判官代とは? わかりやすく解説

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ほうがん‐だい〔ハウグワン‐〕【判官代】

読み方:ほうがんだい

院の庁仕えた事務官五位六位の者を任じた

平安時代以降国衙(こくが)領・荘園現地にあって土地管理年貢徴収などをつかさどった職。


判官代

読み方:ホウガンダイ(hougandai)

平安時代以降院司職員


院司

(判官代 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/27 15:23 UTC 版)

院司(いんし、いんのつかさ)は、日本中世古代において、上皇女院の直属機関として設置された院庁の職員。中流貴族が任命されることが多く、他の官職と兼任する兼官だった。平安時代後期に院政が開始すると、上皇の政務機関である院庁の院司は、政治の枢要を担う重要職とされた。

本項では、院政の院司について詳述する。

院政の院司

院司は、嵯峨上皇835年承和2年)、院別当安倍安仁とあるのが初見である。当初、院庁は上皇の家政機関として設置され、所務雑務が主要な用務であった。長官は別当(べっとう)、次官を判官代(ほうがんだい)、主典を主典代(さかんだい)といった。

1086年応徳3年)前後に白河上皇院政を開始すると、院庁を構成する院司の役割は非常に重要なものとなった。院司は、治天の君皇室の家長)の命を受け、院庁下文院庁牒院宣を発給し、治天の政治意思を具現化するため、実務を遂行していった。そのため、院司には、蔵人弁官受領などを歴任した実務官僚が充てられることが多かった。彼らは、摂関家のような上級貴族ではなかったが、実務能力をもって登用され、政治に大きな影響を及ぼした。

院司や他の中流貴族の中には、治天の側近となり、権勢をふるう者も現れ、これを院近臣という。院司や院の近臣は、治天の権力を背景として、様々な利益を得ていたが、例えば知行国が給与されることもしばしば見られた。保元の乱以降の平清盛の急速な台頭も、後白河上皇の院司だったことが、主な理由の一つである。

白河後鳥羽までの院政最盛期が経過した後も、政務遂行の担い手として院司は重要な役目を果たし、広橋兼仲のように後深草院亀山院の院司を兼ね、更に女院である室町院と摂関家である近衛家鷹司家の家司を兼ねる者もいた[1]。実質的に院政が消滅する室町時代前期まで(一部の期間を除いて)、院司は政治の枢要を担う重要な役割を果たしていった。

主な役職

院別当
院司の最高責任者。嵯峨上皇譲位とともに南淵永河が任命されたのが最初。複数名が任命されるのが通例で、公卿もしくは上皇の天皇在位中の蔵人頭が任命されることが多く、公卿が任命された場合には「公卿別当」、四位が任命された場合には「四位別当」と呼ばれた。白河上皇の頃に公卿別当から院執事(いんのしつし・執事別当)、四位別当から院年預(いんのねんよ・年預別当)が1名ずつ任命されて院庁を統括し、更に鎌倉時代にはその上に院執権(いんのしっけん)1名が置かれて公卿別当の中から選ばれた。
院判官代
別当を補佐して庶務を処理し、院庁が発給した公文に署判する。宇多上皇の時代に設置される。白河上皇の時には四位の判官代も存在したが、五位(1・2名)または六位(4・5名)から選出されるのが通例であった。
院主典代
別当・判官代の下にあって院の文書・記録作成や考勘、雑務に従事した。朱雀上皇の時代に設置される。六位の中から2・3名が任命された。後白河上皇の時代に院庁職員の責任者である庁年預(ちょうのねんよ、院年預とは別の役職)が1名選出された。
院蔵人
上皇の天皇在位中の六位蔵人のうち、院主典代の定員外となった者を特に待遇した役職。『拾芥抄』では定員4とされている。なお、女院である上西門院の院蔵人に時に13歳の右近衛将監兼皇后宮少進源頼朝が任命されたことが『山槐記平治元年2月19日条(公卿補任は同年同月13日)に記されている。
院伝奏
上皇に各方面からの奏請を取次ぐ役。後白河上皇時代の吉田経房高階泰経を初見とするが、実際に機能したのは後嵯峨上皇の時代の宝治元年(1246年)に吉田為経葉室定嗣を任命して関東申次が担当する事項以外の一切の取次を任された。亀山上皇の時代の弘安2年(1279年)には定員6名を3組に分け、交代で取次を行った。後に武家伝奏などへと派生するが、江戸時代には現任あるいは前任の大納言中納言が院伝奏を兼ねて大事にあたった。
院御随身
上皇やその御所などを護衛する。主として近衛府などから選ばれる。譲位後の上皇に対して新天皇より尊号が授与されるとともに封戸随身が与えられた。左右近衛府からそれぞれ5名ずつ(後に6名ずつ)を定員とする。上皇が出家して法皇となると、世俗から離れることを名目に随身は返上されたが、近衛将曹級の左右各1名ずつはそのまま法皇院司の職員として留まった。

院司一覧

本表は、白河院から花園院までの時代における執事・年預・執権・庁年預の人名を収録したものである。前三者については白根靖大氏の著書『中世の王朝社会と院政』を、庁年預については主に宮内庁書陵部所蔵の『院司補任』を参照して作成した。

白河院から花園院までの時代における執事・年預・執権・庁年預一覧
院(太上天皇) 執事 年預 執権 庁年預
白河院 藤原基隆 - -
鳥羽院 藤原実行藤原顕頼藤原公教 藤原顕輔、藤原基隆、藤原家成藤原忠隆
後白河院 藤原信頼藤原隆季藤原光頼藤原家明 -
二条院 平重盛藤原定隆 藤原定隆
後白河院 藤原隆季、藤原成親藤原季能 藤原俊盛
高倉院 藤原隆季、藤原雅隆 藤原雅隆
後白河院 藤原成範藤原兼雅藤原兼光 藤原季能
後鳥羽院 源通親藤原宗頼源通資坊門信清大炊御門師経 四条隆衡 葉室光親
土御門院 堀川通具 葉室宗行 -
順徳院 葉室光親 -
後高倉院 徳大寺公継
後堀河院 西園寺実氏 四条隆親葉室資頼
後嵯峨院 土御門顕定 四条房名 葉室定嗣吉田為経吉田経俊 安倍資俊、中原景資
亀山院 花山院家長花山院通雅西園寺実兼 四条隆行四条隆康 中御門経任葉室頼藤吉田経長 安倍資遠、中原盛有
後深草院 四条隆親、西園寺実兼土御門定実堀川具守 中御門忠方、中御門為方中御門為行 平時継、坊門忠世、中御門為方、吉田経俊、姉小路顕朝、中御門経任 安倍資時、中原盛貞
伏見院 西園寺公衡洞院実泰 藤原資冬、吉田国房 葉室頼親、中御門為方、平経親、中御門為行 安倍資時、中原盛久
後宇多院 洞院公守、洞院実泰 坊城俊定、藤原経世、中御門経継中御門経宣 吉田経長、坊城俊定、吉田定房 安倍資遠、中原盛久
後伏見院 西園寺公顕花山院家定洞院公賢 中御門光方、四条隆有四条隆蔭 日野俊光葉室頼藤日野資名 安倍資重、中原盛種
花園院 西園寺実衡 日野資朝、日野資名 坊城定資勧修寺経顕

脚注

  1. ^ 佐々木宗雄『日本中世国制史論』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02946-9 P209-215

関連項目



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