Netflix映画『フランケンシュタイン』(2025)のあらすじ・キャスト・感想を紹介。ギレルモ・デル・トロ監督がメアリー・シェリー原作を再構築し、“怪物”の内に宿る人間の愛と苦悩と赦しを描くダークファンタジーの傑作を徹底解説。
メアリー・シェリーが 1818年に発表した小説『フランケンシュタイン』の映画化を長年望んで来たギレルモ・デル・トロがついに夢を実現。
ギレルモ・デル・トロの緻密な芸術性と、マイク・ヒルの美しいクリーチャーデザインにより、これまで何度も映像化されて来た「怪物」が新たなスタイルで蘇る!
オスカー・アイザック、ジェイコブ・エロルディ、ミア・ゴス、クリストフ・ヴァルツら豪華キャストを迎え、原作の魂を新しい映像言語で蘇らせた本作。
本記事では、そのあらすじ・キャスト情報・感想とテーマ分析を詳しく紹介する。
目次
- Netflix映画『フランケンシュタイン』(2025)とは
- Netflix映画『フランケンシュタイン』作品基本情報
- Netflix映画『フランケンシュタイン』あらすじ
- Netflix映画『フランケンシュタイン』公式予告編
- Netflix映画『フランケンシュタイン』感想と評価
- まとめ
Netflix映画『フランケンシュタイン』(2025)とは
ギレルモ・デル・トロが長年構想してきた『フランケンシュタイン』の映像化が、Netflixオリジナル作品として実現。
死と創造、赦しと孤独という原作のテーマを軸に、壮大なスケールと繊細な美術で描かれたダークファンタジーだ。
2025年11月7日よりNetflixで世界配信され、一部劇場でも限定公開されている。
Netflix映画『フランケンシュタイン』作品基本情報
邦題:フランケンシュタイン
原題:Frankenstein
ジャンル:ホラー
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ
原作: メアリー・シェリー
撮影: ダン・ローストセン
美術: タマラ・デベレル
衣装: ケイト・ホーリー
特殊メイク:マイク・ヒル
製作国:アメリカ
製作年: 2025年
配信プラットフォーム:Netflix (2025年11月7日より配信)
上映時間: 149分
キャスト:
ヴィクター・フランケンシュタイン:オスカー・アイザック(『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』)
“怪物”:ジェイコブ・エロルディ(『プリシア』のエルビス役)
ヘンリッヒ・ハーランダー:クリストフ・ヴァルツ(『イングロリアス・バスターズ』)
エリザベス/母親:ミア・ゴス(『X エックス』(2020)で始まるタイ・ウエスト監督との三部作で知られる。『X エックス』でも一人二役を演じた。)
アンダーソン船長:ラース・ミケルセン(一見そうとわかりにくいのでぜひじっくり見て確認してみてください。)
Netflix映画『フランケンシュタイン』あらすじ
【概要(短縮版)】
北極航海中のデンマーク船に救助された科学者ヴィクター・フランケンシュタインが語る、命を創造した男と怪物の悲劇。
ギレルモ・デル・トロ監督が、原作の“愛と赦し”を壮麗な映像美で蘇らせる。

1857年.北極を目指していたデンマーク王立船ホライゾン号は氷に閉じ込められ身動きできなくなってしまう。乗組員たちは懸命に氷を砕いてなんとか船を動かそうとするが、氷はびくともしない。一部の乗組員は船が動くようになったらデンマークに戻りましょうとアンダーソン船長に訴えるが、船長は前進するのみだと部下の言葉に耳をかそうとしない。その時、爆発音がして、彼らは負傷したヴィクター・フランケンシュタインを発見する。
すぐに恐ろしい叫び声が聞こえ、背が高い怪物が近づいてくる。フランケンシュタインを追いかけてきた怪物は、行く手を阻む乗組員を次々となぎ倒して行った。船長は、ブランダーバスを持ってこさせ、怪物めがけて発射させる。怪物は倒れても起き上がり、さらに前進してくる。船長は残された最後の弾丸で氷に穴を開け、氷上に立っていた怪物は海に落ちて沈んで行った。
