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【助六寿司】歌舞伎の演目「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の主人公と愛人の名前から

< 寿司として登場してきたのは1938年 昭和13年のことらしいです 最初から助六って呼ばれたのかどうかはナゾですけど >

「ランチ難民」なんていうのが取り沙汰されていたのは2010年ごろがピークだったでしょうか。
昼間と夜間の人口の差が、品川区で1.4倍、港区で4.5倍、千代田区にいたっては14倍っていわれていましたからね、街自体のキャパシティに飲食インフラが追いついていなかったってことだったんでしょうね。


飲食店ビルなんてのありましたけど、ランチ営業している店の数が少ないですから、客が回転するのを待って並んでいたら昼休みの時間があっというまに過ぎちゃうんですよね。


コンビニ弁当に群がる人数もちっとも進まない弁当ピックアップ行列、レジ行列が出来てしまうような、オーバーフロー状況でした。
行列に並んで、ようやくお弁当の棚、パンの棚の前にたどり着くころには何も残っていない。補充する店員さんが店舗の中を歩けない、とかそんな感じ。


並んでいる人数のほとんどが日本人でしたから、今どきSNSで騒がれているようなパニックとかにはなりませんでしたけどね。


会社ごと、あるいはオフィスビルごとに昼休みの時間をセクションごとに分けたりとか工夫はしていたんですけど、まあ、絶対的なキャパシティが足りていないわけですから、自然に「ランチ難民」が急増することになっていたんです。


自宅でお手製弁当を作って対処するっていうマメな男女もいましたが、やがてみんなが当たり前にやりだした方法は、朝、通勤時に駅からオフィスに向かう途中にあるコンビニでお昼に食べるものを買ってくるっていう方法でした。


朝からコンビニに行列ができるってこともありましたけど、ま、たいてい無事にゲット出来ました。
コンビニ側の対処も早くって、朝からたくさん並べられていました。おにぎり、サンドイッチ、各種のお弁当。
飲み物は社員割引の効いている自販機のお茶、ウーロン茶、って人もまた多かったです。コンビニでは飲み物を買わない。


オフィスの4割ぐらいの男女がそんな感じでした。お昼は自席でコンビニ食。ちと侘しいものがありましたね。


そんな環境の中で、ある40代半ばの女性が隣りのデスクだったんですが、その女性は決まって「助六寿司」だったんでした。
ホントいつもなんです。


よっぽど好きなんだね、って聞いてみますと、にっこり笑ってこう言いました。


「子供のころね、運動会とか、特別な時に、家で作ってくれたのがお稲荷さんだったんですよ。お稲荷さんって、なんか特別な御馳走って感じがするんですよね。そのお稲荷さんに太巻きまで付いちゃって、なんかね、仕事場の机の上で食べるのなんてホントはイヤなんですけど、この助六寿司だと特別感があって、美味しく食べられるんです。だって、お寿司ですよ、これ」


ふうむ。なるほどな話なのでありました。大いに賛同いたしますです。お寿司は御馳走ですもんね。
ま、わたしも好きですけどね「助六寿司」

 

 

改めて考えますと不思議な名前ですよね。「助六」ってなんなんでしょ?


ちょっと調べてみるとすぐ出てきました。


助六寿司」の「助六」とは、歌舞伎の人気演目、その主人公から持ってきている、ってことなんですね。


歌舞伎っていうの、全然知らないので、イチカラ、調べてみました。


歌舞伎には家ごとの看板があって「屋号」っていう呼び名があるんですね。


市川團十郎家が成田屋
尾上菊五郎家、坂東彦三郎家が音羽屋。
松本幸四郎家が高麗屋
中村勘三郎家が中村屋


だとか、どれも聞いたことがありますよね。これ以外にもいくつかありま。代々襲名しているんですよね。


そういえば花火も屋号で掛け声かけたりしますよね。「たまや~」とか「かぎや~」とかね。これも江戸文化なんでしょうかね。

 

 

 


歌舞伎の話でした。


歌舞伎の演目の数は、なにせ江戸時代からの歴史がありますからね、ざっと4000以上あるんだそうですが、今現在上演され続けているのは300演目ぐらいだそうです。300ってかなりの数ですけどね。


その中で「歌舞伎十八番」っていう、特別に選定された18の演目があるんだそうです。


江戸時代の天保年間っていいますから1830年から1844年ころ、もう末期に差し掛かっていますけど、成田屋の七代目市川團十郎市川宗家お家芸として選んだ18の演目。
その中で観客の人気を得て圧倒的に上演回数の多い演目が「助六」なんだそうです。


今現在上演されている「助六」の正式名称は「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」
演目自体の人気がとっても高いので成田家以外の家が違った演出で上演することもあるそうです。


そんな歌舞伎演目定番中の定番って言えそうな「助六」ですが、最初から今のような上演じゃなくって、かなりの変遷があったようなんです。


庶民の耳目を集めるような事件事故が発生すると、すぐに取り込んで浄瑠璃や歌舞伎芝居になるっていうのが江戸時代の演芸の特徴ですが、「助六」の最初は1699年に京都で起きた心中事件を題材とした「心中もの」だったそうです。


この心中事件はすぐに舞台を大阪に移して「大阪千日寺心中物語」として浄瑠璃、歌舞伎で上演されて「助六心中」って呼ばれて大流行したそうです。


「大阪千日寺心中物語」の主人公こそが、豪商「万屋よろずや)」の息子「助六」だったんですね。


ってことで「助六」っていうのは人の名前だったっていうことは分かりましたが、だからといって「助六寿司」に結びつく感じはしないですね。
もう少し「大阪千日寺心中物語」を調べてみます。


助六」と心中したのは島原の「総角(あげまき)」っていう太夫です。


え? 島原の太夫? って思っちゃいますよね。わざわざ九州島原から男と心中しに京都まで出て来たってことなんでしょうか。


そしたらですね、当然ながら、そうじゃないんでした。


島原っていうのは当時の京都に実在した京都唯一で日本最古とも言われる公許遊郭の名前。現在の京都市下京区辺りにあったんだそうです。
土地の名前としては西新屋敷っていうらしいんですが、通称は島原。


なんでかっていうと、1640年、寛永17年に六条三筋町から移転してきた際の大規模造成工事のにぎわいが、1637年の島原の乱の騒動と似ていたから島原って呼ぶようになった、っていう説明を見つけましたけど、なんだかよく分かりませんね。


島原の乱に兵を出したのは主に九州の大名なんですけど、忍藩、三河深溝藩だとかからも出兵しているみたいですから、そういう兵隊たちが京都を通る時の騒動がかなりのものだったってことなんでしょうか。


マナーの悪い軍隊が通る時の騒動っていうのはないでもない気もしますけど、そういう騒動と、大規模遊郭を造成する時の騒動って、まったく別ものなんじゃないですかねえ。よく分かりません。


それとも、日本史上最大の一揆っていわれる島原の乱ですから、3年前の鎮圧にいたるまでの騒動が噂として知れ渡っていて、遊郭造成の工事のにぎわいが、島原の乱もかくやって感じられた、ってことなんでしょうか。

 

 

 


ま、なんにしても大規模遊郭太夫だったっていう「総角」さんなんですが、この「総角」っていう漢字で「あげまき」って読むんですねえ。


江戸の「花魁(おいらん)」に対して関西では「太夫(たゆう)」ですから、歌舞音曲 、茶道、和歌、俳諧、っていう当時の教養を身につけた相当ハイカルチャーな人だったんでしょう。
花魁、太夫って、そういう女性ですもんね。


助六」と「総角」の心中歌舞伎「大阪千日寺心中物語」は上方で大流行りを続けていたんですが、そこに目を付けたのが初の千両役者って言われた江戸歌舞伎の「2代目市川團十郎」です。


