アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

アニメと一緒に読んだ本 2025

よくこんなことを想像する。

この1年で,

①自分と同じTVアニメを観て

②自分と同じ映画を観て

③自分と同じ本を読んだ

という人は,一体どれだけいるだろうか。

①∩②な人を見つけるのは難しくないと思う。『その着せ替え人形は恋をする Season 2』と『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』を観た人ならXのフォロワーにもわんさかいるだろう。『チ。-地球の運動について-』と『国宝』を観た人もそれなりにいそうだ。②∩③な人も少なくはないだろう。『教皇選挙』を観て朝井リョウ『生殖記』を読んだ人などは,意外と珍しくないかもしれない。

しかし①∩③はどうだろう。その数は極端に少なくなるのではないか。もちろん組み合わせにもよる。『薬屋のひとりごと』を観て宮島美奈『成瀬は天下を取りにいく』を読んだ人を探すのは難しくないだろうが、はたして『BanG Dream! Ave Mujica』を観てサルトル『出口なし』を読んだ,などという人がこの地球上にどれくらいいるだろうか。ひょっとして僕だけかもしれない。まして①∩②∩③となると,その確率を示す分数の分母は天文学的数字なのではないかと思えてくる。

要するに,作品鑑賞がジャンルを越境すればするほど,そこから紡ぎ出される考察体験は固有で,個人的で,そして孤独なものになる。アニメと一緒に本を読むというのは,誇らしくも寂しい行為なのだ。

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こだま兼嗣『初心者のための絵コンテの描き方』(2023年)

まずはアニメに直接関連する書籍を2冊紹介しよう。1冊目は,演出家志望向けの実用書だ。業界人向けの本ではあるが,アニメファンにとってもたいへん勉強になる良書である。「マスターカット」などの用語は個々のカットの意味を知る上で役立つし,「密着マルチ」などはアニメを語る上で必須の技法だ。またある場面が「標準レンズ」で捉えられているのか「広角レンズ」で捉えられているのかを意識すると,カットの分析の解像度が格段に上がり,演出家の意図をより詳細に読みとることができる。こうしたことを作りの目線から知ることができるのが本書の最大の利点だ。

著者のこだま兼嗣は,『シティーハンター』シリーズや『名探偵コナン』シリーズなど,数多くの名作で監督や絵コンテを手がけている。いわば絵コンテ・演出のいろはを知り尽くした人物だ。アニメの演出を基礎から学べる貴重な教材であることはもちろんだが,原画担当や動画担当の方が読んでも学ぶところは多いだろう。現在手に入り難い状態なのが残念だ。ぜひ再販を期待したい。

 

明田川進『音響監督の仕事』

もう1冊は音響監督に関する著書だ。近年のアニメのクレジットに見ない日はない明田川仁氏の父,明田川進氏のコラム「明田川進の『音物語』」を再構成したものだ。「音響監督」という言葉すらなかったTVアニメ黎明期から業界に身を置く人物であるから,まさしくアニメ音響の生き字引である。オーディションや声の芝居に関する思想,コロナ禍による業務形態の変化と“技術継承”の機会の喪失への懸念,声優や監督など多くの業界人との関わりなど,雑多ではあるが「音響監督」をめぐる風景が克明に見えてくる。また広川太一郎のアドリブの考え方,永井一郎のリアル芝居の捉え方,櫻井孝宏の演技力の絶賛,『ポプテピピック』のススメなど,アニメファンにとって興味深いこぼれ話も豊富だ。先ほどの『初心者のための絵コンテの描き方』と違ってプロパー向けの指南書ではないが,これを読めば間違いなくアニメ音響の捉え方が変わるだろう。

 

『イソップ寓話集』

『劇場版チェンソーマン レゼ篇』を観て,イソップの「都会のネズミと田舎のネズミ」を調べた人は少なくないだろう。しかしこの寓話が収録されている岩波文庫『イソップ寓話集』をすべて通読した人はさほど多くはないのではないか。しかしそれこそが,「アニメと一緒に本を読む」という行為の醍醐味なのだ。1つのアニメをきっかけとして,知の探索に踏み込んでいく。やがてそれが,別のアニメに繋がっていくかもしれない。

通読したからと言って『レゼ篇』の考察そのものが深まったというわけでもないのだが,なかなか面白い読書体験だった。今日の感性・倫理観からするとぶっ飛んだ内容のものが多く,特に「内臓を吐く子供」「ゼウスと羞恥心」「盗みをする子と母」「土竜」「愛人と亭主」「娘に恋をした男」「愚かな娘」「エチオピア人」など,一般的なイメージとしての“子ども向けの訓話”というよりは,どちらかと言えばデンジが手を叩いて喜びそうな俗な話も多い。ひょっとすると,原作者の藤本タツキもこの本を通読したのかもしれない。

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村田沙耶香『世界99』上・下

この作品は厳密には「アニメと一緒に読んだ」わけではないのだが,主人公・空子のキャラ(クター)が『BanG! Dream Ave Mujica』若葉睦のそれときわめて似ている点,「ピョコルン」を中心としたこの上なく悍ましい世界設定が『メイドインアビス』の劇場版『深き魂の黎明』やTVシリーズ『烈日の黄金郷』を彷彿とさせる点で,僕の中で“カチッと繋がった”という次第だ。先ほどの『イソップ寓話集』は意識的な探索だったが,こちらはあくまでも偶々だ。しかしそういった鑑賞体験の偶然性も面白い。

