しいたげられた🍄しいたけ

#あらゆる戦争に反対します

黒猫ドラネコ他『陰謀論と排外主義~分断社会を読み解く7つの視点~』(扶桑社新書)

マイ書評のエントリーを上げることが、めっきり少なくなった。

最大の理由は、老眼の進行により読書量が激減したことである。

それだけを理由に挙げるのはカッコ悪いので、量が減った書物からのインプットは主に自ブログの典拠として貼ることが多くなった、という理由を並記しておく。直近の『【創作】転生したら親鸞だった?―信仰心ゼロのボクが高僧に?―』でも、けっこうやってたでしょ? ね? (誰に訊く?

目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示

(1) 第1景【現代編】猪飼家のマンションにて(1/6)

(7) 第2景【鎌倉編】車借・捨六(1/6)

(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)

(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)

(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)

(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)

(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(1/5)

(28) 第8景【現代編】ボクシング

(29) 第9景【鎌倉編】地頭・稲田(1/2)

(31) 第10景【現代編】哲学者

(32) 第11景【鎌倉編】心霊教ふたたび

(33) 第12景【現代編】裵〔ペ〕デスク

(34) 第13景【鎌倉編】刺客

(35) 第14景【現代編】守衛

(36) 第15景【鎌倉編】大団円(1/4)

(40) 第16景 鎌倉編の後始末

(41) 終景 現代編の後始末(1/3)

 

それはともかく、私の各種SNSタイムラインで話題になっていた黒猫ドラネコ他『陰謀論と排外主義 分断社会を読み解く7つの視点』(扶桑社新書) を読んだ。

書影はスマホで撮った写真を、実物がなきゃ撮れないウラの写真とともに。

 

オランダの哲学者スピノザに「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」という言葉がある。

あくまで個人的にだが、近年 "有権者がおかしいのでは?" "「普通の日本人」がおかしいのでは?" という感情を抱くことが多くなった。ただし "そういう私自身は、おかしくないのか?" という自己反論が容易に思いつく。自分で自分の正しさが証明できないことは、弊ブログでは角度を変えつつ何度か論じたつもりである。そんなでスピノザのこの言葉を思い出し胸に刻みつつ、SNSで有名なウォッチャーさんたちが名前を連ねるこの本を手に取ってみようと思った。

さいわい読みにくい本ではなかった。私は個人的な都合が挟まったりしたが、それでも老眼の進行した目で2日ほどで読めた。普通の読書家なら1日で通読できるんじゃないかと思う。ただし、これもあくまで私の個人的な立場だが、主にデータベースまたは人名録として活用させていただく予定。より具体的には、機会あれば自ブログのエントリーに引用させていただく予定。

"信頼性はどうなんだ?" という突っ込みが入りそうだが、なにせおびただしい人名が言及されている。その中には名の知れた裁判屋というか提訴屋というかが含まれている。提訴はいいが、勝訴率はお世辞にも高いとは言えない。いっぽう著者陣は、訴えられる側、反訴する側としても名高い人物が並ぶ。とうぜん彼らの勝訴率のほうが高い。縁起の悪い予言かも知れないが、おそらくこの本をめぐっても、裁判沙汰の1、2件は発生するのではなかろうか。その勝敗が、この本の信頼性の保証になるのではないかと考える。

大江健三郎・岩波書店『沖縄ノート』裁判を見よ。同書は今でもAmazonで新刊が買える。

追記:

後で思いついた。本書中でも言及されている立花孝志容疑者が著者の一人である選挙ウォッチャーちだい氏を名誉棄損で訴えて敗訴した結果、N党を "反社会的カルト集団" と呼ぶことがおかまいなしになった事例を挙げた方がよかったか。

追記おわり

 

それはともかく、なんで『陰謀論と排外主義』に限ってはマイ書評 (もどき) を書く気になったかというと、同書を購入して早々、次のくだりを読んだ直後…

 私が観察したデモ最終日の8月29日午後は、ピーク時で180人ほどがJICA本部ビルに向かって叫んでいた。政治団体・日本第一党が日の丸の手旗を配って回り、現場はまるで皇居前のようだった。やはり参加者は「愛国者」を自任する人が多かった。

<中略>
 デモのハイライトは「本当はこんな場所に来たくなかった」(じゃあ来るなよ) と、カンペのノートを握りしめて泣きながらマイクを持った女性の大暴れだ。とりあえず泣き叫んでいただけでほぼ聞き取れなかったが、演説するのは初めてで、緊張をほぐすためにお酒を飲んできたという。
 最初のうちは頑張って感情を抑えるように見え、主催者の周辺からも「女の人を泣かせてんじゃねえぞJICA!」とかの合いの手が入っていたが (勝手に泣いてんだろ)、酔いが回ってきたのかその女性は徐々にテンションがおかしくなり、ちいかわのうさぎみたいな奇声を上げて上下に揺れ始めた。聴衆も「何を言っているのかわからない」「もうやめさせたほうがいいのでは …… 」と、ざわつき始めたほどだ。まずいと思ったのであろう主催者が、何度かマイクを奪おうとしたが「ヒャアー」と叫ばれながら拒まれるという謎の駆け引きが続いた。何か言い切ったタイミングでさっとマイクを奪われた後の聴衆からの拍手には「やっと終わったか …… 」の安堵が込められているようだった。
 演説を終えた泥酔女性はその場に座り込んで泣きながらジタバタしていた。邪魔になるので警察官や何人かに抱えられて横の広場へと運ばれることに。ベンチに突っ伏して「うおおおん」と泣き続ける女性。誰かが気を使ったのか、少し落ち着いて丸まったその背中に大きな日本国旗がかけられてしまい、まるで国を守って亡くなった英雄かのような扱いに見えたことで、私の腹筋も無事に死んだ。

上掲書第1章「陰謀論と排外主義の現在地」P32~34

 

たまたま偶然X旧ツイッターの私のタイムラインに、同章の著者である 黒猫ドラネコ さんがからむ次のような一連のポストが流れてきたからである。

私の腹筋も、無事に死んだ 🤣🤣🤣🤣🤣

「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」ことは、凡人にとって、かくまで難しいのである。

 

いや、笑ってる場合ではなく、やはりこの事象に関してもきちんと論考する必要はあるのではなかろうか。

象徴的なことに、本書の掉尾を飾るのは 菅野完 さんによる「第7章 癒しの日の丸」と題された章である。