こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

帰れば金麦

 年を跨いで精神科に入院していた時、個室なのをいいことに、よくテレビを点けていた。元々、雑多な音や悲しい情報ばかり流れてくるテレビは好きじゃなく、家にいる時は好んで点けることはない。ただ、病院の個室に何日もいると、閉鎖的な孤独に押し潰されそうになる時があり、そんな時に、一方的に語りかけてくれるようなテレビは、気を紛らわせるのにちょうどよかった。

 年末年始のテレビは忙しい。私は毎食、ご飯が配膳されたらテレビを点け、適当にチャンネルを変えながら、少しでも面白そうな番組を探した。ニュースを点けていると余計気持ちが暗くなる気がして、朝でも夜でも関係なく誰かが何か美味しそうな食べ物を食べている番組ばかり見ていたような気がする。年末年始には、私がずっと前から楽しみにしていた番組も多くて、それを一人で見ていることに寂しさを感じながらも、自分の息遣いだけが響く室内よりは余程マシだった。

 年末年始という時期や、ゴールデンタイムの時間なども相まって、お酒のCMが多く流れていた。家でも何度も見たことがある、大人たちが美味しそうにお酒を飲むCMだ。それを羨ましいと思ったことなんて一度もない。ただ。

『帰るは、嬉しい。帰れば、金麦』

 テレビから流れて来た音声を、私の耳が拾う。そして、ぎょっとしてテレビの中を覗いた。

 大袈裟に言わずとも、日本国民に馴染みのあるキャッチコピーを掲げているあのCMだ。家で待っているビールに心躍らせ、家路につくサラリーマンや花屋さん。(を演じている俳優さん)

『帰るは、嬉しい。帰れば、金麦』

 もう一度、同じCMが流れる。

 ああ。

 ごはんを食べていた手を止め、私は頭を抱えた。

 今までCMが流れていたテレビは、もう何の気なしに、生放送中の音楽番組へと繋がっていた。

 別に、金麦が飲みたいわけじゃない。家に常備されているわけでもないし、その味の素晴らしさについて語られたこともないし、第一私はまだ18歳だ。お酒が飲める年齢でもないし、飲みたいとも思わない。CM内の金麦が、そんなに魅力的に見えて、それで頭を抱えているわけでは断じてない。

『帰るは、嬉しい』

 そりゃあそうだ。帰るは嬉しい。帰りたいと何度思っても、未だ先の見えない入院生活。クリスマスケーキ作りも、大掃除も、お節作りもやりたかったのに。親戚の集まりにも行きたかったのに。

 金麦のCMを見た途端、帰りたい気持ちが波のように押し寄せて来た。

 帰っても金麦はないけれど、どうか早く帰りたい。

 帰っても金麦はないけれど、それでも、帰るは嬉しい。

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入院生活 後編

 6日目。年が明けた。お正月。ずっと調子が悪く、近所のお寺に初詣に行くためだけに車を出してもらった。そんな中引いたおみくじは大吉で、厄年が終わったことを実感した。本当に典型的な形をした厄年だったなぁと、昨日までの去年を振り返る。夕方に病院に戻り、そこからずっと、得体の知れない不安と憂鬱でいっぱいだった。

 7日目。心理検査を受けた。指定された状況で、どんな反応をするかというテストと、木の絵を描く描画テストをやった。描画テストは最初に通っていた病院でもやったことがあったけれど、今回は木の絵を3枚も描かされた。全部で2時間くらいを費やして、流石に疲れて部屋に戻った途端、ベッドに倒れ込んだ。

 8日目。早寝早起きの生活が続いていた。けれど健康的というわけではない。朝起きても、体が重くて、頭もぼんやりする。これから始まる一日に、どうしても希望を持つことができない。