1713年、独自のアレンジを加えた「花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)」として山村座にかけて、自ら「助六」を演じて大当たりをとったそうです。


「2代目市川團十郎」の「助六」は万屋の息子じゃなくって「花川戸助六」っていう伊達男。元々の2代目團十郎の人気もあって江戸中で評判となったそうです。江戸歌舞伎ではもう心中ものじゃないんですね。

 

 

 


時代とともにアレンジは進んでいって、やがて今の「助六由縁江戸桜」ってことになります。


伊達男の「助六」は、実は蘇我五郎が身をやつしているっていう設定。


蘇我ものっていうのも歌舞伎の人気演目で、蘇我五郎はすでに歌舞伎界のヒーローだったわけですから、「助六」の人気に拍車がかかるってなもんです。


助六由縁江戸桜」
実は蘇我五郎である「助六」は、盗まれた源氏の宝刀「友切丸」を奪い返すっていう目的をもって、なんでだか吉原にいるんですね。


吉原の花魁「揚巻」をめぐって「助六」と争う相手が、吉原で大盤振る舞いをしている御大尽「髭の意休(いきゅう)」


助六」は吉原で遊んでいる男にケンカを吹っかけて刀を抜かせて「友切丸」を見つけようっていう魂胆なんですが、なんと「友切丸」を持っていたのは恋敵の「髭の意休」だったっていうストーリーです。


2人の争いが見どころの「助六由縁江戸桜」なんですが、結局「助六」は「揚巻」の助けを借りながら「意休」を成敗して、めでたく「友切丸」を取り戻すんであります。


で、この花魁の「揚巻」
そうなんです。「あげまき」なんです。あの「総角」から当て字だけ代えてあるヒロインですね。


上方の「総角」が江戸に来て「揚巻」になったんですが、これなんです、この「揚巻」が「助六寿司」なんです。


「揚巻」です。「揚げ」です。油揚げで「お稲荷さん」です。


「揚巻」です。「巻き」です。海苔巻きです。太巻きです。


「揚巻」といえば「助六」です。


ってわけで、お稲荷さんと海苔巻き、太巻きの組み合わせを「助六」っていうようになったのであります。
っていうことみたいですよ。


そしてなんとなくだいぶ昔からあるように思っていた「助六寿司」なんですけど、実は歴史は浅いんでした。


ま、お稲荷さんと巻き寿司を一緒に食べるっていうことは、昔からあったのかもしれないんですけど、一緒にして「助六寿司」っていう名前が確認できるのは1938年、昭和13年のことだそうです。


売り出したのは群馬県の「おぎのや」


ん? って思った人も多いかもしれません。


群馬県の「おぎのや」っていえば「峠の釜めし」で知られていますよね。あの「おぎのや」なんです。

 

 

峠の釜めし」の販売は1958年、昭和33年からだそうですから「助六寿司」はだいぶ先輩になるんですね。


でも、おぎのやのホームページに「助六寿司」についての言及はありません。


峠の釜めし」登場までの主力商品だった「助六寿司」は商品名としては「御寿司」だったそうで、


干瓢と椎茸煮の太巻寿司(3個)
きゅうりのしば漬けを巻いた太巻寿司(2個)
いなり寿司(4個) 


っていう構成。けっこうなボリュームです。


助六寿司」っていう名前が「おぎのや」が売り出した時に生まれたのか、ずっと昔からあったのか、そこはナゾなのでありました。


でも「総角」 ⇒ 「揚巻」 ⇒ 「お稲荷さんと巻き寿司」ってシャレ、面白いです。
そもそも旨いですしねえ。

 

 

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【オーマイゴッド粒子】【アマテラス粒子】超高エネルギー宇宙線の名前が面白い件

< 宇宙線っていうのは宇宙から送られた「謎の手紙」らしいです ナゾ なんですねえ >

21世紀現在では当たり前に口にしている感のある「宇宙線」っていう言葉なんですが、前段にあるのが「放射線」っていう存在なんですね。放射線宇宙線に先んじているんです。そういう歴史があるんですね。
ま、専門家でもない限り、どっちも日常語とは言い難いんですけど。


放射線」を最初に発見したのはドイツの有名な物理学者「ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(1845~1923)」


1895年に、真空にしたガラス管の中に高電圧をかけると、金属さえも通り抜けられる未知の光線が発生することに気が付いて、この光線を未解明っていう意味で「X線」って名付けたのが「放射線」の始まりになりました。
わずか150年ほど前のことなんですね。


レントゲンって誰でも1回は病院でお世話になったことがありますよね。
にしても「X線」の「X」って、なんだかワカラン! っていう意味だったんですね。レントゲンって人、正直者です。


ヴィルヘルム・レントゲンは1901年に第1回のノーベル物理学賞を受賞しています。


X線」発見の翌年、1896年にはフランスの物理学者「アンリ・ベクレル(1852~1908)」が、ウラン鉱石が写真乾板を感光させることに気が付いて、自然に存在している物質が「放射線」を発していることを確認しました。


ベクレルっていう言葉は放射性物質が1秒間に何回変化するかっていう単位。福島原発、3.11事故の時に何回も聞きました。ベクレル。人の名前だったんですね。


1898年にはポーランド人の「マリ・キュリー(1867~1934)」が、夫の「ピエール・キュリー(1859~1906)」が発明した電位計を用いて、ウラン鉱石の中からウランより強い放射線を発するポロニウムラジウムを発見しています。


有名ですよね。キュリー夫人って、伝記本が学校の図書室に必ず置いてあったような記憶です。「放射能」っていう言葉を考え出したのは、このキュリー夫人だそうです。
夫婦2人3脚の活躍だったんですね。旦那さんのピエールはフランス出身。


同じ1898年にはイギリスの物理学者「アーネスト・ラザフォード(1871~1937)」が、ウラン鉱石からα線β線の2種類の放射線が発生していることを確認して、1899年にはα線β線の分離に成功しています。


ラザフォードは「原子核」の発見もしていて「原子物理学の父」って呼ばれる人です。


1900年にはフランスの物理学者「ポール・ヴィラール(1860~1934)」が、やっぱりウランから放出されている「γ(ガンマ)線」を発見しています。


なんかウランっていろいろ放射しているんですね。原子番号92。銀白色の金属。けっこう重いんだそうです。
鉄腕アトムの妹さんでもありますよねえ。ウランちゃん。関係ないですけど。。。

 

 

 


こうして放射線の研究はどんどん進化していったわけなんですが、そうした中で、1900年ごろ、実は宇宙線が確認されてもいたんです。


科学的発見って観察結果に対する閃き、みたいなものが大事なんでしょうけど、その発見は宇宙線とはまったく関係のなさそうな機器から始まっています。


20世紀初期のこの頃、ある機器の回路が電気を帯びているかいないかを確認する「検電器」っていうのが使われるようになっていたんですが、この、自分自身は帯電しているはずのない検電器が時々自然放電する現象が確認されていたらしいんですね。


この検電器の自然放電現象は、わりによく知られた「怪奇現象」だったらしいんですが、その原因は地球内部からの放射線が影響しているものだと考えられていたんだそうです。ウランからいろいろな放射線が発見されて、話題になったいた頃ですしね。


でも世の中にはいろんな人がいます。
地球内部からの放射線が原因じゃなくって、宇宙からなにかしらの粒子、「宇宙線」が飛んできているのかもしれない、って考えた人が出てきたんですね。


オーストリア生まれの物理学者「ヴィクトール・フランツ・ヘス(1883~1964)」は、1912年に気球で高度約5300メートルまで上昇して放射線量を測定したところ、上空に行けば行くほど放射線量が増えることを発見しました。


