東長崎町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/28 17:16 UTC 版)
| ひがしながさきまち 東長崎町 |
|
|---|---|
| 廃止日 | 1963年4月20日 |
| 廃止理由 | 編入合併 東長崎町→長崎市 |
| 現在の自治体 | 長崎市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 九州地方 |
| 都道府県 | 長崎県 |
| 郡 | 西彼杵郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 41.21 km2. |
| 総人口 | 15,157人 (国勢調査、1960年) |
| 隣接自治体 | 長崎市、諫早市、西彼杵郡多良見村、北高来郡飯盛村 |
| 東長崎町役場 | |
| 所在地 | 長崎県西彼杵郡東長崎町 |
| ウィキプロジェクト | |
東長崎町(ひがしながさきまち)は、かつて長崎県西彼杵郡にあった町。1963年(昭和38年)4月20日に長崎市に編入合併され自治体としては消滅した。
現在の長崎市東長崎地区にあたる。
地理
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、後の町域にあたる西彼杵郡矢上村・北高来郡戸石村・同郡古賀村がそれぞれ単独村制にて発足。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市松山町に投下された原爆により、後の町域にあたる3村で4,675人負傷[1]。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 矢上村・戸石村・古賀村が新設合併し町制施行。西彼杵郡東長崎町が発足。
- 1963年(昭和38年)4月20日 - 長崎市に編入合併され、自治体としての東長崎町消滅。
地名
- 旧矢上村
- 現川名(うつつがわ)
- 田中名
- 東名
- 平間名
- 町名
- 旧古賀村
- 木場名(こば)[2]
- 中里名
- 松原名
- 向名
- 旧戸石村
- 上戸石名
- 川内名
- 里名
- 牧島名
交通
鉄道
現在はJR九州長崎本線の肥前古賀駅・現川駅が存在するが、東長崎町が存在した当時の長崎本線は長与経由の旧線のみが開通しており、市布経由の新線は開通していなかった。
道路
航路
1948年から1960年まで、矢上から戸石・小浜を経由して加津佐へ向かう航路があった。
学校
名所・旧跡
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 矢上尋常高等小学校 編『西彼杵郡矢上村郷土誌』1918年9月。
- 「2000年の東長崎」発行委員会 編『2000年の東長崎』東長崎地区連合連合自治会、2001年11月。
関連項目
固有名詞の分類
- 東長崎町のページへのリンク