氷河期世代、エンジンだけは温かい

FIREのFIだけを目指して、日々のことなんかを・・・

おみくじがだいたい「吉」な人生を、今年もちゃんと生きる

途中で屋台ルートに分岐してない?

 

お疲れ様です ジョンです。

 

正月、初詣。
一年の最初に神様へ挨拶する、という建前のもと、多くの日本人が一斉に同じ方向へ歩く日。
この人口密度、たぶん米粒ならもう餅になってる。

 

僕も例に漏れず神社へ向かった。
「行かないと、なんとなく一年が始まらない気がする」という、習慣からです。

 

周りを見れば、家族連れ、カップル、友達同士。
僕は一人。
一人初詣って、静かでいい。いいんだけど、こういう時は「おひとり様」が試練になるんです。

 

参道に着くと、人、人、人。
列がもう、祈りのベルトコンベア。
みんな願い事を抱えた段ボールみたいになってる。

 

並ぶ。

前の人たちは真剣な顔で並んでる。
僕は真剣な顔を作りながら、心の中でこう思ってる。
「この列、途中で屋台ルートに分岐してない?気づいたら神様じゃなくて焼きそばに手を合わせてない?」
人って、祈りより匂いに弱い気がする。

 

やっと賽銭箱が見えた頃には、
僕の願いはもうシンプルになっている。

「寒くないようにしてください」
「足がしびれませんように」
「後ろの人が近いです」

人間、切羽詰まると願いはミニマルになる。

 

前の人の祈りが長い。
たぶんフルオプションだ。
健康、金運、恋愛、出世、世界平和、
あとUSBが裏表どっちでも刺さる未来。
でも僕は違う。
要点を絞るタイプ。
箇条書きでお願いできる男。
仕事できそう感がにじむ。

 

ようやく順番。
賽銭を投げる。
この放物線、なかなか美しい。
僕の肩、まだ使える。
四十代でもフォームは崩れていない。
これは地味に嬉しい。

 

二礼二拍手一礼。

心の中で願いを言おうとした瞬間、
後ろの人の圧が強すぎて思考が圧縮される。

神様との面談時間は体感0.8秒。

お願い事はこうだ。

「大事故なし」
「できれば今年も、自分を嫌いになりすぎませんように」
「変な人にからまれませんように」

現実的。
欲張らない。
自分のスペックを把握している。
これはもう成熟した大人の願い方だと思う。

一瞬、「僕が変な人側の人間なのでは」という考えがよぎるが、すぐに忘れる。

 

おみくじを引く。
結果は「吉」。
最高でも最悪でもない。
評価が上司みたいだ。
「悪くはない」「伸び代あり」「引き続き様子見」。
面談のようだ。

 

書いてある内容も絶妙に現実的。
「焦らず」
「慎重に」
「身の丈を」
うん、知ってる。そういうの全部知ってる。
知ってるけどできないから、ここに来てるんだよ僕は。
神様、攻略法じゃなくて操作を代行してほしいんですよ。

 

一通り終わると、
なぜか少し背筋が伸びる。

理由はわからない。
多分「来た」という事実だけで自己評価が上がってる。

これが初詣バフ。

 

帰り道、少しだけ気分が軽くなりました。
何かが解決したわけじゃない。
収入が増えたわけでもない。
不安が消えたわけでもない。
それでも、
「まあ、また一年やるか」

と思えた。

今年もこんな調子で、自分をちょいちょい褒めながら生きていこう。

 

この文章は、ほぼ自分を励ますために書かれています

未来の自分に、文句を言いながら仕送りする、現在の僕

 

お疲れ様です ジョンです。

 

僕はオルカンを積み立てている。

これは全世界株式だから、つまり僕は世界中の誰かの残業と失敗と会議資料に間接的に課金している。

そして「分からないなら全部買えばいいじゃない」という、人類史上でもかなり優しい発明だと思っている。
天才じゃなくていい。
勇者じゃなくていい。
ただ生き延びる気があれば参加できる。

