小山勉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 14:28 UTC 版)
|
||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 基本情報 | ||||||||||||
| 国籍 | |
|||||||||||
| 生年月日 | 1936年7月26日 | |||||||||||
| 出身地 | 香川県坂出市 | |||||||||||
| 没年月日 | 2012年7月2日(75歳没) | |||||||||||
| ラテン文字 | Tsutomu Koyama | |||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||
| ポジション | ライト | |||||||||||
|
||||||||||||
小山 勉(こやま つとむ、1936年7月26日 - 2012年7月2日 )は、日本の元バレーボール選手、指導者。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。
経歴
香川県坂出市出身。坂出東部中学校から香川県立坂出商業高等学校に進学し、1953年の全日本高校選手権で攻守の要としてチームを全国優勝に導いた。関西学院大学でも全日本大学選手権制覇に貢献。
大学卒業後は実業団の富士フイルムに加入し、ここでもチームの全国制覇に貢献[1]。全日本男子にも選出され、1964年の東京オリンピックでは銅メダル獲得に貢献。選手引退後は指導者に転じ、富士フイルム監督に就任。
1972年に松平康隆の後を引き継いで全日本男子監督に就任、モントリオールオリンピック日本代表チームを率いたが、準決勝でポーランドに敗れてオリンピック連覇を逸した。
その後、1988年のソウルオリンピックでも再び全日本男子を率いた。
ソウルオリンピック終了後には松平康隆日本バレーボール協会会長の下で協会の常務理事、専務理事を務めた。
2012年7月2日、食道癌のため死去[2][3]。75歳没。
脚注
- ^ 訃報:小山勉氏(坂出出身)死去/バレー東京五輪で銅 四国新聞 2012年7月3日閲覧
- ^ 日本バレーボール協会. “【訃報】日本バレーボール協会元専務理事 小山勉さん(75歳)逝去”. 2012年7月2日閲覧。
- ^ 元男子バレー日本代表監督毎日新聞 2012年7月2日閲覧[リンク切れ]
関連項目
|
|
|---|
|
|
|---|
固有名詞の分類
- 小山勉のページへのリンク