元田肇とは? わかりやすく解説

元田肇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/23 22:27 UTC 版)

元田 肇
もとだ はじめ
元田肇の肖像写真
生年月日 1858年2月28日
安政5年1月15日
出生地 江戸幕府豊後国国東郡来浦村(現:大分県国東市国東町来浦)
没年月日 (1938-10-01) 1938年10月1日(80歳没)
死没地 日本東京府東京市麹町区紀尾井町(現:東京都千代田区
出身校 東京大学法科卒業
所属政党 大成会→)
国民協会→)
帝国党→)
立憲政友会→)
(無所属→)
(立憲政友会→)
政友本党→)
立憲政友会
称号 正二位
勲一等旭日大綬章
配偶者 元田きく子
親族 娘婿・小畑敏四郎国務大臣
娘婿・船田中衆議院議員
第25代 衆議院議長
在任期間 1928年4月20日 - 1929年3月14日
天皇 昭和天皇
初代 鉄道大臣
内閣 原内閣
高橋内閣
在任期間 1920年5月15日 - 1922年6月12日
第21代 逓信大臣
内閣 第1次山本内閣
在任期間 1913年2月20日 - 1914年4月16日
第3代 拓殖局総裁
内閣 第2次西園寺内閣
在任期間 1911年8月31日 - 1912年12月5日
第7-9代 衆議院副議長
在任期間 1898年5月18日 - 1902年12月28日
その他の職歴
枢密顧問官
1932年1月27日 - 1938年10月1日)
衆議院議員(2-16期)
1892年4月15日 - 1930年1月21日
衆議院議員(1期)
1890年7月2日 - 1891年12月25日
東京市会議員(2期)
1896年2月 - 1899年6月)
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元田 肇(もとだ はじめ、1858年2月28日安政5年1月15日〉- 1938年昭和13年〉10月1日)は、明治大正昭和期の日本政治家立憲政友会の長老。は国東。第25代衆議院議長逓信大臣鉄道大臣(初代)を歴任した。中央大学創立者18人の内の一人。杵築藩大分県)の儒学者の養子[1]

来歴・人物

豊後国国東郡来浦(現在の大分県国東市国東町来浦)に医師・猪俣栄造の子として生まれる。杵築藩の藩儒・元田直の養子となる。1880年(明治13年)、東京大学法科を卒業。弁護士となる。第1回衆議院議員総選挙に当選し、以後当選16回、議員生活は40有余年に渡った。当初は大成会国民協会帝国党に所属した後に立憲政友会の結成に参加、衆議院副議長に3度選出された他、第1次山本権兵衛内閣の逓信大臣、原内閣の鉄道大臣(初代)として入閣している。高橋内閣でも留任したが、中橋徳五郎山本達雄とともに高橋首相との間に反目して政権崩壊のきっかけを作ったために一時党を除名された。なお1910年(明治43年)5月6日には、自宅において菊子夫人の実弟に刃物で切り付けられ負傷する事件が起きている[2]

その後、政友会が対立する憲政会とともに第2次護憲運動に参加したことに対しては批判的で、同じくこれに反発する床次竹二郎とともに政友会を離党して政友本党を結成するが、護憲三派の崩壊後に今度は床次が憲政会と合同して立憲民政党を結党すると、元田はこれを批判して金光庸夫ら少数の合同反対派を連れて政友会に復党した。政友会が政権を奪回した田中義一内閣時代には衆議院議長(在任期間、1928年(昭和3年)4月23日-1929年(昭和4年)3月14日)に選出された。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙で落選し政界を引退。1932年(昭和7年)には、74歳にして政党出身者ではじめて枢密顧問官に親任される。 1938年(昭和12年)1月には、特旨を以て宮中杖を差し許されている[3]。 墓所は青山霊園(1ロ12-27)。

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1906年(明治39年)4月1日 勲四等旭日小綬章[10]
1912年(大正元年)8月1日 韓国併合記念章[11]
1912年(大正元年)12月18日 勲三等瑞宝章[12]
1913年(大正2年)12月27日 旭日中綬章[13]
1914年(大正3年)3月27日 金杯一組[14]
1914年(大正3年)6月29日 勲二等瑞宝章[15]
1915年(大正4年)10月19日 木杯一組[16]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[17]
1916年(大正5年)4月1日 旭日重光章[18]
1920年(大正9年)9月7日 勲一等瑞宝章[19]
1920年(大正9年)9月7日 大正三年乃至九年戦役従軍記章[20]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[21]
1928年(昭和3年)11月10日 金杯一個[22]
1934年(昭和9年)4月29日 金杯一組[23]
1935年(昭和10年)5月11日 旭日大綬章[24][25]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1934年(昭和9年)3月1日 満州帝国 建国功労章[26]
1938年(昭和13年)7月9日 満州帝国 勲一位景雲章[27]

親族

脚注

  1. ^ 元田肇(もとだ はじめ)とは - コトバンク
  2. ^ 朝日新聞「元田肇氏斬らる」1910年5月7日付け朝刊5頁
  3. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第七』東京書籍、2016年3月30日、269頁。ISBN 978-4-487-74407-7 
  4. ^ 『官報』第8462号「叙任及辞令」1911年9月4日。
  5. ^ 『官報』第174号「叙任及辞令」1913年3月1日。
  6. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
  7. ^ 『官報』第1813号「叙任及辞令」1933年1月18日。
  8. ^ 『官報』第3336号「叙任及辞令」1938年2月18日。
  9. ^ 『官報』第3527号「叙任及辞令」1938年10月4日。
  10. ^ 『官報』第7272号「授爵・叙任及辞令」1907年9月23日。
  11. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  12. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
  13. ^ 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日。
  14. ^ 『官報』第498号「叙任及辞令」1914年3月30日。
  15. ^ 『官報』第574号「叙任及辞令」1914年6月30日。
  16. ^ 『官報』第1145号「彙報 - 褒賞」1916年5月27日。
  17. ^ 『官報』第1311号・付録「辞令」1916年12月14日。
  18. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  19. ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  20. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1924年8月13日。
  21. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  22. ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  23. ^ 『官報』第2696号「叙任及辞令二」1935年12月27日。
  24. ^ 『官報』第2710号「叙任及辞令」1936年1月17日。
  25. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
  26. ^ 『官報』第2511号・付録「辞令二」1935年5月20日。
  27. ^ 『官報』第3457号「叙任及辞令」1938年7月13日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年。
議会
先代
森田茂
衆議院議長
第25代:1928年4月20日 - 1929年3月15日
次代
川原茂輔
公職
先代
後藤新平
拓殖局総裁
1913年 - 1914年
次代
(廃止→)白仁武
拓殖局長官
先代
柴田家門
拓殖局総裁
1911年 - 1912年
次代
後藤新平
その他の役職
先代
大谷木備一郎
東京組合代言人会会長
1888年 - 1891年
次代
山田喜之助



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