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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「正解にハマりすぎる支援」が、親を壊すことがある

「正解にハマりすぎる支援」が、
親を壊してしまうことがある。

 

療育も、支援制度も、
専門家の言葉も、
どれも大切だ。

 

けれど、
ひとつのやり方に寄りかかりすぎると、
思考が止まる。

 

「これをやっているから大丈夫」
「この先生が言っているから間違いない」

 

そうやって安心したい気持ちは、
とても自然だと思う。

 

でもその一方で、
子どもは成長し、
環境は変わり、
親の体力や気力は
確実に削られていく。

 

私は今年、
「親が壊れない支援」そこをを軸にしながら、
もう一つ、大事にしたいことがある。

 

それは、
柔軟性と適応力だ。

 

状況に応じてやり方を変える力。


一度決めたことを、見直す勇気。


「今のわが家に合っているか?」と
問い直す習慣。

 

支援は、信仰じゃない。


道具だ。

 

使っていいし、
合わなければ、置いていい。

 

親が立っていられること。


考え続けられること。

 

それ自体が、
いちばん大事な支援だと、
私は思っている。

 

今のあなたは、大丈夫ですか?

今年は「親が壊れない支援」を仕組みで考えることにした

年末から、同じ言葉を何度も耳にした。


「支援はあるのに、苦しい」
「情報は増えたのに、不安が減らない」

 

その声を聞くたびに、ずっと引っかかっていた。


支援が足りないわけでも・・・

親が怠けているわけでもないのに、

なぜこんなにも苦しさが続くのだろう?と・・・

 

これまで、親に向けてよく投げかけられてきた言葉がある。


「休んでくださいね」
「頑張りすぎないでください」「無理しないでね」

 

その言葉自体が間違っているとは思わない。


けれど現場では、休めないから苦しい。


頑張らないと回らないから、限界になる。


結局、個人の心構えや努力に委ねたまま・・・

同じ場所をぐるぐる回っているように感じていた。

もしかすると問題は、親の頑張り方ではないのかもしれない。


支援の内容そのものよりも、

支援が置いている「前提」にそもそも・・・無理があるのではないか?
親が壊れないことを前提にしていない仕組みの中で、

親だけが踏ん張り続けてきたのではないだろうか?

 

だから今年は、
「親が壊れない支援」を
気合や根性論ではなく・・・

仕組みで考えてみたいと思っている。

まだ明確な答えが出ているわけでは決してない・・・


けれど、この視点から考え直さなければ・・・

きっと・・・同じ苦しさは繰り返される。


まずは、ここから整理していきたい。

 

親が壊れないように、という言葉は、
ずっと使われてきた。


でも実際には・・・
壊れてから気づかれることの方が多かった。

 

だからこそ、今年は、そうなる前に立ち止まって・・・

支援の組み方そのものを
見直す年にしたいと思っている。

 

 