 9日目。1月の中旬に、高校の単位認定試験を控えていた。そのための試験勉強が少しできたけれど、今回のテストは捨てたも同然だ。うつになってから、勉強はまるでできなくなった。うつ病になる前の私は、自慢じゃないけれど、勉強は得意な方で、クラスの中でもテストの順位は高かった。それなのに、自分でも不思議に思うほど、何も頭に入って来ないのだ。学生にとって勉強ができないなんて、致命的だ。大学進学も視野に入れ、そんな不安が募った。

 10日目。10時半から16時まで外出。病院食だとなかなか出てこないパンを買って家族でお昼ごはんに食べた。でもやっぱり、帰る時間が近付いてくるとどうしても不安で、怖くて、帰りの車の中では涙が止まらなかった。明日から始まると予告された作業療法も、帰棟時の荷物検査も怖かった。そんな私の手を、ずっと握ってくれていた母の温もりを、今でもよく覚えている。

 11日目。作業療法が始まるはずだったけれど、実施場所もわからないまま行くことができなかった。部屋に一人でいる時、パニック発作が起きて、ナースコールを押した。

 12日目。昨日看護師さんから話を聞いて、初めて作業療法に参加することができた。私が取り組んだのはシールアートで、光にかざすととても綺麗に見えた。できたし、辛いことなんてなかったのに、どうしてか泣きそうになっていた。緊張が解けただけかな。そうだといいな。

 ここにいればいるほど、早く帰りたくなってしまう。

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入院生活 前編

 入院している間、毎日日記を書いていた。

 

 2日目。あまりよく眠れず、朝6時から採血と採尿をした。ベッドに横になった状態で、照明が眩しいからと言って顔にクッションを当てて採血をしてもらうことを許可してもらえた。人生で初めての採血は、恐れていたよりも痛くはなかった。看護師さんが帰った部屋の中で、一人達成感に包まれていた。「やったぞ」と心の中で小さくガッツポーズをする。泣きそうなくらい怖かったけれど、頑張ったよ、私。

 3日目。母が面会に来てくれた。私が入院していた病院が定めていた面会時間は、長くて15分。それが週に1回だけ。毎日、一日中一緒にいた私たち親子にとってその時間はあまりにも短すぎた。でも、私たちがどうあがいたところでシステムが変わるはずもないので、15分の間だけ、入院日にあっさり別れたきりの母と面会室で会っていた。

 4日目。辛い時は、ナースコールを押すように言われていた。噂には聞いていたけれど、危険行為をさせないために手首すら巻けないほどの短いナースコール。看護師さんに言えば、頓服のお薬をもらえるから、と。家にいた時は、一日に10錠ほどの頓服のお薬を飲んでいた。でも、不安障害が邪魔をして、他人に助けを求めることができなかった。私が唯一真の自分の姿を見せ、甘え、助けを求められるのは母だけだったのだと、入院してから初めて理解した。ベッドの横のナースコールを握るけれど、押す勇気が出るまでに1時間もかかっていた。

 5日目。大晦日。外泊の許可をもらっていた。家に帰り、すき焼きを食べて、紅白歌合戦を観る。楽しいはずの大晦日は、明日病院に戻るという不安に塗れて終わった。

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入院日

 部屋の隅に放置しておいた入院用のバッグが、ついに役に立つ時が来た。

 11月下旬の受験を何とか乗り越えて、私はF大学に合格した。

 私がうつ病になったきっかけは、受験のストレスだ。そう思っていた。だから、受験が終われば、自然と良くなっていくのだろうと。けれど、12月の半ばから、また一日中うつにうなされる日々が始まった。年末年始の煌びやかな行事を目の前に、いよいよ無理だと感じ、入院を決意した。

 

