差別の構造は世界共通だった——映画『よみがえる声』から広がる思考

フォトスケープ

上映期間
10月24日(金)〜10月30日(木)

監督
朴壽南、朴麻衣

上映時間
148分

はじめに——教えられなかった歴史との出会い

この映画を観て、正直なところ衝撃を受けました。

戦争、特に日本が関わった当時の行動について、私は詳しく理解していませんでした。

子供の頃から、明治以降の歴史についてあまり細かく授業で習った記憶がありません。

特に、「植民地」という言葉さえ、教科書にあったかどうか定かではありません。

今になって考えると、不都合な真実は教える必要がなかったのでしょうか。

この映画は、そんな「知らなかった歴史」と向き合わせてくれました。

そして、一つの映画から、私の思考は次々と広がっていきました。

朴壽南監督——在日朝鮮人二世の映像作家

朴壽南(パク・スナム)は、日本で生まれ育った在日朝鮮人二世の映像作家です。

幼少期には皇民化教育を受け、「皇国少女」として天皇を神と信じる教育を受けてきました。

民族衣装を着たお母さんが差別的な扱いを受け、罵声を浴びせられた屈辱的な経験から、在日朝鮮人に対する深い憎悪を感じるようになりました。

一時期、朝鮮人としての尊厳を失ってしまいましたが、朝鮮学校での学びを通して、再び民族的な魂を取り戻していきます。

そして彼女は、ライフワークとして沈黙の中に埋もれてきた在日朝鮮人一世の声を記録し続けることになります。

小松川事件——差別が生んだ悲劇

1950年代の在日朝鮮人

戦後の1950年代、日本に定住した約60万人の在日朝鮮人たちは、民族差別によってまともな職に就くことができず、貧困に苦しんでいました。

この絶望的な状況から抜け出すため、「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮への帰国事業が進められる中で、小松川事件という悲劇が起きました。

事件の概要

1958年8月、東京都立小松川高等学校定時制に通っていた女子生徒が殺害される事件が発生しました。

映画では、被害者のお宅へ電話取材を行っている場面があります。

その中で、被害者の父親は、過去の震災に触れ、兄弟で多くの韓国人を非道な方法で殺害したという話をしていました。

それにもかかわらず、多くの韓国人が娘のお悔やみに訪れることに対し、ある種の心の痛みを感じている様子が、音声から伝わってきました。

この父親が触れていた「震災」とは、1923年の関東大震災のことです。

当時、「韓国人が井戸に毒を流した」というデマが広まり、多くの韓国人が殺害されるという悲劇がありました。

犯人とされた李珍宇

この事件で犯人として逮捕されたのは、在日朝鮮人二世の李珍宇(イ・チヌ)でした。

逮捕後、それまで迷宮入りとなっていた他の女性殺害事件についても自供しました。

李珍宇は優秀であり、日立製作所への就職を希望していましたが、韓国人であるという理由から、その夢が叶いませんでした。

失意の中での絶望が、彼を追い詰めたと思われます。

この供述が真実であるのか、あるいは冤罪であったのか、現時点では判断できません。

翌1959年に第二審で死刑判決が下されました。

この判決に異議を唱えた日本の文化人、大岡昇平氏や吉川英治氏らは「李珍宇君を助ける会」を結成し、助命嘆願運動を展開しました。

朴壽南もこの運動に参加し、事件を自分自身の問題として捉えていました。

わずか4年後の1962年11月、異例の速さで絞首刑となり、22歳という若さでその生涯を閉じました。

後に刊行された朴壽南と李珍宇の往復書簡集『罪と死と愛と』は、多くの人々の心を揺さぶり、ベストセラーとなりました。

差別の構造は世界共通だった

同じ時代、アメリカでも

小松川事件を知って、私はあることを思い出しました。

ちょうど同じ1950年代、アメリカでも、差別が若い命を奪う事件が起きていました。

1955年、エメット・ルイス・ティル(愛称ボボ)という14歳のアフリカ系アメリカ人の少年が、白人女性に口笛を吹いたという理由で殺害されました。

イリノイ州シカゴの実家からミシシッピ州の親類を訪ねていた際、食料品店の店主ロイ・ブライアントの妻キャロライン(当時21歳)に対して口笛を吹いたとして、ロイ氏と兄弟のJ. W. ミラン氏から因縁をつけられました。

二人はティルの大叔父の家から彼を無理やり連れ出し、納屋に連れ込んでリンチを加え、片方の眼球をえぐり出しました。

さらに、銃で頭を撃ち抜き、有刺鉄線で70ポンド(32キログラム)の回転式綿搾り機を首に縛りつけて重りにし、死体をタラハシー川に捨てました。

遺体は3日後に川から発見されました。

判決において、被告ロイ・ブライアントとミランはティルの誘拐と殺人について無罪になりました。

この事件を契機に、2022年3月29日、バイデン大統領によって「エメット・ティル反リンチ法」が署名され、リンチを連邦レベルの憎悪犯罪(ヘイトクライム)として指定し、最高30年の禁錮刑を科すことが定められました。

