今週も大阪
なんかろくでもないことが大量に押し寄せてきて翻弄されている今日この頃だが、こんな時こそ平静を保たないと精神が崩壊する。というわけでいつものように遠征である。それにしても人生において怒濤のように運命が訪れる時期というものがあるが、概してろくでもないことばかりの方が怒濤となる。良い話も来るときには怒濤となるのかは、何かの罰ゲームのような私の人生では今までそんな経験が全くないので分からない。
今日は関西フィルの定期演奏会。藤岡によるヴェルレクである。先に京響のモツレクの公演もあったが、今回は正当派なモツレクとは違い、死者が棺桶蹴飛ばして甦りそうな曲になる。
公演はザ・シンフォニーホールなので大阪へ直行・・・となりそうだが、例によってその前に神戸に立ち寄ることにする。ここで開催されている展覧会をはしごすることにする。それにしても毎度のことながら、ここの美術館は駅から嫌な距離がある(距離もさることながら、神戸の特徴で起伏があるのがしんどい)。

「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s-1970s」兵庫県立美術館で'26.1/4まで

1920年代以降のル・コルビュジェなどの建築家による新たな機能的な住宅に関する実験的なアイディアについて紹介する。

最初に登場するのはル・コルビュジェによる両親のためのコンパクト住宅。いかにも彼らしい実に機能的な設計であるが、残念ながらここは撮影禁止。
次に登場するのが一転して実に和の風味のある藤井厚二による「聴竹居」。大山崎に建築した藤井の自邸だという。実にバランスよく自然に和洋折衷しており、京都の風土とのマッチも良さそうである。


イタリア出身のリナ・ボ・バルディがサンパウロに建てた自邸カサ・デ・ヴィドロは斜面の地形に広大なワンフロアを建築したもの。解放感はありそうであるが、日本の場合なら土砂崩れや地震が気になりそう。

フィンランドのデザイナー、アルヴァ・アアルトはムーラッツァロ湖の島に自然との調和を目指す住宅をデザインした。フィンランドデザインと言われると何となく納得するような内容である。

エンジニアだったジャン・プルーヴェは、自身の工場の部材を用いて傾斜地に最小限の平地を整えてナンシーの町を見下ろせる細長い建物を建築した。

サーリネンによるミラー邸は豪邸と呼べる代物であり、これだけは他と雰囲気が違っている感がある。

菊竹清訓、菊竹紀枝によるスカイハウスは、その名の通りコンクリートの柱で持ち上げた居住スペースの周りに台所などのユニットを設置したものだという。メタボリズムの思想に基づいての建築とのことだが、雰囲気的には現代の高床式倉庫。


ルイス・カーンの設計したフィッシャー邸は、キューブ状の建物を45度ずらして接続したという奇妙な形をしたもの。かなり大きな窓を取っているのが印象的。

最後のフランク・ゲーリーの自邸は量産品の建材を組み合わせて既存の住宅を大幅改造したものらしいが、何となくハンドメイド臭が漂っていて「DO IT YOURSELF」という感覚を受けるものである。ある意味でアメリカ的であることを感じる。

以上、建築に関する展示群。斜面の傾斜を利用して立体的に構成していたものが多かったという印象。いずれもなかなかモダンで面白い建築だったが、果たして実用性はどうなんだろうかということが頭を過った。どうしても吹き抜けやワンフロアの建物が多いので、光熱費が気になるところである。月々電気代の支払いに追われている身としては、どうしてもそういう実用面が気になる。
なにせ会場自身が「非実用建築設計大家」の安藤忠雄(コンクリート打ちっぱなしの吹き抜け建築は、光熱費がとんでもないことになる)の建物だけに。今回の会場も「使い勝手が悪い」ことで定評があるこの美術館の展示室構成のせいか、途中で順路がクロスするというかなり錯綜したものであった。
県立美術館の見学を終えると、駅に戻る途中の美術館に立ち寄る。
「2025年度コレクション展Ⅱ 日本画との対話―自然と人間」BBプラザ美術館で10/26まで

