木曽郡とは? わかりやすく解説

木曽郡

読み方:キソグン(kisogun)

所在 長野県

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

木曽郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/06 14:19 UTC 版)

日本 > 中部地方 > 長野県 > 木曽郡
長野県木曽郡の範囲(1.上松町 2.南木曽町 3.木祖村 4.王滝村 5.大桑村 6.木曽町 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入した区域)

木曽郡(きそぐん)は、長野県

人口22,657人、面積1,546.17km²、人口密度14.7人/km²。(2026年1月1日、推計人口

以下の3町3村を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町3村のほか、以下の区域にあたる。

歴史

美濃国恵奈郡であった古代から近世

大宝2年(702年)に「始めて美濃国の岐蘇山道を開く」と続日本紀に記されているのが岐蘇(木曽)の史料上の初見であるが、このとき木曽路を開通させたのは美濃国の役人たちであったため、木曾谷は美濃国に含まれた。はじめ美濃国恵奈郡繪上郷に属していたが、信濃国と所属がしばしば争われた。

9世紀後半の、貞観年中の859年876年に天皇の勅命により、朝廷より藤原正範と靭負直継雄が派遣され、両国の国司と現地に臨んだ。この時の正範らの報告によると、「もともと吉蘇、小吉蘇の両村(木曾谷の村落)は美濃国恵奈郡繪上郷の地域にあり、和銅6年(713年)に美濃守笠麻呂らが、ここに吉蘇路を開通させた(三代実録)。

ここは美濃の国府(不破郡垂井町府中)から10日余りもかかる距離にあり、信濃国府(松本市)のすぐ近くではあるが、もし信濃国ならば、美濃国司がこのような遠いところで工事をする理由がない。その理由で美濃と信濃の両国の国司立ち会いの上で国境を「懸坂上岑」(木祖村と旧奈川村との境界で木曽川の水源から北にある境峠)と定め、吉蘇・小吉蘇両村を恵奈郡繪上郷の地と裁断。

それでこの報告にしたがって、木曾谷を美濃国と決めた。」という。当時は、境峠を越えて飛騨から来た道と合流し信濃国府へ向かったのである[1]

しかし平安時代末期になると、源義仲が信濃国木曾の住人とされたように「木曾谷は信濃」という認識が生まれた。

  • 平安時代中期の拾遺和歌集には、源頼光の『なかなかに いいもはなたで信濃なる木曽路の橋のかけたるやなぞ』という和歌がある。
  • 信濃地名考という文献には、木曾が信濃国に移管されたのは、平安時代の延喜年間(901年 - 923年)と記されている。
  • 文正元年(1466年)11月1日、木曾家豊興禅寺 (長野県木曽町)に寄進した梵鐘の鐘銘に刻まれている内容は、『壇心離有作々 金匠到無切功 鐘聲廣大 伽藍興隆 群生睡破 利濟無窮 美濃州 慧那郡 木曾庄 萬松山 興禅々寺 住持比丘大壇那 源之朝臣家豊 于時文正元年 丙戌霜月一日』とある。
  • 美濃国恵奈郡であった木曾全域が信濃国に移った時期について、信州大学人文学部の山本英二教授が長野県木曽郡大桑村定勝寺の古文書の回向文の中から年代が分かる5点で、延徳3年(1491年)には、美濃州恵奈郡木曽庄とあるが、永正12年(1515年)には、信濃州木曾荘と書かれているので木曾が美濃国恵奈郡から信濃国へ移ったのは1491年から1515年の間と結論付けた。
  • 木曾古道記には木曽川より東側にある定勝寺の天文18年(1549年)作の鐘銘には信州木曾庄と書かれてあるのに対し、木曽川より西側にある興禅寺にある承応2年(1653年)作の鐘銘には美濃国恵那郡木曾庄となっていることを述べた上で、天正以来の記録に木曽川より東を信濃国筑摩郡、木曽川より西を美濃国恵那郡と分けていたが、享保9年(1724年)に木曽川の東も西も信濃国筑摩郡木曾と定められたと記されている。
  • 中津川市山口(元・長野県木曽郡山口村)にある諏訪神社慶長16年(1611年)11月の棟札には「恵那郡木曽山口村」と記されている。
  • 寛文9年(1669年)木曾代官の山村甚兵衛より尾張御領宛、木曽の所属について提出した書状によると、
    然ㇵ 御家中城侍在所持御書出候様ニと 今度自公儀 被仰出候付 当福島ㇵ 濃州恵那郡之内ニ候哉 信州之内ニ候哉 先年絵図公儀ヘ上申候時分 聞被成度候間 得其意存候 当地興禅寺ニ 有之候 鐘銘ニㇵ 恵那郡と有之候ヘ共 是ㇵ古ニ 詮儀無覚束存候 木曽ㇵ信州之物と申唱 先年 木曽絵図ニㇵ 信州之内共 濃州之内共断書ㇵ 不仕其地ヘ絵図指上申候 其節承及候ㇵ 信州一国之絵図ㇵ 眞田伊豆守殿 濃州一国絵図ㇵ 岡田将監殿より 一枚絵図ニ御認め 公儀ヘ上申由ニて 殿様[2]御領分も 美濃之絵図ㇵ将監殿[3]ヘ被遣 木曽絵図ㇵ 伊豆守殿[4]ヘ派遣候 由承及申候 然共聢(しか)と覚不申候 此段ㇵ 其御地ニて如可申と存候 左と御座候ヘㇵ 木曽ㇵ 彌 信濃絵図に入可申と存候
  • 寛文11年(1671年)山村甚兵衛より千村平右衛門への書状覚の中の触状に 尾州御国奉行に伺いたてたところ「木曽の儀、信濃国中に相極候ヘハ」触状はそのまま廻すようにとの指示を与えているところから、この寛文の頃になると木曽は信濃国の中とはっきりしたのであろう。

