
皆さん、熱中症にくれぐれもご注意下さいね。
私が暮らす名古屋は36℃になる見込みですが、北海道も35℃を記録するらしいですね。
名古屋は暑いだけじゃ無くて、湿度も高いのですよ。
まぁ〜、本当に蒸し暑いこと!
沖縄へ行った時は、木陰がこんなに涼しいものかと思いましたよ。
さて、気温が高くなるとね、地球温暖化ってキーワードが必ず出てきますね。
昨今では、気候変動と呼ばる事も多いでしょう。

それは、地球の全氷結から温暖化と寒冷化の歴史を繰り返しているからです。
温暖化って政治利用の側面もあることも理解する必要があるでしょう。
平安時代は暑くて、江戸時代は寒かったそうですよ。
さて、1万年前の縄文期には、この地(以後国土)は今と同じくらいか、更に暑かったかも知れないのです。

縄文時代の最終氷期シュミレーションの資料を見つけました。
大陸とは陸続きか、もしかすると広い川幅くらいで、マンモスやナウマンゾウが行き来していたのでしょうね。
そりゃ、人は丸木舟でも問題なかったのかも?
人類誕生の歴史は別の機会として、それらの動物を追いかけて、国土に人類が北や南から流入して来たとされる説が一般的です。
この頃、この国土に住み着いたのは狩猟民族であった可能性が高いと言うことでしょうか?
亜熱帯地域であったことは、植物等の化石の分析からも分かっています。
これが約1万年前くらいの話です。
その後、約7,300年ほど前に、この国土は最大の危機となる「鬼界カルデラ・アカホヤ大噴火」で甚大な被害を受けることになります。

衝撃波や火砕流、大地震、大津波は、九州南部の縄文人の命をあっという間に奪い、その降灰は関東地方にも達したと言われています。
例の夢の予言書って、アカホヤ大噴火のこと?って私は思ったりしましたからね。
この時に、大陸へと逃げた縄文人、東北方面へ逃げた縄文人、更には海洋(様々)に脱出した縄文人も居たことでしょう。
その頃までに、現在の朝鮮半島には文明は無かったと考古学の研究発表もありますので、日本の国土から逃げ延びた縄文人が新天地で文明を形成していった可能性が非常に高いとも言われています。
それなのに現日本人と韓国人のDNAの繋がりが薄いのは、チンギスハーンなどが攻め入り遺伝子の分断があったからと言われ、日本人は世界的にD系の珍しい遺伝子を今も保有しています。
この国土は、特に九州や西日本は噴煙に覆われ、降灰もさることながら、太陽の日差しも遮られて、寒冷化したとも考えられます。
とても人々が暮らせる環境では無かったことも容易に想像出来ます。
火山灰って所謂ガラスの粉でもありますから、遠い場所でも吸い込めば呼吸器系にダメージを与えたのではないでしょうか?
西日本や九州は、いつ頃から人類が生活を再開出来たのでしょう?
この頃、地球規模の温度変化は極点の氷を溶かし始め、徐々に海抜上昇を始めます。
それが約6,000年前の縄文海進です。
大きく海抜が変わったのは縄文海進の時でしょう。
いよいよ島国として大陸と分断され日本列島の誕生ですね。

それは、まるで溶けて分離してしまった氷河に取り残されたシロクマやペンギンの様だったのかも知れません。
現代よりも海面は高く、関東平野や以西の低地は海の下と言われ、地表は少ない状態です。
アカホヤの大噴火で人口は激減したとされますが、この国土に生き残った縄文人達は関東以北〜東北地方を中心に生活基盤を作っていったことが、三内丸山遺跡やら大湯のストーンサークルからも証明されると思います。
元々、狩猟民族であった縄文人は、大陸とは寸断され、狩猟対象動物も捕獲の機会も少なくなっことから、アカホヤ噴火や縄文海進の難を逃れたものの、人口の集中などから食糧難は必至となります。
そこから、農耕生活を主体とする生活に替わって行ったのだと考察もあります。

