読書㉚「老人と海」ヘミングウェイ著

ハードボイルド小説。

昔読んだ時に「よくわからなかった」という印象が強く、少し敬遠していたが再読。

 

あらすじは以下の通り(新潮社より)

八十四日間の不漁に見舞われた老漁師は、自らを慕う少年に見送られ、ひとり小舟で海へ出た。やがてその釣綱に、大物の手応えが。見たこともない巨大カジキとの死闘を繰り広げた老人に、海はさらなる試練を課すのだが――。自然の脅威と峻厳さに翻弄されながらも、決して屈することのない人間の精神を円熟の筆で描き切る。著者にノーベル文学賞をもたらした文学的到達点にして、永遠の傑作。

 

再読するにあたって、ヘミングウェイの何が評価されているのか調べた。

そして以下のように表現している方がいて、とても参考になった。

感情を加えず、行動をなぞるように描写するヘミングウェイは、例えば主人公が美麗な花園にいたとしても、美しい花が咲いている、などという表現はしません。代わりに、主人公がしばし花を見つめて立ち止まっていた、と書くのです。主人公の行動でもって、彼(彼女)が花や景色を美しいと感じたことを読者に悟らせるのであって、作者が花や景色を美しいと断ずることはありません。あくまで作者は客観的な立場を崩さず、登場人物の行為・行動によってのみ、事実は語られます。

 

そうすると前回は「よくわからなかった」のに、今回は「わかった」気がする。

「情熱」「繰り返し」「不屈の精神」と「人生(生き方)」の本だと感じた。

 

大魚との闘いで、意地になってるのかと思う瞬間もあったけど、やっぱり情熱が一番大きいのかな。

84日間不漁が続いた中、やっと大魚がかかり「絶対勝ってやるんだ」って感じ。

 

似たような独り言と行動描写が続くけど、主人公の心理を想像する余白が多分にある。

それを楽しむ本かなと思う。

 

物語終盤、帰路で獲物をサメ?に食われる物悲しさ、待ってくれていた少年の存在。

読後は緊張と緩和の余韻で満たされた。

 

とても魅力的な本だと気付いた読書だった。

 

 

以下は文章にならないけど、読後に感じたことを箇条書きに残しておく。

・情熱の赴くまま仕事をするって難しい

現代社会だと成果0の評価になる

・自分を鼓舞して自身の経験で得た知識をフル活用する

・粘り強さ

・周りからの目(意地になってる)と本人の意思(情熱を持ってる)は食い違う

・大一番が終わっても日常が戻ってくる

 

 

 

読書㉙「モモ」ミヒャエル・エンデ著

時間に追われてる人の傍には「時間泥棒」がいる。

大人の童話。洋風味のある世界観が素敵。

 

あらすじは以下の通り

町はずれの円形劇場あとに迷い込んだ不思議な少女モモ。

町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気持ちになるのでした。

そこへ「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります・・・

「時間」とは何かを問う、エンデの名作。

 

私も学生のころはタイパ重視で、自分に必要ないものに時間を使うことを嫌っていた。

20代半ばになって「無駄なことをもっとしておけばよかった」と振り返る瞬間があった。自分の中の経験値的なものに偏りを感じたからだ。

 

まさに時間泥棒に時間を支配されていた。

 

当時「必要ない」と決めつけていたものは、本当に必要なかったのか。

当時は必要なかったかもしれないけれど、5年後、10年後の自分がどうなってるかなんてわからない。

経験値は貯めれるときに貯めておいた方がよい。

 

特に「夢中になる」「楽しいと感じる」ことは、年を重ねると何故だがすごく難しいものになる。

若いから楽しめる、面白がれる事というのは実際にある。

年を重ねて同じ経験をしたとしても、感じ方は全く違うものになるだろう。

 

