二条為遠
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| 時代 | 南北朝時代 - 室町時代 |
| 生誕 | 暦応4年(1341年) |
| 死没 | 永徳元年8月27日(1381年9月15日) |
| 官位 | 従二位、権大納言 |
| 主君 | 後光厳天皇 |
| 氏族 | 御子左家 |
| 父母 | 父:二条為定、母:土御門禅尼 |
| 兄弟 | 為貫、定世、為有 |
| 子 | 為衡 |
二条 為遠(にじょう ためとお)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿・歌人。二条為定の子[1]。
略歴
貞治3年(1364年)に参議となる。応安2年(1369年)に権中納言となる[1]。応安6年(1373年)に従二位となる。永和4年(1378年)に権大納言となる[1]。
後光厳天皇に重用されて順調に出世をするが、関白二条良基に疎まれ、庶流の二条為重が後円融天皇・足利義満ら実力者に重用されるなど、次第に歌壇での立場が怪しくなった。
永和元年(1375年)、義満の推薦により『新後拾遺和歌集』の撰者に任ぜられたが、為遠の怠惰により作業が遅々として進まず度々義満より叱責を受けた。酒に溺れて未完のまま病没した[1][2]。
官歴
注記のないものは『諸家伝』による。
- 暦応4年(1341年) 日付不詳:生[1]
- 貞治元年(1362年) 5月7日:蔵人頭
- 貞治2年(1363年) 12月26日:右兵衛督。日付不詳:従四位上。日付不詳:正四位下
- 貞治3年(1364年) 4月14日:参議、督如元
- 貞治5年(1366年) 正月5日:従三位
- 貞治6年(1367年) 2月13日:兼丹波権守
- 応安元年(1368年) 2月21日:左兵衛督
- 応安2年(1369年) 11月13日:権中納言
- 応安4年(1371年) 正月5日:正三位
- 応安6年(1373年)12月26日:従二位
- 永和4年(1378年) 8月27日:権大納言
- 永徳元年(1381年) 8月27日:薨去
系譜
脚注
参考文献
- 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年
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