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伴宜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/01 14:37 UTC 版)

伴 宜
ばん よろし
生誕 (1872-02-02) 1872年2月2日
越前国福井藩
死没 (1935-12-14) 1935年12月14日(63歳没)
日本 東京府東京市目黒区
(現・東京都目黒区
所属組織
軍歴 1898年-1917年
最終階級 勅任官高等官二等
指揮 青島守備軍司令部附水道部長
民政部土木部長兼水道部長
戦闘 青島の戦い
勲章 勲三等瑞宝章
勲四等瑞宝章
勲五等瑞宝章
出身校 東京帝国大学工科大学土木工学科
配偶者 その(秀島家良長女)
子女 豊一 深次 喜代 美代 寛剛 佐代 百恵
親族 伴閑山(父) 古市八音(従兄弟)
除隊後 東京府土木部部長
東邦興業株式会社社長
日本鋼管株式会社(元:JFEスチール)水道顧問
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伴 宜(ばん よろし、1872年2月2日明治4年12月24日〉- 1935年昭和10年〉12月14日)は、日本の陸軍技師、福井県士族日本国及び日本領青島済南福州の水道事業に捧げ、東京湾第二海堡・第三海堡の設計・施工、日本鋼管株式会社の水道顧問を務めた。

生涯

帝大卒業後、陸軍省に入省

福井藩儒伴閑山の三男として生まれる。1895年7月、第一高等学校第二部工科を卒業[1]東京帝国大学工科大学土木工学科に進学する。学生時代所属していた漕艇部では艇尾で戦略統率役の整調を務めており、三年間連勝に導くなどこの頃からリーダーとしての頭角を現していた[2][3]1898年7月に東京帝国大学を卒業後[4]陸軍省に入省し、陸軍築城部佐世保支部へ配属され[5]佐世保要塞の砲台整備建造に従事した。

第二海堡・第三海堡の設計・施工

1900年1月、佐世保から築城部本部へ異動したが[6]、その前年から1907年までの間、東京湾第二海堡・第三海堡の設計を西田明則、田島真吉らと行った。特に第三海堡は、水深39mかつ厳しい海象条件のため工事は難航し、ようやく1921年に完成するが、竣工からわずか2年後の1923年に関東大震災により5mの地盤沈下を受けその後復旧することはなかった。伴らが設計した第三海堡の遺構は、「東京湾第三海堡構造物(兵舎・観測所・探照灯・砲側庫)」として神奈川県指定重要有形文化財 (歴史資料)に指定されている。

その後も陸軍砲台及び兵営等の工事を担い、臨時陸軍建築部本部の設立以来、新設兵営の建築他百件以上に及ぶ[7]。1910年には臨時軍用気球研究会御用掛兼務に任命され[8][9]、翌年は約1年間欧州に軍用工事研究の目的で渡欧し[10][11][12]、軍器発達に貢献した。

青島守備軍・青島発展寄与

1914年、日本・イギリス連合軍ドイツ帝国の東アジアの拠点・青島を攻略する際、青島攻撃軍附を命ぜられて従軍した。同年11月7日青島開城と共に入城し、水道委員長として応急給水の処置を講じた[13]。青島守備軍指令部附水道部長・民政部土木部長兼水道部長として4ヵ年、青島市上下水道の大拡張及び都市計画に至る設計設備の大任を担い、青島の戦後復興と発展に貢献した[14]

1914年の青島開城直後、伴は水道委員長として独人技術者と協議し、破損鋼管の補修・若鶴山制水池漏水止め・海泊河ポンプ仮運転・高地貯水池の活用で応急給水を即時確保した[13]1915年1月には取締規則を布達し共用栓を開放させ、独軍の破壊で停止していた李村水源は、発動機・ポンプ新設と移設で3月下旬に日量2,000トンを回復し、4月から一般給水(日量約4,000トン)を再開した。厳寒期の配管復旧を経て、煙突・機関室・ボイラ等を更新し、約5か月で戦前水準へと戻した。

需要が膨らんだ1916年夏には拡張に着手し、李村で管井を増やすとともに、青島から約23里の白沙河引水を計画・施工した[13]。白沙河側では管井・集合井・蒸機ポンプ場・送水幹線・容量4,000トンの配水池を整備し、1919年10月に完成させた。並行して下水は新築家屋の本管接続を義務化し、独逸期の方式(分流・合流併用)を踏襲して延長約35km、人孔・雨水桝を増設した。 こうして伴は工学と行政を束ね、1か月での給水再開、5か月での本復、新水源の整備、下水網拡充までを一気に進め、戦後都市の衛生と復興の基盤を築いた。

