四宜楼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/12 13:35 UTC 版)
| 四宜楼 |
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「善光寺繁昌記」ニ篇口絵
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| 情報 | |
| 通称 | 信中第一楼 |
| 客席数 | 1階 2階 |
| 設備 | 展望台・浴場 |
| 用途 | 料亭・茶屋 |
| 所在地 | 長野県長野市東之門町 所在地旧称:城山(じょうやま)・雁寝が岡/仮寝が岡(かりねがおか) |
| 位置 | 北緯36度39分38秒 東経138度11分29秒 / 北緯36.66056度 東経138.19139度座標: 北緯36度39分38秒 東経138度11分29秒 / 北緯36.66056度 東経138.19139度 |
四宜楼(しぎろう)は、長野県長野市の城山にかつて存在した料亭である。春夏秋冬、四季を通じて素晴らしい景観を楽しめることを売りにしており、その名も「四宜(しぎ)」、すなわち「四つの季節すべてが宜しい」という意味から名付けられた。
歴史
善光寺の東の高台にあった料亭であり、天保年間に築かれたとされる[1]。善光寺平野を一望できる立地から文人墨客から人気を集め、同所を訪れた大窪詩仏が「信中第一楼」と書した扁額を残している[1][2]。1849年(嘉永2年)刊行の『善光寺道名所図会』でも名所として紹介されており、1878年(明治11年)刊行の『善光寺繁昌記』の口絵では2階建ての建物から望遠鏡で眺望を楽しむ客の姿が描かれている[3][2]。
一方、城山館の開館以降は陰りを見せ、四宜楼の名前は消えていく[4]。明治10年代後半から20年代前半には同地で花月亭という料亭が新たに営業を始めているが、これも1891年(明治24年)に火事で焼失する[4][5]。
「四宜」の由来
「四宜」という名称は、「四つの季節すべてが宜しい(素晴らしい)」という意味であり、この料亭が提供する四季折々の景観の良さを端的に表現している。
「春時は霞が宜しく、夏は新緑が宜しく、秋は紅葉が宜しく、冬は晴れた日の雪が宜しくて、これが「四宜楼」と名付けた理由である」とされている[7]。
脚注
- ^ a b 『長野市とその周邊』長野商工振興會、1949年、33-34頁。doi:10.11501/11578730。
- ^ a b 小林 一郎 (2019年7月20日). “北信濃 江戸時代の風景(59)城山”. ながの信金「すかい」PDF. 長野信用金庫. 2024年12月24日閲覧。
- ^ 『日本名所風俗図会 5』角川書店、1983年、70頁。doi:10.11501/12281096。
- ^ a b 岩崎長思 (1933). “長野城山史蹟の顯す各時代相”. 信濃 (信濃史学会) 2 (6): 196-199. doi:10.11501/2263797.
- ^ 『長野市史料集 第1集』長野市文化財図録集刊行会、1982年、51頁。doi:10.11501/9570622。
- ^ “地震後世俗語之種 絵の解説”. NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ. 2025年12月12日閲覧。
- ^ 長尾, 無墨『善光寺繁昌記』 2巻、長野書林 松葉軒、1878年、2頁。
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