 

オルカンは数字しか表示しないのに、
なぜか僕の心の奥の
「将来不安フォルダ」
「老後どうするんだ問題」
「今コンビニで余計な物買った罪悪感」
を同時に刺激してくる。
多機能すぎるでしょ、この金融商品

 

NISAはいつも優しい顔で言う。
「非課税です」
「長期です」
「気絶してて大丈夫です」

という三語だけで僕を論破してくる。
腹が立つ。
感情を使わない相手ほど強い。

でも無理。
僕は気絶できないタイプの人間。
ちょっとした含み損でも目が冴える。

 

「長期投資だから」
「短期の上下は誤差」
そんな言葉はもう聞いた。
耳には入ってる。
心は素通り。

僕の感情は長期という単語を
3秒くらいの短期しか理解できない仕様でした。

 

オルカンは希望をくれない。
「将来は明るいよ」とも言わない。
ただ「世界は続いてきた」とだけ事実を突きつけてくる。
この冷たさが、逆に信用できると思ってる。

 

正直、不満はある。

「世界経済、もうちょっと僕に配慮してくれ」
「為替、お前とは一回ちゃんと話し合ったほうがいい」
「もっと気持ちよく上がれよ!」
って画面に向かって言ったこと、ある。
しかも敬語じゃなくてタメ口で。

 

とある一日の結果が、
±0.00%。
アメリカ、ヨーロッパ、アジア、新興国
世界が集まって、この微妙な数字を出していると思うと、
逆にすごい。
全員で相談して決めた停滞だ。

 

オルカンは派手じゃない。
キラキラしないし、夢を見せてくれない。
その代わり、悪夢も見せてこない。
ジェットコースターじゃなく、
無限に続く動く歩道みたいな存在だ。
速くはない。
でも、立ってるだけで前に進む。
僕はこの仕様がけっこう好きです。

 

NISAも同じだ。
派手さはない。
花火も上がらない。
でも地味に、僕の人生の床を少しずつ厚くしてくれる。
フローリングの下に一枚ずつ断熱材を敷いてる感じ。
寒さはまだ来てないけど、僕は備えてる。

 

毎月積み立てる僕は、未来の自分に仕送りする保護者ポジション。

未来の僕が感謝するかは分からないが、現在の僕は文句を言いながら送金してる。

 

一発逆転はない。
伝説も生まれない。
でも、今日も世界経済に
「末席ですが参加します」
と、静かに手を挙げました。

 

だから今日も僕は思う。

愚痴る僕。
悩む僕。
検索しすぎる僕。
SNSで余計な情報を浴びる僕。
それでも積立を止めない僕。
全員集合して、最終的に同じ積立ボタンを押す。
このチームワーク、評価したい。

 

インデックス投資って資産形成というより、生活習慣だと思う。

歯磨き。
ストレッチ。
積み立て。

やらなくても今日死なない。
でも続けてるとあとで差が出る。

しかも誰も褒めてくれない。
そこも似てる。

 

劇的に増えなくてもいい。
派手じゃなくていい。
大逆転もいらない。
ただ、
「ちゃんと考えて行動してた自分」
として年を取りたい。

 

こんな感じで続けて、
「やればできるやん」って未来の僕に言ってもらえるかわかりませんが

2025年の最終結果はこんな感じでした。

 

2025年12月

(この他に「個人向け国債変動10年」を保有)


総投資額 3,850,000

評価額  7,711,764

(上記とは別に2026年のNISA用現金360万までは確保してあります。)

 

昨年読んで頂いた方々、ありがとうございます。とても励みになりました。

今年もよかったら見に来てやってください。よろしくお願い致します。

 

ひとりぼっちでも平和だったので問題ありません

過労で労災申請するサンタクロース

 

お疲れ様です ジョンです。

 