そういえば、思い出したことがある。

小学校5年生くらいの頃、先生から「子供と大人の違いは何か?」と問いかけがあった。

先生は「自分のしたいことより、しなければならないこと、をできる人が大人だ」と言っていた記憶がある。

 

今思うと逆なんじゃないかな。

大人だからこそ、楽しいと思える事、好きだと思える事を手放してはダメだ。

それを失ってしまうと、「致死的退屈症」に陥ってしまう。

 

現代社会「しなければならない事」に気力・体力・時間を奪われすぎてると思う。

たまには「したいこと」を優先する時間を作ることで、心の豊かさは育まれるんじゃないかな。

 

 

 

 

読書㉗「山月記」中島敦

虎になる可能性は私にもあったな。

ーあらすじは以下の通り(Wikipedia一部抜粋)ー

唐の時代、李徴は科挙試験に合格する秀才であったが、非常な自信家で、俗悪な大官の前で膝を屈する一介の官吏の身分に満足できず詩人として名声を得ようとした。しかし官職を退いたために経済的に困窮し挫折する。妻子を養う金のため再び東へ赴いた李徴は、地方の下級官吏の職に就くが、自尊心の高さゆえ屈辱的な思いをしたすえ、河南地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消えて行方知れずとなる。

 

虎になった李徴は、自身が虎になってしまった心当たりがあった。

「己の珠に非ざることを恐れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍する(なんの成すところもなく、平凡な人間の仲間になる)こともできなかった。」

 

自分には才能があるという自尊心と、実際そうでもないかもしれないけど事実を知るのが怖いという臆病さ、そして平凡な人間だと知られることへの羞恥心。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」とは、実に的を射た表現だ。

 

そしてこの言葉は、多くの若者の心に突き刺さるのではないだろうか。

私も多くの時間をかけて自分自身と向き合ってきた感情だから。

 

李徴が虎になってしまったのは「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のために、人との関わりを避けてしまったからだろう。

人それぞれだと思うけど、私は結局人間関係の中から経験して、反省して、感情を手懐けていった気がする。

読書㉖「砂の女」安部公房著

環境の変化に反発し、あらゆる手段を模索し逃亡を図る男。

逃亡できる機会があったのに、砂の家に留まることを決めた心境は・・・?

あらすじは以下の通り

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中に引き留めておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。どきゅメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに人間層ン材の象徴的姿を追求した書下ろし長編。20数か国語に翻訳された名作。

物語全体を通して「湿気を含んだ砂」の描写が多く、読んでいて不快感が伝わってくる。砂の穴底に家があり、砂かきをしながら生活するという非現実的な状況なのに、そこでの生活は現実的。

物語の中盤は男の多弁や比喩表現に辟易する部分もあったが、砂の家からの逃亡が成功してからの展開は面白い。

 

「納得がいかなかったんだ。いずれ人生なんて納得づくでいくものじゃないだろうが…しかし、あの生活や、この生活があって、向こうの方がちょっぴりましに見えたりする。このまま暮らしていってそれがどうなるんだと思うのが、一番たまらないんだな。どの生活だろうと、そんなこと分かりっこないに決まっているんだけどね。まあ、少しでも気を紛らせてくれるものの多い方がなんとなく、いいような気がしてしまうんだ。」

 

ここで少し、男の心境の変化を感じる。

教師をしていた生活の中にも満たされないものがあったから、昆虫採集に精を出し、その延長で砂を研究するまでしていた。

砂の家の生活も初めは満たされるものがなく、幾度と逃亡を計画したが「蒸留装置」という精を出せるものを見出した。

 

「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きの事なのである」

この一文、孤独イコールとは思わないが、理想を求めて満たされない渇きというのは身に覚えがある。

砂の家に留まることにしたのは納得のいく結論である。

 

読書㉕「生命式」村田紗耶香著

コンビニ人間」「消滅世界」と村田さんの本を読んできて「生命式」は3作品目。

断トツで気持ち悪い。(褒めてる。The村田紗耶香ワールド)