系図史料には建御名方神の後裔弟武彦命が木蘇国造に任じられたと伝わるが、木蘇国造やその支配地域である木蘇国の実態は不明。 奈川村楢川村を除いた大部分は元来、美濃国恵那郡の一部であったが、鎌倉時代もしくは室町時代に美濃国から分離され、信濃国筑摩郡に編入された。それ以前は鳥居峠及び境峠が信濃国と美濃国の境であった。江戸時代は奈川、贄川、奈良井の各村とともに尾張藩の領地に入り、贄川関所松本藩と尾張藩の境であった。

郡発足までの沿革

知行 村数 村名
藩領 尾張藩 32村 湯舟沢村、馬籠村、山口村、田立村、妻籠村、蘭村、三留野村、柿其村、与川村、野尻村、長野村、殿村、須原村、荻原村、上松村、福島村、岩郷村、三尾村、黒沢村、王滝村、西野村、末川村、黒川村、上田村、原野村、宮越村、菅村、藪原村、荻曽村、奈川村、奈良井村、贄川村
  • 明治4年
  • 明治7年(1874年
    • 9月7日 - 下記の町村の統合が行われる。(24村)
      • 木祖村 ← 藪原村、菅村、荻曽村
      • 開田村 ← 西野村、末川村
      • 三岳村 ← 三尾村、黒沢村
      • 読書村 ← 三留野村、柿其村、与川村
      • 山田村 ← 山口村、田立村
      • 神坂村 ← 湯舟沢村、馬籠村
    • 11月7日 - 下記の町村の統合が行われる。(16村)
      • 福島村 ← 福島村、岩郷村
      • 新開村 ← 黒川村、上田村
      • 日義村 ← 原野村、宮越村
      • 駒ヶ根村 ← 荻原村、上松村
      • 大桑村 ← 野尻村、長野村、殿村、須原村
      • 吾妻村 ← 妻籠村、蘭村
  • 明治9年(1876年8月21日 - 第2次府県統合により長野県の管轄となる。