船内で手当を受けたヴィクターは、船長から怪物は死んだと告げられるが、あいつは決して死なないと答え、自身の物語を語り始める。
ヴィクター・フランケンシュタインは、厳格な外科医の父(チャールズ・ダンス)と優しい母(ミア・ゴス)のもとで育った。財産目当てで母と結婚した父は母のこともヴィクターのことも蔑んでおり、父による授業で失敗する度、ヴィクターは、鞭で打たれる日々を送っていた。
ある日、愛する母は弟を産んで亡くなり、ヴィクターは母を助けられなかった父を今まで以上に憎むようになる。ウィリアムと名付けられた弟は無邪気で朗らかな性格で父のお気に入りとなり、ヴィクターの孤独感は日に日に深まって行った。
まもなくして、一家は破産し、父もまた亡き人となった。ヴィクターは医学の境界へと挑み、死なない生命体を生み出そうと決心する。
彼の研究は医学会から猛烈な反発を受けるが、幸運にもヴィクターはヘンリッヒ・ハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)と知り合う。彼はクリミア戦争で莫大な利益を上げている武器商人で、ヴィクターに気前よく研究資金を提供し、戦士者の死体供給を許可してくれた。
ヴィクターはガーゴイルで飾られた廃墟の城に籠り、怪物の創造に没頭する。だが、最後の仕上げである雷のエネルギーを用いた電気刺激を誘発する段階になって、ヘンリッヒ・ハーランダーが突然現れ、自分は病に侵されており、創造物の中に自分も入れてくれと懇願し始めた。もみ合っているうちに彼は事故で死んでしまうが、すぐにヴィクターは作業を再開し、ついに長らく待ち望んでいた怪物を創造することに成功する。
しばらくして弟のウィリアムと、彼の婚約者でハーランダーの姪であるエリザベスが、音沙汰のない叔父を心配して城を訪ねて来た。その際、エリザベスは偶然鎖につながれた怪物と遭遇する。エリザベスはすぐに彼の純真さを見抜き、手を取るが、エリザベスを捜しにやって来たウィリアムに引きはがされてしまう。
自らの創造物である怪物がたった一言「ヴィクター」という言葉しか覚えられない出来損ないだと判断したヴィクターは、失望し、自身の研究の成果を破壊しようと、城に油を撒き、火をつける。城を飛び出したヴィクターは一瞬、後悔の念に駆られ、戻ろうとするが、その時、大きな爆発が起こり、その衝撃で吹き飛ばされた彼は片脚を失ってしまう。
燃え上がった城は何度も爆発音を立て、崩れて行くが、怪物は鎖を引きちぎり、かろうじて城から脱出し、ひとり、森の中を彷徨っていた・・・。
Netflix映画『フランケンシュタイン』公式予告編
Netflix映画『フランケンシュタイン』感想と評価
父と息子の確執

オスカー・アイザックが演じる科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、幼少期に愛する母(ミア・ゴス)を失った悲しみから、医師である父への反発を募らせ、父の域を超えるべく医学の境界に挑む決意を固める。クリストフ・ヴァルツ演じる兵器製造業者ハーランダーの資金提供を受け、ヴィクターは戦場で命を落とした者たちの遺体を切り刻み、組み合わせ、最終的に雷のエネルギーを用いた電気刺激によって「その男」に命をもたらすことに成功する。
ギレルモ・デル・トロ監督は、メアリー・シェリーの原作に忠実なプロットを軸に据えつつ、これまでの自身のフィルモグラフィーで追求してきた多様なモチーフやコンセプトを織り交ぜ、ゴシック調の荘厳な世界観を築き上げた。
デル・トロ作品の底流にあるのは、常に「父と息子」の確執だ。本作では、チャールズ・ダンス演じる外科医の父が、息子を教育するという名目で鞭を振るう暴力的な存在として描かれている。父の愛を知らずに育ったヴィクターは、やがてその歪んだ愛の欠落を、創造という行為によって埋めようとする。暗い実験室、青白い雷光、凍てついた息。そのすべてが、愛を失った人間の魂の温度を冷酷に映し出している。
ヴィクターは、父に反発しながらもその呪縛を無意識のうちに引き継ぎ、自身の創造物を愛せない父親へと変貌していく。言葉が覚えられない“クリーチャー”を出来損ないと見なし、教育する代わりに破壊しようとする姿は、かつて自分が受けた虐待の再演にほかならない。
