和駅
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| 和駅 | |
|---|---|
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和駅跡(2019年)
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| やわら Yawara |
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◄渭ノ津 (3.4 km)
(3.1 km) 中ノ岱►
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| 所在地 | 北海道雨竜郡北竜町和 |
| 所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
| 所属路線 | 札沼線 |
| キロ程 | 97.9 km(桑園起点) |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 開業年月日 | 1931年(昭和6年)10月10日[1] |
| 廃止年月日 | 1972年(昭和47年)6月19日[1] |
| 備考 | 廃駅 |
和駅(やわらえき)は、かつて北海道雨竜郡北竜町和にあった日本国有鉄道(国鉄)札沼線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲120211[2]。
歴史
年表
- 1931年(昭和6年)10月10日:札沼北線石狩沼田 - 中徳富(初代、現在の新十津川)間開通にともない開業[3]。一般駅[1]。
- 1944年(昭和19年)7月21日:太平洋戦争激化により不要不急線として石狩追分 - 石狩沼田間休止に伴い当駅も休止[1]。
- 1954年(昭和29年)9月26日:同日から翌日にかけ、昭和29年台風15号(洞爺丸台風)の襲来を受け、初代駅舎倒壊[4]。
- 1956年(昭和31年)11月16日:雨竜 - 石狩沼田間復活により当駅が復活[1]。札沼線が全線復旧。
- 1972年(昭和47年)6月19日:札沼線新十津川 - 石狩沼田間廃止に伴い廃駅となる[1]。
駅名の由来
もともと同地はアイヌ語名「エタイエペッ」から「エタイエベツ」と称され[5][注 1]、現在も恵岱別川として河川名称になっている[6]。
現在の名称は吉植庄一郎ら、千葉県埜原(やわら)村(現在の印西市の一部)出身者が入植し、吉植が出身地の「埜原」から音を借り名づけた[5][7][7]。
「埜原」ではなく「和」の字を用いた理由は諸説あるが、厩戸皇子(聖徳太子)十七条憲法にある「和を以て尊しとなし、忤うこと無きを宗となせ」や、二宮尊徳の報徳思想における「人道は和を以て本質とする」の理念からとされており[7]、そこから「永久に平和なる村を建設する意味[5]」や、「住民の一致団結を願った[7]」と後年解釈されている。
駅構造
駅舎は桑園駅に向かって右手の西側に設置されていた。休止前の初期の構内は、駅舎前に単式ホーム1面1線と副本線を有し、副本線から札幌方に車庫線が分岐していた。また、駅舎横石狩沼田側の貨物ホームへ1本の引込線を有していた[8]。
休止再開後の構内は、駅裏側が石狩沼田側にずれた千鳥状の相対式ホーム2面2線と、駅舎とホーム間に敷かれて駅舎横の石狩沼田側に置かれた貨物ホームと札幌側の土場を利用する副本線の貨物積み降ろし線1線からなる都合2面3線で構成されていた。駅舎と各ホーム間は構内踏切で連絡していた。また、休止前にあった車庫が無くなり、引込線の車庫線も無かった[9]。
札沼線の部分廃止直前は浦臼駅と石狩沼田駅の間は1日5往復まで列車本数が削減されていたが、当駅ではこの区間で唯一列車交換が行われていた。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | |||
| 1961年(昭和36年) | 99,926 | (273.8) | [4] | |
| 1962年(昭和37年) | 90,739 | (248.6) | ||
| 1963年(昭和38年) | 82,736 | (226.1) | ||
| 1964年(昭和39年) | 87,216 | (238.9) | ||
| 1965年(昭和40年) | 86,060 | (235.8) | ||
廃駅跡
跡地には北竜紳装が真竜小学校の旧体育館を移築して紳士服の縫製工場として用いたが、その後建物の一部を解体し建築会社の施設として用いられている[10]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、834-835頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、221頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』 1931年10月03日 鉄道省告示第270号(国立国会図書館)
- ^ a b 『北竜町史』北竜町、1968年3月、94-95, 705-706頁。doi:10.11501/13211276。2026年1月24日閲覧。
- ^ a b c 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、34頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 77. ISBN 978-4-88323-114-0
- ^ a b c d 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 114. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年10月16日閲覧。
- ^ 昭和7年 線路一覧略図 札幌鉄道局発行。
- ^ 国土地理院 1963年撮影航空写真 MHO631X-C5-7 (1200dpi)による。
- ^ 写真で見る空知の100年(いき出版 2023年)81頁
隣の駅
関連項目
外部リンク
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1963年撮影航空写真 MHO631X-C5-7 写真左上隅に当駅。
固有名詞の分類
- >> 「和駅」を含む用語の索引
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