 年末が迫る寒い冬の朝、母と2人で家を出た。

 母は運転ができないので、私たちは電車で病院に向かった。

 初めて訪れた病院は、綺麗なホテルのようだった。事務相談、身長・体重・血圧測定などを終えて、持っていた鞄3つ分の荷物を台車のようなものに入れた。

 母とは、そこでお別れになった。

 私は、不安そうな顔をしていただろうか。彼女が探るようにこちらを見ていたのを覚えている。

 病室に着くまで、いくつもの扉を潜った。そのたびにカシャと音を立てて開くカードキーが、どんどん私を出られないところまで閉じ込めている気がした。

 通された病室は個室で、そこで荷物検査が行われた。精神科病棟なので、危険物は持ち込み禁止だ。事前にわかっていたものの、それでも小さな瓶に入った馬油は一旦回収された。

 その後、担当看護師さんから一通り説明を受けて、ようやく部屋で一人になれた。ごはんも配膳されたけれど、なかなか食べる気になれなかった。

 食欲が失せるほどのそんなモヤモヤの正体は、きっと明日の朝に予定されていると伝えられた人生で初めての血液検査だろう。単純な恐怖や寂しさも、胸の大半を占めていた。来てすぐに思った。早く、帰りたい。さっき別れたばかりの母が、もう恋しい。ここから一か月、知らない人たちに囲まれて生活するのだと思うと、やっぱり怖かった。

 

 病棟には、色々な人がいた。

 ずっとナースステーション前でしゃがみ込んでいる人。廊下を延々と徘徊している人。叫んでいる人。歩けば後ろを付いてくる人。

 私は誰とも親しくならず、話すこともなく、入院初日を終えた。

 部屋の窓は、窓の顔をしただけで、実際は鍵もつけられていない、完全なガラスだ。水族館の、水槽の中に閉じ込められた気分だった。

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救われた音の記憶 #9『どんな小さな』

 こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。

 このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。

 

 今回のゲストは、wacciの「どんな小さな」。

 18歳の私から、お便りが届いています。

 

 私がこの曲に出会ったきっかけは、「放課後カルテ」というドラマの主題歌だったからです。

 「放課後カルテ」では、なかなか認知されにくい場面緘黙症も取り上げられており、私の大好きなドラマです。

 

 18歳の今、私はうつ病を発症したばかりで、その病気との付き合い方もわからず、進んでいく世界の中で一人だけ取り残されている気分でした。

 そんな時に出会った音は、泣く気力もなくした私に寄り添うように、そばに座ってくれました。ネガティブな気持ちを正そうとする世界で、「そのままでいいよ」と言ってくれるように。私には、前を向ける元気すらありませんでした。目の前に広がる現実を見て、絶望して、座り込んでばかりでした。自分で「闘っている」と言うのすら、はばかられるくらい。

『誰かにとっては君が立ち止まって見えても

 君の中ではきっと高い壁を登ってる

 わかっていてもやっぱり 比べてしまう日々

 悔しさがこぼれ落ちないように 見上げた窓の向こう

 認めたくない自分と 僕ら戦いながら

 強くなりたいと願って 懸命に生きている

 

 仲良しが辛かったり 優しさが痛かったり

 正しさに苛立ってしまったり 僕にもよくあるよ

 誰も悪くはないのに 心がひとりでに

 人を嫌いになってくのがこわくて 閉じ込めた

 知られたくない自分を 僕ら潜ませながら

 愛されたいと願って 懸命に生きている

 

 君のどんな小さな涙にも 君のどんな小さな痛みにも

 居場所があり一人じゃないこと 伝わるように

 君が好きになれない君にしか 見つけられない愛もあるんだ

 ずっと ずっと 味方でいるから そのまんまの君でいて』

 涙が止まりませんでした。どこまでも弱虫な私のことも、「頑張って闘っている人」と呼んでくれた気がして。

 この醜く悲しみに満ちた世界の中にも、私の味方はいるのかもしれない。この孤独で閉塞的な世界の中にも、私の居場所はあるのかもしれない。

 この曲は私に、いつしか失っていた涙を恵んでくれました。それは少しだけ希望の色をした、美しい涙でした。

 『君のどんな小さなプライドも 君のどんな小さな強がりも

 そうすることで守りたいもの 気づけるように

 君が抱え続けた苦しみも 君の拭いきれない悲しみも

 無駄なものなんてなかったんだと 笑えるように

 