検電器の自然放電現象は「宇宙線」が原因である可能性が高い。なにより宇宙からやってきている放射線の存在が確認されたわけです。


ドイツの物理学者「ヴェルナー・ハインリヒ・グスタフ・コルヘルスター(1887~1946)」は、ヘスの発表を知って「ホントかよ!?」って思ったんで、1913年、ヘスの宇宙線観測の翌年ですね、自分も気球に乗って観測してみたんだそうです。


ヘスよりも高い9000メートルまで上昇。そうしたら地上より6倍も高い放射線強度が測定されたんですね。
結果はヘスの宇宙線発見を裏付けることになって、「宇宙線」の存在が確定したんであります。


こうして宇宙線の研究が一気に進むわけですが、宇宙線っていうのは「宇宙空間を飛び交っている高いエネルギーの放射線」であるって定義されています。


宇宙線の主な成分は「陽子」
常に地球にも飛来してきていることが確認されていますが、どこから飛んできているのかは特定されていないっていう謎の存在なんですね、今でもナゾのままだそうです。

 

 

 


宇宙線には太陽宇宙線銀河宇宙線等々いろんな種類があって、飛んでくる方向もバラバラ。そのうちのいくつかは地球近辺にあるエネルギー源からは考えられないほどの、非常に高いエネルギーを持っていることも観測されています。


宇宙線はどこから飛んでくるのか。発生源は巨星の爆発、あるいはブラックホールから噴出されているガスだとかいろんな説が出てきましたが、これもまた今のところやっぱりナゾのままです。


さて、アメリカの有名な「ベル研究所」は電波研究に1930年代から大きな貢献をし続けている組織ですが、1964年に決定的な発見をしています。


当時、ベル研究所で超高感度低温マイクロ波アンテナの研究を行っていた物理学者の「アーノ・アラン・ペンジアス(1933~2024)」と、同じく物理学者の「ロバート・ウッドロウ・ウィルソン(1936~)」の2人は、設置した高感度アンテナが天の川銀河からの放射線よりも強いノイズを拾ってしまうことに頭を悩ませていました。

 

地上の放射線からの影響だろうと考えたのは宇宙線発見の場合と同様だったわけですが、ノイズを取り除くために2人はなんでもやりました。


アンテナにたくさん付いていた「白い誘電性の物質」がノイズの原因だろうっていうんで、キレイに掃除してそれを取り除きます。
その白い誘電性(?)の物質とは、なんのことはないハトのフンだったそうですけど、キレイに取り除いた後でも強いノイズは消えませんでした。


2人は考えたんですね。
「これってノイズなんかじゃなくって、アンテナが捉えている正式な宇宙線なんじゃないか?」


ノイズの除去っていう研究活動は宇宙線の正体を探る研究に変わりました。


そして2人が突き止めたのが、今ではチョー有名になっている「宇宙マイクロ波背景放射(CMB(cosmic microwave background))」だったんです。


138億年前に起きたってされているビッグバン。宇宙誕生の瞬間から38万年後に宇宙が冷えて透明になった時に放たれた光が、宇宙の膨張によって引き延ばされて、現在ではマイクロ波として観測されているんです。それが「宇宙マイクロ波背景放射」っていう光、電磁波なんですね。


宇宙マイクロ波背景放射」は宇宙のどの方向からも一様に地球に降り注いでいるんだそうです。最初に観測したらノイズだって思っちゃうのも無理のないところです。アンテナの感度、良好だったってことですね。

 

こんなん?

宇宙っていろんなものが飛び交っている時空ってことなんですけど、地球人、一般人は気付きませんね。
この「宇宙マイクロ波背景放射」が確認されたことで、宇宙線に新たな理論が登場します。


「GZK限界」っていうその理論は、超高エネルギーの宇宙線宇宙マイクロ波背景放射との相互作用によってそのエネルギーを失ってしまうので、地球には届かないだろうっていう予想理論です。


1966年、アメリカの物理学者「ケネス・イングヴァルド・グライゼン(1918~2007)」が「宇宙線カットオフ理論」を発表します。
同じころ、天体物理学者「ゲオルギー・ティモフェエヴィチ・ザツェピン(1917~2010)」と理論物理学者「ヴァディム・アレクセービッチ・クズミン(1937~2015)」の2人のロシア人が「宇宙線の限界」を予測します。


この予想理論が3人の名前をとって「グライゼン、ザツェビン、クズミン(GZK)限界」って呼ばれるようになったんですね。


「宇宙の遠くから飛んでくる超高エネルギーの宇宙線は、地球にはほとんど届かない」っていう、1966年に発表された「GZK限界」は概ね支持された予想理論です。

 

 

 


でもですね、その後も続けられている宇宙線研究によって、超高エネルギーの宇宙線が観測されちゃっているんです。「GZK限界」を超えて地球にやってくる宇宙線です。理論、破綻してる? よく分かりませんです。


地表で強い宇宙線を観測する場合、宇宙線がそのまま到達することはなくって「空気シャワー」として降り注ぐんだそうです。


地球に向かって飛んできた超高エネルギーの宇宙線は、大気中の原子核と相互作用して、多数の2次粒子が発生します。この2次粒子がまだ高いエネルギーを持っていればさらに次の粒子を発生させる連鎖反応を起こします。
このことを「空気シャワー」っていうんだそうですが、これを観測する研究は長く続けられています。


宇宙線の観測プロジェクトとして本格的な実験は「フライズアイ実験」が知られていますね。


1977年からアメリカのユタ州、砂漠地帯で空気シャワーを観測するために、まさに「フライ(蠅)」の複眼のようにアンテナを配置したんで「フライズアイ実験」っていうんだそうですね。
複眼の生物っていろいろいるのに、なんでまた蠅を名前として選んだのかは、ちょと分かりません。


ま、なんにしてもこの「フライズアイ実験」が1991年に観測した超高エネルギーの宇宙線は「320エクサ電子ボルト」を計測しました。


「エクサ」って聞きなれない単位ですが、10の18乗のことです。


18乗。どんだけやねん! 実感できませんね。宇宙の話とかって、こうした数値が大きすぎてイメージし辛いことが多いですよね。


馴染みのあるところから、「K(キロ)」が10の3乗。
「M(メガ)」が10の6乗。
「G(ギガ)」が10の9乗。
「T(テラ)」が10の12乗。
この辺まではハードディスクだとかで馴染んでいる単位だと思います。当然ながらさらに上があります。


「P(ペタ)」が10の15乗。
そして「E(エクサ)」が10の18乗っていうことになります。


繰り返しになりますが、18乗って、もうイメージできる範囲を超えていますよね。


320エクサっていうエネルギーは、100トンのジャンボジェット機が時速100キロで飛んでいる時のエネルギーに匹敵するそうです。その大きなエネルギーをたった1個の陽子が持っているっていうことです。


観測した科学者たちがビックリ仰天! 「なんてこった!」っていうことで、この1991年に観測した、ほぼ光速で飛んできた超高エネルギーの名前は「オーマイゴッド粒子」って呼ばれているんだそうです。

ま、今なら「オーマイガッ粒子」の方が通じるでしょかね。


光よりほんのちょっとだけ遅いスピードの超高エネルギー宇宙線
もちろんそんなにしょっちゅう観測されているわけじゃないみたいですけど、「GZK限界」を超えて地球にやってくる超高エネルギー粒子は存在しているってことですね。


この「オーマイゴッド粒子」の観測をキリのイイ実績と考えたものか、「フライズアイ実験」は1991年、観測したその年にプロジェクトを終えています。


それで終わったのかっていうと、さにあらず。後継プロジェクトの「テレスコープアレイ実験」がほぼ同じ地域で2008年から定常観測を続けています。
蠅の複眼から望遠鏡に進化(?)したんですねえ。


