うそつき呼ばわりされても、731部隊の「本当のことを語る」―94歳の元少年隊員 身内は言った「つまらないことをするな」【戦後80年連載・向き合う負の歴史(4)】

大日本帝国のかいらいだった「満州国」(現・中国東北部)で、細菌兵器の開発や捕虜への人体実験を秘密裏に実行した旧日本陸軍の731部隊(関東軍防疫給水部)。国際条約に反するその所業から「悪魔」と称された。

80年前、14歳で入隊した長野県宮田村の清水英男さん(94)は、元少年隊員として「見たこと、やったこと」を公に語っている。しかし、ネット上の誹謗(ひぼう)中傷は残酷だ。「うそつき」「にせ者」―。何より胸をえぐられたのは身近な人からの反対だった。「日本をだめにするのか」
これまで通り証言を続けるべきか―。葛藤を抱く中で2025年2月、東京の学校に招待された。隊員だった頃の自分と同じくらいの年代の生徒たちを前に経験を語り、質問を受けた。清水さんは、これまで明かすことのなかった思いを吐露することになる。(共同通信=松森好巨)
▽見習い技術員として満州へ

太平洋戦争末期の1945年3月、宮田村の国民学校高等科を卒業した清水さんは、731部隊に「見習い技術員」として採用された。担任教諭の推薦だった。
部隊本部が置かれた満州・ハルビンに着くと、教育部に配属された。病原菌の基礎知識習得に励む中、一度だけ上官に連れられて「標本室」に入った。
目を刺すようなホルマリンの刺激臭が充満する室内で、涙をこらえ目にしたのは、ガラス容器の中に入れられた人体や臓器の数々だった。女性の割かれた腹に収まる胎児、頭蓋骨の一部を切り取られた生首―。上官は人体実験した「マルタ」の標本だと告げた。
▽証拠隠滅と「厳命」

ソビエト連邦の対日参戦を受け、部隊は撤退を決める。参戦3日後の8月12日。清水さんはマルタを収容していた「特設監獄」に入り、殺害され焼かれたマルタの骨を拾い集めた。監獄を爆破するため爆薬も運んだ。内部の壁に血で記したとみられる文字を見た。14日、専用列車でハルビンを後にした。
図らずも人体実験の一端に触れ、証拠隠滅にも加担した清水さんは帰国した際、三つのことを厳命された。軍歴を隠すこと、公職に就かないこと、隊員間で連絡をとらないこと。1980年代以降、森村誠一さんのノンフィクション「悪魔の飽食」などにより部隊の実像が知られるようになっても、命令を守り続けた。
▽「うそつき」

転機は2015年、長野県内で開かれた731部隊に関する展示会を訪ねた時だ。よみがえった記憶を妻に話したところ、主催者に声をかけられた。経験を語るよう促され、考えた末に証言活動を始めると決めた。
ところが、その姿や言葉が報道されると、ネット上に誹謗中傷の投稿がわき出てきた。
「このじじいうそついてやがる」「元731部隊員は慰安婦と同様にニセ者」「『悪魔の飽食』に影響された妄想」―。
共通するのは、清水さんの証言に「証拠」はないという非難だった。
証言を市民に広く知ってもらう機会を失う事態にも直面した。
2022年5月、長野県飯田市に開館した市平和祈念館。展示資料の収集に携わった市民団体が、清水さんら県内の元731部隊員の証言を載せたパネルの展示を求めたところ、開館直前になって市教育委員会の判断により見送られたのだ。
市教委の当時の説明はこうだ。「公の施設としての性格を踏まえ、展示内容を判断した」
▽余計に本当のことを

清水さんが部隊にいた証拠は存在する。隊員の氏名や本籍地などを記載した「留守名簿」にその名が記録されている。
人前で証言する際は用意した文章を読み上げる形を取り、内容に誤りや齟齬(そご)が出ないよう慎重を期してきた自負もある。
だから、ネット上の中傷には「うそは言っていない。見たこと、やったこと、聞いたことしか話していない」と怒りを込め、証言パネルの展示見送りには「戦争の本当の恐ろしさが伝わらない」と憤る。ただ、こうも思う。「余計に本当のことを話さないと、だめだ」
▽「生の話」を生徒に

清水さんの思いに応えた一人が、長野県中川村の元公立中学校教諭湯沢章平さん(64)だ。
担当教科は国語。戦争をテーマにした教材があれば生徒に意見を聞いてきたが、「何も知らない。そもそも関心がない。子どもには過去の歴史に過ぎない」と痛感した。
「体験者が存命のうちに『生の話』を聞かせたい」。50歳を過ぎたころから、総合学習の時間に戦跡を訪ねたり、当時を知る人に戦争の記憶を語ってもらったりした。
清水さんには2018年以降、3年生を担任した年に来てもらった。
直近では2024年2月にも招いた。2年前、飯田市平和祈念館で清水さんらの証言パネルの展示が見送られている。学校側が慎重な対応を求めてくることも予想されたが、杞憂(きゆう)に終わった。それでも、「反対されてもやった」と断言する湯沢さん。信念をこう説明する。
「731部隊の存在を認めたくない人はいる。でも、加害の事実を見つめなければ歴史は正しく伝わらない」
「人を人とも思わない時代を生きた方の痛切な思いを知れば、同じ経験は嫌だという感情が芽生える。その感情があることで次の戦争を抑止できるかもしれない」
▽「日本だめにする」