農耕と言うのは、大人数で取り組まなければ難しかったのでしょう。
現代の様に機械化しているわけでもないですからね。
そして、小規模、中規模の集団が、所謂、村や国の集落形成の始まりです。
農作物には天地の恵みも不可欠です。
季節を知り、植え付けや収穫の時期を知る。
暦の原点となるストーンサークルなども設置されて、元々、私達でも太陽拝んだりするわけで、太古の昔から太陽崇拝はあったのでしょうが、そこに祭祀として祈りを捧げる担当がシャーマンして現れたりしたのでしょう。

その他にも文明があったとされる理由には、発掘された土偶などから、大陸西方の国の文化と思われるものが見つかっているからです。

それらは明らかに大陸と行き来があった証拠でもありますが、始まりはいつ頃だったのかは、今後の研究結果を待ちましょう。
古代の遺跡人骨には争って死んだと考えられる痕跡が殆どないことなどから、この国土の人々は和合の道を選んでいたと思われています。
日本人の和を尊ぶ基本精神は、ここにありそうですね。
人が集まれば争い事のひとつやふたつもあって然りと思うのですが、統率するためのリーダーも必要でしたでしょうし、農耕においては多くの人手も計画性も協力関係も重要です。
時には農耕手法を学び、土地を求めては各地に民族が拡散し伝授して行ったこともあるでしょう。
ならば当然、言葉や文字などの共通認識となるコミニュケーション文明を持っていたことになることも、三内丸山遺跡からも明らかだと思われます。
点在していた人々は集落を形成し、リーダー的存在を中心に共同作業を行ったり、土地の開拓をしたりして、後に地方豪族と呼ばれる集団が各地に生まれ、どんどん国の様相を呈してくるのでしょう。
その国家らしき始まりが大祓詞にも出て来る「日高見国」の存在だと、故田中英道教授も提唱しています。
更に時は進み、今度は国土に寒冷化が始まります。
今まで繁栄をしていた東北地方で暮らすには厳しい生活環境へと変化していきます。
きっと寒冷化により作物も少なくなったでしょうし、防寒衣類としての動物の毛皮と言っても、この頃は狩猟民族から農耕民族へと変わって来ているので手に入らず、生きるためには温暖な地方を目指すのは当然ことではないですかね?
弥生時代を迎える頃には、寒冷化に伴い海面も低下し国土に平野が次々と現れます。
東北の山岳地より平野の方が広く農耕には都合が良かったのでしょうね。
その頃の北関東のエリアには、25万人程度の人々が生活をしていたと研究結果もあります。
今の都市人口ならば、つくば市とほぼ同じくらいの人口になります。
国が形成されたとなれば、当然、長や主などの存在も必要ですね。
そして民を束ねるための求心力や信仰です。
古代からの自然崇拝と太陽信仰、そしてリーダーの登場こそが、神様の姿、存在だと思います。
日本の起源を日高見国とするかは、歴史解釈もある訳で、古代はアラハバキ神が有名ですけど、その詳細は全く分かっていません。
取り敢えず起源を日高見国と仮定するならば、造化三神や別天津神は、東北から北関東のエリアからの国から始まる神様とするのが妥当ではないでしょうか?
そして高天原の場所は宇宙とかではなくて、「日高見国」であると。
ファンタジー神話、神代の話の答えらしきものは、秀真伝の至るところに登場して来ますよ。
鹿島神宮、香取神宮、高天原、天孫降臨、鹿島立ち、饒速日尊と瓊瓊杵尊…
古事記、日本書紀を正史とするために、それ以外の古文書は今まで偽書扱いなんですよ。
秀真伝が全部正しいとは私も思ってはいませんが、学ぶと色々なところで驚くような「これこそ正史に近い」と感じる歴史に出会えますよ。