子どもの未来が怖かった夜に——不安を希望に変える生き方

「どうしよう…」「この先、どうなるんだろう…」

障がいのある我が子と向き合い始めたあの頃、

私の心の中には“希望”よりも“恐怖”のほうが大きくありました。

診断を聞いた日、頭の中が真っ白になり、

未来のイメージが一瞬で消えてしまった。

何をどうすればいいのかもわからず、

眠っても不安がついてくるような日々でした。

でも今、振り返ってみると、

あのとき感じた「不安」は、

私にとって人生の方向を決めるサインでもあったのです。


■不安は「行動のサイン」

不安という感情は、決して悪者ではありません。

むしろ、「何かを変えなければ」という心のアラームです。

試験前に不安を感じるのは、

“まだ準備が足りない”という無意識のサイン。

同じように、子育てや福祉の現場で感じる不安も、

「もっと知りたい」「もう少し理解したい」

という前向きなエネルギーの始まりなのです。

私も最初は、不安を“弱さ”だと思っていました。

でも、不安があったからこそ勉強を始め、

支援制度を調べ、専門家に相談できた。

つまり、不安が「行動」に変わった瞬間、

それは私を前に進めるになっていたのです。


■適度な不安は“集中力”を生む

心理学には「ヤーキーズ・ドットソンの法則」というものがあります。

これは、不安や緊張が“適度にある”ときに、

人は最も集中でき、パフォーマンスが上がるという法則です。

不安がゼロの状態だと、人は怠けてしまう。

でも、不安が強すぎると心がパンクしてしまう。

その中間——“ちょっと怖いけどやってみよう”という不安のレベルが、

実は一番、行動を後押しするのです。

あの頃の私は、将来を思うだけで涙が出るほど不安でした。

でも、その不安があったから、

私は“今のままじゃいけない”と動き出した。

不安は、心のブレーキではなく、アクセルにもなる。

それを知ってから、人生の見え方が変わりました。


■不安を“整理して具体化”する

漠然とした不安ほど、心を疲れさせるものはありません。

だから私はある時から、不安をノートに書くことを始めました。

「何が不安なのか」

「その中で、自分にできることは何か」

たとえば、
“将来この子が一人で生きていけるだろうか”という不安。

これはあまりに大きく、漠然としています。

でも、書き出して分解していくと、

「生活訓練」「就労支援」「金銭管理」「地域とのつながり」など、

“小さなタスク”に変わっていく。

タスクに変われば、行動が生まれます。

行動すれば、少しずつ成果が見えてくる。

すると、あれほど大きかった不安が、

「やれることをやってる」という自信に変わっていくのです。

不安は“行動計画”に変えられる。

それに気づいたとき、私はようやく“心の整理”ができるようになりました。


■不安は「希望の裏側」にある

今になって思うのです。

あの頃、あんなにも不安だったのは、

それだけ子どもの未来を信じていたからだと。

信じていなければ、怖くもならない。
心から願っているからこそ、怖くなる。

不安の裏には、必ず“希望”があるんです。

「できるようになってほしい」

「笑って生きてほしい」

「幸せであってほしい」

そう願っていたから、私はあんなに不安だった。

だから今は、不安がやってきても、

「これは希望の裏返しなんだ」と思うようにしています。

すると、あんなに苦しかった不安が、

“未来への意欲”に変わっていくのです。


■「不安を感じられる自分」は、強い

不安を感じるということは、

“考える力”と“想像する力”があるということ。

つまり、それだけ心が柔らかく、生きている証拠。

私は、不安を避けるのではなく、

そのエネルギーを“行動”に変えていく生き方を選びました。

不安があるから、準備する。

不安があるから、学ぶ。

不安があるから、人に助けを求める。

そして、不安があるから、人にやさしくなれる。

不安は、私たちを前に進める原動力です。

だから、もし今あなたが不安の中にいるなら、

その不安は“行動へのサイン”だと信じてください。


不安を感じながら、それでも歩き続けてきた。

その事実こそが、もうすでに「強さ」です。

「不安を力に変える」というのは、

不安を消すことでも、我慢することでもなく、

不安と手をつなぎながら進むこと。

今日も、少しの不安を抱えながら、

それでも一歩ずつ進んでいく——

それが、ほんとうの“強さ”なんだと思います🌷

「謙虚」と「卑下」を間違えていた私が、やっと自分を許せた日

「私って、本当にバカでさ」

何気なく口にしたこの言葉を、私はずいぶん長い間、

忘れられずにいました。

誰かを傷つけたわけでもない。

ただの会話の中で、つい自分を下げてしまっただけ。

それなのに、その一言がずっと心に刺さっていたのです。

あのとき、相手は笑っていました。

「そんなことないよ」と言ってくれたかもしれない。

でも、私の中では違いました。

——“自分のことを自分で傷つけた”感覚が残ったのです。


■「謙遜」は人のため。「卑下」は自分を壊す。

日本の文化では、謙虚であることが美徳とされています。

「出しゃばらない」「控えめでいる」「人を立てる」。

たしかに素敵なことです。

けれど、その“謙遜”が行きすぎると、

いつの間にか“卑下”に変わってしまう。

「私なんて」「どうせ無理」「できる人がやればいい」——

そう口にするとき、心は静かに自分の価値を削っているのです。

私は長い間、「いい人」でいるために、

この“卑下”を無意識に選んでいました。

誰かに嫌われないように。

傷つけないように。

そして、「偉そう」と言われたくないから。

でも、それは誰のためだったんだろう?

