李玄霸とは? わかりやすく解説

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李玄霸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/23 07:34 UTC 版)

李元霸(說唐演義全傳)

李 玄覇(り げんは、599年 - 614年)は、中国の高祖李淵の三男。生母は竇皇后は大徳。『説唐全伝』において、彼を李元霸というキャラクターとして描いている。

後の創作において、歴史上の人物とは全く異なる李元霸というイメージが生まれました。彼は隋唐随一の豪傑として描かれ、作品中では「四象をも超える怪力」を両腕に備えていると設定されています。民間では他の三人の人物と合わせ、「王不過項(項羽)、將不過李(李存孝)、力不過霸(李元霸)、拳不過金(金台)」という言い伝えが生まれました。

生涯

幼いころから聡明で能弁であった。大業10年(614年)に16歳で死去した。武徳元年(618年)、衛王に追封され、秦州総管・司空の位を追贈された。は懐といった。

子がなかったので、甥の李泰が宜都王となってその祭祀を継いだ。

古典小説中の李玄霸

『説唐』などの古典小説中では、李玄霸は「李元霸」と改字されて登場する。隋唐十八好漢の筆頭とされる。天界の金翅の大鵬鳥が下界に降り立つ。尖った口に頬のこけた顔つき、真ん中で束ねられた黄色い髪に烏金冠を戴き、顔は病み上がりの幽鬼のようで、骨と皮のように痩せ細っていたが、並外れた怪力の持ち主であった。両腕には四頭の象より強い力があり、鉄を泥のように撚り潰す様は、前漢の項羽をも凌ぐ。一度に一斗の米と十斤の肉を平らげる。の伏波将軍馬援が使用したという重さ800斤の擂鼓甕金錘一対を振るい、万里雲という名馬に乗り。四明山で一人で二百三十万の大軍を打ち破り、反乱軍の大将五十人以上を打ち取った。隋唐第二位の好漢・宇文成都の武器镗を一錘で打ち落とした、空中に放り投げた、その後、それを受け止め、両足で真っ二つに引き裂いた、甘泉関に集結した十八反王百八十万の軍勢に対してわずか一騎で戦って勝利を挙げた猛将として描かれる。潼関へ戻る道中、雷鳴に激怒した李元霸は、錘を空中へ投げつけた。落ちてきたその錘が顔面を直撃し、彼は馬から転落する。駙馬柴紹が助け起こそうとしたその時、突然、砂塵が舞い上がり、不可解な火の玉が渦巻いた。柴紹らが軒下に避難し、風雨が収まるのを待つと、李元霸の姿はもとより、錘と馬も跡形なく消え失せ、地上には彼の鎧だけが残されていた。本書では、李元覇が師匠・紫陽真人の「流金鐺を使う者(宇文成都)を傷つけてはならない」という戒めを忘れたことで、「天命」という因果応報が浮き彫りにされていると説明されている。

長篇講談『興唐伝』において、李元覇は身長九尺(約2.7メートル)の巨躯で、顔は黒く、声は雷の如く轟き、鈴のように大きく見開かれた両眼を持つ。幼少期に過剰な「涼薬」(体を冷やす漢方薬)を服用した後遺症により、正気と狂気が入り交じり、食事をしても満腹感が分からず、睡眠を取っても昼夜の区別がつかない状態であった。彼は宇文成都と勝負しこれを打ち破る。父・李淵の命を受けて四明山に赴き煬帝救出に貢献。七度出陣して七度勝利し、三撃で裴元慶を破り、錘の一撃で十八もの国(十八路反王連合軍)を震え上がらせた。その後、宇文成都を打ち殺した後、その師である魚俱羅が復讐に現れ、戦闘中、魚俱羅の罠にかかり首を刎ねられてしまう。

李元覇の武芸

『説唐』においては、李元覇の師匠が紫陽真人であることに触れられているものの、彼が使用する錘の武芸に関する具体的な記述はない。一方、講談『興唐伝』では、李元覇は柴紹の指導のもとで錘の技法を習得している。十八路反王連合軍との戦いにおいて、隋唐第三条好漢・裴元慶(使用武器も錘)と対決した際、互いに三撃ずつ打ち合う約定を交わした。李元覇の最初の二撃は、裴元慶が辛うじて耐えたが、最後の一撃で奥の手「蓋馬三錘」(右手の錘を上から、左手の錘を下から、両手の錘を同時に振り下ろす技)を繰り出し、裴元慶を馬もろともに地面に叩き伏せた。

また、単田芳の講談『瓦崗英雄』では、李元覇が羅士信と対戦した際に用いた奥義を「鎖骨分筋絶命錘」(敵の武器を錘で封じ込め、時間経過とともに相手の腕を確実に奪う技)としている。

伝記資料

  • 旧唐書』巻64 列伝第14「衛王玄霸伝」
  • 新唐書』巻79 列伝第4「衛王玄霸伝」



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