今年もクリスマスが来ました。
街は浮かれている。
浮かれすぎて、サンタが過労で労災申請しても誰も驚かないレベルだ。

街が「二人以上推奨」みたいな顔をしている日。
カップルは二人一組でスポーンしてくる。
一方、僕はというと、ひとり。完全にソロ。

難易度ベリーハードのせいだろうか、敵が多い。

 

赤と緑に塗装され。イルミネーションが無言で圧をかけてくる。光が多すぎる。
一方、僕の部屋は蛍光灯が一本、責任感だけで点灯している。彼は今日も職人気質だ。
カップルたちは二人で一つのマフラーを共有し、なぜか呼吸まで同期している。
こっちは一人でマフラーを巻き、しかも少しチクチクする。素材が攻撃的だ。

 

正直、不満はあります。

なぜこの日に限って、カップルは手をつなぐ面積を最大化するのか。
なぜ12月25日だけ、一人でいると
「何かあった?」
「大丈夫?」
という空気が発生するのか。
僕は無事だ。ただ予定がないだけで、事件性はないんです。

 

帰りがけにコンビニに入るとチキンが山積み。
「パーティーに」「みんなで」「家族団らん」。
文言が全部刺さる。
チキンなのに攻撃力が高い。

 

僕は弁当を選びながら、カップルが二人でチキンを見つめているのを横目に、
「チキンもカップルに見つめられるとあんな顔になるのか」と何とも言えない気分になる。
チキンは悪くない。
問題は、人数だ。

 

仕方なくチキンを買うが、とても優しい。
「どうした?」とか聞いてこない。
噛めば黙って油を出してくる。

最高の関係性ですよ。

 

それと甘いものは好きだが大きいケーキは買わない。
ここ大事。
ひとりで大きいケーキを買うと、
「今夜の僕はイベントをでっちあげています」という強いメッセージになり、店員さんとの間に「触れてはいけない沈黙」が発生する。
代わりに、コンビニのシュークリームにする。
等身大でいいんです。

「偶然甘いものを食べただけの人」を演じられるサイズで。

 

静かな家に帰りひとりでいると、感情が全部こちらを見てくる。
逃げ場がない。
寂しさも、拗ねも、
「まあ別に平気だけどね」という中途半端な強がりも、全員出席してる。

「どうも」みたいな顔で腕を組んで座っている。
今日は帰らないらしい。

 

少しは愚痴りたい。
SNSを開くと、他人の幸せがフルカラーで陳列されている。
幸せはだいたい逆光で撮られていて、
だいたい#最高の夜とか書いてある。

夜景、ケーキ、指輪、犬、子ども、手料理、謎の笑顔。
全員「自然体」って顔してるけど、
その自然、多分だいたい加工済みな気がする。

 

でも、ふと思う。
このクリスマス、結構自由です。

誰に気を遣うでもなく、誰のテンションにも合わせなくていい。笑顔も用意しなくていい。
ケーキを食べなくても怒られないし、プレゼントを用意しなくても裁判にならない。
自由だ。自由すぎて、少し風が冷たいけど。

 

世の中は「幸せそうに見える人」であふれているけど、幸せそうに見せる作業って、意外と重労働なんですよね。
その点、僕は今日は完全オフ。
心はノーメイク。

誰かに見せる用の感情をしまって、本音だけで過ごしていい日だ。

 

来年もたぶんソロだけど、とりあえず、元気で、寝て、笑えていれば合格。
今年も無事やり過ごした。

 

人生は走りっぱなしじゃなくて、いいらしい

踏切が偉そうだ

 

お疲れ様です ジョンです。

 

踏切に止められた時、思いました。

とても偉そうだ。
こちらの事情を一切聞かず、棒一本で世界を区切る。
「止まれ」の一言を、鉄で物理的に実装した存在。
こちらはただの一般人なのに、棒一本で行動の自由を没収される。
民主主義の敗北がここにあった。

 