官界退職と東京府での復興行政

1917年に官を辞して東洋製鉄に入り土木・建築部長を兼任。1919年東京府嘱託技師、同年末に東京府土木部長に就任した[15]関東大震災後は土木行政を主導し、江戸川上水道の委嘱、八王子青梅の上水道支援、東京市郊外下水道の基本計画調査など、首都圏の水インフラ整備に広く関わった。伴が架設した橋梁は何十を超えるとされる[14]

民間移行と鋼管普及・記録事業

1927年に内務技師となるが同時に退官し、日本鋼管株式会社の水道顧問に就任[16]。仏国鋼管関係者らと協力し、鋼管の普及に尽力した。人柄は温厚篤実で交際広く、仕事は細部まで整然としていたという。民間経営は必ずしも順調ではなかったが、『日本水道史編纂』(中島治博士記念、昭和2)への実務支援など、資料編纂面での貢献も大きい。

中国大陸でのプロジェクト(済南・福州)

大陸では、済南山東省)と福州福建省)の事業が特筆される。済南では排日的な入札条件が続く中、日本鋼管顧問として三菱商事と組み、設計・積算・説明に奔走[13]。条件変更(鋳鉄管→鋼管限定)にも対応して継目無鋼管の国産化をテコに参戦し、1935年6月の開札で三菱が最安を獲得、7月に正式契約へ導いた。これは日本の水道技術・資材が中国本土へ進出する嚆矢となった。福州では、表流水案に対し中洲での伏流水取水案を提示。海外案件での季節・水位差を踏まえた複時点調査の必要性を、自身の報告で率直に残している。

最晩年と逝去

同年秋、済南の施工準備・下請選定・資機材手配を進めるが、1935年12月14日、心臓閉塞で急逝(行年64)[13]。済南水道は同月に起工式、翌1936年(昭和11)9月に竣工し引き渡された。訃報に際し、済南の日本人社会は総領事らが参列して追悼式を行い、その功を偲んだ。

栄典

位階
勲章
受章年 略綬 勲章名 備考
不明 勲五等瑞宝章
1913年(大正2年)6月27日 勲四等瑞宝章[22]
1916年(大正5年)4月25日 勲三等瑞宝章 [23]

書籍

編纂

外部リンク

脚注

  1. ^ 『官報 1895年07月09日』、大蔵省印刷局 [編]、1895年、105頁
  2. ^ 『東京帝国大学漕艇部五十年史』、東京帝国大学漕艇部 編、1936年
  3. ^ 『工学研究 (1月號)(146)』、工学研究社、1936年、34頁
  4. ^ 『官報 1898年07月12日』、大蔵省印刷局 [編]、1898年
  5. ^ 『官報 1898年08月15日』、大蔵省印刷局 [編]、1898年
  6. ^ 『官報 1900年01月17日』、大蔵省印刷局 [編]、1900年
  7. ^ 『日本之精華』、北川由之助 編、1914年、福井県の部7頁
  8. ^ 『官報 1910年06月27日』、大蔵省印刷局 [編]、1910年
  9. ^ 『職員録 大正4年甲』、内閣印刷局 編、1915年、521頁
  10. ^ 『福井藩士履歴2お~く』、福井県文書館資料叢書10、福井県文書館、2014年、表4 幕末明治海外渡航者(福井)リスト
  11. ^ 『官報 1911年1月20日』、大蔵省印刷局 [編]、1911年
  12. ^ 『官報 1911年11月11日』、大蔵省印刷局 [編]、1911年
  13. ^ a b c d e 『水道協会雑誌 (67)』、日本水道協会、1938年12月号、49-60頁
  14. ^ a b 『東京府市自治大鑑 前,後巻』、東京府市政通信社 編、1925年、852頁
  15. ^ 『官報 1920年11月20日』、大蔵省印刷局 [編]、1920年
  16. ^ 『官報 1927年05月04日』、大蔵省印刷局 [編]、1927年
  17. ^ 『官報 1898年10月01日』、大蔵省印刷局 [編]、1898年
  18. ^ 『官報 1902年04月12日』、大蔵省印刷局 [編]、1902年
  19. ^ 『官報 1910年02月23日』、大蔵省印刷局 [編]、1910年
  20. ^ 『官報 1918年01月28日』、大蔵省印刷局 [編]、1918年
  21. ^ 『官報 1926年02月01日』、大蔵省印刷局 [編]、1926年
  22. ^ 『官報 1913年06月27日』、大蔵省印刷局 [編]、1913年
  23. ^ 『官報 1916年04月25日』、大蔵省印刷局 [編]、1916年



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