吉田重親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/24 04:14 UTC 版)
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| 時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 慶長20年5月6日(1615年6月2日) |
| 官位 | 内匠頭 |
| 主君 | 長宗我部元親→盛親 |
| 氏族 | 土佐吉田氏 |
| 父母 | 父:吉田貞重、母:不詳 |
| 子 | 重隆 |
吉田 重親(よしだ しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。長宗我部氏の家臣。
出自
土佐国の国人である土佐吉田氏は、藤原北家秀郷流の末裔を称する山内首藤氏の支流。山内首藤俊通の子・俊宗が足利尊氏に従い、功を上げ土佐に所領を得たことを始まりとする。
生涯
祖父・吉田孝頼、父・貞重と同様に、長宗我部氏の重臣として仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、主君である長宗我部盛親が改易されると浪人の身となる。 慶長19年(1614年)に始まる大坂の陣では、再起を図った盛親に従って大坂城へ入城した。翌年の大坂夏の陣における八尾・若江の戦いでは、増田盛次らとともに先鋒として出撃したが、兵数や装備に劣り劣勢となり、討死した。
現在も八尾市に残る高塚地蔵には、重親が藤堂高虎隊の家臣である藤堂家信と、この地で戦ったとする伝承が残る。それによれば、重親は地蔵堂の陰に身を潜め、槍を携えて飛び出し家信に襲いかかったものの、逆に返り討ちに遭ったとされている。
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