こっちは別に悪いことしてない。
税金も払ってる。
横断歩道も渡ってる。
なのに踏切だけは、毎回「お前、ちょっとそこで反省な」って止めてくる。
何の反省かは分からない。
生まれてきたことかもしれない。

 

電車は来ない。
来ないのに、踏切だけが仕事してる。
赤ランプは元気いっぱい。
「止める気だけは誰にも負けないです」と履歴書に書けるレベル。

 

こっちは急いでないフリを全力でしてるのに、内心はもう小走りの準備万端。
でも踏切は知ってる。
僕のその“余裕ありますけど?”って顔の下に、「早くして」「今じゃない」「今日はダメな日じゃないよね?」っていう感情がグツグツしてるのを。

 

最初は静かに待つ。
人として。
社会の歯車として。

こっちは大人だ。待つくらいできる。

氷河期世代だぞ。待つことで年金も仕事も消えていった世代だ。面構えが違う。

 

30秒を過ぎたあたりから心の中でクレーム窓口を探し始める。
だが1分を超えたあたりから、僕の中の何かが目を覚ます。
「……長くない?」

 

いや、これは僕が悪い。
踏切は何も悪くない。
彼はただ、今日も忠実に仕事をしているだけだ。
時間を止め、人間に考え事を強要する、無言の管理職。
一方の僕は、止められただけで感情が暴走する平社員。
ここで気づく。
キレてる場合じゃない。僕は今、考える時間をもらってる。

 

そして電車が来る。
1本目、「ふーん」
2本目、「え?今の前菜?」
3本目、「もうシリーズものじゃん」
4本目、「もはや電車じゃなくて観覧車じゃない?」
愚痴が止まらない。

 

でもその愚痴、途中から熱を失う。
なぜなら踏切は反論しないし、
謝らないし、
改善もしない。
人間関係で一番タチが悪いやつの完成形だ。

 

でも不思議なことに、だんだん腹が立つのを通り越して、自分の感情が見えてくる。
イライラしてる自分。
待てない自分。
日々に予定を詰め込みすぎてる自分。

 

待ってる間、思考が勝手に整理される。
「今の僕、まあまあ頑張ってない?」
「別に全部うまくいかなくてもよくない?」
踏切は無言で、肯定だけしてくる。
鳴りながら。

 

正直言うと、僕は踏切が嫌いだ。
予定を止めるし、気分も止めるし、なんなら思考まで一時停止させてくる。
でも同時に、踏切は言ってる気もする。
「そんなに急いで、どこ行くの?」って。

 

考えてみれば、踏切は悪くない。
鳴ってるだけ。
仕事してるだけ。
こっちが焦りを材料に、勝手にドラマが膨らんでるだけ。

 

しかも踏切って、「急げ」とも「頑張れ」とも言わない。
ただ「今は動くな」とだけ言う。
これ、人生で一番優しい命令じゃないですか。
仕事では動け。
家庭では気を利かせろ。
将来のために考えろ。
老後に備えろ。
健康も、貯金も、空気も読め。
そんな世界で、棒一本上げただけで
「全員、強制停止」
踏切、強すぎますよ。

 

社会は意味を求めすぎなんですよ。
成果、効率、成長、改善。
踏切は
「今は何も生まれません」
って胸張ってる。
しかも平等。
社長も学生も、人生ノってる人も詰んでる人も、
全員ただの待ち人。

 

そして遮断機が上がる。
ゆっくり。
演出過剰。
完全に主役の登場シーン。

 

踏切は今日も長い。
皮肉も愚痴も山ほど出る。
でもその全部を連れて、僕はまた一歩進む。

 

次に止められても、たぶんまた言う。
「長ぇな!」って。
でもそのあと、
ちゃんと前を向いて進む。

 

長いけどね。
ほんと、長いけど。

 

暖かいだけの12月を、ここまで考える必要はなかった

春のコスプレで出社する冬

 

お疲れ様です ジョンです。

 