デル・トロは、この“愛されなかった者が愛せなくなる”という「虐待の連鎖」を、息を呑むような映像美とスリリングな展開で表現している。
「怪物」の中の純真さ
一方、ヴィクターの「破壊」から逃れたクリーチャーは森の一軒家で暮らす盲目の老人と出逢う。老人から言葉と読み書きを学び、人の優しさに触れていく過程で、彼は「愛」の存在を知る。対照的にヴィクターは、知識と野心を得ながらも、決して「愛」に触れることができない。デル・トロが描く悲劇の根はここにある。ヴィクターが求め続けたのは生命ではなく、失われた愛そのものだったのだ。
『ヘルボーイ』の悪魔(2004)、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)の半魚人、そして『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』(2022)の木の操り人形といったデル・トロがこれまで世に送り出してきた“怪物たち”は、いずれも社会の外側に追いやられた異形の存在だった。『フランケンシュタイン』のクリーチャーも、その系譜に連なる。
ジェイコブ・エロルディが演じるこのクリーチャーは、怪力で人を殺めることのできる肉体を持ちながらも、心は限りなく純粋だ。森の動物たちに優しく接し、盲目の老人を助け、貧しい家族の役に立とうとする姿には、デル・トロ作品特有の「怪物の中の純真さ」が息づいている。彼が焚き火の光に手をかざして温もりを知る場面や、初めて人の言葉を覚える場面は、まるで幼子が世界を学んでいくような美しさがあり感動的だ。
だが、彼の存在は人間にとって常に恐れと嫌悪の対象である。老人は狼の襲来によって命を落とすが、老人の元に戻って来た家族たちは、それが彼の仕業だと疑わず、彼を銃で撃ち殺す(勿論、死ねないのだが)。
彼を瞬時に理解してくれたエリザベス(ミア・ゴス)は、彼をかばおうとして、誤って殺されてしまう。人間社会がいかに異質な存在を恐れ、排除するかという冷酷な現実を突きつけられたクリーチャーは、自分は死ねない身だというのに誰とも共生できないという激しい絶望感に襲われる。
デル・トロは“怪物の悲劇”を通して、現代社会における他者への不寛容を鏡のように映し出してみせるのだ。
謝罪と赦し

この作品が最も深く胸に迫るのは、物語の終盤で訪れる「赦し」の瞬間だ。氷原で座礁した船の中、長く続いた追走劇の果てに、ヴィクターとクリーチャーは、互いに憎しみをぶつけ合う存在ではなくなる。ヴィクターは、「赦してくれ」と謝罪する。この一言には、自己赦免ではない、真の和解の響きが感じられる。さらに彼は、死ねない身体を持つクリーチャーに「生きることを考えろ」、「生きろ」と告げる。その瞬間、彼は初めて“父”となったのだ。
デル・トロはこの赦しを、単なる和解ではなく、人間の根源的な希望として描いている。
憎しみの言葉が飛び交い、謝罪や和解が難しくなった現代において、「赦し」は最も忘れられた感情のひとつに成り下がってしまった。だが、氷に閉ざされた世界の中でヴィクターとクリーチャーが示したのは、まさにその赦しの力だった。意地を張り続けることよりも手を差し伸べることの方が、憎しみ合うよりも歩み寄ることの方が、はるかに勇気のいる行為であると、デル・トロは語りかける。
ヴィクターが憎しみを手放すことで、ホライゾン号の船長にも変化が訪れる。クリーチャーの力によって船が氷から抜け出し、航海可能になった時、彼は“前進”ではなく船員たちが望む“帰還”を選ぶのだ。ここでは引き返す勇気を持つことの大切さが描かれている。意固地な信念よりも、互いを思いやる選択をすることがいかに重要か。それは争いが絶えない混沌とする現代社会に生きる我々に向けた本作からの大きなメッセージだ。
まとめ
ギレルモ・デル・トロは、原作にはないキャラクターや展開を数多く取り入れながらも、基本的にはメアリー・シェリーの原作の精神に極めて忠実な作品を作り上げた。古典の旨味と現代の感性が鮮やかに交わり、圧巻の美しさを湛えた作品が完成した。
この映画の原作はこちら
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