郡発足以降の沿革

  • 明治12年(1879年1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、筑摩郡のうち24村の区域に行政区画としての西筑摩郡が発足。郡役所を福島村に設置。
  • 明治14年(1881年)
    • 2月24日 - 山田村が分割され山口村・田立村となる。(17村)
    • 3月12日 - 大桑村が分割され野尻村・長野村・殿村・須原村となる。(20村)
    • 3月 - 開田村が分割され西野村・末川村となる。(21村)
    • 6月18日 - 駒ヶ根村が分割され荻原村・上松村・小川村となる。(23村)
  • 明治16年(1883年11月10日 - 木祖村が分割され藪原村・菅村・小木曽村となる。(25村)
1.福島村 2.楢川村 3.木祖村 4.奈川村 5.日義村 6.新開村 7.開田村 8.王滝村 9.三岳村 10.駒ヶ根村 11.大桑村 12.読書村 13.吾妻村 14.山口村 15.田立村 16.神坂村(紫:松本市 桃:塩尻市 橙:南木曽町 赤:木曽町 黄:岐阜県中津川市 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。現在の町村の所属郡は木曽郡。(16村)
    • 福島村(単独村制。現・木曽町)
    • 楢川村 ← 奈良井村、贄川村(現・塩尻市)
    • 木祖村 ← 藪原村、小木曽村、菅村(現存
    • 奈川村(単独村制。現・松本市)
    • 日義村新開村(それぞれ単独村制。現・木曽町)
    • 開田村 ← 西野村、末川村(現・木曽町)
    • 王滝村(単独村制。現存
    • 三岳村(単独村制。現・木曽町)
    • 駒ヶ根村 ← 上松村、小川村、荻原村(現・上松町)
    • 大桑村 ← 長野村、須原村、殿村、野尻村(現存
    • 読書村吾妻村(それぞれ単独村制。現・南木曽町)
    • 山口村(単独村制。現・岐阜県中津川市)
    • 田立村(単独村制。現・南木曽町)
    • 神坂村(単独村制。現・岐阜県中津川市)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治26年(1893年5月27日 - 福島村が町制施行して福島町となる。(1町15村)
  • 大正11年(1922年9月1日 - 駒ヶ根村が町制施行・改称して上松町となる。(2町14村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和23年(1948年6月1日 - 奈川村の所属郡が南安曇郡に変更。(2町13村)
  • 昭和33年(1958年
  • 昭和36年(1961年1月1日 - 読書村・吾妻村・田立村が合併して南木曽町が発足。(3町9村)
  • 昭和42年(1967年4月3日 - 福島町・新開村が合併して木曽福島町が発足。(3町8村)
  • 昭和43年(1968年5月1日 - 西筑摩郡が改称して、木曽郡となる。この変更は、前年の暮れに西筑摩町村会が、観光開発や産業振興には木曽のほうが名前が知られているので有利、県や国の出先機関も地方事務所を除いて木曽の名を使っている、地域には木曽を使った固有名詞が多い、住民のアンケートでも大多数が改称を望んでいる、などとして県に改称を申請していたものだった。郡名変更案は、2月の定例県会で可決された[6]
  • 平成17年(2005年
    • 2月13日 - 山口村が岐阜県中津川市に編入。(3町7村)
    • 4月1日 - 楢川村が塩尻市に編入。(3町6村)
    • 11月1日 - 木曽福島町・日義村・開田村・三岳村が合併して木曽町が発足。(3町3村)