所蔵の日本画コレクションを展示した展覧会。そういえばこの美術館の日本画コレクションにまとめて触れたことはないような気がする。
展示品は高山辰夫の淡い幻想性のある絵画から、青の東山魁夷、赤の奥田元宋の優品もあり、平山郁夫にさらには加山又造のダイナミックな日本画など、かなり多彩ではあるが重要なところを網羅している印象。
インパクトの強さでは下村良之助の紙粘土などを用いた半立体の作品群。独特の存在感を持ってアピールしてくるところである。
予想していた以上に内容が濃いものであり、会場は小さいがなかなかに見応えがあった。入場料(500円)以上の価値はあると言って良いのではなかろうか。
これで今回の美術展の予定は終了。後は大阪への移動である。まだ時間に余裕があるし、目的地が福島ということで、旅費の節約もかねて岩屋から阪神での移動となる。御影で特急に乗り換えてから、尼崎で再び普通に乗り換えるという時間のかかる旅程。結局は車内でタブレットで「キングダム」を読みながら時間を潰すことに。
福島に到着するとホール入りの前に昼食を摂る必要がある。阪神福島からプラプラと北上する道すがらにはラーメン屋などもあるが、どうもそういう重いものを腹に入れる気分でない(ここのところ胃腸の状態が最悪)、そうこうしているうちにスシローの看板が目に入ったのでそこに立ち寄ることにする。
座席の方は一杯だったが、カウンターに空きがあるのですぐに入店できる。適当に7皿ほどつまんで支払いは1500円ほど。例によって美味くも不味くもなし。


昼食を終えるとホールに移動。到着したのは開場数分前だったので少し待ってから入場。観客は結構多そうな雰囲気で、待ち客の列も普段より長め。

入場後はしばし喫茶でアイスコーヒーを飲みながらの堕落タイム。

藤岡のプレトークが始まった辺りで席に着く。藤岡はこの曲が好きらしく(実際に関西フィルでも数年前に一度取り上げている)、その思い入れのほどがにじむトークを。ヴェルディがこの曲を作曲した頃は、ちょうど彼が20才下のソプラノ歌手との不倫にうつつを抜かしていた頃で、それまで連れ添っていた妻と軋轢が生じていた時だとか。だからここまで人間的な曲になったのかなんて話も。しかしそれだと神ではなくて妻に許しを請う情けない曲になっちまうような・・・。あの「怒りの日」はヴェルディが「私が悪かったです」と地面に頭を擦り付けながら妻に謝罪する曲なんだろうか(笑)。まあ結局ヴェルディは妻とよりをもどして、妻が先立つまで共に暮らしたそうだが。
関西フィルハーモニー管弦楽団 第359回定期演奏会

[指揮]藤岡幸夫(関西フィル総監督・首席指揮者)
[ソプラノ]並河寿美
[メゾ・ソプラノ]福原寿美枝
[テノール]福井 敬
[バリトン]大西宇宙
[合唱]関西フィルハーモニー合唱団
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団
ヴェルディ:レクイエム
レクイエムの一曲プログラム。なお一気通貫での演奏も少なくないが、藤岡によると長大な第2曲とそれ以降の曲ではかなり調子が異なるので、自分的にはこれを続けて演奏するという気にはならないし、ヴェルディが演奏した時もここで休憩を入れたとの話。確かに第3曲から雰囲気がやや変化しているのは聞いていても分かる。
クライマックスの「怒りの日」では、藤岡がヴェルディの指示通りに用意したという2種の大太鼓が大活躍する。1つは皮をビンビンに張って高く響く強烈な音を出し、もう1つは皮を緩めて張ることで、低い不気味な音を出すのだという。この2種を曲に合わせて打ち分けており、ヴェルディの深い意図を感じさせるものになっている。
曲自体は「聖衣を着たオペラ」とも言われるように、ソリストと合唱が絡み合ってオペラ的な音楽を展開している。その響きは時には優美に時には荘厳にと流石に音楽を使った劇的演出に長けたヴェルディによるものであると感じさせる。優美な音楽を重ねている途中で、いきなり全曲を通じての共通モチーフとして乱入してくる「怒りの日」がかなりインパクトのあるところである。
さて演奏の方であるが、ソリストたちの歌唱は安定感があってキレもある。ただ合唱団についてはやはりプロのソリストたちに比べると一段パワーが落ちるのは感じさせられてしまう。もう少し歌唱に明瞭さとキレが欲しいところである。
関西フィルの演奏もかなり頑張っているとは感じるのだが、基本的にやはり関西フィルは大音量でブンチャカやる演奏は本領ではないという感を受ける。大曲に合わせてトラで増量したオケでは、盤石なアンサンブルとまでは及ばないところがある。そのためにオケ全体の一体感がどうしても若干落ちてガチャガチャした感が出てきてしまう。ダン、ダン、ダンダンといってほしいところが、ドワン、ドワン、ドワーンとなってしまうようなところがある。その辺りが若干残念。