12月が暖かい。
暖かいというより、冬がこっそり春のコスプレで出社してきたようだ。

外気はやさしく、仕事量は腹八分目みたいにちょうどいい。僕にとって理想のバランスだ。腹いっぱい働くと翌日まで胃もたれするし、少なすぎると財布が怒る。

いまのところ、どちらからもクレームは届いていない。

 

暖かいせいで、体がやたら元気なのも腹立つ。
こっちは怠けたいのに、筋肉が「動けるで?」って言ってくる。
いや動けるよ?動けるけど?
怠ける理由を冬に外注してるだけなんだよ。

その冬が春の装いで出社して「今日ちょっと気分じゃないんで〜」みたいな態度。
外注先の冬にストライキされたら、
僕の怠惰計画は台無しなんですよ。

 

仕事量はちょうどいい。
いや、もちろん口では「ちょうどいいですね〜」なんて言いながら、
心の中では
「あと1ミリでも増えたら労基に電話、1ミリ減ったら感謝祭」
という超シビアなラインを設定している。
僕の許容範囲は“カミソリの刃先”みたいに細い。

 

でも、ちょうどいい仕事量ってのも考えものだ。
暇ではないけど余裕があると、余計なことを考えはじめる。
たとえば——
「来年こそ筋トレしようかな」とか、絶対にやらない未来の自分を予約したり、
「転職サイトでも見てみる?」と自分の市場価値を確認しにいって、
そっとスマホを閉じて現実に戻る儀式を繰り返したり。
これが中年の冬のスポーツです。

 

荷下ろしはスムーズ。
フォークリフトまで上機嫌で、
「今日は神アシスト決めますよ」みたいな顔してくる。
いや、普段それやってよ。
急に優秀になるんじゃない。

 

そんな静かでぬるい一日の気配に、
僕の頭の深部にある 、不安センサー が勝手に動き始める。
人生の経験から、穏やかすぎる日はだいたい、嵐の前の静けさだと知ってる。

遠くから、年末が「災難」をボールにしてドリブルしてくる。

なんだあいつは、こっち来るな。

 

いや、こっちはもう40代ですよ?
急に忙しさのピーク持ってこられても、腰と膝と毛根が話し合いに入るんですからね。

 

それでもまあ、こういう日こそ人生の休憩ポイントなのかもしれない。
期待外れなんだけど、文句言うほどでもない。
それどころか、何となく「これがちょうどいいのよ」と自分に言い聞かせてしまう。

なぜかって?
中年は“納得”という魔法でだいたいの不満を味つけできるからだ。
塩対応の現実にも、自分で勝手にタレをかけて食べやすくする技が身についている。
生きる知恵とも言うし、方便とも言うし、ただの慣れとも言う。

 

12月が穏やかで、仕事もそこそこ、体も壊れてない。
これを僕は「好調」と呼ぶことにしている。

本来の好調の条件はもっと華やかだった気がするが、
年のせいか基準が静かに下方修正されていく。

 

僕は結局、忙しさに文句を言い、
暇にも文句を言い、
寒くても文句を言い、
暖かくても「何その優しさ?」と文句を言う生き物だ。

 

それでも、愚痴や文句を燃料にして前に進むのが僕だ。
愚痴れば愚痴るほど足取りが軽くなるし、文句を言えば言うほど視界がクリアになる。
心が燃え尽きて、灰になっても、なんでかまた立ち上がる。
めちゃくちゃ愚痴と文句の多い不死鳥といった感じだ。

ずっとブツブツ言ってる。

 

今日の12月は、柔らかい手つきで肩を揉んでくるくせに、ときどき鋭い爪が触れてくる。
信用はできない。
だが、悪くはない。

 

だから、このぬるま湯みたいな機嫌の良さを、
“疑いながら、ちょっとだけ甘える”
という、大人のずるさで受け取っておきます。

 

年末の空気を感じながら、ふとこう思う。
「今年もいろいろあったけど、結局ほとんど覚えてないな」
それなのに、毎日ちゃんと疲れてるな。

 

