御田祭
御田祭
御田祭
御田祭
御田
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 05:50 UTC 版)
御田(おた、みた、おみた、おんた、おんだ、おでん)は、寺社や皇室等が所有する領田のこと、またその領田で行われる行事[1]。
日本人と稲作の深い関わりを示すものとして、多くの御田に関する行事が日本各地に伝承されている。田原の御田、磯部の御神田、吉良川の御田祭は重要無形民俗文化財に指定され、御田植祭、田遊び、田植踊と呼ばれる行事や芸能なども伝承されている。皇居内の御田では天皇自らが田植えと稲刈りを行う。
明治初頭の上知令で寺社の領地(寺社領)が廃止されたため、一時的に日本全国の寺社の御田が消滅した。その後周辺の住民の寄贈などにより御田が再興された寺社があり、伊勢神宮は2ヶ所に御田を残している。
脚注
- ^ 「寺田(てらだ)」、「神田(かんだ)」「御神田」とも呼ばれるが、一般に「寺田」「神田」と呼ぶ場合は領田そのもののことを指し、行事のことは指さない。また田楽と同義にも使われ、おでんと読んだ場合は一般に料理のおでんのことを指す。
関連項目
外部リンク
御田祭(おんださい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 14:09 UTC 版)
1月7日の午後に拝殿で行われる、農具の模型を使って農耕の様子を模倣し、当年の稲の豊作を祈る予祝儀礼。ほとんどの所作を宮司1人で演じる点に特徴がある。献饌後に「佃(つくだ)神事」が始まり、まず鍬で土を掘り起こし(「春鍬(はるくわ)」。以下鉤括弧内は所作の名称)、以下牛に引かせる体で唐鋤で耕作し(「カラスキ」)、鍬で畦を固めて(「畦塗り」)、朳(えぶり)を上下に振りかざし(「エブリ」)、籾殻と切麻を稲種に見立てて蒔く所作をして「佃神事」を終える。その後、献酒、奉幣、祝詞奏上となり、祝詞奏上後再び神事となる。後半は鍬を執った宮司と稲束を持った者が向き合ってそれぞれの持ち物を交差させながら左右に振り(田植えを表すという)、鍬を鎌に持ち替えて同じ動作を繰り返す(これで稲刈りを表すという)。次いで簓を擦って脱穀の音に模し(「ササラ」)、籾殻を盛った三宝と空の三宝が出されて籾を移し替えてから(「ツツミ」。米の計量の様という)、巫女舞、撤饌となり、三宝に盛った籾を参詣者に授与して終了となる。なお、御田祭の各所作にはそれぞれ専用の唱え詞が付随する。 御田祭自体は日本全国で行われ、当県でも地域的に近しい丹生都比売神社を始めとする他の社寺でも行われているが、他県では田植えを以て終える場合が多いのに対し、収穫され計量されるところまでを演じる点が当県の特徴である。その一方で、県内他社寺においては牛は登場するものの牛耕の様を演じることは見えず、牛耕の様を演じる点は畿内他県に同じい。そこから丹生都比売神社等とは別系統の神事であるとの推測ができ、あるいは当神社一帯が畿内型の農耕技術に従っていたことを示すもの、または他の社寺が山地に位置していたため牛耕が不可能であったことを示すものとの指摘もある。また、御田祭の性格から神事後の籾の授与が重要な意味を持ち、かつてはその籾を神聖な種籾として各農家の神棚で祀った後に実際に播種されたというが、現在では農家の参拝自体が減少している。
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