のり弁 ➫ ちらし寿司風 ⚽️ 死生観を考える(cf 京都日記)
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シニアのみなさん‼️ おはようさん
お待たせしました うっす‼️
三連休が終わっていった
アホくさいハロウィンの馬鹿騒ぎがあって
木枯らし一番(関東・近畿)が吹いたニュースが流れて
大リーグの結果で号外新聞が出て
総理大臣が交代して心はお祭り騒ぎをして
あれよあれよという間に
予算を練り上げる季節を迎えた
ニュースざわつく
- 二十六年前の殺人事件の真犯人の自主
- 全国各地での熊出没事件
【1】二十六年前に何があったのか その原因は何だったのか・・が焦点でしょうか
TVのワイドショーに熱気が籠りますね
【2】熊さんの出没で 全国の紅葉名所は大打撃
近所で熊が出たという新潟の友達にメールをしたら 飄々とした返事でしたけど
死生観
シニアなブログを拝見していると
自分の死生観を見つめる(見直す)機会が多くなる
書かずにおれないんで書きますけど
読み飛ばし(スルー)してください⬇️
号外 ちょっと所感
生活習慣病
まず最初に
- 高齢者として医者にかかれば 生活習慣病の予防治療に全力を注ぐ
- 認知症の心配をする
社会で活躍をしていたころには想像もしなかったことを医者から宣告される
健康な人には 認めたくないこともあろう
だが 現実には 身体は萎れてくる(衰えてくる)のだ
弱いところがあれば その部分から 蝕まれる
お金があるか
勤労報酬でを生活の原動力資金を得ていた暮らしから 年金または財産に頼る暮らしに変わる
税金は 国民の義務として払い続ける
社会の物質文化は 豊かさを保とうとしているし 施政の経済政策は 原動力の中心的存在に重点を向ける
お金がなくとも 生きることが可能だった時代(たとえば江戸時代)とは違ってきた点がいくつもある
死生を見つめる眼
何なりと食べてれば生き延びていけ やがて枯れて死んでいった時代があった
文明が進化し 生きることに知恵が注ぎ込まれ その知恵が 知識になり 技術になり ヒトは長寿命を得る
しかし 社会は豊かになり 家族は複雑に変化し 人々は祈り(信仰)を 人生のステージの脇に置いたかのようになり 生命や寿命というものを形の見える実像として捉えるようになる
生きたいヒト
思案が浮かんで そう書いて 日記を書く
<京都日記>
‣夕方になってお昼のご飯を食べたかどうかが記憶にない
‣お菓子を置いておけば 次々と食べて あっという間に普通の五倍は食べてしまう
‣食事の時刻になっても食の意欲が出ないので食堂に行かない
そんな人である
しかし
‣男の子の孫がいる
‣そのうち結婚することが想像できる
‣いつか結婚する時まで生きていたいと熱望する
‣まだまだ死にたくないという
その話をしているすぐ後から 起きているか寝ているわからないような時間に入る
1日の八割ほどは眠っているのに近い状態だ
ぼんやりしているのは死んでいるのとそう代わりない
そのように一日過ごしているなら死んでいるに近い
だが
生きている
‣呼吸をしている
‣問い掛ければ会話に応じる
‣人の名前を入れて
‣物の名前を聞いて
‣話が成り立つ
冬になるから寒さに気をつけようといっても 今が冬なのか 今日が11月なのか
わかっている感触がない
どこまでわかっているのか
明日行くから 一緒に寿司を食べに行こうと誘うと「あそこの寿司屋は高いやろ」と言う
お金の勘定はわかっているのだ
激しく喜ぶこともなければ 何かを悲しむでもなく 何かをしたい・何かが欲しいと思うわけでもない
‣怒りが湧くこともない
‣ただ単に時間が過ぎることを残念と思う様子もない
‣今朝の食事の記憶も曖昧だが好き嫌いは言う
しかしながら
‣医者は 激しい認知症が出ているわけではないという
‣これといった手ほどきをしてくれるでもない
‣まやかしのような薬がでている
‣体の臓器の機能に生命を脅かす心配は何もない
そんな人を 時々刻々と二年も三年も少し離れながら見守っている
ひと月に三十万円ほどの『サ高住』への支払いは 長男が面倒を見ている
日用品調達、通院、施設との事務連絡など長男が責任者である
