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汪翰章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 16:28 UTC 版)

汪翰章
プロフィール
出生: 1898年[1][2][3][注 1]
死去: 1947年(民国36年)1月24日
中華民国南京市[4][5]
出身地: 湖北省鄂城県[1][2][3][6]
職業: 法学者・官僚
各種表記
繁体字 汪翰章
簡体字 汪翰章
拼音 Wāng Hànzhāng
ラテン字 Wang Han-chang
和名表記: おう かんしょう
発音転記: ワン・ハンチャン(ワン・ハンジャン)
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汪 翰章(おう かんしょう、1898年1947年〈民国36年〉1月24日)は、中華民国の法学者・官僚。別号は馨香[1][2][3][6]。南京国民政府(汪兆銘政権)では司法行政部政務次長や社会福利部次長などの要職をつとめ、特工総部主要幹部の1人でもあった。

事績

北京法政大学を卒業し、北京大学で法学士の称号を取得した。曁南大学政治経済学系教授、大東書局法制部編輯主任兼法律函授学社社長、私立持志学院法律系教授を歴任[1][注 2]1940年民国29年)1月、上海各大学教職員聯合会執行委員に選出され、総務組長を兼任した[1]

同年3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)が成立すると、汪翰章は司法行政部(部長:李聖五)政務次長に抜擢され[7]、更に法官訓練所所長を兼任した[2]。(汪派)中国国民党では中央監察委員会監察委員候補に選出され[8]中央執行委員会特務委員会特工総部軍法処長兼審訊室主任、顧問にも就任している[2]

1941年(民国30年)8月19日、汪翰章は全国経済委員会委員に転じ(司法行政部政務次長の後任は汪曼雲[9][注 3]、翌1942年(民国31年)4月11日には社会行動指導委員会委員に移った[10]1943年(民国31年)1月28日、全国経済委員会委員に再び任命され[11]1944年(民国33年)11月2日には国民政府政務参賛となる[12]。政権最末期の1945年(民国34年)6月8日には社会福利部次長として任命された[13][注 4]

汪兆銘政権崩壊後、汪翰章は漢奸として南京で逮捕された[注 5]。翌1946年(民国35年)8月21日、首都高等法院で懲役12年、公民権剥奪10年の判決を下されている[14][注 6]1947年(民国36年)1月24日、南京市の獄中で病没[4][5]。享年50。

著作

〔主編〕

  • 『法律大辞典』(上海世界書局、1934年)[1] ※陳頤が注釈・校訂を行った新版もある(上海人民出版社、2014年)

〔翻訳〕

  • 高柳賢三『法律哲学原理』(大東書局、1931年。原著は1929年)[1]

注釈

  1. ^ 周編著(2000)、773頁は、「1897年生」としている。
  2. ^ 外務省東亜局(1940)、36頁によると、これら以外にも朝陽大学教授、上海中国公学大学部法律家主任、復旦大学教授なども歴任したものとしている。
  3. ^ 劉ほか編(1995)、1089頁は同年1月21日就任としているが誤り。
  4. ^ 張ほか主編(2001)、999頁及び陳(2015)、353頁では、安徽省政府経済局局長も歴任したとしている。また、これらでは「社会福利部政務次長」に就任したとしているが、汪兆銘政権は1943年2月に次長2人制(政務次長・常務次長)を廃止、次長1人制としていたため誤りである。
  5. ^ 張ほか主編(2001)、999頁及び陳(2015)、353頁では「1946年9月に南京で逮捕」としているが、誤り。
  6. ^ 益井(1948)、93頁は、汪翰章の肩書について「社会福利部長」としているが、同部次長の誤りである。

出典

  1. ^ a b c d e f g 橋川編(1940)、195頁。
  2. ^ a b c d e 外務省東亜局(1940)、36頁。
  3. ^ a b c 張ほか主編(2001)、999頁。
  4. ^ a b 「汪翰章病死獄中」『申報』1947年1月25日、第2版。
  5. ^ a b 陳(2015)、352-353頁。
  6. ^ a b 周編著(2000)、773頁。
  7. ^ 国民政府令、民国29年3月30日(『国民政府公報』(南京)、民国29年4月1日、国民政府文官処印刷局、10頁)。
  8. ^ 南京日本大使館情報部編『国民政府各機関職掌表』南京日本大使館情報部、1942年。
  9. ^ 「国府次長級異動」『同盟旬報』5巻23号通号150号、昭和16年8月中旬号(30日発行)、16頁。
  10. ^ 『日文国民政府彙報』第97号、民国31年4月15日、中国和文出版社、1頁。
  11. ^ 『日文国民政府彙報』第160号、民国32年2月2日、中国和文出版社、3頁。
  12. ^ 劉ほか編(1995)、1035頁。
  13. ^ 劉ほか編(1995)、1086頁。
  14. ^ 益井(1948)、93頁。

参考文献

  • 橋川時雄編『中国文化界人物総鑑』中華法令編印館、1940年。 
  • 『新国民政府人名鑑』外務省東亜局、1940年。 
  • 張憲文ほか主編『中華民国史大辞典』江蘇古籍出版者、2001年。ISBN 7806434569 
  • 周家珍編著『20世紀中華人物名字号辞典』2000年。 ISBN 7503628324 
  • 陳頤「〈〈法律大事典〉〉編纂所見1930年代前期法律界的交往」『法制史研究』第28号、2015年12月、中国法制史学会・中央研究院歴史言語研究所、349-370頁
  • 益井康一『裁かれる汪政権 中国漢奸裁判秘録』植村書店、1948年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。 ISBN 7-101-01320-1 



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