本当の意味で人を大切にしていたのではなく、

ただ“嫌われない自分”を守るためだったのかもしれません。


■“自分を下げることで安心する”クセ

障がいのある娘を育てながら、たくさんの人と出会い、

支援の現場で多くの親御さんと話してきました。

その中で感じるのは、

「自分を下げることで安心しているママ」が本当に多いということ。

「私がダメだから、子どももできない」

「他のママみたいに上手くできなくて」

「そんな大したことしてないです」

でも、それって本当に“謙虚”なのかな。

それはむしろ、自分の努力をなかったことにしてしまう、

“自尊心を削る言葉”なんです。

私たちは、子どもに「自分を大切にしてね」と言うのに、

自分にはそれを許さない。

この矛盾に気づいたとき、

私ははじめて「謙虚と卑下の違い」を意識しました。


■「自分を貶めないこと」も、やさしさのひとつ

韓国の作家キム・ダスルさんの著書

『人生は「気分」が10割』に、こんな一節があります。

「自分で自分を信じられなければ、

世界中を敵に回したような気分で生きることになる。」

この言葉に、ハッとしました。

まさに、昔の私のことだと思ったからです。

“自分を疑う”ということは、

“自分を孤立させる”ことでもある。

「私なんて…」と口にした瞬間、

自分の味方がいなくなってしまうんです。

だから今は、できるだけ意識しています。

どんなに小さなことでも、

「私、よくやってるな」

「今日も頑張った」

そう言葉にするようにしています。

それは傲慢でも、調子に乗ることでもありません。

自分を信じ直すための、毎日のリハビリのようなものです。


■「いい人」をやめても、ちゃんと愛される

私はずっと、「いい人」でいることが、

人に受け入れられる条件だと思っていました。

でも、“いい人”をやめても、

“誠実な人”であれば、ちゃんと愛される。

それを教えてくれたのは、

障がいのある子どもたちや、そのご家族たちでした。

彼らは、誰かの顔色をうかがって生きていない。

まっすぐに、正直に、感情を表現する。

その姿に、私は何度も救われました。

人に合わせるために自分を削るよりも、

不器用でも“ありのまま”でいるほうが、

ずっと誠実で、ずっと強い。

そう思えるようになったのです。


■今の私なら、あのときの自分にこう言う

「私って、本当にバカでさ」

——あのときの私に、今ならこう伝えたい。

「あなたはバカなんかじゃない。

 本当はすごくまじめで、誠実で、やさしい人だよ」

あの頃の私は、

“自分を下げることでしか人とつながれない”と思い込んでいました。

でも本当は、

“自分を信じることでしか、本当のつながりは生まれない”んですよね。

卑下していた自分を責めなくていい。

気づいた今から、変えればいい。

心の声を少しずつ肯定に変えていけば、

人生はちゃんと、穏やかに変わっていきます。


「いい人」を演じるために、自分を小さくしていた時期がある人へ。

どうか、自分を下げないで。

あなたが歩いてきた道は、誰かの希望になっているから。

“謙虚さ”とは、自分を否定することではなく、

“感謝の心で、自分も人も尊重すること”。

今日から少しずつ、

自分の言葉で、自分を守っていきましょう🌷

障がい児ママの心を軽くする、“忘れる力”というセルフケア

気づけば、今日も頭の中がいっぱい。

子どものこと、家のこと、仕事のこと、療育のこと、

学校とのやりとり——。

ひとつ終わっても、また新しい課題がやってくる。

気づいたら、心も頭もパンパンで、

“もう考えたくない”って思うこと、ありませんか?