あらすじは以下の通り

「夫も食べてもらえると喜ぶと思うんで」。人口減少が急激に進む社会。そこでは、故人の肉を食べて、男女が交尾をする、新たな「葬儀」がスタンダードになっていた。

故人を偲ぶ今の葬儀とは全くもって異なる。

「故人を食べる」のも「人口減少のための交尾」も単体で見るとおかしくない。けど「故人の肉を食べながら受精相手を探し交尾する」となると気持ち悪い。

でも、怖いもの見たさの興味が勝って読んでしまうんだよな。

 

山本の「真面目な話さあ。世界ってだな。常識とか本能とか倫理とか、確固たるものみたいに皆言うけどさ。実際には変容していくもんだと思うよ…ずっと昔から変容し続けてきたんだよ。」

「俺はさー。今の世界、悪くないって思うよ。世界はずっとグラデーションしてってさ、今の世界は一瞬の色彩なんだよ。」

恐らく村田さんのテーマである「普通とは?常識とは?」の答えの1つだと思う。

それと「今の世界悪くないって思うよ」って、なんか優しいな。

 

 

読書㉔「銀河鉄道の夜」宮沢賢治著

短い。あまりにも短い。

あらすじは以下の通り(新潮社より)

貧しく孤独な少年ジョバンニが、親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って美しく哀しい夜空の旅をする、永遠の未完成の傑作

未完作品と言うこともあり、少し物足りないというかざっくりしてるというか…。宮沢賢治の中では、もっと他の出会いや友人関係やそこに至るまでの過程が考えられていたんじゃないかと思うと、一生完結しない物語として非常に歯がゆい。

 

銀河鉄道の夜」以外に「よだかの星」「猫の事務所」を読んでみたが、表現方法が繊細で世界観がとても素敵。こちらは完結作品で短編なので、さくっと何か読みたいなと思われている方にはおすすめ。

 

銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治の代表作ではあるが、生前は無名の作家。なぜここまで有名になったのか。

子どもの頃に鉱物、岩石、植物や昆虫に熱中し、農林学校出身ということもあり、幻想世界の描写には専門用語も多い。今では児童書もあり世界観を知ってから読むには十分だが、初手でイメージするには難しい気がする。

読書㉓「神様のボート」江國香織著

あらすじは以下の通り(amazonより)

あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きてない。

消えたパパを待って、あたしとママはずっと旅がらす……。恋愛の静かな狂気に囚われた母と、その傍らで成長していく娘の遥かな物語。

昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子"。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの"“神様のボートにのってしまったから"――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。

 

昔の恋に囚われている母・葉子と、心身ともに成長していく聡明な子・草子の物語。

子供の成長って早い。小学校、中学校、高校と環境が変わって関わる人間も変わって知識が増えていく段階だから。

大人の成長ってなんだろうか。葉子は過去の恋に囚われてるけど、昔の何かに囚われてるって濃淡はあれど、あると思う。脱出したいと思っていても、思うように動けない事もある。一旦脇に置いて無視してる事ってあるよね。

 

客観的に見たら葉子は「現実を見てない」になるけど、本人的には「信じてる」って感じなんかな。

 

草子が寮制の高校に行きたいと言ったとき、葉子は反対しながらも了承した。草子と葉子、それぞれの葛藤のシーンはなんだか悲しくも淋しくもあったけど、二人を繋げているのは親子愛だと思う。葉子は草子を愛していて、草子はそれをちゃんとキャッチしてる。

草子と離れるという環境の変化によって葉子が変わって(成長して?)いくのかと思いきや、最後にはあの人と再開してびっくり。

 

昔から気になっていた江國香織さん。

「神様のボート」のあとがきにて、「小さな、静かな物語ですが、これは狂気の物語です。」「私の書いたものの内、いちばん危険な小説だと思っています」とあるので、危険じゃない本は2025年に読みたいと思います。