 君のどんな小さな一歩にも 君のどんな小さな勇気にも

 昨日と少し違う自分を誇れるように

 君が選び歩いた道にしか 咲くことのない花があるんだ

 ずっと ずっと 信じているから そのまんまの君でいて

 どうか 笑っていて欲しい』

 ずっと、自分が選んできた道に、自信が持てなかったんです。でも、ここに来たからこそ出会えた人たちを、私にとっての「花」を想いながら、ここが正解なんだと思えました。これで、よかったのだと。

「どうか、笑っていて欲しい」

 この世界のどこかにでも、そう願ってくれている人がいるのなら、少しでも笑ってみようかな。

 曲が止まる頃、頬に残る乾いた涙を拭いながら、起き上がってみるのでした。

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苦しみから得てしまった安心

 今まで一番酷いパニック発作が起きたのは、高校3年生の12月だった。

 何とか少しずつ通えるようになった学校。私は出席できそうな授業を厳選して学校に通うのを再開していた。その国語の授業中。

 授業内容はレポートで、各自教科書やノートを見ながらレポート作成を進めていた。先生は提出されたレポートを採点するため、教卓前に座っている。まだ誰も提出できていないので、先生は暇そうにクラスを眺めていた。教室には紙に何かを書き込む音だけが響いていた。

 私も周りのクラスメイトたちと同様に、レポートを書こうとする。それなのに、なぜだか手が震えて何も書くことができなかった。

 今までパニックが起こったのは、いつもと違う教室で行われる模試とか、文化祭とか、初めて参加する体育とか、そういうものばかりだった。何の変哲もない学校生活の中で起こったことはなかったのだ。

 だから深く考えなかった。何で手が震えるんだろう……。困ったな、レポートが書けないや。何も怖いことなんてないはずなのに。

 そう思いながら自分の手を眺めていると、教卓の前に座っていた先生が、いつの間にか目の前に来ていた。私の後ろにそっと回り、「大丈夫?保健室行く?」と声をかけてくださった。

 私は、何らかの異常が起きていることに不安を感じて、先生の声に頷いた。

 立ち上がり、先生と共に教室を出る。先生は「みんな、レポートできたら教卓に置いておいて」と言い残して、私について来てくださった。

 徐々に膨らんでいく中身のない不安に、手の震えが止まらない。私は先生に、授業中にも関わらず教室を出て来てしまったこと、心配と迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思い、「ごめんなさい」と絞り出すように謝った。先生は「ううん、ううん」と首を振って、私を保健室まで送り届けてくだった。

 そこで治まるかと思ったのに、本番はそこからだった。

 ベッドに横になった私の胸は、やけに落ち着かなかった。動悸がして、急に息ができなくなる。暴れ出したくなるような衝動に駆られ、ベッドに横になっていることもできず、おもむろに起き上がった。

 そこからみるみるうちに過呼吸になって、手足が痺れて、筋肉が硬直して、助けを求めるようにベッドに置いたスマホやティッシュを倒した。床に落ちる音がする。きっとパニック発作だろうとわかっていたから、「死ぬかもしれない」とは思わなかったけれど、苦しすぎて、出口の見えない暗闇に、一人迷い込んだような気分だった。これは、これはいつ終わるのだろう。

 保健室の斎藤先生が気付いてくださるまでの時間が、とても長く感じた。

 結局、先生からもらった水で薬を飲んで、背中をさすってもらいながら、時間が過ぎるのを待った。時間の経過に伴って、発作は落ち着いたけれど、あの時の苦しみは今でもよく覚えている。