そして、2021年、大阪公立大学藤井俊博准教授が率いるチームが「244エクサ電子ボルト」の粒子を観測したんですね。
史上2番目の超高エネルギーです。


こりゃビックリ! 名前はなんにするか。オーマイゴッド2粒子とか? いや、じぇじぇじぇ粒子の方が、、、とか、そんなやりとりがあったかどうは知りませんが、アメリカチームが観測して「オーマイゴッド」だったので、日本の神の名前を持ってきて「アマテラス粒子」って名付けられたんですねえ。


「244エクサ電子ボルト」の「アマテラス粒子」


もし「アマテラス粒子」を1グラム集めたとすると、地球を破壊できるっていうエネルギーだそうです。


ん~。宇宙の話ってその単位とか説明とかが、分かりやすくしようとして分り難い結果になっちゃいがちなんですよねえ。


「オーマイゴッド粒子」

アマテラス粒子」


さあ、この次に観測される粒子はどのぐらいのエネルギーを持っていて、なんていう名前になるんでしょう。


ちなみに10の21乗は「Z(ゼタ)」
10の24乗は「Y(ヨタ)」
ずっとどこまでもあるのかもですねえ。
(ヨタって弱そう。。。根拠ないですけど。。。)

 

 

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【ふりかけ】2025年 令和のコメ騒動なんのその 過去最高売り上げの不思議

< いつも行ってる定食屋さんでウン十年ぶりに出会ったプラスチックケースの「3色ふりかけ」 感動した >

昔から随分通っている定食屋さんなんです。今の女将さんは2代目で、先代の女将さんの娘さん。
働き者のお婿さんが厨房に入りっぱなしで、和洋中、なんでもサクサクッと作ってくれます。
昭和の空気感満載の小さなお店。っていっても30人ぐらいは入りますけどね。


焼き魚の注文が入ると、ガーガーうるさい換気扇を回しながらなんですけど、店内は煙にまみれちゃうんですよね。換気扇ッ、音だけかよ! ってツッコミも入ったりします。


でもまあ、その店に来ている客は慣れっこなんで「すいませんねえ、きょうのサバは特に脂がのってるのよねえ」って謝って歩く女将さんに、コクンコクンとニッコリ頷いて、本格的に文句を言うような人はいませんです。


味もね、昭和の味なんです。特に旨いってメニューがあるわけでもなし、値段も普通だし、ボリュームも普通、なんですけど飽きない味。けっこう常連客もたくさんいるんです。
居心地がイイ昭和の定食屋さん。ってことになるんでしょうかね。

 

 

 


で、その日その定食屋さんにいつも通りに行って、しょうが焼き定食。900円。


「はい、おまちどうさまあ」


ってトレイに乗っけて女将さんがカウンターに持って来てくれます。カウンター席は板壁に向き合っていて、背中側からトレイごと置いてくれるんですね。
ま、いつも通りの配膳です。


カウンターにトレイを置きながら女将さんが小声で言いました。
「ふりかけ、要る?」
「は?」
応える方も自然、小声になっちゃいます。


「ふりかけ、あんのよ。懐かしいでしょ」
「なんで小声?」


「常連さんだけに出すことにしてんの。ただ置いておくと、1人でいっぱい使っちゃう人もいそうでしょ」
「はあ、じゃ、お願いします」


っていう小声の会話があって、持って来てくれたのが、ホントに懐かしい「丸美屋 3色ふりかけ」


のりたま、たらこ、ごましおのトリオ!


うひゃひゃ~! でした。プラスチックの入れ物自体が、たぶん昔から変わってないんじゃないかっていうフォルム。

 

 

その日は2時ごろに行ったんで、そもそも客数は少なかったんですけど食べ終わる頃には誰もいなくなってました。


女将さんが中休みの合図に暖簾をしまい込みながら、


「今、熱いお茶淹れなおしてあげるからね。どうだった、ふりかけ、お客さんも懐かしい年頃でしょ、あはは」


ってことで、誰もいないんで今度は小声じゃなくって普通のトーンで、熱い渋茶を飲みながら、ふりかけ話をちょっとしたんであります。


近所のスーパーでふりかけの安売りをやってたんで、箱買いしたんだそうでした。


「あのね、今ほら、令和の米騒動で、みんなご飯の代わりにそばだとかうどんだとかにしてるって言ってるじゃない。米がないんだからしょうがないわよね。古古米とか古古古米とかも出したけど、絶対量が少なくなっちゃったわけでしょう。うちなんかも仕入れるの大変だった時期もあったからね」


女将さんは立ったままで早口にしゃべります。


「ところがね、今年ね、ごはんが少なかったはずなのに、ふりかけの売り上げが過去最高だったらしいのよ。人気なのよ。それで、そこのスーパーの店長も卸のセールスに押される感じで大量に仕入れちゃったんだって。

 

最初は自分の家で食べるのに1個だけ買ったのよ。それでダンナと食べてみたらさ、懐かしいわおいしいわで、これ、お客さんたちにも喜ぶ人、いるわよねってことでね、箱買いしたの。でも出すのは常連さんたちだけにしたのよ。タダってなると悪ふざけみたいにやっちゃう人、いるからねえ」


そういう迷惑系のヤツなんか、来るの? って聞いたら、ときどき七味やらコショウやらをわざと撒き散らすヤツがいるらしいんでありました。


その店はカウンターにもテーブルにも、塩、しょう油、酢、ラー油、七味、コショウの普通の調味料と一緒に、マヨネーズも置いてあるんですが、ほとんど1本全部を皿にあけちゃって、ほとんど残して帰る客もいたそうです。


ふりかけを調味料として置いちゃったら、あっというまになくなっちゃうだろうから、小声で常連客たちだけに提供するってことだったんでした。


いくら小声で提供しても、見た目でバレちゃうでしょ、って気もしますけどね。
変なベクトルの「気はこころ」ってことなんでしょうか。


置いてあるマヨネーズは中くらいのサイズですけど、全部出しちゃって食べないっていう明らかな迷惑行為。
でもねえ、なんたってお客さんだから、マヨネーズってタダじゃないのよって文句も言えず、なんだそうです。


そんなヤツは熱々のフライパンでひっぱいたってイイんじゃないかって思いますけどねえ。そうもいかないんでしょうねえ。むむう。

 

 

 


閑話休題、ふりかけです。


ふりかけって、昭和のイメージですけど、いつからあるんでしょうね。もっと前からあるんでしょうか。


ちょっと調べてみますと、ふりかけって遅くとも鎌倉時代にはあったんだそうです。


米飯は弥生時代からっていうのは今は縄文時代からってことに代わっているんだそうですけど、常食になったのはいつごろなんでしょう。


ま、別に米飯じゃなくたって、粟飯でも稗飯でも、ふりかけを工夫していた可能性はあるんでしょうけどねえ。


鎌倉時代には上流階級は米飯だったとして、そのごはんの友、ふりかけってどんなものだったのか。


「田麩(でんぶ)」「楚割(すわやり)」、「花鰹(はなかつお)」っていうのが記録に遺っているんだそうです。


「楚割」っていうのは、鯛だとか鮫の身を細かく切って、塩漬けにしてから天日干ししたものだそうです。


「すわやり」っていう読み方、違うんじゃないの? って思ったんですけど、樹の幹からまっすぐ伸び出た若くて細い枝のことを「すわえ」って言うんだそうで、「すわえわり」の音変化で「すわやり」なんだそうですけど、なんかね、聞いたこともないですし、です。


