弓削重蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/07 14:11 UTC 版)
弓削重蔵(ゆげ じゅうぞう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏、河尻秀隆の家臣、配下。
略歴
甲州征伐の後、甲斐国(穴山領巨摩群を除く)、信濃国諏訪郡を拝領した河尻秀隆は、甲斐統治において甲府近郊の岩窪館(甲府市岩窪町)を本拠にしたとされている。諏訪郡には、代官として弓削重蔵を高島城に配置し統治を行なった。[1]
当時、織田信忠ら織田軍により諏訪大社上社が放火され、諏訪頼豊(越中守)が処刑されるなど諏訪一門や親類衆は過酷な扱いを受けていたが、諏訪衆、千野昌房(兵衛尉)らは北条氏直を頼り上野国へ逃れていた。彼らは6月2日以後に諏訪に帰国し、親類衆、同輩を北条方への転換を行なっている。
本能寺の変が勃発し千野昌房が諏訪へ帰還すると、諏訪衆50騎程が同心し、山間に閉塞していた人々を糾合し高島城を攻略をし、城将弓削重蔵を討ち取ったとされる。[2]
また、諏訪大祝諏訪頼忠は六月十日に挙兵し所領を回復したともされ、どちらにせよ六月上旬には平定されていたと考えられる。
脚注
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