多々良町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/09 02:54 UTC 版)
| たたらまち 多々良町 |
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|---|---|
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| 廃止日 | 1955年2月1日 |
| 廃止理由 | 編入合併 香椎町、多々良町 → 福岡市 |
| 現在の自治体 | 福岡市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 九州地方 |
| 都道府県 | 福岡県 |
| 郡 | 糟屋郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 14.39 km2. |
| 総人口 | 9,800人 (角川日本地名大辞典 40 福岡県 835ページ、1950年) |
| 隣接自治体 | 福岡市、糟屋郡香椎町、大川村、仲原村、久原村、山田村、勢門村 |
| 多々良町役場 | |
| 所在地 | 福岡県糟屋郡多々良町大字津屋[1] |
| 座標 | 北緯33度37分49秒 東経130度27分31秒 / 北緯33.63033度 東経130.4585度座標: 北緯33度37分49秒 東経130度27分31秒 / 北緯33.63033度 東経130.4585度 |
| ウィキプロジェクト | |
1955年2月1日に隣接する香椎町と同時に福岡市に編入され[2][3]、自治体としては廃止された。現在は東区の一部となっている。
本項では町制前の名称である多々良村[4](たたらむら)についても述べる。
地理
福岡市の北東に隣接していた町で、現在の福岡市東区中央部から南部までの地域を町域としていた。町域西部は博多湾に面する。町役場は現在の多の津付近に置かれていた。
町域西部の名島地区は明治以降、福博の玄関口の役割を果たし、名島発電所や名島飛行場(1934年廃止)といった施設があり、名島城跡や帆柱石といった名勝旧蹟も多く存在した。
福岡市に編入後は、人口増加により旧町域の東部でも住宅建設が進み、八田団地、土井団地、みどりが丘、蒲田団地などが開発された。
地形
沿革
前史
- 延元元年/建武3年3月2日(1336年4月13日) - 多々良浜の戦いで現在の福岡流通センター周辺が戦場となる[5]。
- 天文年間(1532年 - 1555年頃) - 立花鑑載が名島城を築城。
- 永禄12年(1569年) - 多々良川の戦いで多々良川両岸が戦場となる[5]。
- 天正15年(1587年) - 九州征伐後、小早川隆景が名島城を大改修して居城とする。
- 文禄4年(1595年)頃 - 小早川隆景が隠居。養子の小早川秀俊(後の秀秋)が家督を継ぎ名島城主となる。
- 慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦い後、小早川秀秋は備前岡山55万石に加増・移封。代わって豊前中津から黒田長政が名島城に入った。
- 慶長7年(1602年)または慶長12年(1607年) - 名島城は福岡城への移転のため廃城となる。
- 江戸時代 - 筑前福岡藩に属する。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、福岡県の管轄となる。
多々良村成立後
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い糟屋郡多田羅村、土井村、名子村、蒲田村、八田村、松崎村、津屋村、名島村が合併して多々良村が成立[4]。
- 1890年(明治23年)9月28日 - 九州鉄道(現在のJR鹿児島本線)赤間 - 博多駅間が開業。村内に駅は設置されなかった。
- 1904年(明治37年)1月1日 - 博多湾鉄道(現在のJR香椎線)西戸崎 - 須恵駅間が開通。土井駅開業。
- 1920年(大正9年)
- 1924年(大正13年)5月23日 - 博多湾鉄道汽船貝塚線(現在の西鉄貝塚線)新博多 - 和白駅間が開通。名島駅開業。
- 1930年(昭和5年)3月 - 名島水上飛行場が開設された。
- 1931年(昭和6年)9月17日 - 北太平洋横断飛行中のリンドバーグ夫妻を乗せたロッキード・シリウス水上機「チンミサトーク(イヌイットの言葉で『大鳥』の意)」が名島水上飛行場に立ち寄る。
