大内青圃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/31 08:27 UTC 版)
大内 青圃(おおうち せいほ、1898年12月12日 - 1981年2月21日[1])は、日本の仏師、彫刻家、日本芸術院会員。本名は正[1]。兄は洋画家の大内青坡。
1922年、東京美術学校彫刻科卒業[1]。在学中は、高村光雲に木彫を学び、水谷鉄也に塑造を学んだ[1]。1927年、日本美術院同人[1]。1936年以降は、帝展や文展に出品し、戦後は日展や院展を中心に出品した[1]。ただし、日展が社団法人になった後は出品していない[1]。
1933年、世田谷区で薬の製造販売をしていた久保川貞節氏が、渋谷で有名だった秋田犬ハチ公に感銘を受け、故上野英三郎教授の内縁の妻八重子氏と、吉川忠一渋谷駅長の許可を得、ハチ公の木像制作を大内に依頼。渋谷駅に設置する計画を立てた。資金集めのため、大内がハチ公の版画絵葉書の原画を制作した。しかし、ハチ公を有名にした斎藤弘吉と、ハチ公の像を制作し帝展に出展した安藤照は、木像よりも銅像の方が耐久性があると久保川と大内を説得し、計画を断念させた。大内は後に、安藤制作のハチ公伏臥像と逆向きの伏臥像を製作している[2]。
1958年、日本美術院評議員[1]。1960年、院展で文部大臣賞受賞[1]。1963年、日本芸術院賞受賞[1]。1969年、日本芸術院会員[1]。1971年、勲三等瑞宝章受章[1]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m “大内青圃 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2025年7月25日閲覧。
- ^ ““因縁”の2つのハチ公像が80年の時を経て出会う”. 渋谷文化プロジェクト. 2025年8月31日閲覧。
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