変遷表

自治体の変遷
明治7年以前 明治7年 - 明治11年
西筑摩郡発足まで
明治12年 - 明治22年3月末 明治22年
4月1日
町村制施行
明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
福島村 明治7年11月7日
福島村
福島村 福島村 明治26年5月27日
町制
昭和42年4月3日
木曽福島町
平成17年11月1日
木曽町
木曽町
岩郷村
黒川村 明治7年11月7日
新開村
新開村 新開村 新開村
上田村
原野村 明治7年11月7日
日義村
日義村 日義村 日義村 日義村
宮越村
西野村 明治7年9月7日
開田村
明治14年3月
西野村
開田村 開田村 開田村
末川村 明治14年3月
末川村
三尾村 明治7年9月7日
三岳村
三岳村 三岳村 三岳村 三岳村
黒沢村
上松村 明治7年11月7日
駒ヶ根村
明治14年6月18日
上松村
駒ヶ根村 大正11年9月1日
町制改称 上松町
上松町 上松町 上松町
明治14年6月18日
小川村
荻原村 明治14年6月18日
荻原村
王滝村 王滝村 王滝村 王滝村 王滝村 王滝村 王滝村 王滝村
長野村 明治7年11月7日
大桑村
明治14年3月12日
長野村
大桑村 大桑村 大桑村 大桑村 大桑村
須原村 明治14年3月12日
須原村
殿村 明治14年3月12日
殿村
野尻村 明治14年3月12日
野尻村
藪原村 明治7年9月7日
木祖村
明治16年11月10日
藪原村
木祖村 木祖村 木祖村 木祖村 木祖村
小木曽村 明治16年11月10日
小木曽村
菅村 明治16年11月10日
菅村
奈川村 奈川村 奈川村 奈川村 奈川村 昭和23年6月1日
南安曇郡奈川村
平成17年4月1日
松本市に編入
松本市
奈良井村 奈良井村 奈良井村 楢川村 楢川村 楢川村 平成17年4月1日
塩尻市に編入
塩尻市
贄川村 贄川村 贄川村
三留野村 明治7年9月7日
読書村
読書村 読書村 読書村 昭和36年1月1日
南木曽町
南木曽町 南木曽町
柿其村
与川村
妻籠村 明治7年11月7日
吾妻村
吾妻村 吾妻村 吾妻村
蘭村
田立村 明治7年9月7日
山田村
明治14年2月24日
田立村
田立村 田立村
山口村 明治14年2月24日
山口村
山口村 山口村 山口村 平成17年2月13日
中津川市に編入
岐阜県
中津川市
馬籠村 明治7年9月7日
神坂村
神坂村 神坂村 神坂村 昭和33年10月14日
山口村に編入[5]
湯舟沢村 昭和33年10月15日
中津川市に編入
中津川市

行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 高島正勝 明治12年(1879年)1月4日
2 関口侯彦 明治14年(1881年)2月19日
3 村地広賁 明治15年(1882年)6月19日
4 坂本俊秀 明治19年(1886年)9月3日
5 小島義知 明治23年(1890年)10月13日
6 伊谷脩 明治25年(1892年)2月28日
7 渡部秀之丞 明治32年(1899年)2月15日
8 宮沢宗三郎 明治39年(1906年)3月12日
9 犬童長豊 明治41年(1908年)12月23日
10 平川房吉 明治42年(1909年)12月27日
11 乾長昭 大正3年(1914年)3月13日
12 松下金六 大正3年(1914年)9月29日
13 渡辺盛太郎 大正5年(1916年)7月20日
14 泉対信之助 大正5年(1914年)8月7日
15 園田竹熊 大正7年(1916年)7月12日
16 川瀬宇吉 大正11年(1922年)3月28日
17 羽生秀三郎 大正13年(1924年)3月31日 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ (恵那郡史 1926年)。 すなわち古代には木曾は美濃国恵奈郡に属していたのである。 そして元慶3年(879年)9月に懸坂上岑と鳥居峠を境界とし、岐蘇・小岐蘇の所属は美濃国恵奈郡繪上郷と定められた。
  2. ^ 尾張徳川家
  3. ^ 美濃代官
  4. ^ 松代城主
  5. ^ a b 峠・馬籠・荒町地区
  6. ^ 信濃毎日新聞社調査出版部編『信毎年鑑 1969年版』(1968年、信濃毎日新聞社) - 51頁。

参考文献

「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。

関連文献

  • 『木曽福島町史』
  • 『西筑摩郡誌』西筑摩郡、1915年。NDLJP:1877635 

関連項目

先代
筑摩郡
行政区の変遷
1879年 - (西筑摩郡 → 木曽郡)
次代
(現存)

木曾郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:35 UTC 版)

天正壬午起請文」の記事における「木曾郡」の解説

木曾義昌 - 徳川家康臣従

※この「木曾郡」の解説は、「天正壬午起請文」の解説の一部です。
「木曾郡」を含む「天正壬午起請文」の記事については、「天正壬午起請文」の概要を参照ください。

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