「田麩」も今のピンクの甘いそぼろ、桜でんぶなんかじゃなくって、サカナの身をほぐしただけの、しょっぱいものだったんでしょうね。


現代人からしてみますと、ごはんの友っていうより、どちらかというと酒のアテって感じがしないでもないですね。


「花鰹」はあれですよね、ねこまんま。昔からあるんですねえ。でもまあニンゲンサマの食べものです。


ふりかけっていいますか、赤飯にごましおっていうのは室町時代からあるんだそうです。
ごましおの「しお」って、あれ、なんなんでしょ。ちょと不思議な存在ですよね。


なんかね、ごはんをそのままで食べるんじゃなくって、なんかひと味欲しいんだよねえっていう、日本人特有のDNAがふりかけ文化を醸成させて来ているのかもですねえ。


なんにせよ日本独自に発生発展したふりかけです。


今現在のふりかけが完成したのはいつごろなんでしょう。


これには定説があって、おそらくそれが真実なんだろうと思われます。


大正時代の初期、1913年ごろに、熊本県の薬剤師「吉丸末吉(すえきち)(1887~1973)」が「御飯の友」っていう商品を作ったのが、ふりかけの始まりってされているんですね。


大正時代、日本人はカルシウム不足だったそうで、だったら「魚を骨ごと細かくして、美味しく味付けをしてご飯にかけて食べればいいじゃないか」っていう発想を吉丸末吉が実現したのが「御飯の友」だそうです。


今は熊本県のふりかけメーカー「株式会社フタバ」が「御飯の友」を作って販売しています。100年を超える歴史的商品ですね。

 

 

ふりかけの始まりはごはんの味変っていうんじゃなくって、栄養補助っていう役割だったんですね。


「御飯の友」が全国的に浸透していくなか、10年ちょっと遅れて1925年に登場してきたのが丸美屋の「是はうまい」


イシモチっていう魚と昆布を粉末にして調理したふりかけだったんですが、当時はふりかけっていう名前は使っていなかったみたいです。


そして太平洋戦争後の1960年になって丸美屋は「是はうまい」に甘く加工したたまごを加えた「のりたま」を発表します。


でました! これです、昭和世代がふりかけといえばコレ! っていうのがこの「のりたま」でしょねえ。

 

 

発売するとたちまち人気商品になったようです。さらに1963年からは当時人気だったテレビアニメ「エイトマン」のシールを「のりたま」に入れたんですね。
すると子どもたちに圧倒的に支持されて「のりたま」は大衆食材として定着したんですねえ。


3色パックの発売は1968年から。
発売開始から全国制覇を果たした「のりたま」だったわけですが、ふりかけといえば魚粉でしょ、っていう常識を覆した画期的な商品なんですね。


たまご味の顆粒ときざみ海苔っていう組み合わせ。旅館の朝食のような高級感を家庭で手軽に味わえないかっていう工夫をしたのは、丸美屋の創業者「阿部末吉(すえきち)(1902~1984)」


あれ? ですよね。
「御飯の友」の開発者は「吉丸末吉」
そして「のりたま」の開発者は「阿部末吉」


ふりかけは2人の「すえきっつぁん」のおかげで食卓を賑わしてくれているんですねえ。
「すえきっつぁん」エライ!


「のりたま」以来、いろんなふりかけが登場して来ていますけど、のりたまの牙城を崩すような商品は出てきていないみたいです。


ちなみに、農林水産省が推している「3つの「み」がつくふりかけ」っていうのがあります。

 

みずな、みそ、セサミと3つ「み」がつく食材を使って、炒めて作るふりかけ。


ま、旨いでしょうけど「のりたま」あるいは3色パックにせまれるかどうか。ね。興味ある方は是非お試しあれえ~。

 

 

 


そうそう、最後に、米が少なかった時期にふりかけが過去最高の売り上げをあげたっていう件なんですけど、ふりかけって、ずいぶん前から物価高になると売り上げが伸びる傾向があったんだそうです。


なんでかって考えてみれば、諸物価が高騰すればわたしたち庶民は節約モードの生活になりますよね。
そうなるとふりかけのレーゾンデートルがごはんのちょい足し的存在から、いっぱしのおかず扱いになるってことなんじゃないでしょうか。


さらに言えば、今回の令和の米騒動って、米がスーパーに並んでないよっていうニュースが流れると、すっかり忘れ去られていた日本人としてのDNAが呼び覚まされて、普段、そんなに米を食べていない世帯も米を求めて走り回った結果、米不足に拍車がかかる、ってことだったんじゃないでしょうかね。


農水大臣がアンポンタンだったから、ばっかりじゃないでしょねえ。
古古米大臣からお米券大臣にころころ代わっていますけど、食料自給率全体の問題も考えてお仕事していただきたいですね。


最後に、ふりかけの活躍を酒のアテにってことで、よくやっているのをご紹介させていただきます。


油揚げをフライパンで焦げ目が付くぐらいに焼きます。
カリカリになったら適当な大きさにきざんで、のりたまを散らします。ザッツイット!
お好みで醤油をかけてもいいかもです。


も1つ。
しょう油マヨネーズチーズのりたまオムレツ!
むっふっふ。レシピらしきものは、ないのであります。蒸留酒に合います。


ポケモン世代って、エイトマン知ってますかね? 知らないよねえ。。。ま、イイんですけどねえ。

 

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【地球外知的生命体探査】今でも世界中が真面目に真剣に「宇宙人」を探し続けているのであります

< お~い宇宙人! って駅の階段上から呼びかけて 振り返った人が宇宙人なのよ! >

これは昔むかし、テレビで黒柳徹子さんが大真面目な顔で言っていたことなんですよねえ。ホントですよ。


こんな内容にさえ説得力をもたせてしまうトーク術だったんです。このこと以来、黒柳徹子っていう人はかなり怖いイメージのままです、個人的にね。


宇宙人はもうとっくに地球人に交じって暮らしているのかしらん? あの人自体からして宇宙人かもだしねえ。。。

 

 

 

 

太陽系はおろか天の川銀河、あるいは無限に広い宇宙の中で、わたしたち地球人は孤独なのか、っていうのはいつ頃から言われ始めているんでしょう。


地球のことだってまだ完全に解明できているわけじゃない21世紀の地球人ですが、宇宙のことが少しばかり分りかけて来たタイミングで、月にも生命体はいなさそうだし、太陽系にも地球以外に生命反応が確認できず、宇宙全体でも地球以外に生き物は存在していないんだろうかって初めて考え始めたんでしょうね。
そんなに昔のことじゃなさそうです。


地球人は宇宙の中で孤独な存在?


いや、宇宙には地球型の星がゴマンとあるんだし、今現在の地球人には思いもよらないような宇宙生命体がいるはずでしょねえ、っていうファンタジーがカタチをなし始めたのは19世紀ころだったでしょうか。


ファンタジーが宇宙人をテーマにしたモノっていうことじゃなくって、想像力の広がりが人知を超えたものになっていくベースには地球人の私たちが知らない世界がきっとあるはずっていう願いっていいますか「気付き」があったんじゃないでしょうか。


地球外生命体は、まだ、確認できていないけれど、きっといるはずっていう期待感。それこそがファンタジーのコアだと思います。


今でも人気のある有名どころのファンタジーを数えてみますと、


1865年イギリス、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス

ルイス・キャロルって数学者なんですってね。


1900年アメリカ、ライマン・フランク・ボームの「オズの魔法使い


1904年イギリス、ジェームス・マシュー・バリーの「ピーターパン」


1920年アメリカ、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生


1934年日本、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜


1937年イギリス、J・R・R・トールキンの「ホビットの冒険


1943年フランス、サン=テグジュペリの「星の王子様」


1979年ドイツ、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語


今となってはどれもこれも懐かしい思い出になっています。宇宙に向けたものっていうより、地球上の生きものの不思議、っていう解釈もできそうですけど、主人公たち、もしかすると、もしかして、地球の生きものじゃなかったのかもなあって考えることもできそうです。


