女川湾とは? わかりやすく解説

おながわ‐わん〔をながは‐〕【女川湾】

読み方:おながわわん

宮城県東部にある湾。牡鹿(おしか)半島基部にあり、南北二つ支湾分かれる北側湾奥女川(おながわ)漁港南岸女川原子力発電所がある。湾内ではカキ・ワカメの養殖が盛ん。三陸復興国立公園属する。


女川湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/23 13:43 UTC 版)

女川湾
崎山展望台より望む女川湾(2004年9月20日)
女川湾
女川湾
座標 北緯38度25分33.0秒 東経141度30分9.0秒 / 北緯38.425833度 東経141.502500度 / 38.425833; 141.502500座標: 北緯38度25分33.0秒 東経141度30分9.0秒 / 北緯38.425833度 東経141.502500度 / 38.425833; 141.502500
親水域 太平洋
日本
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女川湾(おながわわん)は、日本東北地方宮城県中部の東側にある三陸海岸の南部に所在する牡鹿半島の基部に位置し[1]、東側に開く形で太平洋と結ばれている。現代の行政上は、宮城県牡鹿郡女川町の大貝埼と同町の赤根埼を結ぶ線および陸岸によって囲まれた海域を指す[2]

湾は二又に分かれており、南側の支湾は五部浦湾(ごぶうらわん)と呼ばれる。北側の湾奥には日本の主要漁港の一つに数えられる女川漁港があり、女川町の市街地が広がる。女川港としての設備は湾内の4地区にそれぞれ整備されている[3]

女川町域と共に三陸復興国立公園に属する地域である[4]

基本データ

国際エメックスセンターによる、女川湾の基本データ(2020年時)[2]

概要

湾内ではギンザケを始め、アワビウニカキホタテガイホヤなどの養殖漁業が行なわれている[5][1]。戦後、湾内の小乗浜においてワカメ養殖が成功し、これが宮城県内各地に広まった[6]

女川湾は、最大水深36メートル[2]と水深が比較的深く、宮城県に寄港する大型船舶の碇泊地になることが多かった[7]。1611年(慶長16年)、スペインセバスティアン・ビスカイノは仙台藩北部沿岸を測量し、女川湾についても記録を残している[8]明治時代の初めには、宮城県の鳴瀬川河口に近代港湾として野蒜築港が建設されるが、その際、女川湾も築港の建設候補地の一つとして挙げられていた。また、1885年(明治18年)にはイギリス中国艦隊が投錨し、提督のハミルトンが女川湾を軍艦停泊の適地と評した[9]日清戦争後には、牡鹿郡や桃生郡の有志が女川を軍港とするよう政府へ請願したこともあった[10]

第二次世界大戦中には、東北地方太平洋岸の防空対潜任務のため、岩手県の「山田湾航空基地隊」、同地の「北三陸部隊」とともに、横須賀鎮守府隷下の「女川防備隊」が設置され、艦艇が配置された[11]

第二次世界大戦末期の1945年昭和20年)8月9日には連合国イギリス海軍機動部隊所属機による女川への空襲があり、湾内で「大浜」や「天草」など[12]の日本海軍の艦艇7隻(海防艦2隻、掃海艇1隻、駆潜艇1隻、特設艦船2隻、小型タンカー1隻)が撃沈された[13][11]。これらの戦没者を弔う慰霊碑国道398号線沿いの湾を望む場所に建てられ、大地震による地盤の亀裂などもあり2021年7月に鷲神公園に移設された。一方、連合国側の損害は航空母艦フォーミダブル」に所属する戦闘機F4Uコルセアおよび戦闘機スーパーマリン・シーファイア各1機で、これらは撃墜されてそれぞれ女川湾と隣接する山地に墜落した。このうち、F4Uの操縦士であったカナダ海軍ロバート・ハンプトン・グレー大尉は、第二次大戦最後のカナダ人戦死者となった[14]。グレー大尉には、この戦闘での功績によりヴィクトリアクロス勲章が授与された。グレー大尉の記念碑[15]は女川町地域医療センターの敷地内に設置されている[14]。なお、シーファイアの操縦士は脱出して捕虜となった。

2011年平成23年)3月11日には、東北地方太平洋沖地震が引き起こした大津波が女川湾に押し寄せた。港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高[注 1])は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8メートルを記録[16][17]。女川町は検測所が流失するほどの津波に襲われ、市街地は壊滅した。女川湾に係る水産業と港湾事業にも大きな打撃をもたらした。

環境

全体的に見ると、良好な水質を維持しているが、湾奥に位置する女川港では水質の悪化が懸念されている[1]

底質は主に泥質であり、岸付近は岩が露出することもある[1]

脚注

注釈

  1. ^ 津波発生時の海面から、陸上部の津波の浸水面までの高さ。

出典

  1. ^ a b c d 23 女川湾 - 2020年12月25日閲覧。
  2. ^ a b c 日本の閉鎖性海域”. (公式ウェブサイト). 国際エメックスセンター (2009年3月25日). 2011年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月15日閲覧。
  3. ^ 女川港”(宮城県)2019年5月26日閲覧。
  4. ^ 栗駒/南三陸金華山/蔵王/男鹿”. 国定公園ガイド(公式ウェブサイト). 国立公園協会 (2008年). 2011年6月15日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 魅力めぐり 中心街 - 観光案内”. (公式ウェブサイト). 女川町観光協会 (2010年). 2011年6月15日閲覧。
  6. ^ わかめ養殖”(宮城県漁業協同組合)2019年5月26日閲覧。
  7. ^ 女川町誌。
  8. ^ 『女川町誌』157-160頁。
  9. ^ 『女川町誌』163頁。
  10. ^ 『女川町誌』168頁。
  11. ^ a b 女川防備隊”. 愛国顕彰. 個人 (2009年12月23日). 2011年6月15日閲覧。
  12. ^ 『女川町誌』948頁。
  13. ^ 大内(2009)
  14. ^ a b 女川湾で戦死 カナダ軍大尉を追悼 | 河北新報オンラインニュース
  15. ^ グレー大尉の記念碑”(女川町)2019年5月26日閲覧。
  16. ^ 東北地方の港湾における被災状況について(現地調査速報)(平成23年東北地方太平洋沖地震)”. (公式ウェブサイト). 港湾空港技術研究所 (2011年3月23日). 2011年6月4日閲覧。
  17. ^ “大船渡の津波23.6メートル 昭和三陸地震に匹敵”. 47NEWS (全国新聞ネット). (2011年3月23日). http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032301001157.html 2011年6月5日閲覧。 

参考文献

  • 大内建二『あなたが知らない船の話―船がもたらした衝撃のエピソード14篇』光人社〈光人社NF文庫〉、2009年9月22日。ISBN 978-4-7698-2616-3 
  • 女川町誌編纂委員会 『女川町誌』 女川町、1960年。



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