酒池肉林
若いときに酒を止めたら, 当分の間いろいろ言われ続けた. 「車で来たから飲まないの?」「飲まないのか?飲めないのか?」「いつ止めたのか?」「寂しいねぇ」
さすがに「きさま, 俺の酒が飲めねぇのかぁ(怒゛)」みたいな世界には居なかったからそういう圧力は無かったが, 毎回お決まりのように問われるのには嫌気もさしてくるというものだ. だが, それも時代の流れと共に(2000年に入ってからかな?)だんだん「飲まない人」が普通になってきたようにも感じる.
こんなのを書いたりもした↓
次には肉食である.
もしかしたら, 戦中戦後の食うや食わずの時代を生き抜いてきた昭和初期生まれの世代と, 食に対して大きな苦労もなく「飽食の時代」に生まれ育った私たちの世代の間に, 越えがたい感覚や常識の違いがあるのかもしれない.
日本には「精進料理」などという文化があるわりには, あまり食に対して何らかの制限を守るような生活をしている人は, 健康上の問題で医者から言われてるなどのケースを除けばあまり居なさそうに見える.
だが, 異文化の人たちと付き合うと, 世界には特定の動物肉を食べない人や, 食肉に特別な儀式(?)が必要な人たち, 肉を食べない菜食の人たちなどがかなり居ることを知る.
環境への配慮の観点から, 菜食に比べて肉食は環境負担が大きいという事実のために肉食を避ける人たちも居る.
菜食をしている人で, 強烈な印象を与える方に出会ったことがある. 韓国の大学で「研究教授」というアルバイト(少し年増の博士研究員みたいなもの)をしているとき, 米国の大学から客員教授として来ていたインド出身の先生は, とてもエネルギッシュで行動的で博学でよくしゃべる方だった. 凡そ「菜食」に対して何らかのネガティブな観念を持っている人たちが想像する姿(「草食系◯◯」みたいな?)とはかけ離れた感じである.
思うに, 草食動物は「動物を襲わない」だけで力がないわけじゃない. 牛だって馬だって, 草を食べて力仕事をしているし, 草を食ってるウサギやヤギやヒツジの繁殖力たるや...
「フルーツ食」の人の記事を見つけて読んでみたことがある.
「フルーツだけ生活」の意外すぎる健康効果
自分を実験台にするマニアの「真意」
(東洋経済ONLINE 2016/4/24)
“15年間フルーツしか食べない人物”に起きた驚きの変化。「ラーメンもお菓子も食べたいとは思わない」"
(日刊SPA 2024/4/30)
フルーツだけの生活を15年以上も続け, 「ラーメンもお菓子も食べたいと思わない」そうだ. その効果について
- 肌がすべすべ
- 体毛が減る(女性ホルモンが増える?)
- 骨密度が増える! (これは意外だったと)
また, フルーツの食べすぎは糖分のとりすぎになると心配する向きもあるが問題なさそうとのこと. 食事にはつきあいの意味もあるし, フルーツだけを食べる生活を他人には勧めないが, 誰でもできる健康法としてオススメは
- 先にフルーツを食べる
- 朝いちで水分の多いフルーツを食べる
だそうだ.
「菜食のすすめ」というサイトがあって, ここには菜食についていろいろな情報がまとまっている.
私の知人には, 上に紹介した韓国の大学の先生の他にも, 玄米を中心とした菜食生活を長らく続けながらエネルギッシュに研究生活をしている方がいる. この方もとにかくよくしゃべるし年をとっても老眼にならないというし, スゴい方である. ただ, 遠くから来ていただいたりした時に食事でおもてなしするのがいろいろ難しいという, 社交上の悩みはあるが...
最後に, 道元禅師の教えについて弟子の立場からの体験をまとめられた文書から, 肉食についての話を引用する.
「正法眼蔵随聞記第一」侍者懐奘編
三 有時(あるとき)示して云く、仏照禪師の会下(えか)に一僧ありて、病患(びょうげん)のとき肉食(にくじき)を思ふ。照、是を許して食(じき)せしむ。ある夜自ら延壽堂に行て見たまへば、燈火幽(かすか)にして病僧亦肉を食す。時に、一鬼病僧の頭べの上にのりいて件(くだん)の肉を食す。僧は我が口に入ると思へども、我は食せずして頭上の鬼が食するなり。然しより後は病僧の肉食を好むをば、鬼に領ぜられたりと知て是を許しきと。是につゐて思ふに、許すべきか許すべからざるか、斟酌(サシヒキ)あるべし。五祖演の会にも肉食のことあり。許すも制するも古人の心皆其意趣あるべきなり。
岩波文庫 正法眼蔵随聞記 懐奘編 和辻哲郎校訂 2010年(第86刷)
意訳してみる:
仏照禅師の道場にいた僧が, 病気になったときに(体力回復のため)肉食を希望したので, 禅師はこれを許した. ある夜, 禅師が延寿堂(病僧が療養する場所)に行ってみると, 微かな灯りの下でその僧が肉を食べていた. ところが, これを見ると鬼が僧の頭の上にいてその肉を食べている. 僧は自分の口に入れているつもりだが, 自分が食べているのではなく鬼が食べているのだ. この後は, 病僧が肉食を希望するのは鬼に支配されていると知ってこれを許した. これについて思うに, 許すか許さざるかよくよく考えるべきだ. 五祖山の法演の道場でも肉食の問題があった. 許すも制するも古人の心は皆いろいろ考えがあったことだろう.
病気だから体力回復のため肉食が必要だと言って肉を好んだ修行僧の話だが, 師匠が見に行くと肉を食っているのは本人ではなく, 頭上に居座る鬼だった, という気味の悪いエピソードだ.
たしかに, 肉食にはある種の中毒性があって, 異様にこだわる人たちは自分でその欲をコントロールできない状態なのに, 肉食しないと栄養が足りないなどと理由を付けて毎日肉を食うのかもしれない.
酒は毎日飲むと肝臓に負担だから, ときどき「休肝日」をつくるという話がある.
ときには肉を食べず菜食する日があってもいいのではないか? それができないならば, やはり中毒なんだろう.
【了】