傑作のファンタジーはこの他にもたくさんありますよね。地球人の想像力は宇宙の果てしなさに負けず劣らず、なかなかたいしたもののように思えます。


地球人には理解できなくっても、そういう世界、宇宙人たちの世界が存在していたって不思議じゃない、はず。


ファンタジーは児童文学にカテゴライズされるものが多いですけど、充分に大人向けの内容でもあるんですよね。
幼児向けには絵本にもなっていますし、繰り返し、舞台、ドラマ、映画になったりして息長くオトナのわたしたちをも楽しませてくれています。


ああ、知ってるしってるって軽く思っちゃいがちですけど、実は、あれ? そうだったの? っていう話もいくつかあります。


その代表格がなんといっても「オズの魔法使い」じゃないでしょうか。


本で読んでいない人でも映画を観た記憶はあると思います。


1939年のアメリカ映画「Wizard of Oz」
DVDにもなっていますし、オズっていえばなんといってもこれでしょかねえ。


主人公の少女ドロシーを後のハリウッド大スター「ジュディー・ガーランド(1922~1969)」が演じているバージョンですね。これ以外にも何本か「オズの魔法使い」の映画はありますが、ジュディー・ガーランドの1939年バージョンが秀逸っていわれていますね。


なにせジュディー・ガーランドが16、17歳のころの出演作品です。この映画をきっかけに大スターになっていったんですよねえ。ま、最後は悲劇的だったみたいですけどねえ。

 

 

 


1973年にはエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」が大ヒットしました。


で、「オズの魔法使い」って、これでザッツイット、物語りの終わりだと思っていたんであります。


みなさんはどうでしょうか。実はこの「オズの魔法使い」ってオズシリーズの第1作目に過ぎないんでありました。


原作のオズシリーズって、なんと14作もあるんです。アメリカでは映画、ドラマになっているものも魔法使い以外に3つ、4つあるようです。


アメリカのテレビでは何回も繰り返し放送された「オズの魔法使い」は「アメリカの建国神話」っていうふうに言われたりもしているんですよね。


オズの魔法使い」の解釈には様々ありますが、カンザスから「オズの国」へ家ごと飛ばされてしまったドロシーが、ああだこうだあって、最後にカンザスの元の場所に帰ってきますよね、そこで言うセリフが「やっぱり我が家が一番ね」でした。


15世紀に北アメリカの東海岸に渡って来たヨーロッパ人たちが、西へ西へと開拓を続けた時代も1890年には終わったとされているアメリカ。
新たな産業世界に移行し始めた時期のファンタジー、「オズの魔法使い」です。


新しい場所を求めてアメリカ全体が動きを止めなかった時代が終わって、自分、家族が落ち着く場所、それが我が家だってことを気付かせてくれたっていう解釈で、「オズの魔法使い」こそがアメリカの建国神話なんだっていう認識なんだそうです。単に子ども向けのオハナシじゃない、ってことですね。


アメリカの独立は1776年、南北戦争終戦が1865年、ではあるんですが、ホントの今現在のアメリカの始まりは「オズの魔法使い」以降だっていうことになるのかもしれません。


オズの魔法使い」はアメリカ人のアイデンティティの中にしっかりしたポジションを持っているってことになりそうです。


それをなにより証拠には、「地球外知的生命体探査(Search for Extra Terrestrial Intelligence)」SETIの第1回目の活動はアメリカ国立電波天文台で、1960年に始まったんですが、そのプロジェクトネームは「オズマ計画」っていうんですよね。


アメリカって、こういうプロジェクトネームとかミッションネームとか、むふふ、っていうのが多いイメージがあります。アメリカ人のイイ面じゃないでしょうか。


「オズマ」って何かっていいますと、オズシリーズ第6作、1910年の「オズのエメラルドの都(The Emerald City of Oz)」から持ってきているんですね。


「オズマ計画」を始めたアメリカの天文学者「フランク・ドレイク(1930~2022)」にとってもオズシリーズは、宇宙に対する関心、天文学を始める動機になったファンタジーだったのかもしれません。アメリカ人としての誇りをかけた「地球外知的生命体探査」っていえるのかもです。


エメラルドの都っていうのは、第1作の「オズの魔法使い」にも出てきています。


カンザスに住んでいた主人公のドロシーは竜巻によって家ごと「オズの国」に飛ばされてしまうんですが、悪い魔女だってされている東の魔女の上に家ごと降って来たドロシーは東の魔女のものだった魔法の銀の靴を手に入れます。


一刻も早くカンザスに帰りたいドロシーに北の魔女が、その方法を知っている魔法使いの男、エメラルドの都に住んでいるオズのことを教えてくれます。


ドロシーは銀の靴を履いて、黄色いレンガ道、イエローブリックロードを「勇気が欲しいライオン」「知恵が欲しい案山子」「心が欲しいブリキの木こり」と出会いながらエメラルドの都を目指して歩いていくんでした。

 

 

第1作目での「オズ」はその国、っていいますか場所の名前であり、魔法使いの名前でもありましたね。


エメラルドの都にたどり着いてオズに会ってみると、彼もまた普通のアメリカ人のおじいさんだったんですよね。
魔法なんか使えないおじいさんじゃダメじゃん、って思っていたところにまた北の魔女が現れます。


「行きたい場所の名前を言って、その銀の魔法の靴のかかとを3回鳴らせば、あっというまにそこへ行けるのよ」


で、無事にカンザスの家に戻って来れました。目出度しめでたしっていうのが第1作目の「オズの魔法使い」でした。


北の魔女が魔法の靴の使い方を知っていたのなら、エメラルドの都までの道中なんて要らないはずなのに、とか、なんかね、いろいろツッコミどころのある寓話ではあるんですが、神話ってそういうものなのかもしれません。

 

 

 


さて、第6作の「オズのエメラルドの都」です。


第1作目の「オズの魔法使い」でドロシーは竜巻によって家ごとオズまで飛ばされてしまったんでしたが、その時の被害でヘンリーおじさんとエムおばさんは農場を破壊されてしまって、大きな借金を背負ってしまったことが冒頭で明かされます。


なんかファンタジーの世界に似つかわしくないシビアな事情から始まる「オズのエメラルドの都」


借金を返済するのに辟易としているヘンリーとエムの苦労を見たドロシーは、第2作目で親友になったオズの国の「オズマ姫」に事情を話して、ヘンリーとエムと、ドロシーをオズに移住させて安全で平和な暮らしができるように頼み込むんですね。


「オズマ計画」のオズマは、このオズマ姫のことです。


「オズのエメラルドの都」はオズの国を支配しようとするノーム王とオズマ姫との戦いが描かれていますが、オズマ姫の仲間たちの機転によってノーム王の野望を打ち砕いて、オズの平和は守られ、ドロシーたちはオズの住人として暮らすことになります。


この「オズのエメラルドの都」の中でオズマ姫がオズの国とテレパシーというか何かしらの電波で連絡をとり合おうとしたエピソードがあって、そのことにちなんで「オズマ計画」と名付けた、ってフランク・ドレイクは言っているんですが、じつはこれ、原作の中では確認できないんですね。


そもそもオズの国にいるはずのオズマ姫がどこのオズと連絡をとろうとしたのか。っていう疑問も出てきます。


ま、テレビドラマだとか、例えばコミックなんかでも楽しまれていたオズシリーズでしょうから、派生的に出て来たエピソードなのかもしれませんけどね。


フランク・ドレイクがウェストバージニア州グリーンバンクのアメリカ国立電波天文台 (NRAO)から発した電波望遠鏡の周波数は「1.420GHzのマーカー周波数」


この周波数は恒星間の水素から自然に放出される波長だそうで、恒星間無線通信を行おうとする者にとって宇宙標準っていえるようなものなんだそうです。


マーカー周波数を受け取った「地球外知的生命体」は、何等かの反応の電波を返してくるはず。何かの反応を受診できればそこには高度な文明があるはず。地球人は宇宙の中で孤独な存在ではないことが証明される。