障がいのある子を育てていると、日常そのものが「情報の渦」です。

支援制度や医療の説明、成長記録、きょうだいへの配慮。

そして周りの人の言葉や視線にも、心が反応してしまう。

それを一つひとつ真面目に受け止めてきたからこそ、
“がんばり屋のママ”たちは、

気づかぬうちに心が疲弊してしまうのです。


■忘れることは、無責任じゃない

「忘れる」って、どこかネガティブな言葉に聞こえるかもしれません。

でも、ほんとうはそれは**“自分を守る力”**なんです。

私たちの脳は、パソコンでいえばメモリのようなもの。

入れすぎれば動きが重くなり、

本当に必要な情報まで処理できなくなってしまいます。

だからこそ、“意識的に忘れる練習”が必要なんです。

それは、現実逃避でも投げ出しでもなく、

「自分の心を守るための整理整頓」です。


■ノートに書く=頭の中を片づける

私が実践しているのは、とてもシンプルな方法です。

それは——ノートに書いたら、頭から手放す

悩みでも、やることリストでも、気になる言葉でも。

とにかく一度ノートに書き出して、

「ここに預けたから、もう大丈夫」と自分に言い聞かせます。

ノートは、私の“外付けハードディスク”のようなもの。

頭の中で抱えていたことを外に出すだけで、

不思議と気持ちが軽くなります。

そして、時間があるときにそのノートを見返します。

「あ、これはもう終わってる」

「これは今の私にはもういらない」

「これだけは、今からやってみよう」

そうやって、**“整理→削除→実行”**を繰り返すうちに、

心にも余白が生まれるのです。


■心の余白は、やさしさを取り戻す場所

ママたちは、つねに“誰かのため”に動いています。

朝起きた瞬間から、子どもの体調を気にかけ、

送迎の段取りを考え、晩ごはんの献立を決める。

気づけば、一日中“誰かの予定”の中で生きている。

そんな生活の中では、

自分の気持ちを感じる余裕がなくなっていくのも自然なこと。

だからこそ、「忘れる練習」で“余白”を作ってほしいんです。

その余白は、ただ何もない空間ではなくて、

自分の声が戻ってくる場所です。

「今日もがんばったね」

「もう少し休んでもいいよ」

そんな心の声に気づけるようになると、

不思議と優しさが戻ってきます。

それは、自分にも、子どもにも、家族にも広がっていきます。


■情報を遮断する勇気も必要

忘れる練習の一つに、“情報の断捨離”もあります。

SNSで誰かの頑張りを見て落ち込んだり、

支援の最新情報を追いすぎて息苦しくなったり。

そんなときは、一度スマホを置いてみましょう。

「今の私に本当に必要な情報はどれ?」

「比べて苦しくなるなら、今は見なくていい」

情報をシャットアウトする時間を持つことで、

脳も心もリセットされていきます。

そして、その“静けさ”の中に、

また新しい気づきややる気が生まれてくるのです。


■ママの心を守る“脳の余白づくり”

障がい児ママの生活は、

タスクと予定と感情であふれています。

そのすべてを完璧にこなすのは、どんな人でも無理。

だからこそ、“忘れる練習”を生活の一部にしてほしいのです。

ノートに書く。

誰かに話す。

スマホを閉じて外を歩く。

深呼吸する。

どれも立派な「忘れる練習」です。

心のスペースを空けることは、怠けることではなく、

次の一歩を踏み出すための準備です。

 


