』(月岡芳年『月百姿』)朱雀門の鬼と合奏する源博雅

源 博雅(みなもと の ひろまさ)は、平安時代中期の公卿雅楽家醍醐天皇の第一皇子である兵部卿克明親王の長男。官位従三位皇太后宮権大夫博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿と呼ばれる。管絃の名手。

経歴

初め博雅王を名乗るが、源朝臣姓を与えられて臣籍降下する。朱雀朝承平4年(934年)二世王待遇の蔭位により従四位下に直叙される。中務大輔・右馬頭を経て、天徳3年(959年)右近衛中将に任ぜられると、応和4年(964年)左近衛中将と村上朝後半は近衛中将を務める。

円融朝に入ると、近衛中将を辞して皇太后宮権大夫に任ぜられて皇太后昌子内親王に仕える。天延2年(974年従三位に叙せられ公卿に列した。

天元3年(980年薨去享年63。最終官位は従三位皇太后宮権大夫。

人物

雅楽に優れ、楽道の伝承は郢曲敦実親王に、を醍醐天皇に、琵琶源脩に、は大石峰吉、篳篥は峰吉の子・富門と良峰行正に学んだ。大篳篥を得意とするが、舞や歌は好まなかった。天暦5年(951年)内宴で和琴を奏する。康保3年(966年村上天皇の勅で『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』(別名『博雅笛譜』)を撰する。現在でも演奏される『長慶子』の作曲者。

藤原実資からは「博雅の如きは文筆・管絃者なり。ただし、天下懈怠の白物(しれもの)なり」と評されている[2]。また、言い伝えによるとに強く、酒豪であったとされる。

歌合出詠歌が三首残る。

  • 夜もすがら待つかひありてほとゝぎす あやめの草にいまもなかなむ(応和二年五月四日庚申内裏歌合/『万代集』巻三 621[注釈 1]
  • をりて見るかひも有るかな梅のはな いまここのへのにほひまさりて(康保三年二月廿一日梅花前扆子歌合/藤原公任撰『拾遺抄』巻第九 雑上 185[注釈 2]
  • いつも咲く花とは見れど白露の 置きてかひある今日とこそ見れ(康保三年閏八月十五夜内裏前栽合 奉題「十五夜翫後庭秋花」)

逸話

天徳4年(960年)のいわゆる「天徳四年内裏歌合」に講師として参加、和歌を詠ずる役であったが、天皇の前で緊張し、出されていた歌題とは異なる歌を読んでしまうという失敗をしたという。

朱雀門の鬼から名笛「葉二(はふたつ)」を得(『十訓抄』)、琵琶の名器「玄象(げんじょう)」を羅城門から探し出し、逢坂蝉丸のもとに3年間通いつづけて遂に琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」「啄木(たくぼく)」を伝授される(『今昔物語集』巻24/23話)など、多くの説話に登場する。

ある日、博雅宅に盗人が入った。博雅が床下に隠れていると、盗人は次々と家中の物を盗み出してゆく。博雅が落ち着き払って床下で笛を吹き出すと、盗人は感じ入って盗んだ物をみな返し、家から出て行ったという[3]

官歴

系譜

  • 父:克明親王
  • 母:藤原時平の娘
  • 妻:不詳
    • 男子:源信貞
    • 男子:源信明
    • 男子:源信義
    • 男子:源至光

源博雅が登場する作品

演劇
  • 三国傅来玄象譚(1993年 演:坂東弥十郎
  • 闇の貴公子(2001年 演:洋あおい)
  • 陰陽師 言霊ノ巻(2002年 演:浦一弘)
  • 平安☆レジェンド(2005年 演:高世麻央
音楽CD
  • 源博雅の龍笛/蘇る最古の笛譜(2001年 演:長谷川景光)
  • 仁明天皇の雅楽/源博雅の笛譜(2002年 演:長谷川景光)
  • 桃李花/源博雅相聞の笛(2005年 演:長谷川景光)

脚注

注釈

  1. ^ ただし、第五句が「けふもなかなむ」になっている
  2. ^ ただし『拾遺抄』後継の勅撰集『拾遺和歌集』巻第十六 雑春 1010では源寛信の作となっている

出典

  1. ^ 『貞信公記』
  2. ^ 『小右記』長和5年4月8日条
  3. ^ 『前賢故実』冷泉朝,源博雅の条
  4. ^ a b 『九暦』
  5. ^ a b c 『近衛府補任』
  6. ^ 『公卿補任』
  7. ^ 『日本紀略』

参考文献

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
  • 市川久編『近衛府補任 第一』続群書類従完成会、1992年
  • 『平安朝歌合大成 巻二』同朋舎、1995年

外部リンク


源博雅(みなもとのひろまさ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:12 UTC 版)

陰陽師 (漫画)」の記事における「源博雅(みなもとのひろまさ)」の解説

晴明親友醍醐天皇の孫で克明親王の子。母は藤原時平娘。村上天皇年上の甥にあたる。管弦こよなく愛し、また優れた才能を持つ。食事もせず、一日中篳篥を吹くこともしばしばなほどである。性格は非常に誠実、純粋、真面目で(怨霊との約束を守る程)皆に好かれている。その風貌痩身奥目、鼻が高く、彫が深いので当時感覚では美男とはいえない。当時の都の貴族には珍しく男女密かごとについてとても疎い貴族たしなみとされる恋の歌の意味解せず男女間の機微わからないため艶やかなエピソード殆どない忠義な家臣・俊宏の策略で何も知らされないまま方違え称して連れて行かれた先は、今まさに自分婚儀執り行われようと準備のすっかり整ったこれから妻となる女性住まう邸宅であったが、それでも気づかない体たらくであった菅原文時漢学や詩の師事をするが全く上達しなかった。自身自覚がないが、本当は天に愛でられし楽の申し子であり、その笛の音は賊や怨霊の心を浄化するほどの美しさ秘めている

※この「源博雅(みなもとのひろまさ)」の解説は、「陰陽師 (漫画)」の解説の一部です。
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