‣長女は心配をするだけで、月に一度電車でお菓子を買って会いに行く
‣前日に電話を入れておいても当日には記憶にない
‣何度も通ってきていることは理解している
‣時(とき)の記憶は残っていない
長女や次女、孫が会いにきてくれると理解はするが喜びが湧くわけではなさそうだ
悲しむという感情は生きているのだろうか (了)
---
自分がいつかそうあるだろうという時を想像する
延命も
長生きも
無縁でいいと思う瞬間だ
<京都日記>
‣夕方になってお昼のご飯を食べたかどうかが記憶にない
‣お菓子を置いておけば 次々と食べて あっという間に普通の五倍は食べてしまう
‣食事の時刻になっても食の意欲が出ないので食堂に行かない
そんな人である
しかし
‣男の子の孫がいる
‣そのうち結婚することが想像できる
‣いつか結婚する時まで生きていたいと熱望する
‣まだまだ死にたくないという
その話をしているすぐ後から 起きているか寝ているわからないような時間に入る
1日の八割ほどは眠っているのに近い状態だ
ぼんやりしているのは死んでいるのとそう代わりない
そのように一日過ごしているなら死んでいるに近い
だが
生きている
‣呼吸をしている
‣問い掛ければ会話に応じる
‣人の名前を入れて
‣物の名前を聞いて
‣話が成り立つ
冬になるから寒さに気をつけようといっても 今が冬なのか 今日が11月なのか
わかっている感触がない
どこまでわかっているのか
明日行くから 一緒に寿司を食べに行こうと誘うと「あそこの寿司屋は高いやろ」と言う
お金の勘定はわかっているのだ
激しく喜ぶこともなければ 何かを悲しむでもなく 何かをしたい・何かが欲しいと思うわけでもない
‣怒りが湧くこともない
‣ただ単に時間が過ぎることを残念と思う様子もない
‣今朝の食事の記憶も曖昧だが好き嫌いは言う
しかしながら
‣医者は 激しい認知症が出ているわけではないという
‣これといった手ほどきをしてくれるでもない
‣まやかしのような薬がでている
‣体の臓器の機能に生命を脅かす心配は何もない
そんな人を 時々刻々と二年も三年も少し離れながら見守っている
ひと月に三十万円ほどの『サ高住』への支払いは 長男が面倒を見ている
日用品調達、通院、施設との事務連絡など長男が責任者である
‣長女は心配をするだけで、月に一度電車でお菓子を買って会いに行く
‣前日に電話を入れておいても当日には記憶にない
‣何度も通ってきていることは理解している
‣時(とき)の記憶は残っていない
長女や次女、孫が会いにきてくれると理解はするが喜びが湧くわけではなさそうだ
悲しむという感情は生きているのだろうか (了)
---
自分がいつかそうあるだろうという時を想像する
延命も
長生きも
無縁でいいと思う瞬間だ
こういったことに
理屈が必要か
『あ・う・ん』ではいけないか
考えている間に死んでいく のがええなあ
ちょっと息抜き・思い出から
FBの思い出に
六年前のふたばの豆大福
の写真が出てきて
ちょうど今日
うちのんが京都に行っていますのやわ
でも
京都駅の伊勢丹で並んでも
長蛇の列やろから
「欲しいな」
とは伝えないけど
ちょっとお昼に
のり弁
のり弁って美味しいでしょ
(3日のお昼)
お昼前にイオンへ
のり弁が食べたくて
でも
塩分が5.5g
まあ、今日は御免して
食べるおぼえがき
ちらし寿司風
ちょっと手抜きですけど
割と旨そうな
シビ
があったので
錦糸卵もつけます
(みりん・酒・ダシ入り)
サッポロラガーを買うてきました
なかなか店に置いてません
キリンラガーはすっかり姿を消してます
+水割一杯
﹅﹆﹅
あとがき
昨日書いた
万里一空
サッカー部のグラウンドにもう一度見に行ったら
その文字は片付けられていました
・・とサッカー部のマネージャーの女の子が教えてくれた
あれは『応援旗』だそうです
試合の時に掲げるんだって
「三重高校 サッカー部 万里一空」
で検索すると写真が出ますのでご覧ください
マネージャーちゃんもしっかり写ってます
まいど おおきに ─ @東関西
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