■「思い出す力」は、忘れる力とセットで育つ

おもしろいことに、人は「忘れられる人」ほど、

本当に大切なことを思い出せるようになると言われています。

余計な情報を手放したとき、

子どもの笑顔や、昨日の小さな成長、

家族との温かい時間が、

ふっと鮮明に思い出せるようになるんです。

「忘れる」は、実は「取り戻す」ことでもある。

大切なものを見失わないために、

どうでもいいことを手放す勇気を持つ——

それが、心を整えるいちばんの近道です。


私たちは、抱えすぎているだけ。

忘れることは、逃げではなく、再生です。

今日のノートに、ひとつ書いてみませんか。

「今日、もう考えなくていいこと」。

書いて閉じたその瞬間、

あなたの心の中に、やさしい風が通り始めます🍃

障がい児ママへ。「やらない子」を責めないで、気づいてあげたい心のサイン

「何回言っても、宿題をやらない」

「朝の支度に1時間…もうこっちが疲れる」

「きょうだいはすぐにできるのに、なんでこの子は…」

そんなふうにため息をついた夜、ありますよね。

私もかつて、同じように悩んでいました。

障がいのある子どもや、きょうだいとして頑張っている子を育てていると、

どうしても「やるべきこと」が多くなります。

療育、学校、支援の書類、薬、生活リズム…。

それを一つひとつこなすのは、大人でも大変なこと。

それでも、ママたちは「この子のために」と頑張ります。

でも、子ども本人はどこか他人事のように感じている。

焦っているのは親だけで、本人は平然としている。

——そんなギャップに、心が疲れてしまうこともありますよね。

けれど、少し視点を変えてみると見えてくることがあります。

それは「やらない子」ではなくて、

**“まだ自分ごとになっていない子”**なのかもしれない、

ということです。


■「自分ごと」になれない子どもの世界

障がいのある子は、ときに「やる理由」や「目的」を

つかみにくいことがあります。

行動と結果のつながりが見えづらかったり、

失敗を怖がって動けなかったり・・・

一方で、きょうだい児たちは“いい子”でいようと我慢をして、

「言われたからやる」ことが習慣になりやすい。

だけど、その中で自分の気持ちを置き去りにしてしまうこともあります。

どちらのタイプの子も、

“やらされている”状態では力を発揮できません。

大切なのは、「これ、ぼくのことなんだ」「私がやりたい」と

思えるようになること。

つまり、“自分ごと”として動けるようになることです。


■きっかけは「できごと」よりも「心の動き」

子どもが自分ごととして行動できるようになる瞬間は、

大きな出来事よりも、日常の中の小さな「心の動き」にあります。

たとえば、学校でちょっと恥ずかしい思いをしたとき。

「もうこんな思いはしたくない」と悔しさを感じたとき。

その感情が、自分で動こうとするきっかけになります。

また、「頼られる」ことも大きな力になります。

「お母さん、あなたにタイムキーパーをお願いしたいの」

「お兄ちゃんがいない間、ママのお手伝いしてくれる?」

“任される”ことで、子どもは「自分の役割がある」と感じます。

障がいのある子も、きょうだい児も、

誰かの役に立てたという実感を通して、

「自分の存在が誰かの笑顔につながっている」と気づくのです。


■「ありがとう」は一番の動機づけ

行動を続ける力になるのは、褒め言葉よりも「ありがとう」。

これは不思議なほどに効果があります。

何かを手伝ってくれたとき、

約束の時間を守れたとき、

「助かったよ」「嬉しいな」と伝えることで、

子どもは自分の行動が“人の幸せにつながっている”と学びます。

それが自信となり、「またやろう」と思えるようになる。

“自分ごと”が育つ瞬間です。


■憧れの存在がスイッチになることも

「お兄ちゃんみたいにできたらいいな」

「大好きなアニメのキャラも努力してた!」

そんな憧れは、行動のスイッチになります。

子どもが憧れている人を、一緒に見つけてみましょう。

「その人は、どんな工夫をしてるんだろうね?」

「努力している姿、かっこいいね」

と声をかけることで、行動のモデルをイメージできます。

言葉の指導よりも、“心が動くきっかけ”を差し出す。

それが、子どもの“自分で動く力”を育てる方法です。


■「できた!」の積み重ねが未来をつくる

自分でやってみて、少しでも“できた”と感じた瞬間。

その喜びが次の行動につながります。

障がい児の支援でも、きょうだい児のサポートでも、

完璧を目指すより「前よりちょっとできたね」を大事にしたい。

「昨日より1分早く支度できた」

「今日は自分で片付けを始めた」

その小さな成功を見逃さず、笑顔で共有しましょう。

できた経験は、心の中で“自信の貯金”になります。

やる気を育てるのは、いつも“成功体験”の積み重ねです。


■おわりに:動かない子を、責めないで

「なんでやらないの?」

「やる気がないの?」

そう言いたくなる日もあります。

でも、本当は——

“まだ自分ごとになっていないだけ”かもしれません。

焦る気持ちは自然なこと。

でも、子どもが動けるようになるタイミングは、

その子のペースの中にあります。

大切なのは、“できない理由”を探すより、

“動きたくなるきっかけ”を一緒に見つけていくこと。

子どもが自分の力で動けたとき、

その瞬間こそが、成長の一歩です。

今日もママの「よく頑張ってるね」の一言が、

きっとその小さな一歩を支えるはずです。

「なんで私ばっかり…」と思った夜に読む、理不尽との付き合い方

「どうしてあの人ばかり評価されるの?」

「こんなに頑張っているのに、誰も見てくれない」

「どうして、あんなことが起こるの?」

仕事でも家庭でも、私たちは日々“理不尽”に出会います。

努力が報われない、正しいことをしても評価されない、

思いがけない不運に巻き込まれる。

そんなとき、人は心のどこかでつぶやきます。

「こんなの、間違ってる」って。

でも現実は、理不尽は避けられない

完全に排除することも、誰かが代わってくれることもありません。

大切なのは、「理不尽をどう受け入れるか」。

それが、心をすり減らさずに生きていくための鍵になります。


💡 理不尽は“例外”ではなく“前提”

多くの人は「世界は公平であるべきだ」と思っています。

でも、残念ながら現実はそうではありません。

努力した人が必ず報われるとは限らない。

誠実な人が損をすることもある。

悪意のある言葉が、評価よりも早く広がることもある。

社会の構造や運、不確定な人間関係――

そこには、必ず「理不尽」が存在します。

理不尽を「起きてはいけないこと」と思うと、

それが起きた瞬間に心がざわつき、怒りや悲しみでいっぱいになります。

けれど、もしそれを“前提条件”として受け止められたら、

どうでしょうか。

「ああ、こういうこともある世界なんだ」

そう思えるだけで、心の使い方が変わります。

感情に振り回されず、冷静に“次にできること”を探せるようになるのです。


⚙️ 抵抗よりも、適応を選ぶ

理不尽に直面すると、

私たちは反射的に「反発」してしまいます。

「おかしい」「間違ってる」「許せない」。

その感情は自然なものです。

でも、理不尽を“敵”として戦い続けると、

消耗していくのはいつも自分です。

変わらない人、変えられない環境に、

自分のエネルギーを注ぎすぎると、

心の中の“光”まで少しずつ擦り切れていきます。

そんなとき、

「この状況の中で、自分にできることは何か?」

と問いかけてみる。

それは“逃げ”ではなく、“選択”です。

抵抗ではなく、適応を選ぶ。

それが、次の一歩を踏み出すエネルギーになります。


🎯 自分の「影響範囲」に集中する

理不尽を完全に排除することはできません。

でも、自分の行動は変えられます。

たとえば、

「評価してくれない上司」に不満をぶつけるより、

学びを続けて“評価される場”を自分で選びに行く。

「変わらない制度」に嘆くより、

現場でできる小さな改善を積み重ねる。

それが「自分の影響範囲に集中する」ということです。

理不尽な世界の中でも、

“自分の選べること”に目を向ける人ほど、心が強くなります。


🌱 「理不尽に強い人」は、鈍感な人ではない

理不尽を受け入れるというと、

「我慢すること」「感情を押し殺すこと」だと誤解されがちです。

でも本当に理不尽に強い人は、

決して鈍感な人ではありません。

むしろ、心が繊細で、
痛みをちゃんと感じられる人です。

違いは、「受け止め方」にあります。

「どうして自分ばかり」ではなく、

「こういうこともある世界で、私はどう生きようか」

そう問い直せる人は、

環境に振り回されず、自分の軸を取り戻せる。

それは“強さ”ではなく、“しなやかさ”です。


💬 私も、理不尽の中で学んだ

障害のある娘を育ててきた中で、

理不尽だと思う出来事は何度もありました。

なぜあの子が?