というわけで今月も、
ほどよく暖かく、ほどよく文句言いながら、
ほどよく自信を盛って、
ほどよく笑っていこう。

 

今しゅ・・・先週のお題「ストックしているもの」

大物感のある鯖缶

 

お疲れ様です ジョンです

 

キッチンの棚を開けると、鯖缶が整列している。

なぜこんなに増えたのか?
スーパーで「安い!」と思った記憶は一切ない。

安かったのは僕の扱いだけです。

 

鯖缶、最近ちょっと天狗になってないかな?
棚に鎮座してるこの態度、完全に“大物感”出してる。

君、いつからそんな“高級感のある青魚”を名乗るようになった?
昔はもっと「庶民の味方です!」って顔してたのに、最近はスーパーの棚でやけに凛々しい。値札も凛々しい。財布が震える。

 

でも鯖缶だけは裏切らない。
人間関係は裏切るし、天気も裏切るし、給料日は毎回期待を裏切るのに、鯖缶だけは賞味期限まで律儀に待ってる。
そこは評価する。
ただ、その代わり棚のスペースを圧迫してくる支配的態度はいただけない。

 

今日も仕事中、「これ絶対に誰か別の人に振るべき仕事だよね?」が、なぜか真っ先に僕のところへ飛んでくる。
まるで不満の宅配便。再配達は無料。受け取り拒否は不可。

毎回、送り主の名前だけはハッキリしてるのに、責任の所在だけはぼんやりしてる。
そんな宅配いらない。


家に帰ってくると鯖缶は朝から1ミリも動いてない。
それなのに存在価値は揺るがない。

正直腹が立つ。

だって、賞味期限は長いし価値は変わらないし、
「そこにあるだけで許される存在」
なんだよな。
僕は今日、存在してるだけで怒られたのに。

鯖缶は並んでいるだけで褒められ、
開ければ評価が上がる。

缶は凹んでも味は変わらないが、
僕は凹んだらそのまましばらく味がしない。

 

鯖缶を温めて湯気が立つと、今日のストレスがわずかに薄まる。
ただし“わずかに”だ。
9割はそのまま残る。
残るんかーい、と思いつつ、その1割に救われる。
中年のメンタルには大事な1割だ。

 

缶を開けた瞬間、
「ピュッッ!」
って飛んでくるあの汁、避けられない。

ジョン・ウィ○クでも被弾するレベルの正確さ。

白Tに落ちた瞬間「あ、今日はそういう日ね」と悟る僕。

 

結局鯖缶って、未来の自分に向けたメッセージだと思うんです。

「どうせ疲れて帰ってくるでしょ?
 ほら、これでも食べてなんとかしなさいよ。」

この“雑だけど愛のある気遣い”。
誰にも見返りを求めず、未来の僕だけを淡々と救う青魚。
しかも常温保存OK。タフ。

こんな存在、人生において他にあったっけ?

 

でも棚を見てると、
“ああ、ここだけは裏切らない世界だな”と、謎の安心感が湧いてくる。
悔しいけど、鯖缶に勝てない自分がいる。

 

鯖缶を開けながら、今日も思う。
「人生、しんどいな。でもメシうまいな」
この雑なバランス感覚のおかげで、まだギリ生きてます。

 

僕のメンタルが豆腐なのではなく、周囲のスプーンが鋭すぎる

柔らかい甲冑(豆腐)

 

お疲れ様です ジョンです。

 

最近、「瞑想がメンタルに良い」と聞いたので始めてみた。
本来は“心を整える”ためらしいが、僕にとっては 怒りの未処理案件が自動ポップアップする機能 になっている。
サポートに問い合わせたい。

 

まず目を閉じる。
呼吸を感じる。

で、呼吸に集中しようとした瞬間、なぜか脳内の雑念たちがテンション120%で走り出すんですよ!