- 1934年(昭和9年) - 名島水上飛行場が閉鎖。
- 1941年(昭和16年) - 松崎・名島地先公有埋立地に、大字千早が成立。
- 1942年(昭和17年)
- 1944年(昭和19年)5月1日 - 西鉄糟屋線が戦時買収により国有化され、香椎線となる。
多々良町成立後
多々良町廃止後
行政
町長
- 安部藤太
- 眞田文吉
- 箱田與三郎
- 藤野清太郎
- 安部惣七
- 安部重吉
- 森福松(1930年時点)
経済
産業
- 企業
名所・旧跡・観光スポット
- 名島城跡[4]
- 名島神社
- 名島橋
- 名島の檣石[4]
- 妙見島[4] - 小早川隆景や博多の豪商・神屋宗湛が度々茶会をしたという記録が残る島。現在は周辺の埋め立てにより陸続きとなっている。
- 多々良浜古戦場跡[4]
交通
空港
町内に空港はないため、福岡市の板付飛行場を利用することとなる。
なお、多々良村時代の1930年から1934年までは名島水上飛行場(水上機専用の水上飛行場)が存在した。
鉄道
現在、当町域には鹿児島本線・千早駅および西鉄千早駅、香椎線の舞松原駅が設置されている。なお、当時存在した西鉄多々良駅は旧・箱崎町域に存在しており、当町とは直接の関係は無い。
バス路線
道路
九州自動車道の福岡インターチェンジ、福岡都市高速4号粕屋線の多の津出入口・福岡インターチェンジ、博多バイパス、福岡東バイパスは、当時は未開通。
出身者・ゆかりの人物
出身人物
- 藤野小四郎 - 農家。当村内で行われた日本初の競犁会の開催を提唱、また徳島県に招かれ米作指導者として活躍するなど農業振興に尽力。農具発明者としても知られていた[5]。
- 長末吉 - 長式農具製作所創業者[5]
- 池見善九郎 - 農家[8]
- 橋本せつ子 - 実業家、セルシード社長。父親は九州電力の社員であった[9][注釈 1]。
ゆかりの人物
- 小早川隆景 - 戦国武将、毛利元就の三男。吉田郡山城(現在の広島県安芸高田市)生まれ。名島城主。
- 小早川秀秋 - 戦国大名、豊臣秀吉の養子を経て小早川隆景の養子。名島城主。
- 黒田長政 - 戦国大名、黒田孝高の長男。姫路城(現在の兵庫県姫路市)生まれ。関ヶ原の戦い後、福岡城新築移転準備による廃城までの一時期のみ名島城主であった。
- チャールズ・リンドバーグ - 飛行家。米国ミシガン州デトロイト出身。ロッキード・シリウス水上機「チンミサトーク(イヌイットの言葉で『大鳥』の意)」での北太平洋横断飛行中に当村内の名島水上飛行場に立ち寄る。現在では水上飛行場跡を囲む道路が「リンドバーグ通り」と名付けられている。
脚注
注釈
出典
- ^ 香綾会コラム No.60「香綾会関東支部だより 第4号」|香綾会公式サイト 2025年11月27日閲覧。
- ^ a b 福岡市 市域の変遷 2025年5月15日閲覧。
- ^ a b c 福岡市 東区のあゆみ 2025年11月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『市町村治績録』改訂第2版大日本篤農家名鑑編纂所、1930年、福岡県5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月26日閲覧。
- ^ a b c d 市史だより.indd (PDF) - 「市史だより Fukuoka」17号 2013年8月30日号 2025年11月27日閲覧
- ^ 『大日本篤農家名鑑』第1冊大日本篤農家名鑑編纂所、1910年5月、75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月6日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』第2冊大日本篤農家名鑑編纂所、1910年8月、75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月6日閲覧。
- ^ 『日本紳士録』1924年、福岡県2・3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年11月30日閲覧。
- ^ 実験に追われた「3畳紀」 産経ニュース 2014年12月20日7時8分
関連項目
- 福岡県の廃止市町村一覧
- 多々良浜の戦い
- 多々良浜の戦い (戦国時代)
- 多々良村 - かつて存在した「多々良」が付く自治体
- 多々良町のページへのリンク