清水さんにとって湯沢さんは、生徒に証言する機会を与えてくれた数少ない存在だったが、今春で再任用を終えた。別の教諭が志を継ぐことを願うが、湯沢さんから「今の教員は戦争体験の話を聞かせようという考えがない」と聞き、望みは薄いと感じていた。
そんな折、親族から自身の活動に疑問を投げかけられた。「中国を利することになる」「日本をだめにするのか。つまらないことをするな」
身近な人の生身の言葉に、清水さんは「聞く人によって感じ方は違う」と痛感した。表だっての証言は控えるべきなのか。葛藤を抱えながら今年2月、招待された東京の学校で講演に臨むことになった。
▽体験者から直に聞く

東京都北区の女子聖学院中学校・高等学校が毎年2月に実施している「戦争と平和を考える日」。例年、広島・長崎の原爆や東京大空襲の関係者を招くなどしてきたが、今回は731部隊という加害の側面を初めてテーマにした。
企画したのは、高橋伸周教諭。受け持つ日本史では「人間は美しいことをする一方、ひどいこともする。両方分かってもらいたい」と意識してきた。だからこそ、関東大震災の朝鮮人虐殺など「あったこと」を「なかったこと」にする言動の広がりに危機感を抱いていた。
清水さんの存在は新聞報道で知った。講演を依頼するにあたり、移動距離などを考慮しオンラインで行う選択肢もあったが、直に語ってもらいたいと願った。
それは「生徒たちが将来、731部隊を否定したり修正したりする情報に接した時『私は実際に経験した人の話を聞いた』と言える」と考えたからであり、清水さんがネット上で「うそつき」呼ばわりされている現実に「うそをついているかどうかは、その場にいて、その人を見ていれば分かる」と信じたからだった。
▽初めて明かす心情

2月上旬、学校のチャペルに、中学1年から高校2年までの約520人が集った。壇上の清水さんは、80年前の自身と同じ年ごろの生徒に、かつての体験をとつとつと語った。生徒は清水さんをじっと見つめ、時にメモを取りながら耳を傾けた。およそ30分間の講演が終わると雰囲気は一変した。
「なぜ少年隊員に選ばれたのか」「標本室で見た光景に何を感じた」「家族と手紙でやりとりはできたか」「満州で好きになった食べ物は」―。1時間以上にわたり、20人を超える生徒が質問をぶつけた。
証言活動に対する家族の反応を問われた清水さんは、一呼吸置いた後、疑問を呈されたことがあると明かし、続けた。
「やったことはやったこと。悪いことは悪いこと。これはどうしても日本の人たちに納得してもらわないといけないと思い、始めたのに。家族にも言われて本当に切ない」
大勢の前で、初めて明かす心情だった。
「戦争のない国、世界にしてもらいたい。それだけです」。最後の質問に答えた清水さんを、会場は拍手で送り出した。
▽自分に何ができるか

終了後、私(筆者)は生徒に感想を取材した。同じ年頃で壮絶な経験をした清水さんと自らを重ね合わせ「心が痛い」と話す生徒。戦争のことを何も知らなかったのだと正直に話す生徒。中学3年の生徒は、清水さんへの中傷を生むこの国の雰囲気を変えたいと言い、自問自答した。
「自分に何ができるかなって考えた時、恥ずかしいけど、一つも思い浮かばない。でもそれではいけない。戦争について知っていくことしか私にはできないと思うし、戦争に関わらずいろいろな情報を自分で集めていくことが必要だと思う。そういう人が増えたら、もう少し戦争とか身の回りの争いとかもなくなるんじゃないかなって」
▽本当のことを

女子聖学院での講演から1カ月半。清水さんに生徒の感想を伝えた。清水さんは穏やかに話した。「子どもたちに感じ取ってもらえたのなら、よかった」
今後も、要望があれば証言を続けるという信念は変わらないという。「子どもたちが、悪いことは悪いことだと判断するには、本当のことを知らないといけない」
× × ×
これまでの連載
【(1)県が撤去した朝鮮人労働者追悼碑は「加害の歴史」伝えるシンボルだった】
【(2)フェミニズムを入り口に慰安婦問題を学ぶ若者たち―東京、5千人学ぶカフェ】
【(3)集団自決の傷痕撮る沖縄の写真家「真実伝え、戦争なくしたい」】
























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