朝ドラ『ばけばけ』のモデル・小泉セツってどんな人?八雲と歩んだ怪談の物語

ばけばけ主人公・松野トキのモデル小泉セツの物語アイキャッチ画像 話題
記事内に広告が含まれています。

2025年秋スタートのNHK連続テレビ小説『ばけばけ』

明治時代の松江を舞台に、怪談を愛するヒロイン・松野トキと、異国からやってきた英語教師・ヘブンとの何気ない日常が描かれます。

トキのモデルは、かの有名な文豪・小泉八雲の妻、小泉セツ。

そしてヘブンのモデルは、もちろん八雲です。

西洋化が進む明治の日本で埋もれてきた人々に光をあて、語り紡いだ夫婦の物語『ばけばけ』

実は、主人公・松野トキのモデルとなったセツは、歴史に残るようなことをした人ではありません。

言ってみれば、ごく普通の女性にスポットライトを当てた物語なのです。

小泉セツは、一体どんな人物だったのでしょうか?

この記事を読んで、朝ドラ『ばけばけ』をもっと楽しんでくださいね(*^^*)!

朝ドラ『ばけばけ』のあらすじを簡単に

時代は、明治の松江からスタートします。

武士の時代が終わり、没落した上級士族の家に、松野トキという怪談話が大好きな娘がいました。

世の中の変化についていけない人々に囲まれて育ったトキ。

生きづらさを感じながら、貧しい生活を送っていました。

そんなトキのもとに、英語教師宅の住み込み女中の仕事が舞い込みます。

その教師とは、ギリシャ出身のアイルランド人ヘブン。

両親に見放され、居場所を探して日本にたどり着いた彼もまた、孤独を抱えていました。

言葉や文化の違いに戸惑いながらも、境遇が似ていることに気づいたトキとヘブンは、次第に心を通わせていきます。

そして『怪談話が好き』という共通点を発見!

へんてこな二人が夜な夜な怪談を語り合う、不思議な暮らしが始まるのです。

主人公・松野トキを演じるのは髙石あかりさん!

朝ドラ『ばけばけ』の主人公、松野トキを演じるのは髙石あかりさんです。

2002年生まれ・宮崎県出身の髙石あかりさん。

これまでに映画『ベイビーわるきゅーれ』シリーズでのコミカルでキレのあるアクションや、舞台『鬼滅の刃』での竈門禰豆子役などで注目を集めてきました。

2023年には、TAMA映画祭の最優秀新進女優賞も受賞しています。

髙石さんが演じるトキは、古い物語や風習を愛する一方で、新しい時代にも順応しようとする複雑な内面を持つ女性。

周りからは、変わり者だと気味悪がられていました。

でも、家族を大切に想う気持ちは人一倍強く、ピンチの時には、自ら行動を起こす大胆さも持ち合わせているそう。

髙石さんは、そんなトキを「とにかくかっこいい」と語っています。

大胆さと冷静さを併せ持つトキの役柄が、自身の考えと驚くほど近いことに、運命を感じているんですって。

今回の朝ドラヒロイン抜擢で、今後の活躍が期待される女優さんですよね(*’▽’)!

松野トキのモデル、小泉セツはどんな人?

朝ドラ『ばけばけ』に原作はありません。

フィクションとして創作されましたが、主人公・松野トキには、モデルがいます。

それが、実在した人物『小泉セツ』です。

あらすじにもあるように、トキの怪談好きや、外国人であるヘブンと結ばれることになった背景には、セツと共通するものがありました。

セツはどんな人生を歩み、夫・八雲とどのような物語を紡いだのでしょうか。

物語を育んだ小泉セツの少女時代

今回、朝ドラ『ばけばけ』の主人公のモデルとなった小泉セツ。

1868年(慶応4年)2月4日、節分の頃に生まれたことから「セツ」と名付けられました。

まるる
まるる

戸籍上はセツだけど「節子」
が良かったらしいよ

父は出雲松江藩に代々仕える家柄で、軍の小隊長も務めた小泉弥右衛門湊。

母は「御家中一の器量よし」といわれたチエです。

小泉家の次女として生まれたセツは、子どものいなかった親戚、稲垣家の養女となり『稲垣セツ』となりました。

文鳥
文鳥

生後7日で養子に出されたんだって

幼い頃は「オジョ(お嬢)」と呼ばれ、大切に育てられたそう。

セツの養母となったトミは、出雲大社の社家の養女として育ち、神々の話や神楽、それにまつわる物語をたくさん知っていました。

そんなトミの影響で、セツは物語が大好きに。

そばにいる大人を見つけては「お話してごしない」とせがみ、聞かせてもらう時間を楽しみにしていたんですって。

まるる
まるる

「ごしない」は方言で
「ください」の意味です

セツには、その後の運命を予言するようなエピソードがあります。

外国人からもらった虫眼鏡

3歳の頃、松江城の近くで軍事教練の見物をしていたセツ。

背が高く、赤い髪をしたフランス人教官が、ふいに近づいてきました。

他の子どもたちが怖がって逃げ出す中、セツだけは怖がらず、じっと教官の顔を見上げていたんだとか。

文鳥
文鳥

肝が据わっている…

すると、教官は彼女の頭をなで、小さな虫眼鏡を手にのせてくれたそうです。

この虫眼鏡は、セツの一生の宝物になりました。

友だちが国際結婚を予言?

