神奈川県の平塚駅前は、神奈川県西部の中では本厚木、小田原にならぶ大きな町に発展し、そのにぎわいもたいへんなものですが、この平塚駅から歩いて10分ほどのところに紅谷町公園という公園があります。
ここはビルや商店の隙間にあるような小さな公園ですが、この片隅に「お菊塚」というものが今なおひっそりと残されているのが目につきます。
これは、なんと武家役宅に奉公している最中に高価な皿をなくして(あるいは割って)しまったことにより手討ちにされてしまった「お菊」という女の亡霊が、夜な夜な井戸から姿を表して「いちまーい、にまーい・・・」と数えるという怪談「番長皿屋敷」のモデルとなった「お菊さん」の墓だという話を聞いて、なんと神奈川にそんなところがあるのかと愛車シグナスを走らせて駆け付けました。
怪談で有名な「皿屋敷」の逸話は日本全国に残されていますが、現在の兵庫県姫路市が舞台の「播州皿屋敷」、江戸の番町が舞台の「番町皿屋敷」が特に有名です。
しかし、その起源は播州なのか番町なのか、史料によってまちまちでイマイチはっきりしていません。
どちらにしても、どこかに起源をもつ話が尾ひれをつけながら各地方に伝播して広まっていったものとして、日本全国の中にいくつか「皿屋敷」にまつわる史跡が残されているようです。
ここ平塚の「お菊塚」も、そのうちの一つといってなのでしょう。
ここに眠っていたとされる「お菊さん」という女性はもちろん実在の人物でした。
江戸時代、平塚宿の宿役人であった四代目「眞壁源右衛門」の娘でしたが、それと同時に大変な美貌の持ち主として有名な女性であったようです。
このお菊さんは江戸の旗本、青山主膳の屋敷で行儀見習い奉公をしていたときに、家来の一人に言い寄られます。
しかし、お菊さんはこの家来の求めを突っぱねたので、逆恨みしてしまった家来があろうことか主人が大切にしていた南京絵皿の十枚組のうち、一枚を隠してしまいます。
この皿をなくしたのはお菊さんであると濡れ衣を着せられ、怒り狂った主人によってお菊さんは屋敷内の井戸に投げ込まれて殺されてしまったのです。
無実の罪で井戸に投げ込まれてしまうなど、哀れ以外の何物でもありません。
お菊さんの遺体は引き上げられて、長持に箱詰めとされて江戸から平塚宿まで送りかえされて来ました。この運び方は当時、罪人の遺体を運ぶやり方でした。
現在の相模川岸、馬入の渡しのほとりで娘の遺体と対面した眞壁源右衛門は大いに嘆き悲しみ、
もの言はぬ
晴れ着姿や
すみれぐさ
という句を詠んだということです。
その後の話では、江戸の青山主膳の屋敷、お菊さんが投げ込まれたという井戸には、お菊さんの怨念が取り付いて幽霊が出るようになり、夜な夜な悲し気に皿を数えるという噂が広がっていきました。
これが、のちの怪談「番町皿屋敷」が生まれた経緯だということです。
お菊さんの遺体は、平塚宿の中にあった眞壁家先祖代々の墓地に埋葬されました。
しかし、ここでも罪人の扱いをされたお菊さんは墓石すら建ててもらえず、センダンの木を植えて墓石の代わりとされたという事です。
センダンは、「平家物語」において、壇ノ浦の戦いで捕えられて斬られた平宗盛・平清宗の父子が京都三条河原で生首をかけられた木がセンダンであったことから、センダンは獄門首や罪人の象徴でもありました。
このように、お菊さんは死してなお、徹底的に無実の罪での辱めを受けたのですから遺恨を残し、幽霊となって出てくるのも無理はないでしょう。
時代は流れて昭和27年(1952年)、平塚市一帯で大々的に行われた区画整理事業により平塚市の街路は広く見違えるようになり、規則的な碁盤の目のようになって歩道も広く取られた住みやすい街になりました。
この眞壁家の墓地も移転しますが、その跡地は紅谷町公園となり、公園の片隅には平塚市によって建立されたお菊塚が今なお残されているのです。
いっぽう、眞壁家代々の墓地に眠る遺骨たちはすべて手掘りで掘り集められては平塚市立野町に用意された眞壁家専属の墓地へと移転されました。
この墓地は今なお光円寺の裏手に残されています。
この時、多くの人々が合掌しかたずをのんで見守る中、センダンの木の下から1メートルほど掘ったところで座ったままの女性の遺骨が発見されたという事です。
これがまごう事なき、悲しい最期をたどったお菊さんの遺骨なのでしょう。
現在、このお菊さんも立派な墓石を立ててもらい、「貞室菊香信女」という戒名をいただいて、眞壁家の墓地に眠っています。
この墓地はどこにでもあるような普通のもので、お菊さんのお墓もわざわざ案内してもらわなければ分からないようなところにあります。
なにしろ広い墓地なので、探すのにはずいぶんと歩き回りました。
しかし、実際に向き合ってみれば罪人の象徴とされるセンダンの木から立派な墓石へとかわり、昭和の世になってようやく無実が証明されたかのような、そんな清々しさを感じるお墓でもあります。
いま、この墓石の下に眠るお菊さんは、移り変わる令和の世をどのような思いで見守ってくださっている事でしょう。
はるか昔の江戸時代、一人の家来の言い寄りを断ったがために命まで奪われて罪人として辱めを受けた哀れな女性の嘆きと悲しみは、怪談として後世の人々に永く語り伝えられました。
いま、この小さな墓石の前にひざまづいて香華を手向け、心静かに手を合わせるとき、なぜこのような事で命を奪われなければならなかったかというお菊さんの嘆きがいまここにも伝わってくるようで、その哀れな境遇を思い浮かべるたびに熱い涙がほほを伝うのです。
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