 でも、私はどこか、苦しめたことに安心していた。苦しんだことを、周囲の人々に知ってもらったことに、安心してしまっていた。

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クリスマスの味方

 1か月ほど前にハロウィンを終えた世界は、来たるクリスマスに煌めいている。大好きな季節のはずなのに、今の私には何だか、キラキラと点滅するイルミネーションや、希望を纏ったクリスマスツリーが眩しすぎる気がする。幼い頃、自分はクリスマスの中心にいて、それを取り巻く行事や雰囲気を全力で楽しむことができた。それなのに、年を重ねるたびに私は、クリスマスと疎遠になっている。それは別に、サンタの正体を知ったからとか、プレゼントがもらえなくなったからとか、単純に私が大人になったからとか、そんな理由ではないのだろう。

 スタバのクリスマス限定メニューに興味はないし、恋人とイルミネーションを見に行く約束もない。街中のどんなクリスマスを見ても、その中に自分が含まれている気がしない。我が家の小さなクリスマスツリーは、私よりも年上の、腰の曲がったおじいちゃんだ。立派で、しゃんと背筋の伸びたクリスマスツリーとは、比べ物にならないほど地味で、どことなくしょんぼりしている。新しいツリーが欲しいと言いながらも、今の私には、クリスマスの足音がする世界の中で、唯一彼だけが味方でいてくれているような気がしている。

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過食性障害

 うつ病の症状の一つとして、「過食性障害」というものがあるらしい。

 その症状を実感したのは、食欲不振がようやく治まってきた頃だった。

 

 家族が全員不在のお昼過ぎ。

 ふとお菓子を食べようと思ったのが始まりだった。

 お菓子の入っている箱を漁る。テーブルに置かれたパンに目を通す。

 そこからは早かった。

 スコーン、ベーグル、クッキー、お煎餅、その他も色々。本当に色々。目についたものを、手についたものを、無心に食べ続けた。

 「何か変だ」と感じた時にはもう遅かった。

 とにかく、何かを詰め込みたい。私は何かに憑りつかれたように、食べ物を頬張り続けた。

心の隙間を、抱えている不安を埋めるように、私は次から次へと食べ物を口に入れた。気持ち悪くなるまで。

 食欲が、自分でコントロールできないのだ。初めて感じるその衝動に、驚き、恐怖に包まれた。

 抗えない衝動が過ぎ去り、食べ終えてから、酷く後悔した。胃が重くて、気持ち悪い。こんなことなら、食べなきゃよかった。

 体重が増え始めた頃からは、さらに体重が増加するのが怖くて、トイレに行って吐こうともしてみた。でもどれだけ口の中に手を突っ込んでも、吐ける方法をネットで検索しても、食べたものは戻って来なかった。

 

 薬の副作用と時折訪れる過食のせいで、半年間で体重が11キロ増えた。

 鏡に映る自分が、醜く思えて仕方がなかった。

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最後の文化祭

 文化祭は金曜日と土曜日の2日間にかけて行われる。

 金曜日は、午前中だけ。お客さんも保護者しかいない、割と小規模なお祭りだ。

 私は何とか両親の力も借りて、車で学校まで行った。朝からやって来た私に、先生は驚いたようだったけれど、この後どんなに寝込むことになっても、どうしても行きたかったのだ。

 しかし問題は土曜日。学校は解放され、保護者はもちろん、中学生や卒業生、地域の方々までやって来る。

 しかも、「車で送迎する」と約束してくれていた父は、昨夜泥酔したせいで、朝とても運転できる状態ではなかった。母は、運転することができない。やむなく私は、慌てて母と共に電車に乗るしかなかった。

