あん‐せいこう〔‐セイカウ〕【安世高】
安世高
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/04 13:20 UTC 版)
安 世高(あん せいこう、生没年不詳)は、後漢代に西域から渡来した訳経僧。諱は清。字は世高。
安息国(パルティア)の太子であったが、王位を伯父に譲り、出家修道に志し、諸方を遊歴するようになった。安息国では、部派仏教に属する説一切有部が流行していたため、世高は禅観の法や阿毘達摩に通じていた。
桓帝代の建和2年(148年)に、都の洛陽に来朝した。その後、20年にわたって訳経を行い、34部40巻の部派仏教系の経典を漢訳した。
後世の僧祐は、「幅広く経典を修めていて、中でもアビダルマの学問に精通しており、禅に関する経典も暗誦し、その綱要をほぼ了解していた」と評している(『出三蔵記集』巻13)。
『高僧伝』巻1「安清伝」では廬山から揚州の予章に至り「東寺(とうじ)」を建立したとされ、仏祖統紀 巻三十五「法運通塞志」十七之二ではその年は建寧三年(170年)であるとされる[1]。
『高僧伝』巻1の記述では霊帝代の末期に関中・洛中の騒乱を避けて、老齢の身で江南に移ったという。会稽郡にたどりつきたまたま市に入ったとき、市中は殴り合いの騒乱の最中であり、世高は誤って頭を打たれて死亡したという。
一方で、『魏書』巻30の記述では、世高の子孫は西晋のころに騒乱を避けて遼東に移住し、そのまま家をなしたという。
主な漢訳経典
- 安般守意経
- 陰持入経
- 大道地経
- 人本欲生経
- 四諦経
- 八正道経
- 転法輪経
- 阿毘曇五法行経
- 仏説法受塵経[2]
疑問視されている経典
- 八大人覚経[3]
など
なお、「安世高訳」と書いてある仏典は多いが、仮託であることが多い。たとえば上の『八大人覚経』は『出三蔵記集』に見えず、「菩薩・大乗」のような語を用いているので、大乗仏典を翻訳していない安世高とは無関係と考えられる。
脚注
- ^ 昭和四十八年度国内研修報告 六朝前期の江南社会と仏教 大川富士夫論文より。名称は大安寺(たいあんじ)という説もあり。
- ^ https://elkoravolo.hatenablog.com/entry/20110605/1307238633
- ^ https://elkoravolo.hatenablog.com/entry/20110530/1306753636
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