なぜ理解してもらえないの?

なぜ努力しても報われないの?

そのたびに、心がざわざわして、

夜中に涙が出ることもありました。

でも、ある日ふと思ったんです。

「理不尽は、なくすものじゃなく、使うものかもしれない」

悲しみの中で生まれた言葉が、

誰かの希望になることもある。

不公平な経験をしたからこそ、

苦しむ人の気持ちがわかる人」になれる。

理不尽を受け入れるとは、

諦めることではなく、

それを人生の材料に変えること。


☀️ おわりに

理不尽のない世界はありません。

でも、理不尽に負けない心は、育てられます。

心がざわざわしたとき、

「なぜこんなことが」ではなく、

「この中で、私にできることは?」と問いかけてみてください。

その一歩が、あなたの心を整え、

次の光へとつながっていきます。

個人のビジョンを押し付けない──チームで“景色を合わせる”リーダーシップ

リーダーとして頑張っている人ほど、

つい“自分の理想”をチームに押し付けてしまうことがあります。

「こうあるべき」

「これを目指したい」

「私の考えるビジョンに共感してほしい」

気持ちはわかります。

でも、どんなに正しい理念でも、

それが“個人の想いの押し付け”になってしまうと、

チームの空気は少しずつ重たくなっていくのです。


💡「共感のないビジョン」は、誰も動かせない

ビジョンは“チームの羅針盤”です。

けれど、その羅針盤が一人の方向だけを指していたら、

誰も同じ船には乗ってくれません。

私は福祉の現場で、こんな光景をたくさん見てきました。

管理者が「地域とつながる福祉を」と語っても、

職員は「まずは毎日の支援で精一杯」と感じていたり、

理念発表会で涙ぐむのはいつも同じ人だけだったり。

言葉だけが空を飛び、現場の心には届かない。

それが「個人的なビジョンがチームに伝わらない」典型的な状態です。


🧭 「3方向地図」を描いてみよう

では、どうすればいいのでしょう。

大切なのは、“みんなで描く”こと。

私が最近よく使うのが、「3方向地図」という考え方です。

これは、

チームの活動が、誰に、どんな意味をもたらすのか

を一緒に可視化するもの。

たとえば、障害者支援施設なら、

  • 利用者さんにとって:どんな日常を叶えるのか

  • 職員にとって:どんな誇りを持てる職場にしたいか

  • 地域にとって:どんな価値を提供していくか

これを“図”にして、

みんなで意見を出し合いながら描いていきます。

話し合いの中で大事なのは、

「正しい言葉を決めること」ではなく、

それぞれの景色を合わせること。

私はこれを“景色合わせ”と呼んでいます。


🪞「景色合わせ」が生む、チームの一体感

以前、私が関わったある事業所では、

職員一人ひとりに「この施設を一言で言うと?」と聞いてみたことがありました。

すると、出てきた言葉はバラバラ。

「優しい場所」「居心地がいい」「にぎやか」「静かで落ち着く」……。

一見バラついているようで、

実はその全部がチームの“色”だったんです。

そこで、

「みんなの言葉を合わせて、この場所の“景色”をつくろう」

と呼びかけたところ、

次第に職員同士が互いの想いを聴き合い、

「このチームのやりたいことは、“安心と挑戦の両立”だね」

と言葉がまとまりました。

それが、そのままチームのビジョンになったのです。


💬 押し付けではなく、「共有」へ

リーダーが持つ情熱は、

決して悪いものではありません。

でも、熱意は「押しつけた瞬間」に冷めてしまいます。

人は“納得”よりも“共感”で動くからです。

だから、ビジョンを語るときは、

伝える前に聴く

「あなたはこの仕事を通して、どんな景色を見たい?」

「この施設が“らしくある”って、どんな状態だと思う?」

こうした対話の積み重ねが、

チーム全体の“見えない熱量”を育てていくのです。


🌱 「見える図」が「見えない信頼」を育てる

3方向地図は、言葉ではなく「図」で共有するのがポイント。

それをホワイトボードや模造紙に描いて壁に貼っておくと、

いつでも原点に立ち返ることができます。

人は、自分が関わって作ったビジョンには責任と愛着を持つもの。

だから、描いた瞬間から

「誰かのビジョン」ではなく「みんなのビジョン」に変わります。

それは、数字では見えないけれど、

確実にチームを動かす“見えない資源”になるのです。


☀️ おわりに

リーダーが一人で燃えても、チームは動かない。

でも、メンバーと“景色を合わせる”と、

小さな火があちこちで灯りはじめます。

個人のビジョンを押し付けるのではなく、

一緒に描き、一緒に見て、一緒に育てる。

それが、

これからの福祉現場に必要な「共創のチームづくり」だと思います。