事件から67年後のことでした。

共通する構造

李珍宇とエメット・ティル。

一人は在日朝鮮人、もう一人はアフリカ系アメリカ人。

国も違います。

しかし、二人に共通するのは、マイノリティとして生まれ、差別される側に立たされ、理不尽な社会に直面し、若くして命を奪われた(あるいは未来を奪われた)という事実です。

日本の関東大震災でのデマによる虐殺、小松川事件の背景にある差別、そしてアメリカのエメット・ティル事件 -時代も場所も違うのに、構造は恐ろしいほど似ています。

マイノリティに対する偏見、根拠のないデマ、そして暴力。

差別は、個人の尊厳を踏みにじるだけでなく、未来そのものを奪い去ります。

そして、それは日本だけでなく、世界中どこにでも存在していたのです。

子供の頃の疑問——今になって分かったこと

ここで、私自身の体験を書きたいと思います。

子供の頃、韓国で事故があったときにニュースで韓国の様子を映すことがありました。

被害にあった人や近くの人に内容を聞くとき、高齢の方々が流暢な日本語を話していました。

私は当時、「やたらと日本語がうまいよなぁ」「というより日本人って感じるけど違うのかなぁ」と漠然と思っていました。

今になって分かりました。

あの人たちは、日本の植民地時代に日本語教育を受けた世代だったのです。

1910年から1945年まで、朝鮮半島は日本の統治下にありました。

その間、朝鮮語は制限され、日本語が強制されました。

名前まで日本式に変えさせられた人も多くいます。

教科書では「1910年から1945年まで朝鮮半島を統治した」と一行で終わります。

しかし、実際には何百万人もの人々が、母語ではない言語を強制され、自分の名前を奪われ、尊厳を踏みにじられながら生きていたのです。

その人たちは今も生きています。

テレビで見た「日本語が上手な韓国の高齢者」は、まさに植民地支配の生きた証人でした。

まさにこれが、日本のしてきたことなんだと気づいたとき、胸が痛みました。

日本が実効支配した歴史

映画には直接出て来ませんが、私はこの機会に日本の植民地支配の歴史全体について調べたくなりました。

日本が歴史的に実効支配した地域は、台湾、朝鮮半島、樺太(南半分)、千島列島、南洋諸島(ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオなど)があります。

第二次世界大戦までの実効支配地域

  • 台湾: 1895年から1945年まで日本の統治下
  • 朝鮮半島: 1910年の韓国併合から1945年まで植民地支配
  • 樺太: 1905年のポーツマス条約により南半分が日本の領土となり、第二次世界大戦終結まで支配下
  • 千島列島: 1875年の樺太千島交換条約により日本の領土となったが、第二次世界大戦後にソ連(現ロシア)が占領
  • 南洋諸島: 第一次世界大戦後に国際連盟から委任統治領として日本が統治

戦後の領土問題

第二次世界大戦後、現在も日本政府が実効支配を主張している領土として、尖閣諸島、竹島(韓国が実効支配)、北方領土(ロシアが実効支配)などがあります。

在日朝鮮人・中国人の歴史

終戦直後の朝鮮人残留者数については、日本政府が把握していた245人という数字や、7,000人という推定値があるなど、数字の不確実性が指摘されています。

徴用された朝鮮人の中には、不当な徴用や女子のケースなど、多くの問題がありました。

現在、日本には多くの韓国・朝鮮ルーツを持つ在留者がいます。

また、在留中国人は約74万人に上ります。

帰化する外国人のうち、韓国・朝鮮籍の人が多数を占めており、過去の統計では日本への帰化許可者の約4割を占めています。

朴壽南監督のライフワーク——沈黙の声を記録する

朴壽南は、小松川事件をきっかけに、一人で在日朝鮮人一世の方々の体験を聞き取るために日本各地を訪ね歩き、取材記事を発表していました。

南北分断の狭間で置き去りにされてきた同胞の存在を取り戻そうとする闘いであり、存在の不条理を問うとき、そこには歴史に翻弄され、存在を抹殺されてきた同胞の人生が交錯します。

