山川黙とは? わかりやすく解説

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山川黙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 20:17 UTC 版)

山川 黙(やまかわ しずか、1886年〈明治19年〉7月26日 - 1966年〈昭和41年〉2月21日)は、日本の教育者登山家[1]。旧姓は河田[1]武田久吉らと日本博物学同志会に参加し、日本山岳会の創始者のひとり[2]慶応義塾大学教授、旧制武蔵高等学校校長などを務めた[1]

経歴

1886年(明治19年)7月26日、東京府四谷区四谷信濃町に生まれる。父は東京市助役を務めた河田烋(かわだ きょう)で、兄は河田烈(かわだ いさお)である[3][4]。1904年(明治37年)、東京府立第一中学校を卒業する。1905年(明治38年)、日本山岳会の創立発起人となる[5]第一高等学校を経て、東京帝国大学に入学する[6]

大学在学中、山川健次郎の甥である山川戈登(やまかわ ごるどん)と親交があり、戈登の没後、山川健次郎の姉である山川操の養子となる[4][3]。山川操は兄弟姉妹に山川二葉山川浩、山川健次郎、大山捨松がおり、小出光照の妻であり、昭憲皇太后女官であった。

1913年(大正2年)、東京帝国大学理学部植物学科を卒業する[7]。1915年(大正4年)、昭憲皇太后の女官だった久世三千子(子爵久世通章の庶子)と結婚する[8]

東京帝国大学を卒業後、京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)教諭、慶応義塾大学予科教授を経て、1924年(大正13年)に旧制武蔵高等学校で生物学担当の専任講師となる[4]。1925年(大正14年)に同校の教授に就任する[4]。当時の武蔵高校では奥日光湯元の板屋旅館を利用した林間学校を毎年開催しており、山川は生徒に高山植物の名前を教えるため、在任中に『原色高山植物』などの図鑑を著している[9][6]

1942年(昭和17年)、教頭に就任する[4]。同年7月12日に校長の山本良吉が急逝したことを受けて、7月14日に校長事務取扱に就任、9月23日に校長に就任する[4]。1943年には2代、3代校長の名を付けた山川賞、山本賞の制度を制定している[6]。1946年(昭和21年)2月17日、健康上の故を以て辞任した[6]

1966年(昭和41年)2月21日死去[1]。79歳没。

人物

  • 温厚寡黙で誠実な人柄だったと評価されている[4][6]
  • 1917年(大正6年)に長男の重一、1922年(大正11年)に次男の重次が生まれている。
  • 会津会会員[10]

著書・編書

1928年(昭和3年)に刊行された『原色高山植物』は日本で最初のカラー写真図鑑とされる[11]。当時はまだカラーフィルムが販売されていなかったため、赤、緑、青の3色のフィルターを付けて撮影し、この3色の写真原版を重ね合わせて製版し天然色を再現した[11]。実際の撮影は山川に同行した写真技師がおこなった[9]。その後『原色蝶類圖』『原色貝類圖』も刊行し、いずれも好評をもって迎えられた[9]

山川三千子

妻の山川三千子は、1892年(明治25年)に子爵・久世通章の長女として京都に生まれる[12]。1909年(明治42年)より宮中に出仕して明治天皇昭憲皇太后に仕え、1914年(大正3年)に退官、翌年に山川黙と結婚する[12]。1960年(昭和35年)に『女官』を刊行した[12]。1965年(昭和40年)没[12]

著書

出典

  1. ^ a b c d 山川黙」『20世紀日本人名事典(2004年刊)』日外アソシエーツhttps://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E9%BB%99コトバンクより2025年10月26日閲覧 
  2. ^ 山川黙」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E9%BB%99コトバンクより2025年10月26日閲覧 
  3. ^ a b 帝国秘密探偵社『大衆人事録 東京編』(第13版)、1939年。「河田烈」の項目。
  4. ^ a b c d e f g 山川黙 | オンライン博物館”. 根津育英会武蔵学園百年史. 2025年10月26日閲覧。
  5. ^ 『日本人名大辞典』
  6. ^ a b c d e 大坪秀二. “山川黙校長在任時代の武蔵”. 武蔵学園百年史. 学校法人根津育英会武蔵学園 武蔵学園記念室. 2025年10月26日閲覧。
  7. ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』(大正15年)
  8. ^ 原武史 (2016年8月6日). “知られざる天皇家の「闇」をあぶり出した、ある女官の手記”. 現代ビジネス. 2025年10月26日閲覧。
  9. ^ a b c 図鑑大好き! 2014, p. 62.
  10. ^ 『会津会会員名簿』(大正8年6月発行)
  11. ^ a b 図鑑大好き! 2014, p. 60.
  12. ^ a b c d 『女官 明治宮中出仕の記』(山川 三千子)”. 講談社. 2025年10月26日閲覧。

参考文献




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