はずなんですが、1960年の「オズマ計画」では芳しい観測はえられませんでした。


1973年から1976年の約4年間では「オズマII」が行われて、地球近くの恒星650個以上を断続的に観測しましたが、やっぱり反応はなし。


2010年にはオズマ計画50周年を記念して「世界合同ドロシー計画」が実施されています。ドロシーです。


最近の「地球外知的生命体」の探査には、既に蓄積されている膨大なデータの中に有効なデータが埋もれているんじゃないかっていう説も出てきて、反応は既にあった、あるはずっていう見解になっているんだそうです。


また、別の意見として出てきてるのが、「地球外知的生命体」が存在していればそこには何らかの大気汚染があるはずで、それをこそ探すべきだっていう探査方法です。


高度な文明存在を示す指標を「テクノシグネチャー」っていうんだそうですが、そもそもの定義から見直してみようっていうことなんでしょうね。


まあね、素人からしてみますと、宇宙は想像を越えて広すぎる時空ですし、生命体っていう定義自体、地球を標準にして考えたものだけで充分なのかどうか。
さらには「知的」っていう定義は具体的にどのような状態のことをいうのか、地球の生物にしたところで「脳」のない生物に知能がないって言えるのかどうか、分からないような気もします。


世界中で真面目に進められているらしい「地球外知的生命体探査」


期待はしていますとも。大いに期待しております。


さてみなさん、通勤時の駅の階段上から呼びかけてみませう。「お~い、宇宙人!」
「なんやねん!」って応えられたら、かなり怖いかもですう。

 

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【すき焼き】「好き」焼きっていうニュアンスを感じちゃいますけど「すき」ってなんだろ?

< もう一方で「すき焼き」って鍋料理で煮物なのに なんで「焼き」っていうんでしょね? >

例えば「叉焼(チャーシュー)」もそうですよね。


その道のプロフェッショナルであるラーメン屋さんが自家製叉焼を作っている作業を目にすることがあると思いますけど、豚肉の塊をひもで縛って、スープのもとになるいろいろな材料の入った寸胴で「煮て」ますよね。
家で作る人も同じようにして作っていると思います。


わたしたちが普通に「叉焼」って呼んでいるアレは「煮豚」ってことなんですよね。
すぐ目の前にある不思議。


今現在の日本で「煮豚」イコール「叉焼」なのには明確な歴史があるんでした。


叉焼」は元々中国の広東料理。ま、広東かどうかは諸説ありますけど。


中国語のネイティブな発音をカタカナで表記するのは難しいですが「チャーシャオ」っていうのが近い感じです。


叉焼」の「叉」っていう字は串を表していて、広東で作られる叉焼は豚肉の塊を「叉」に刺して、窯の中で吊るし焼きにするので、ちゃんと「叉焼」なわけです。焼き料理。


中華料理の店なんかでは時々、この「叉焼」いわゆる「焼豚」を出しているところもありますけど、たいていの場合、日本で「チャーシュー」っていえば「煮豚」ですよね。


675年に天武天皇によって肉食禁止令が出されてから明治時代になるまで、ま、表向きは獣肉を食べる習慣のなかった日本ですから、広東料理として「叉焼」がおおっぴらに入って来たのは明治時代になってからなんでしょうね。文明開化の産物です。


日本のラーメン屋さんで作られるようになった「叉焼」は、ラーメンスープと一緒に煮込んだ方が出汁もとれるし効率的ってことになっていって、ほぼどこの地域でも「煮豚」になっていったものの、呼び名は「チャーシャオ」「チャーシュー」のままになった、っていうことみたいです。


酒のアテのメニューとして「煮豚」っていっている居酒屋さんもありますけどね。


日本での「煮豚」は「チャーシュー」で「叉焼」なのでありますねえ。大好きです。

 

 

 


「すき焼き」はどうでしょう。


日本発祥の料理ですから、「焼き」っていいながら「鍋料理」になった歴史は、日本の国内事情に限られるはずですね。


農林水産省の「うちの郷土料理」では「すき焼き」を東京の郷土料理として紹介していますが、その「歴史・由来・関連行事」の中でこういっています。

 

「すき焼きとは醤油、砂糖、酒をベースにした割り下に、牛肉にネギ、春菊、焼き豆腐などの具材を添えて共に煮た料理。現在、東京の老舗店では関東大震災後より熱した鍋に牛脂を入れて溶かし、牛肉を炒めてから残りの具材と調味料を入れて煮込む、関西と同様の調理法が主流となっている」


ふむふむ、この説明だけですと、関東大震災を境として「すき焼き」調理法の東西の差がなくなったっていうことは分かりますが、なんで煮込み料理を「焼き」と呼んでいるのかは分かりませんですね。


ただ、「関西と同様の」っていうことは、農林水産省は「すき焼き」を東京の郷土料理としてあげていますが、どうやら「すき焼き」のルーツは関西にありそうです。


調べてみますと、ありましたありました。


江戸時代の中期、っていいますから町人文化の最盛期、元禄当たりのことなんでしょうか、関西方面では「すき焼き」っていう料理が広まっていたんだそうです。
この江戸時代の「すき焼き」は当然ながら肉料理じゃないんです。肉食禁止令が活きている時代ですからね。


「すき」っていうのは土を掘り起こす農具の「鋤」のことで、柄のとれてしまった鋤の鉄製の先端部分を鉄板として利用して、魚介類を焼いていたんだそうです。

 

これが「鋤」

それが江戸時代の関西方面で食べられていた「すき焼き」
これはしっかりと「焼き」料理だったんでしょうね。


江戸時代ねえ。アルミなんかあるわけないですけど、鉄器も庶民には贅沢品だったんでしょうかね。「すき焼き」は「鋤焼き」だったんですねえ。なんだか不可思議な調理方法。
しかも焼いていたのは魚介類ってことで、今現在の「すき焼き」とは似ても似つかない食べもの。でも大流行り。


「鋤焼き」のブームから200年近く経って、1859年に横浜が開港されて世界各国の公使館が立ち並ぶと急速に「洋風化」し始めて、江戸の町にも肉食が急速に浸透してきたそうです。


その頃には鉄器も普通に使われていたんだと思いますが、「鋤焼き」とは無関係に「牛鍋」を提供する店がどんどん増えていきます。


明治の東京で文明開化を具現化していたのは、ザンギリアタマと牛鍋だったっていえるのかもしれません。


当時の「牛鍋」は肉食に慣れていない日本人にとって「ケモノクサイ」ってことだったらしくって、ミソ味が主流だったらしいです。


ただね、だんだん慣れてくるし、肉質も向上してくるしで、醬油味が主流になってきて、野菜、豆腐、しらたきも入れるようになって、砂糖もふんだんに使われるようになって、なんとなく今っぽい「牛鍋」に育っていったみたいですね。


牛肉って旨いねってことで、江戸の町の「牛鍋屋」はますます繁盛ってことで店はどんどん増えて、全国に広まります。


関東の「牛鍋」は、鍋に割り下を入れて煮立たせてから、牛肉、ネギ、春菊、豆腐、しらたきなんかを同時に入れて、イイ塩梅に煮えたら溶き卵に付けて食べるスタイル。


これに対して関西では、鍋で牛肉を焼いてから割り下を入れて、野菜だとかの具材を入れる。
牛肉を焼くとはいってもカリカリになるまで焼くわけでもないでしょうから、大差なさそうにも思えますが、一番の違いはといえば、関西では「牛鍋」ではなく「すき焼き」と呼んでいたっていうことなんですね。


そうです、「鋤焼き」習慣がずっと残っていたんで、魚介類が牛肉に代わっただけやろ、ってことで鋤じゃなくって鉄鍋になってはいたんだけれども名前は昔のままで「すき焼き」

