山本猛夫
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山本 猛夫(やまもと たけお、1903年6月12日 - 1989年7月26日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。
経歴
東京都生まれ、もしくは岩手県盛岡市出身[1]。1923年、日本大学政治科卒業。時事新報社、毎日新聞社政治部記者を務めたのち、東洋鋼材工業社長、東京製糖社長となる。1943年の東京都発足直後の東京都会議員選挙に立候補したが[2]、落選した。1947年、第23回衆議院議員総選挙岩手1区に民主党から出て、初当選。以後5期務めた。1950年、衆議院懲罰委員長。同年7月、第3次吉田第1次改造内閣郵政政務次官。1951年、第3次吉田第2次改造内閣郵政政務次官。1952年、衆議院議事進行係。1956年、松浦董子(旧華族・元久邇邦久の妻)と結婚。1966年、董子の側から申し出され離婚。1974年11月の秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章[3]。
1989年7月26日[1]、死去。86歳没。同年8月1日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位に叙された[4]。
選挙経歴
- 1947年-第23回衆議院議員総選挙 岩手1区 当選(民主党)
- 1949年-第24回衆議院議員総選挙当選(民主自由党)
- 1952年-第25回衆議院議員総選挙落選(自由党)
- 1953年-第26回衆議院議員総選挙落選(鳩山自由党)
- 1955年2月-第27回衆議院議員総選挙落選(日本民主党)
- 6月-繰上当選
- 1958年-第28回衆議院議員総選挙当選(自由民主党)
- 1960年-第29回衆議院議員総選挙当選
- 1963年-第30回衆議院議員総選挙落選
- 1967年-第31回衆議院議員総選挙落選(無所属)
- 1969年-第32回衆議院議員総選挙落選(自由民主党)
- 1972年-第33回衆議院議員総選挙落選(無所属)
- 1976年-第34回衆議院議員総選挙落選(日本民主党)
役職
- 民主自由党情報部長
- 民主自由党選挙対策部長
- 民主自由党遊説部長
- 自由民主党総務
- 日本大学本部顧問
その他
脚注
- ^ a b c 新訂 政治家人名事典 明治~昭和
- ^ 『朝日新聞』1943年9月8日2面、「都会議員立候補者一覧表」。
- ^ 『官報』第14357号8頁 昭和49年11月7日
- ^ 『官報』第159号11頁 平成元年8月5日
参考文献
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 大石武一 |
1960年 - 1961年 |
次代 中野四郎 |
| 先代 松木弘 |
1950年 |
次代 森幸太郎 |
| 先代 上林山栄吉 |
次代 中村寅太 |
|
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