支援の質は、書類では測れない──“見えない資源”を育てるリーダーシップ

「チームをまとめるの、ちょっと疲れてきたな……」

そう感じたこと、ありませんか?

私のもとにも、現場を支えるリーダーから

同じような声が届くことが増えてきました。

「人も足りない、時間もない、でもやるしかない」

そんな限界ギリギリの中で踏ん張る人ほど、

知らないうちに“自信”を失っていくのです。


💡 目に見える資源と、見えない資源

リーダーの仕事は「限られた資源で成果を出すこと」。

ここでいう資源とは、人員・時間・お金・情報などの「見える資源」です。

でも、現場がうまくいかないとき、

本当に不足しているのは“数字で測れないもの”。

それが、**「見えない資源」**です。

見えない資源とは――

  • メンバー同士の信頼関係

  • 「どうせ言っても無駄」と思わせない空気

  • 誰かが誰かを気にかけるあたたかさ

  • 「自分も役に立てている」と感じられる場の安心感

この“見えない資源”が枯れていくと、

いくら制度やマニュアルを整えてもチームは動かなくなります。


🧩 福祉現場でも起きている「見えない資源の欠乏」

障害児者施設でも、まったく同じことが起きています。

どの現場も、制度や加算、書類対応、職員配置に追われる毎日。

「やること」が山積みで、気づけば“人の気持ち”が後回しにされがちです。

リーダーも支援員も、「支援計画」や「記録」は丁寧に書ける。

でも、人の心の記録までは残していない。

  • 利用者の変化を「言葉にならないまま流してしまう」

  • 職員同士が「困っている」と言えずに抱え込む

  • 相談しても「忙しいから」と後回し

その積み重ねが、見えない疲労となってチームに広がります。


⚙️ 「管理」だけでは、チームは動かない

真面目なリーダーほど、数字と結果でチームを動かそうとします。

「ミスを減らそう」「計画達成率を上げよう」「書類を早く出そう」

もちろん大切なことです。

でも、管理だけでは“人のやる気”は動かない。

リーダーが必死に声をかけても、

メンバーの心の中ではこう思っているかもしれません。

「また注意された」

「やっても評価されない」

「どうせ意見言っても無駄」

こうなると、現場の空気はどんよりしてしまって・・・

いつの間にか・・・“沈黙のチーム”ができあがります。


🌱 「見えない資源」を育てるリーダーへ

私も長く現場に関わってきて、

思うのは「人の気持ちは、目には見えないけれど確実に存在する」ということ。

どんなに制度が変わっても、

“人が支える”仕事は、人間関係の上にしか成り立ちません。

だからこそリーダーに必要なのは、

数字ではなく「空気の変化」に気づく力です。

  • いつもより笑顔が減っていないか

  • 会話が減っていないか

  • 同じ人ばかり負担を抱えていないか

  • ふとした沈黙に“ため息”が混じっていないか

こうしたサインを拾い、

そっと声をかけられる人こそ、本物のリーダー。


💬 「見えない資源」を増やす3つのヒント

1️⃣ 安心して話せる時間をつくる

 短くてもいい。「最近どう?」と聞ける時間を毎週つくるだけで、空気は変わる。

2️⃣ “ありがとう”を意図的に使う 成果よりプロセスを褒める。

「あの時フォローしてくれて助かったよ」の一言が人を動かす。

3️⃣ “できていないこと”より、“できたこと”を見る
 小さな達成を拾い上げると、チーム全体が前を向く。


☀️ リーダーが自信を取り戻す瞬間

「自分はリーダーに向いていないのかもしれない」と

思うときがあるかもしれません。

でも、それは「向いていない」のではなく、

見えない資源を使い切ってしまったサインです。

人の心を扱う仕事ほど、

見えない資源が“命綱”になります。

少し立ち止まって、

仲間の顔を見て、言葉を交わしてみてください。

その一瞬が、

またチームの灯をともすきっかけになります。


🌸 おわりに

障害児者施設でも、企業でも。

「人を支えるリーダー」は孤独です。

けれど、その孤独の中で見つけた“見えない資源”こそが、

現場の空気を変える力になります。

疲れたときほど、

数字よりも“人の笑顔”を見てください。

それが、チームを再生させる最初の一歩です。

「よく」「まぁまぁ」はNG?──支援現場で信頼を失う話し方

どれだけ真面目に話していても、

なぜか「この人、ちょっと浅いな」と思われてしまう人がいます。

本人にはまったく悪気がなくても、言葉の選び方ひとつで

頭が悪い人」「考えが浅い人」と見られてしまうことがあるのです。

その差は、じつは“話し方”よりも“聞き方”にあります。


💬 よくある「残念な会話」

たとえば、こんなやり取りをしていませんか?