 遅刻して着いた学校で、クラスメイたちとお店を回り、写真を撮り、食べ物を買って食べることもできた。

 私たちのクラスは「男女逆転メイドカフェ」をやっていて、男子がメイド服を着て接客し、女子はズボンを履いて調理をする。あまりにもてんてこ舞いの調理場で私も手伝っていたけれど、途中から絶えず入って来るお客さんや、余裕を失った先生を見て、視界がぐらぐらと揺らいだ。でも、こんなところで倒れたら、とんでもない迷惑だ。私は最後の力を振り絞って、ビニール手袋を捨て、誰にも何も言わずに、頭を抱えたままお手洗いに駆けた。私の感覚的に「駆けた」と言っても、きっと周りからは歩いていたようにしか見えないだろうけれど。そこでしばらく座り込んで、何とか呼吸を整えた。頭に巻いたバンダナを雑に外し、マスクを取る。お手洗いの鏡に映った自分の顔が、暗く、疲れ果てていた。

 その後すぐに母に助けを求めようとしたけれど、LINEを見るとちょうど数分前に「お母さんもう帰るね」という着信を受けていた。一瞬絶望が胸を掠めたけれど、まだ間に合うかもしれないと思い、「もう無理かも」と連絡した。学校を出たばかりだった母は、わざわざお手洗いまで私を迎えに来てくれ、校舎の裏で座り込んで薬を飲んだ後、保健室で数時間休ませてもらった。

 心配してくれる大人たちに「大丈夫」と言い切って、教室に戻った。本当はきっと大丈夫なんかじゃなかったけれど、そう言い切らないと、一生ここに後悔を残すことを知っていた。教室には同様、突然いなくなった私を心配してくれていたクラスメイトたちがいて、迷惑かけたことを詫びて回った。彼らは私のことをよく知ってくれているのもあり、「全然大丈夫だよ」と笑ってくれた。最後に集合写真に写って、文化祭は何とか閉会した。

 響ちゃんたちの計らいもあって、憧れの打ち上げにも行くことができた。流石に2次会のカラオケは遠慮したけれど、夢にまで見た友達との会食。そこで何かがあったわけじゃないけれど、ただ彼らと一緒にいられたことが、本当に嬉しかった。

 父には朝の償いとして、会食の最後まで車で待機していてくれた。それに乗り、2次会へと向かう彼らと別れた。

 車の中で、息を吐きながら思う。

 明日から、この2日間の無理がたたり、きっと地獄のような苦しみの日々が始まるだろう。

 でも、行けたことに後悔なんて一ミリもなかった。

 ただ「行きたい」という、気合だけで乗り切った2日間だった。

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文化祭の準備

 10月の半ばに、文化祭を控えていた。

 そして私は、10月上旬予定の入院を取り消した。

 理由は少しだけ状況がましになったのと、最後の文化祭に行くためだった。

 入院用に作ったバッグが、部屋の隅っこに置いてある。それを見ながら思った。

 あれを片付けてしまったら、何だか苦しんでいた自分も消してしまうような気がして嫌だな。

 だから入院が取り消しになっても、私はその荷物に着手することができなかった。

 

 高校生活、最後の文化祭だ。

 私は約1か月ぶりに、文化祭の準備へと学校に足を運んだ。

 体力が著しく落ちているので、3日に一度、30分ほどの登校から始まった。

 少しでも無理すると、また元に戻ってしまいそうだったので、母と相談してそう決めた。文化祭の準備には、毎回母がついて来てくれた。通常12分で着くはずの通学路をもう歩く体力もなく、最寄り駅からタクシーに乗った。

 久し振りに訪れた学校ではみんなが優しく迎え入れてくれた。

 きっかり30分の作業だった。メニューを作ったり、商品の試作をしたりしているとあっという間に時間が過ぎた。もう少しここにいたいという名残惜しい気持ちを残して、本当に30分で学校を出た。

 学校から出て来た私を見て、母は、生き生きしているように感じたらしい。それほど、私にとってH学園、そしてクラスメイトの存在は大きかった。お友達は何よりの薬だったのだ。

 けれどまた、家に帰るとスイッチが切れ、数日寝込むことになる。そうなってもやはり、私は学校にいたかった。あの場所に、自分の居場所を見出していた。

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