 

 

 


明治時代、関東では「牛鍋」関西では「すき焼き」
調理方法がチョット違うとはいうものの、ま、同じ料理ですよね。


なんで「すき焼き」って名前に統一されたのか。


確かな伝承はないみたいですが、大正12年関東大震災で関東の牛鍋屋がほぼ全部壊滅してしまったっていう事実があります。


だんだん復興していく中で牛鍋屋も再開していくんですが、このころの政府は日本全国で同じものは同じ名前で呼ぶことを推奨していたんで、店舗を新しく建築する格好になった関東の牛鍋屋は「すき焼き屋」を名乗らざるを得なかった、っていう説があります。政府指導ですね。


明治政府になって日本国中から優秀な人材を集めたら、お国言葉がまったく違うんで会話がなかなか成立しなかった、っていう話はよく聞きます。
例えば薩摩藩の人間と八戸藩の人間が向き合うと、相手が何を言っているのかお互いに理解できず、法案の意見調整なんかまるで無理だったようなことも実際にあったらしいですからね。


言葉の全国統一、標準語の制定にチカラを注いでいた大枠の中で関東の「牛鍋」は「すき焼き」になったってことなんでしょうね。


ま、名前がどうなろうと「すき焼き」の旨さは変わらず、っていいますか、昭和に入る辺りから牛肉のクオリティはどんどん高くなる一方で、砂糖や料理酒も品質アップ。鶏卵だってどんどん旨くなっていきます。


日本人は昔から突き詰めますからね、材料から調理方法から全部が一気に御馳走になっていく。


日本を訪れる外国の人たちが日本を表現するのに「フジヤマ、ゲイシャ」って言っていたっていう話を聞いたことがあると思いますが、この旨くなる一方の「スキヤキ」も日本を代表するアイテムになっていたんですよね。


そのことを端的に表しているエピソードがあります。


1961年に発表された歌「上を向いて歩こう
知ってますよね。


作詞:永六輔(1933~2016)


作曲:中村八大(1931~1992)


歌:坂本九(1941~1985)


「六八九トリオ」なんていう呼び方もされました。


上を向いて歩こう」は日本でもヒットしましたが、1963年にはアメリカのビルボードランキングで第1位に輝きました。
そのタイトルがなんと「SUKIYAKI


なんでまた「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」になっちゃったんでしょう。


上を向いて歩こう」を直訳すれば「Walk with your head held high」ってことになるでしょうか。


捉えどころとしてはアメリカのビルボードランキングに外国の歌がランキングすること自体が珍しく、しかも日本の歌がランクインしたのも初めてならば1位になったのももちろん初です。


アメリカで発売されたレコードは日本語の読みのまま「ウエヲムイテアルコウ(UEOMUITEARUKOU)」だったんだけど、なんだか意味も分からないし発音しにくい。


これ、何語なの? 日本語らしいよ。日本の歌か、それだったら「SUKIYAKI」でイイんじゃないか。そだねえ、日本っていったらフジヤマ、ゲイシャ、スキヤキだよねえ。
ってなことがあったとかなかったとか。


いろんな説があって、なんで「SUKIYAKI」になったのか、今となっては確定できないみたいです。


ただ、「スキヤキ」が欧米にも知られていて、日本そのものを表す言葉になっていたっていうことは確かでしょうね。


それで納得しちゃうっていうアメリカ音楽業界のアバウトさ。なんといい加減なって感じですが、1960年代はまだまだ日本を二等国と見ていた人たちが多かったんだろうことは想像に難くありません。


1960年代は固定相場制で1ドル360円の時代です。変動為替相場になったのは日本が奇跡の復活を遂げた後の1973年ですからね。2025年では150円台をうろうろ。


150円台でもまだまだ安いように思ってしまいますけど、まあ世界は目まぐるしく変化しています。


アメリカでの「SUKIYAKI」の人気は相当なもので、多くのミュージシャンがカバーをしています。
1981年にはテイスト・オブ・ハニーが英語の歌詞でカバーして、その「SUKIYAKI」は日本でもヒットしました。
ビルボードでも3位になっています。


日本発祥の「すき焼き」は、料理としても世界的評価の高いものなんですが、その名前は歌の世界でも知られているんですね。世代を超えてカバーされているわけです。


今となっては「鋤」自体を見ることもありませんが、料理の名前としては「すき焼き」として日本全国を席巻しています。めっちゃバリエーションがあるんですよね。


そもそもの始まりだった魚介類の「うおすき」「沖すき」も鉄鍋での煮込み料理で関西方面で生き残っているようです。


「うどんすき」っていうのも関西では人気ですよね。


肉も牛肉に限ったものじゃなくって「豚すき」「鶏すき」はもちろんありますね。


群馬県の自慢は「すき焼き自給率100%」だっていうこと。
上州和牛、赤城和牛のブランド牛があって、下仁田こんにゃく、下仁田ネギ、生シイタケ、春菊だとか、すべての食材が群馬県産でまかなえるっていうんですから、なかなかです。

 

 

 


小島政二郎(1894~1994)は「天下一品」の中の「ビフテキを追って」の中で北大路魯山人の「すき焼き」に触れています。


※ ※ ※ ※ ※
ニ三年前、武智鉄二さんから、伊賀の上野の肉をお裾分けして貰って以来、それもやらなくなった。
あの時の肉は、うまかった。ローストビーフにしたのだが、あんなうまい肉は、あれっきり食べたことがない。


じゃ、何を食べているのかと云うと、専らスキ焼きだ。スキ焼きと云っても、魯山人から教わったスキ焼きくらい、うまいスキ焼きはない。どういうスキ焼きかと云うと、図に乗って余り方々に書き過ぎたので、ここにそれを繰り返して書くのはキマリが悪いから止す。とにかく、魯山人のスキ焼きは、牛臭くないのが第一の特徴だろう。そうして牛の味の良さを見事に引き出していることだろう。
※ ※ ※ ※ ※


武智鉄二(1912~1988)っていう人は演劇評論家です。


小島政二郎も図に乗ったまま説明してくれれば良かったものを、と思わないでもないんですが、こういう調理みたいです。別のところで書いています。


「まず食べたいだけの肉を焼き、それを絶妙のタイミングで食べ終えてから、食べたい分だけの野菜を入れ、少量のだしを注ぎ、味付けして煮る」


砂糖を一切使わない。溶き卵じゃなくって大根おろしで食べる。
すき焼きを甘くして食べるのは感心しないっていうスタイルだったみたいです。


まあね、魯山人ですから材料は全て一級品。食材の旨さを味わう、ってなことが言えちゃうレベルだったんでしょうね。


今、こういうこだわりを主張している人って、いるんですかね。それとも何を食べても旨い時代、ってことなんでしょうか。
いろいろ探求している人はいそうですけどね。


北海道や新潟県のすき焼きは「豚すき」が多いんだそうです。牛でやる場合はそっちのほうを特別に「牛すき焼き」って呼んで区別する。へええ、面白いです。


豚のすき焼きも食べたことありますけど、旨いです。牛信仰もありませんので、大きく満足なすき焼きでありました。


滋賀県、愛知県、奈良県では「鶏すき」「かしわすき」


かなりユニークなのが滋賀県の「じゅんじゅん」
うなぎのすき焼きだそうです。
なるほどすき焼きのタレって、うなぎのタレと共通する部分ありますもんね。
薄切りにしたうなぎを野菜と一緒に甘辛いタレで煮込む。煮えてくるとうなぎが「じゅんじゅん」いうんだそうです。


普通に牛のすき焼きのことも「じゅんじゅん」っていうんだそうですよ。
一度食べてみたいものですねえ。

 

 

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