空子と睦は“ペルソナのキメラ”だが,彼女たちは単なる架空の怪物ではない。僕ら自身の“自我”が,水晶玉のように純粋な結晶ではないのだから。僕らは他者に合わせて演じ,内部で自家撞着し,時に自身を“他者”のようにまなざす。人のグロテスクな有り様は,グロテスクな描写によってこそ明るみに出る。人間と世界の究極のカリカチュアを垣間見たい人は,ぜひ手に取ってもらいたい1冊だ。

 

ヘルマン・ヘッセ『デミアン』(1919年)

僕はもともと大学でドイツ文学専攻(と言ってもドイツ文学はあまり読まなかったのだが)だったので,『デミアン』は学生の頃に読んだ。今回は数十年ぶりの再読だ。当時の自分が何を思いながらこの小説を読んでいたのか,今となってははっきりと思い出せない。そして『BanG Dream! Ave Mujica』第10話の豊川祥子が一体何を思いながらこの小説を読んでいたのか,本編でその理由が語られていない以上,僕らはそれぞれに想いを巡らせながら勝手に推測する他ない。

学校から課されていた課題図書だったのか。いや,『車輪の下』や『春の嵐』ならともかく,『デミアン』を高校1年生に読ませるというのも不自然な気がする。おそらく祥子が自主的に手に取ったのだろう。デミアンとシンクレール,カインとアベル,そして彼らが象徴する陰と陽の「二つの世界」は,『Ave Mujica』における若葉睦の顛末を思わせもするが,それが理由で彼女がこの小説を手にとったとは考え難い。しかし,この小説のはしがきにある「私の物語は快い感じを与えはしない。それは,考え出された物語のように,甘くも,なごやかでもない。それは不合理と混乱,狂気と夢の味がする」という言葉は,『Ave Mujica』の世界観に不思議と符合する。

 

夏目漱石『こころ』(1914年)

これもアニメ『BanG Dream! Ave Mujica』第5話に豊川祥子が読むシーンがあったものだ。そしてこれも数十年振りの再読である。やはり『Ave Mujica』との物語的な共通項はないが,「私は今自分で自分の心臓を破って,その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時,あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」という「先生」の壮絶な言葉に,Ave Mujicaの世界観を創造した祥子が少なからず反応したことは想像に難くない。学校の課題図書として定番の作品だが,改めて読んでみると,その鮮烈で生々しい描写に圧倒される。

なぜ一つの「殉死」が“古典”にまで昇華したのか。明治末期に生じたそれを,令和に生きる僕らはどう捉えればよいのか。そもそも人は,他者の死という究極的な孤独をどこまで理解できるのか。理解できないとすれば,どうしてそれが僕らの,「私」の,そして祥子の「こころ」を揺さぶるのか。これらの疑問は,この小説を最初に読んだときから微塵も解決されていないし,むしろかつて朧げだった問いの芽生えが意識的に自覚されたという意味では,疑問はより難解なものに変質している。この先,この小説を何度読んでも,いや読めば読むほど,その疑問は深まっていくのだろう。

 

ジャン・ポール・サルトル『出口なし』(1944年)

サルトルの有名な「地獄とは他人のことだ」という台詞が登場する戯曲作品である。『BanG Dream! Ave Mujica』という物語は,祐天寺にゃむの奸計によって,メンバー全員が仮面を外す=〈他者〉のまなざしに晒される出来事から始まる。若葉睦は〈他者〉のまなざしを遮蔽すべく,皮肉にもモーティスという〈他者〉を生み出してしまう。『バンドリ』史上,いやひょっとしたらガールズバンド史上,初めて〈他者〉と遭遇した少女たちは,Ave Mujicaを「運命共同体」として生き続け,その中で互いをまなざし続ける。それはまさしく“地獄”に他ならない。

しかしダンテ『神曲』がそうであるように,しばしば“天国”よりも“地獄”の方が面白いのだ。〈他者〉同士のまなざしが錯綜し,矛盾し,ぶつかり合うからこそ,バンドの音は複雑で厚みを増す。『It's MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』以前のバンドリアニメももちろん魅力的なのだが,そこにあるのはある種の人工的なhomogeneityやuniformityであり,人の心の深層部を摩擦するようなザラつき感はない。同じシリーズでこうも方向性の異なる作品を実現した柿本広大監督には感服するばかりである。

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以上,2025年版「アニメと一緒に読んだ本」7冊を紹介した(ここに挙げた以外にも間接的に参照した本も多数あるが,今回は割愛した)。

かくして,アニメを観れば観るほど,本を読めば読むほど,アニメと一緒に本を読めば読むほど,僕は孤高で孤独になる。しかし,と僕は思う。この世界のどこかに,僕と同じアニメを観て,同じ本を読み,同じ考察に至った人がいるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら,僕はこの記事を広大なサイバースペースに解き放つ。

いつか君に会えますように。