先日サッカーのキリンカップで日本がブラジルに勝利した!というニュースがTVで流れていた。
たまたま中3長男がそれを食い入って見ていたため、へ〜、すごいね!と会話し始めたところで
「〇〇(中学校の担任の名前、呼び捨て)は見に行ってたらしい」と彼が言った。
「え!行ってたの、余裕じゃん!」と私。
すると即座に、「ママそういうのやめた方がいいよ」嫌そうに返された。
「(ん?)なんで?」
「誰々、余裕があるね、いいわね、私はないけど、みたいな」
…私、嫌味でしたかね。
確かに、担任の先生が平日の仕事終わりにサッカー観戦に行ったことは、驚いた。
それは仕事終わりに遊びに行ったから、なんてことでは当然なく、朝から大変なやんちゃな子どもたちを指導し、受験の準備も始まっていて毎日多忙であるだろうと想像し、エネルギーと行動力が残っているんだ、すごい、という感想だった。
私としては、羨ましいとも思っておらず、ただ、1日の終わりに力が残っているんだ、余力があるんだという感想でしかなかった。
その気持ちを伝え、
「先生が楽しい時間を過ごすのはいいと思うし、幸せなら嬉しいと思ってるよ?」
と付け足したところ、今度は
「その、幸せならいいとか言うのもさあ…
ママよく言うじゃん、幸せが一番とか。それも自分が幸せじゃないって言ってるみたいだし。 最近そういうことばっかり言う。 私は映画も見に行けないとか。」
うーん、私、幸せだとは思ってますけど。君らがいるから。他には、元気な体もあるし、生きてるし。
この会話の数日前、子どもたちに映画「国宝」をずっと見に行きたいけど行けてない、いつか行くわ!と話していたことがあった。別に暗いトーンで話した訳ではない。単純にスケジュールの都合がつかないだけだ。
私の発している言葉は、卑屈で、後ろ向きで、自己犠牲をアピールしているように聞こえたんだね。
そして、多分長男は、私が1人で大変ということはわかっていて、わかっているけど前向きでいてほしい、前向きで楽しんでいた方がいいのに、と思っているのだ。
ここのところ、ずっと長男の高校について調べたり、説明会の予約をしたり、保護者会があったりしている。次男が塾をやめた(この話はまたどこかで)ので、私が勉強を見ないといけないとまた変な気負いも出てきたところだった。
それに加え、
中学校の委員の仕事が思ったより大変で、ラインは途絶えないし頭を悩ませていた。
仕事も、ミスをしてしまって、へこんで帰ってきた夜のことだった。
そんないっぱいいっぱいの中、朝片付けて出たはずの部屋が、帰宅すると子どもらの脱ぎっぱなしの服が散乱し、ごみが散らかりというのを横目に見ながら、
夕飯を作り、散乱したキッチンを片付け、翌日の炊飯を予約して。毎日の終わることのない家事は続く。
これもう、愚痴ですが、疲れているのですよ。
私は、色々とやって、精一杯やっていて余裕がないのは自覚している。
そんな中、誰か他人のことを「余裕だね」と家族にだけ言うことすら許してもらえないのか。
「幸せが一番」という言葉は使ってはいけないのか。
その前日には長男に、「ママ、わかんないってよく言うけど、やめた方がいいよ、わかろうと努力をしないバカみたい。」と言われており
(答えがある問いばかりじゃないんだよ!人生わからないことばかりなの!
あれもだめ、これもだめ、私はダメ出ししかされない人間なのか。
言いたい言葉も口に出してはいけないのか。
長男がまた、優しくない言い方をするので
悲しくなった。
しかし翌日以降、自分も冷静になってみると
もう私にダメ出しをしてくれるのは子どもたちぐらいだと気づく。ありがたいことなんだ。
以前より全てにおいて余裕がないのは間違いない。そして、
子どもが色んなことがわかる年齢になってきた分、私自身のスタンスも「目指せ理想のお母さん」から、「本音を伝えあえる家族」へとシフトしてきているのもある。
だからといって、
本音を伝えることと、自分の思いを垂れ流しにする言葉を使うことは違うなあと思い、
余裕だね、といった嫌味にも感じる言葉、
自分が子どもの犠牲になっていると聞こえるような言葉、
わからない、と考えることを放棄したような言葉、
反省していこうと思う。
忙しい最中にいて、つまらない発言が多かったな。
翌日、中1次男に、長男にこんなこと言われたと言ったら、
「なんで?ただ言っただけじゃんね?」
と単純に共感してくれたので、人と人の相性というか、考え方の違いというか、そこに行き着いてしまうかもしれない。
がんばって!という長男と
そのままでいいよ、という次男といったところか。