島津貴柄とは? わかりやすく解説

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島津貴柄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/05 09:31 UTC 版)

 
島津貴柄
時代 江戸時代
生誕 寛政3年3月10日1791年4月12日
死没 天保4年10月4日1833年11月15日
改名 小源太(幼名)→貴明(初名)→貴柄
別名 玄蕃、長門(通称
墓所 鹿児島県垂水市田神の垂水島津家墓所(心翁寺跡)
主君 島津斉宣斉興
薩摩藩
氏族 垂水島津家
父母 父:島津貴品
正室:お喜佐(島津忠救の娘)
貴典、養子:謙次郎
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島津 貴柄(しまづ たかもと)は、江戸時代後期の薩摩藩士。大隅郡垂水[1]領主。藩主一門垂水島津家12代当主。

経歴

寛政3年(1791年)3月10日、一門垂水家島津貴品の子として垂水に生まれる。幼名は小源太。寛政11年(1799年)、藩主島津斉宣の加冠で元服する。

文化3年(1806年)3月、藩主斉宣の命で、斉宣の八男謙次郎を養子に迎えるも、翌年夭折する。文化6年(1809年)、重富島津忠救の娘・お喜佐(母は10代貴澄の娘・お道)と結婚する。

文化9年(1812年)に発行された祖父貴澄の漢詩集『廃簏詩稿(はいろくしこう)』の付録に、父貴品や貴明(貴柄)の挽詩集が収録されている。また同年、末川久救(末川周山、9代貴儔の庶子)の編纂した歌集「浪の下草」に正室お喜佐の和歌が収録されている。

文政2年(1819年)、通称を長門と改める。天保2年(1831年)3月28日、隠居して家督を実子の貴典に譲る。天保4年(1833年)10月4日、死去。享年43。

系譜

脚注

参考文献

  • 『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年

参考サイト




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