山内豊範とは? わかりやすく解説

山内豊範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/24 03:30 UTC 版)

 
山内豊範
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 弘化3年4月15日1846年5月10日[1]
死没 明治19年(1886年7月13日(40歳没)
改名 幼名:熊五郎、鹿次郎、:鵬洋
戒名 崇文院殿天常端誠大居士
墓所 高知県高知市天神町の真如寺
官位 正二位
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
土佐藩主→高知藩知事
氏族 山内氏
父母 父:山内豊資、養父:山内豊信
兄弟 豊熈豊惇、豊矩、豊範
正室:毛利信順(毛利斉熙三男)の娘
継室:上杉斉憲の娘
豊景豊静豊中、寿子、娘(大関増輝正室)
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山内 豊範(やまうち とよのり)は、江戸時代末期の大名明治前期の日本華族実業家位階爵位正二位侯爵

土佐藩第16代(最後)藩主で、同藩初代(最後)藩知事。三条実美の従弟にあたる。

経歴

第12代藩主・山内豊資の十一男として生まれる。嘉永元年(1848年)に兄の豊熈(第13代藩主)、豊惇(第14代藩主)が相次いで死去したため後継者と目されたが、わずか3歳だったため、家督は分家出身の豊信(容堂)が継承することとなった。安政6年(1859年)2月26日、豊信が安政の大獄で隠居処分となったため、家督を継承した。

しかし文久2年(1862年)に豊信の隠居が解かれると、実権は豊信に握られることとなり、豊範の主体性は薄かった。同年、朝廷から京都警護の内勅を受ける。明治2年(1869年)には薩摩藩長州藩などと共に連名で版籍奉還を行なった。土佐藩が明治政府の下で高知藩になると、藩知事に就任する。「人民平均の理」という政策を立ち上げ、身分制度の廃止、四民平等を強く打ち出した[2]。また、義父・上杉斉憲米沢藩戊辰戦争によって官軍の追討を受けると、その赦免に奔走した。

明治4年(1871年)の廃藩置県後は、新政府から東京への移住を命じられる。同年9月15日午後1時に現在の高知市鷹匠町にあった散田屋敷を出て、川船で浦戸港に向かい、夕方6時に蒸気船で高知を出発。翌16日に大阪府川口 (大阪市)に到着し、夕顔船への乗り換えと荷物の積みこみで19日まで滞在。滞在中は道頓堀で芝居見物を楽しむなど、余暇を過ごした。19日午後2時に川口を出帆し、午後3時に神戸に着船、食料積み込みの間に外国人居留地を見物。夕方6時に再出帆し、静岡と伊豆の下田を経て、21日夕方6時過ぎに東京の品川に着船する。22日の午後2時25分に日本橋の箱崎邸へ着き、山内容堂らと再会を果たした[3]

明治維新の功績により、朝廷から恩賞を賜ったが、それを基金に私塾である「幼年学舎」を高知市の追手筋に創設。明治6年には東京府箱崎町の自邸に、優秀な旧藩士を毎年選定し、公費で東京に留学させる「海南私塾」を設立した。明治9年になると、陸軍中将山地元治や広瀬実栄などが計画する一般子弟の学力普及や教育の統一化に賛同し、私財を投じて「海南私塾」の分校を高知市に設立、後に高知県立高知小津高等学校となる[4][5]。その他、鉄道事業や銀行事業などの成立に寄与している。明治19年(1886年)7月13日、41歳で死去した。跡を長男の豊景が継いだ。

栄典

系譜

豊範の主要家臣

元治元年(1864年)の武鑑掲載の主要家臣は以下のとおり。

家老
深尾内記、山内主馬、山内下総(酒井勝作)、深尾蕃顕(弘人)、五藤内蔵助、桐間蔵人、福岡宮内、山内昇之助、柴田備後深尾丹波、山内藤馬
中老
山内右近、山内掃部、山内八郎、松下一学、寺村主水、安田斎、渡辺玄蕃、西野丹下、村田仁右衛門、孕石主税
仕置役
吉田元吉、朝比奈泰平、真辺正心(榮三郎)
用人
寺村左膳、由比猪内、渡辺弥久馬定府)、坂井与次右衛門、仙石寅治、葛目楠吉、下田七郎、神山左多衛、間左平
城使
宮井駿蔵(定府)、若尾直馬(定府)

主治医

登場作品

脚注

  1. ^ 『幕末維新 第15編 (第十六代豊範公紀 明治十年八月~明治十九年年末) (山内家史料)』山内神社宝物資料館、1990年、p.32。
  2. ^ こうちミュージアムネットワーク 編集発行『廃藩置県150年歴代知事一覧』令和3年7月14日発行、p.2.
  3. ^ 高知県立高知城歴史博物館 編集・発行『情報誌 城博ニュース Vol.17』令和4年5月13日発行、p.3.
  4. ^ 沖修二『山下奉文』昭和33年11月10日発行、山下奉文記念館、p.88.
  5. ^ こうちミュージアムネットワーク 編集発行『廃藩置県150年歴代知事一覧』令和3年7月14日発行、p.2.
  6. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  7. ^ 『官報』第908号「叙任及辞令」1886年7月12日。
  8. ^ 『官報』第909号「叙任」1886年7月13日。
日本の爵位
先代
叙爵
侯爵
(高知)山内家初代
1884年 - 1886年
次代
山内豊景




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