唐津港とは? わかりやすく解説

唐津港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/18 15:15 UTC 版)

唐津港
唐津みなと交流センター(唐津東港)
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所在地
日本
所在地 佐賀県唐津市東大島町2番地52(唐津東港)
佐賀県唐津市中瀬通10(唐津西港)
座標 北緯33度28分13秒 東経129度57分47秒 / 北緯33.47035度 東経129.963032度 / 33.47035; 129.963032座標: 北緯33度28分13秒 東経129度57分47秒 / 北緯33.47035度 東経129.963032度 / 33.47035; 129.963032
詳細
開港 (1899年)
管理者 佐賀県
種類 重要港湾

唐津港(からつこう)は、佐賀県唐津市にある。港湾管理者は佐賀県港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。

概要

現在の唐津港につながる利用の歴史は、江戸時代後期に松浦川河口部が石炭の積出しに使われ始めたことに遡る。明治30年ごろには、唐津鉄道の開通などにより現在の西港地区に中心が移り、大正期にかけて国内屈指の貿易港として発展した。しかし、石炭産業の衰退に伴いその地位は失われた[1][2]

現在ではLPGや建築資材、海砂などの物流基地や、水産加工業の集積地としての側面が強い。また佐賀県には大型客船が寄港できる港がほとんど無いため、クルーズ船の寄港地や旅客フェリーの就航地として、佐賀県の海の玄関口の役割も果たしている[2]

一帯は2007年(平成19年)4月25日に他の2港とともに九州で初めてみなとオアシスに登録していて、唐津みなと交流センターを代表施設とするみなとオアシスからつとして賑わい拠点ともなっている。

歴史

石炭積出し港としての開発

明治初期、唐津炭田のいくつかの炭鉱で海軍予備炭田への指定に伴い開発が進み、採炭量が増えて販路開拓が活発化した。まず松浦川河口部の満島港(現在の唐津東港)で小規模な石炭輸出が始まった[3]

1881年(明治15年)に長崎税関唐津出張所が設置され、1889年(明治23年)10月20日に石炭を対象品目とする国の特別輸出港に指定される。1896年には石炭以外の輸出が解禁される。また、1899年(明治32年)7月12日には関税法による開港に指定される(指定名称は「唐房湾」)[1][3]

ただ、河口部は水深が浅いため修築が計画される。現在の東港を浚渫する案もあったが、現在の西港が開発されることとなり、貯炭場を設置した大島を陸続きにする埋め立てなどが行われた。1898年には九州鉄道大島駅に至る貨物線が開設されると、輸出は西港に移る[1][3]

石炭積み出し量は1918年(大正7年)に145万トンに達し、明治の終わりから大正期にかけての時期は国内屈指の貿易港として隆盛した。また、パナマ運河開通(1914年)直後には燃料炭・水の補給地として注目され、関門海峡を通過する船舶の寄港が一時的に増加した[1][2][3]

明治30年代以降、西港に面した小さな村だった妙見一帯は、新たな市街地が形成され西唐津と呼ばれるようになった。住宅が集積して商店街ができ、唐津銀行の支店、劇場などもできて活況を呈した。明治の終わりから大正10年代ごろには石炭を扱った三菱(三菱商事)、三井物産が支店を置き、三菱は自ら埋め立てによる開発も行った[1][3]。1908年(明治41年)に建てられた三菱合資会社唐津支店本館は唐津市海岸通に現存しており、佐賀県重要文化財に指定されている[4]

一方、明治中期から大島小太郎ら地元財界を発起人として民間による大規模な埋め立て築港の計画が立案されるも、たびたび頓挫した。ようやく着工に至ったのは昭和に入ってからで、県の施工により1936年(昭和11年)に第一期築港が竣工した。この年には(旧)第二種重要港湾に指定されている[3]

終戦直後も石炭積出港として整備が進められ、1959年(昭和34年)には東港にも石炭埠頭が設置される。取り扱い貨物量は1955年に約132万トン、1960年に約206万トンと推移した。しかし、石炭需要が落ち込んだため用途転換を余儀なくされ、1965年には公共埠頭への刷新が始まる[1][3]

多機能化

港湾区域には九州電力唐津発電所が建設され、1967年(昭和42年)に運転を開始した[1](2004年に休止、2015年に廃止となっている)。また産業誘致として妙見工業団地が造成された(1981年竣工)[1]

1998年には水深12メートルの公共岸壁が改良竣工、2007年からは東港の岸壁の耐震改良が始まるなど、機能強化が行われてきている[1]。また、2005年には東港にフェリーふ頭の整備が始まり、2007年4月には壱岐・印通寺港とを結ぶフェリー航路が呼子港から移転して運行を始めた[1][5]

2002年には韓国釜山港とを結ぶ外貿コンテナ航路が開設されたが、2004年に休止となった[1]。2012年麗水国際博覧会の際には唐津市が企画するツアーとして、期間中計6回、韓国・麗水市への直行便が特別運航した(運行船は高速船ビートル[6]

近年の取り扱い貨物量は、2010年に約276万トン、2020年に約263万トンとなっている[2]。2018年には国外のクルーズ船が初寄港(佐賀県内でも初)している[2]

主な施設

東港

  • 東港地区
長崎県壱岐市印通寺港との間にフェリー(九州郵船)が運行している。2024年4月時点では1日5便で、「エメラルドからつ」「ダイヤモンドいき」の2艘が就航。近年の乗降客数と車両台数は、2008年に約16万人・3.8万台、2018年に約13万人・3.5万台となっている[2]
その他、九電桟橋などの施設がある。
  • 西の浜地区
西の浜海水浴場やオリンピック強化基地にも指定されている佐賀県ヨットハーバーなど観光施設が整備されている。
  • 二タ子地区
唐津港湾合同庁舎
江藤造船所
プレジャーボート用の浮き桟橋。
  • 東の浜地区

西港

  • 妙見地区
鋼材・セメントを取り扱う物流企業、水産加工業などが立地する妙見工業団地がある[2]。唐津港で最大規模の岸壁を備えた公共埠頭を有する。
  • 大島地区
かつての石炭積み出しの中心地。現在も石油やLNGを取り扱うエネルギー供給基地としての面が強い。また、砂利や砂の取り扱いも多い[2][3]
  • 水産埠頭
背後に唐津水産加工団地を備える唐津市民の台所。アジサバタイブリなどの水揚げが多い。
  • 佐志地区

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 唐津港の歴史” (pdf). 唐津港の概要. 佐賀県唐津港利用促進協議会. 2025年11月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 唐津港パンフレット” (pdf). みなとの情報. 九州地方整備局 唐津港湾事務所 (2024年4月). 2025年11月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『唐津市史』 1962, pp. 1154–1174.
  4. ^ 県重要文化財 旧三菱合資会社唐津支店本館” (pdf). 市内の重要文化財一覧. 唐津市. 2025年11月8日閲覧。
  5. ^ 西山東洋兒「印通寺(壱岐)~唐津 航路「エメラルドからつ」竣工」『海技研ニュース : 船と海のサイエンス』2007 Aut.、海上技術安全研究所、2007年10月22日、11-13頁。 
  6. ^ 神田浩樹「海を越えた絆の日韓交流」『自治体国際化フォーラム』第282号、自治体国際化協会、2013年4月、34-35頁、NDLJP:11041158 

参考文献

関連項目 

外部リンク





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