汪英紫
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| 汪英紫 | |
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| 琉球国南山王 | |
| 在位 | 1398年 - 1402年 |
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| 全名 | 汪英紫 |
| 居城 | 島尻大里城 |
| 出生 | 不詳 |
| 死去 | 1402年 |
| 子女 | 達勃期、汪応祖、屋富祖 |
| 王朝 | 大里王統 |
| 父親 | 大里按司 |
汪英紫氏(おうえいじし、? - 1402年)は、古琉球の南山王国(山南王国)の第2代国王(在位:1398年 - 1402年)。汪英紫でなく汪英紫氏の四字形式で出現する。
概要
大里王統・南山王承察度の叔父であったと伝わるが、承察度が2・3代襲名した名前であった場合、父も兄も承察度であったことになる。島尻大里城主。
もとは八重瀬城主だったと伝わるが、その後島添大里城を滅ぼし、大城城主の大城按司真武も滅ぼし、南山王の承察度をも凌ぐ力を手に入れた[1]。
その後、承察度は王位にあるも汪英紫が実権を握り、やがて汪英紫の世子の汪応祖に王位を簒奪されたとも、汪英紫・汪応祖に排斥され、朝鮮に亡命したとの説もある。
近年、漢文学者いしゐのぞむは、福建漢字音で汪英紫氏が「おんあんじすい」(大按司添)、汪応祖が「おんあんず」(大按司)、英祖が「あんず」(按司)であるとして、古琉球の諸王について新解釈を試みている[2]。
系譜
- 父:不詳
- 母:不詳
- 長兄:承察度の父(大里按司)
- 弟:函寧寿
脚注
関連項目
- 汪英紫のページへのリンク