森岡二朗とは? わかりやすく解説

もりおか‐じろう〔もりをかジラウ〕【森岡二朗】


森岡二朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/21 18:13 UTC 版)

森岡 二朗
もりおか じろう
生年月日 1886年5月1日
出生地 日本奈良県山辺郡丹波市村(現:天理市
没年月日 (1950-12-20) 1950年12月20日(64歳没)
死没地 日本東京都
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科
前職 内務官僚
称号 正四位
勲二等旭日重光章
在任期間 1936年9月2日 - 1940年11月26日
総督 小林躋造
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森岡 二朗(もりおか じろう、1886年明治19年〉5月1日 - 1950年昭和25年〉12月20日)は、日本の内務警察官僚。官選県知事台湾総督府総務長官。

来歴・人物

森岡万平の二男として奈良県山辺郡丹波(現:天理市)で生まれる。郡山中学四高を経て、1911年(明治44年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験に合格し内務省に入省。兵庫県警部に任官し警察部保安課に配属された。

1912年大正元年)10月、兵庫県出石郡長に就任。以後、兵庫県理事官、同県警視青森県警察部長、神奈川県警察部長、警視庁刑事部長、警視庁官房主事京都府書記官・内務部長などを歴任。1923年(大正12年)の関東大震災当時は神奈川県警察部長で、大阪府知事兵庫県知事千葉県知事茨城県知事横須賀鎮守府、横須賀軍港停泊中の艦船および大阪朝日新聞社大阪毎日新聞社に至急官報で救援を要請した[1]。この打電のために横浜沖に停泊中のコレア丸まで泳いで伝えたエピソードがある[2]

1926年(大正15年)9月、島根県知事に就任し、さらに、青森県茨城県栃木県の各知事を歴任。1929年11月、朝鮮総督府に転じ、警務局長となる。1931年(昭和6年)6月に退任し、同年12月、内務省警保局長に就任。1932年(昭和7年)1月、桜田門事件により文官懲戒令懲戒処分(二ヶ月間年俸月割額十分の一減額)を受け、同年5月に退任した。

趣味は野球観戦でそれが高じて神宮球場に近い千駄ヶ谷に居を構えた[2]1936年(昭和11年)には職業野球旗揚げに際して大東京軍取締役社長に就任している[3]

1936年9月、小林躋造予備海軍大将台湾総督就任に伴い総務長官に登用された。1940年(昭和15年)11月、小林総督の退任と共に辞任。1941年(昭和16年)3月から日本野球連盟初代会長に就任し、戦時下におけるプロ野球存続に尽力[2]

1945年(昭和20年)の東京大空襲で千駄ヶ谷の自宅が焼失したため、しばらく地元の奈良で過ごした[2]1947年(昭和22年)10月に公職追放となった。

1950年(昭和25年)12月20日死去。64歳没。

日本のプロ野球創生期に大東京軍の経営に当たったことや、日本野球連盟会長として戦時下に於けるプロ野球の運営に努力した功績などが評価され、1969年(昭和44年)に特別表彰者として野球殿堂入りした[2]

備考

2023年令和5年)6月、下野新聞が「歴代知事はどんな人?」という特集記事を組んで調べていたところ、『県議会史』第4巻(1989年、栃木県議会発行)の肖像画が別人であることが判明した[4]。同書に掲載された肖像画は森岡の後任で栃木県知事に就いた牛島省三とみられている[4]

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1920年(大正9年)11月1日 勲五等瑞宝章[13]
1926年(大正15年)11月29日 勲四等瑞宝章[14]
1940年(昭和15年)4月29日 勲二等旭日重光章[15]
1940年(昭和15年)8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[16]

脚注

  1. ^ 田原啓祐. “関東大震災後における逓信事業の復旧と善後策”. 郵政博物館. 2023年6月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e 立花典子. “殿堂入りの人々を語る(57)祖父森岡二朗の思い出”. 野球殿堂博物館 Newsletter 第27巻 第3号. 公益財団法人野球殿堂博物館. p. 5. 2023年6月15日閲覧。
  3. ^ 日本職業野球連盟公報 第1号 (PDF) 野球殿堂博物館デジタルアーカイブ
  4. ^ a b 栃木県第23代森岡知事の肖像画、別人だった 実は...牛島茨城県知事か”. 下野新聞 (2023年6月15日). 2023年6月15日閲覧。
  5. ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
  6. ^ 『官報』第757号「叙任及辞令」1915年2月12日。
  7. ^ 『官報』第1500号「叙任及辞令」1917年8月1日。
  8. ^ 『官報』第2181号「叙任及辞令」1919年11月11日。
  9. ^ 『官報』第2800号「叙任及辞令」1921年12月1日。
  10. ^ 『官報』第4246号「叙任及辞令」1926年10月18日。
  11. ^ 『官報』第881号「叙任及辞令」1929年12月5日。
  12. ^ 『官報』第3857号「叙任及辞令」1939年11月13日。
  13. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  14. ^ 『官報』第4284号「叙任及辞令」1926年12月3日。
  15. ^ 『官報』第5152号・付録「叙任及辞令二」1944年3月18日。
  16. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献


公職
先代
平塚廣義
台湾総督府総務長官
第15代:1936年 - 1940年
次代
斎藤樹
先代
浅利三朗
朝鮮総督府警務局長
第6代:1929年 - 1931年
次代
池田清



固有名詞の分類


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