※この記事はできれば小林麻衣子著『西村賢太殺人事件』を読んでから読んでほしい。

第9章までで終わっていれば、この本は西村賢太の元恋人の手記として申し分のないものであったろうし、ファン必読、研究者必携の貴重な資料として後世に残るものであったろう。いや、この本がそうではないと言うのではない。ただ、第10章のために、まっとうに評価することが困難な一冊になってしまっていると言いたいのである。
この本を読むまで、「西村賢太殺人事件」という異様なタイトルは、彼女が西村賢太の元を離れてしまったために彼の不摂生な生活に拍車がかかり、結果的に死なせることになってしまったという悔恨の情の現れなのだと解釈していた。
だが、第10章を読む限り、どうやらそうではなく、著者は西村賢太が殺されたということ(他殺説)を信じているようなのである。それも、2021年夏以降に彼女の身の回りで起こった不審な出来事と結び付け、一種の謀略によって殺されたのだと本気で疑っているようなのだ。
そして西村の死後に朝日書店の荒川氏や担当編集者らと面会した際にその疑念を打ち明け、その結果として、まともに関わり合いになれない人だと認定されてしまったようである。
彼女自身、このようなことを書けば「頭のおかしい奴」認定されることは分かっていた。しかし、「人が一人、不審死している」以上、それを書かずにすますことはできなかったという。むしろ、この部分が言いたかったからこそこの本を書いたのだという。
彼女は浜田聡(元)議員のブログで「ガスライティング」という手法を知ったのだという。それは情報発信者を狂人認定させるように追い込んで信憑性を失わせるという諜報機関などによって用られる手口のことである。
私は彼女がこの本を出してくれたことに感謝の念しか抱いていないことを前提として言うが、第10章に書かれていることはある種の精神的な不安定さに起因する関係妄想の典型的な表現のように思われる。
読みながら思い出したのは、チャゲアスのASKAが2016年ころに書いていた膨大な文章(ブログ)である。ASKAはその中で焦燥感と切羽詰まった筆致で、国際的な盗聴団に狙われていること、身の回りにさまざまな異変が起きていることを詳細に綴っていた。
書いている本人の切実な思いと真剣さは疑いようがなく、それだけに第三者がその言動の異常性を指摘しても「わかってもらえない」と思われるだけで伝わることはない。だからこのことについての真偽をあれこれと論じるのは不毛な作業だろう。
彼女が「自分のために書いた」本だというのだからこれ以上何も言うことはない。
読者としては、われわれが西村賢太という作家を理解するうえでこの書物がいかなる意味を持ちうるのかをひたすら自問するのみである。
第3部につづく