朝鮮人被爆者の記録

在日朝鮮人一世への直接取材を開始し、日韓協定によって賠償問題から見過ごされていた朝鮮人被爆者の声を記録しました。

差別への恐れから沈黙を守り続け、高齢化して一世の多くの人が亡くなっていく中で、映像作品『もうひとつのヒロシマ—アリランのうた』(1986年)が製作されました。

朴壽南は、ライフワークとして朝鮮半島出身の原爆被爆者の方々の実情と、現代における課題に焦点を当て続けています。

徴用工問題と被爆者

韓国の徴用工問題は、朝鮮半島の労働者が戦時中に日本本土などで強制労働をさせられたと主張し、元徴用工とその遺族らが日本企業に対し損害賠償を求めている裁判を巡る問題です。

日本政府は1965年の日韓基本条約で、植民地支配に関する問題は最終的に解決されたと主張しました。

しかし、戦後十分な医療さえ受けられずに韓国で厳しい状況に置かれていた原爆被害者、朝鮮半島出身の被爆者の方々に対する国家賠償責任は、依然として果たされていません。

韓国の司法は2018年の大法院判決以降、個人の損害賠償請求権は消滅していないと判断し、日本企業への賠償命令が相次いでいます。

1990年代の映像と現在の状況を結びつけながら、娘の朴麻衣と共に再び長崎を訪れ、日本市民と韓国からの徴用工の方々との裁判闘争を取材しています。

日本政府による歴史の歪曲や、関連作品への検閲が続く中でも、朴壽南は30年以上にわたり、沈黙の中に埋もれてきた歴史の被害者の方々の声を記録し続けています。

韓国人の被爆者は、日本人とは異なり、認定も受けられず苦しみの中で多くの人が亡くなられています。

関東大震災での虐殺——デマが生んだ悲劇

大正12年(1923年)9月1日11時58分、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大震災が発生しました。

震災の混乱の中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした。放火した」といったデマが広まりました。

これらのデマを信じた官憲や自警団などが、自主的に暴動を起こしたのではないかと推察されます。

明治以降、中国や韓国に対して行った行為について、私たちはどのように考えるべきだろうか。

もしかしたら、現在の中国や韓国の対応は、そのような歴史的背景が如実に表れているのではないかと考えると、複雑な気持ちになります。

戦後何年も経つのに、この問題が解消されない原因には、こうしたことがあるのかもしれません。

表向きはすでに過去のこととされていますが、そうとも言い切れない状況です。

きっと、世界中のどの国においても、隣国との関係が最も気懸かりなことの一つでしょう。

中国人や朝鮮人だけではなかった——アイヌ・琉球への視点

この問題は、時間が経てば自然に解決するというわけでもないようです。

中国や韓国に対して行ったことについて何かを言う前に、日本国内に目を向けてみましょう。

同胞であるアイヌ民族や琉球民族のことを考えると、その歴史的背景の重みを強く感じずにはいられません。

明治以降の同化政策により、アイヌ民族や琉球民族は、伝統的な生活や経済活動を制限されてきた歴史的経緯があります。

また、第二次世界大戦下においては、沖縄は激戦地となり、多くの人々が犠牲になりました。

差別は、海外に対してだけでなく、国内でも行われてきたのです。

振り返って感じること——教えられなかった歴史と向き合う

今回の映画は、観客に多くのことを考えさせる作品となりました。

普段であれば、「よくわからない映画だったな」とか「面白い映画だった」といった一言二言で感想を済ませてしまうかもしれません。

しかし、この映画は違います。

知らなかったことへの衝撃

正直なところ、日本が戦争中に何をしてきたのか、詳しく理解していませんでした。

そして、それは私だけではないと思います。

子供の頃から、いろいろな事情を知りながらも、細かい内容は「不都合な真実」のように、あまり教科書には載っていませんでした。

ほとんど知らないまま大人になり、その後の人生で少しずつ知るようになりました。

世界共通の差別構造

現在でも、民族間や宗教間の争いは多く、収まっているようには見受けられません。

日本の歴史を振り返ると、第二次世界大戦前や戦後の出来事、関東大震災におけるデマによる暴動などは、今となっては教訓として学ぶべき事柄です。

むしろ、「平和ボケ」していると言われるほど、世界との間に隔たりがあるのではないかと考えると、いずれにしても良い状況とは言えないように感じます。

沈黙の声を記録し続ける意味

しかし、この映画のように、沈黙の中に埋もれてきた声を記録し続ける人がいる限り、私たちはまだ学び、考え、未来を変えていくことができるのかもしれません。

朴壽南監督が30年以上にわたって記録し続けてきた声は、「もう過去のこと」として忘れ去られそうになっていた歴史を、現在に蘇らせました。

きっと、世界中のどの国においても、隣国との関係が最も気懸かりなことの一つではないでしょうか。

そして、その関係を良くするためには、まず自分たちの歴史を正直に見つめることから始めなければなりません。

この映画は、そのことを静かに、しかし力強く教えてくれました。

差別の構造は、世界共通でした。

そして、それと向き合う勇気もまた、世界共通であるべきなのです。