「今日のミス思い出し選手権」
「明日の面倒ごと反省会」
「過去の恥ずかしい記憶イントロドン」

勝手に開催しないでほしい。

ヒーリングBGM流してるのに、雑念が大音量でサビ入りしてくる。
瞑想アプリの声「落ち着いて」
雑念「いや無理!!!今大反省会やってるから!!」

表面上は「静寂の中にいる僕カッケェ…」みたいな雰囲気出してる。
でも内心は完全にこれ。
外見と中身の温度差がすごい。

 

こんな脳内、落ち着くわけがない。

心を落ち着けるどころか、怒りが燃え上がっちゃってる
呼吸するたびにイライラを吸って吐いてる。
環境への負荷が高い瞑想だ。

瞑想した結果、心が落ち着くどころか、炎上事件の第一発見者になりました。

さらに瞑想を続けると、怒りの領域が広がる。

「初対面でタメ口で話すやつ、自分が王族だと信じてるの?」

「今日の上司、なんであんなに語尾に圧かけてんの?語尾で人を殴るタイプ?」

「エレベーター閉めるボタン押しながら

『どうぞ〜』って言ってくるやつ何?二重人格?」

日常のイラ立ちも全部蘇る。
瞑想とは本来、心を鎮める行為のはずだが、僕のそれは完全に 怒りの増幅器 だ。
怒りを濃縮して脳に返してくる。

 

でも続けるんですよ。
なぜなら中年には他の手段がない気がするから。

しかし、怒りがマックスまで燃えきった頃、なぜか急にスッ…と静かになり、時々わかる瞬間がある。

「あ、これ…相手が悪いだけでは?」
「僕のせいにするには無理があるのでは?」
「いやむしろ被害者側じゃない?」

そう、瞑想とは自分を責めすぎる豆腐メンタルに、「お前悪くないよクーポン」を配布してくれる神イベントでした。
効果は24時間限定。
ただし嫌なことがあると即失効。

 

今日わかった。
瞑想は「心を落ち着かせる」ためのものじゃなくて、心の中に沈殿してる怒り・愚痴・毒をハイライトで照らす装置。
照らした結果、僕の心の中はフルスロットルで燃えてた。

でもね地獄の全貌が見えたら、意外とちょっとだけスッとした。

「はい、ここが痛いポイントね」
「ここが炎上してる場所ね」
「ここの毒は熟成されてますね〜」

みたいな感じで、心のカルテができた感覚。
そして瞑想が終わった後の感想はこれ↓

「心は整ってない。だが、地獄の温度だけは把握した。」
まあ、荒れてる自分を正しく認識できたという点だけは評価したい。

……明日も確実に荒れるけどね。

 

そして、瞑想の最大の魅力はこれ。
何も解決してないのに、なぜか落ち着いた気がするインチキ感
呼吸しただけで人生の9割くらい許せる気がしてくる。

冷静さを取り戻しただけで、
「あの上司の言い方、まあ死にはしないな」
と寛大な気持ちになれる。

 

瞑想を続けるうちに気づいたんだけど、

「負けない心」って、強靭さでも努力でもなくて、

・倒れたら3秒くらいで起き上がる

・嫌なことは1ミリ改善する

・人間関係は深追いせず、逃げ道を常に確保

・寝れば治ると信じる厚かまし

この4つの合体ロボだと思う。

 

豆腐メンタルは弱点じゃなくて、
“しぶとく生き延びるための柔らかい甲冑”だと思えば、それでいいじゃん。柔らかいほうが衝撃吸収するし。
今日も雑念まみれで瞑想が終わったけど、なんだかんだで、少しだけ心が軽い。

 

今日も仕事でいろいろあったけど、瞑想して呼吸整えて、
「まあ、明日でいいか」
と呟けた時点で勝ちです。

 

そんな感じで今日も瞑想で毒素を半分だけ流し、残りの半分はブログのネタとして保存する。
こうして中年は、生き延びるどころか、わりと図太く明日ちょっとだけ頑張るのであった。

(全て個人的な感想です)