「よく、そういうことあるの?」

「時々ですかね」

一見、自然な会話に聞こえますよね。

でも、これ、じつは・・・これって「何も伝えていない会話」なんです。

「よく」ってどれくらい?

週に何回?月に何回?

「時々」って、誰の感覚で?どんな場面で?

そう、“曖昧な言葉”で話すと、

聞いている人はイメージできません。

結果、どれだけ真面目に話していても

「この人、浅いな」「なんとなくふわっとしてる」と思われてしまうのです。


🧠 頭のいい人は「事実」で会話を組み立てる

抽象的な言葉ばかり使う人の話は、“深さ”が感じられません。

なぜなら、根拠や具体的な事実が抜けているから。

たとえば、会議で誰かがこう言ったとします。

「よくクレームが来るんですよ」

でも、これでは誰も動けません。

一方で、こう言われたらどうでしょう。

「先週の金曜日に2件続けてクレームが来ました。内容は○○についてです」

この一言で、すぐに改善の話ができます。

つまり、「感覚」ではなく「事実」で話す人が、頭のいい人に見えるのです。


⚙️ 「会話のねじれ」が起こる人の特徴

「よく」「たまに」「けっこう」「まぁまぁ」など、

あいまいな言葉を多用する人は、

悪気がなくても“会話のねじれ”を生みやすいです。

たとえば、支援現場でよくあるこんなケース👇

職員A:「最近、○○さん落ち着いてます?」

職員B:「まぁまぁですかね」

これでは情報共有にならないっこと・・・わかりますか?

「まぁまぁ」の基準が、人によって違うからです。

頭のいい人は、ここで

「どんな時に落ち着いていた?」「今週は笑顔が多かった?」など、

具体的な質問をします。
“曖昧さ”をそのままにしない。だから、話がズレない。


😅 「浅い人」って、こういう人いるよね…

正直、いますよね。

一見、真面目そうなんだけど、表面でしか物事を見てない人。

「なんかいつも同じ話ばっかり」「深掘りができない」「質問が浅い」。

こういう人とは、最初は丁寧に関わっても、だんだんこちらが疲れてしまう。

何度説明しても、同じことを繰り返してくるから、

「もうこの人、聞いてないな」「考えてないな」って感じて、

自然と距離をとってしまうってのが私の現状です。

正直、そういう人とは“無理して関わらない”ようにしています。


🌸 私も気をつけようと思うこと

実は、支援の現場や保護者同士の会話でも、

この“浅さ”はよく出ます。

「なんとなく」「まぁいろいろと」「そういう時もあるよね」

便利な言葉だけど、相手の理解を止めてしまう。

私自身も、忙しいとついこういう言葉でまとめてしまうことがあります。

でも、それが積み重なると「本当の課題」が見えなくなってしまう。

だからこそ、意識して“具体的な言葉”に変える練習をしています。

たとえば:

  • 「よく」→「週に3回くらい」

  • 「時々」→「朝の準備のときに多い」

  • 「まぁまぁ」→「表情は落ち着いているけど、声が小さい」

たったこれだけで、伝わり方がまるで違います。


💡 “言葉の具体性”は、信頼を生む

言葉の使い方って、その人の「考え方」そのもの。

だから、「具体的に話せる人」は、

信頼され、尊敬され、チームの中でも頼られます。

逆に、「なんとなく」「まぁそんな感じで」と話す人は、
どんなに人柄が良くても、“浅く”見られてしまう。

相手の心を動かすのは、熱意よりも具体性です。


☀️ 最後に──“深く伝える人”でありたい

「伝えたつもり」「聞いたつもり」になっていないか。

私も毎回、自分に問いかけます。

人の話を“感覚で”聞かず、

“事実で”受け止められる人でありたい。

浅い会話で終わらせず、

深く、具体的に、丁寧に関わっていく。

その積み重ねが、

人との信頼をつくり、

支援の質を高め、

人生を豊かにしていくんだと思います。


💬 今日のまとめ

「よく」「ときどき」「まぁまぁ」をやめるだけで、

あなたの印象は変わる。

“浅い人”ではなく、“深く伝える人”になろう。