唐松講
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 13:55 UTC 版)
宝永に入り秋月藩黒田家に嫁いだ義処の息女久姫が難産に苦しんだ。久姫は出羽国の山北にある「から松の姫神」はお祈りすれば大変なご利益があると聞いているので、その神様に祈祷してこの苦しみから救って欲しいと言い、近くに仕える男女が身を清めて出羽の国の方へ向かって安産を祈願したところ無事男子を出産した。後に久姫は獅子頭を神社へ奉納したといわれる。義処は本社を藩内で唯一の「女一代守神」に指定し、義処の側室や側仕えの女性たちは授子安産を願って唐松講(八日講)を結成したとされる。唐松講は秋田にとどまらず全国に広がり大正15年ころには講中は3万5千戸を数えるほどになり、戦前まで続けられた。
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