伊賀良一
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伊賀 良一(いが りょういち、1891年(明治24年)6月9日[1] - 1967年(昭和42年)7月16日)は、日本の内務官僚。
経歴
岡山県西北条郡西苫田村大字総社(苫田郡西苫田村を経て現津山市総社)出身[2]。1913年(大正2年)、日本大学法科を卒業し、さらに東京外国語学校英語科に学んだ。同年、高等文官試験に合格。鉄道院書記を経て、茨城県警察部長、宮城県警察部長、秋田県内務部長、埼玉県内務部長を歴任した。
退官後、1932年(昭和7年)から1934年(昭和10年)まで京都市助役を務めた。
1949年(昭和24年)歌舞伎座の建物としては、第4期(1950年12月竣工、1951年1月開場)、株式会社歌舞伎座設立時、事務長に就任。
伊賀良一さんが株式会社歌舞伎座で務めた主な職位は、以下の通りです。
伊賀さんは単なる事務方のトップにとどまらず、戦後の歌舞伎座再建から経営の安定化まで、長きにわたって実務面での最高責任者を務めました。
株式会社歌舞伎座における主な職位
• 事務長
1949年(昭和24年)、戦後の「株式会社歌舞伎座」設立時に就任。空襲で焼失した劇場の再建プロジェクトの実務を取り仕切りました。
• 支配人
1951年(昭和26年)の第4期歌舞伎座開場後、劇場の運営・管理を統括する現場のトップとして活躍しました。
• 常務取締役
その後、経営陣(役員)として「常務取締役」に就任。劇場の維持管理だけでなく、会社としての経営戦略や松竹との折衝など、より高い視点から歌舞伎座を支えました。
伊賀さんの職位が持つ意味
伊賀さんは元・官僚(内務省出身、警察部長や京都市助役などを歴任)という経歴を持っていたため、その職位には**「興行界の近代化」と「社会的信頼の構築」**という重要なミッションが伴っていました。
脚注
- ^ 人事興信録 1934.
- ^ 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年、い2頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
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