縁結びで名高い、松江の八重垣神社での出来事です。

少女の頃、セツは友人と鏡の池で縁占いをしました。

セツが浮かべた占いの紙は、池の対岸までゆっくりと漂ったとか。

それを見た友人は「セツさんは、きっと遠くへお嫁さんにゆくのでしょう。もしかしたら、お相手は異人さんかもね」とからかったそうです。

文鳥
文鳥

本当に国際結婚になった!

このエピソードは、朝ドラ『ばけばけ』にも登場するみたいですよ(*^^*)

ちなみに八重垣神社の『鏡の池の縁占い』は、現在でも人気のスポットです。

池に占い用紙を浮かべ、硬貨を乗せることで、その沈み方や流れ方でご縁を占うんですって。

  • 沈む速さ
    • 15分以内に沈めば縁が早く訪れる
    • 30分以上かかると縁が遅く訪れる
  • 沈む場所
    • 近くで沈めば身近な人との縁
    • 遠くで沈めば遠方の人との縁

鏡の池は、八重垣神社の境内奥地、『佐久佐女の森』にあります。

小泉八雲は、この森を「神秘の森」と呼んでいたとか。

一度は訪れてみたい場所ですよね(*’▽’)!

小泉セツの極貧人生と運命の出会い

しかし、明治維新による士族の没落で、セツの人生は一変します。

家計を助けるために、11歳から織子として働き、18歳で一度結婚。

しかし、夫は貧しさに耐えられず家を出てしまい、22歳で離婚することに。

セツは、再び実家に戻ってきました。

文鳥
文鳥

出戻り…だね

そんな彼女の運命を変えたのが、松江にやってきた外国人英語教師、ラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)です。

八雲の家の住み込み女中として、働き始めたセツ。

言葉も文化も違う二人でしたが、やがて心を通わせ夫婦に…。

この出会いが、日本の文化を世界に伝えるきっかけとなったんですね。

松江から熊本、そして東京へ~夫婦で歩んだ道と『怪談』の始まり

八雲とセツは『怪談』という、お互いに好きなことを通じて、言葉の壁を乗り越えていきます。

八雲の話す日本語はとても独特で、「ヘルンさん言葉」と呼ばれていました。

文鳥
文鳥

なんで「ヘルン」なの?

八雲の本名はラフカディオ・ハーンですが、当時の日本人には発音しにくかったそう。

そのため「ハーン」が「ヘルン」に変わったんですって。

ヘルンさん言葉は、ちょっと面白い(*’▽’)!

  • 「少しの間」
    →「スコシトキ」
  • 「天気は申し分なく良い」
    →「テンキコトバナイ」
まるる
まるる

ドラマのヘブンと一緒だね!

二人は結婚後、八雲の転勤に伴い、熊本へ引っ越します。

長男・一雄が誕生したこの時期も、セツは日本の昔話や伝説、怪談を夫に語り続けていました。

八雲は熊本での生活を「私の文学修行の中で最も意義ある3年間」と語っています。

それほど、セツは創作に大きな影響を与えていたんですね。

その後、夫婦は神戸、そして東京へと移り住むことに…。

八雲はセツに、本をそのまま読むのではなく、自身の言葉で語ってほしいとお願いしたそうです。

まるる
まるる

セツは八雲の「語り手」に
なったんだね

セツの存在がなければ、傑作『怪談』は生まれなかったかもしれませんね。

なぜ八雲はセツを必要としたのか?

怪談を語り合う小泉セツと小泉八雲

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本の美しい風景や風習を愛しましたが、あくまでも異国の人。

日本人の心の奥底にある精神や、人々の間で受け継がれてきた物語に、直接触れることはできなかったのです。

そこで、セツがその架け橋となったんですね。

八雲が使っていた「ヘルンさん言葉」は、異文化と言葉の壁を乗り越え、心を通わせようとした努力と、愛すべき人柄そのものでした。

実は、セツも英語を勉強したけど、あまり得意ではなかったんですって。

それでも、お互いが片言の日本語で話す「ヘルンさん言葉」があったからこそ、二人は意思疎通できたんですね。

八雲がセツに求めたのは、単なる通訳や情報ではありませんでした。

「本をそのまま読むのではなく、自分の言葉で語ってほしい」と頼んだのです。

そんな八雲を受け入れ、彼が心に描くものを見事に形にしていったセツ。

文鳥
文鳥

セツのおかげで日本の心を
知ることができた

セツがいなければ、八雲の作品はただのめずらしい異国の話で終わっていたかもしれません。

この本、みなあなたのおかげで生まれましたの本です。世界で一番良きママさん

八雲がこう語るのも、納得できますよね。

夫を失い八雲夫人として生きた晩年

1904年(明治37年)、八雲は心臓発作で急逝。

文鳥
文鳥

セツが36歳の時だって…

二人の結婚生活は、たったの13年8ヶ月という短い期間でした。

ひとりで4人の幼い子どもを抱えることになってしまったセツ。

しかし八雲は生前から、遺産はすべて妻に譲ることを、遺言状に書き残していました。

まるる
まるる

ちゃんと考えてくれてたんだね

そのおかげで、セツは裕福な暮らしをしながら、子どもたちを育てることができたのです。

八雲の死後、著作権や印税の管理、来客の応対など、多くのことをこなしながら、八雲夫人としての役割を果たしました。

そして、『思い出の記』を著し、八雲が愛した日本の姿と二人の物語を、後世に残しています。

晩年は、趣味の謡曲や茶道の稽古をしながら、穏やかな日々を過ごしたセツ。

1932年(昭和7年)、64歳で生涯を閉じ、夫が眠る墓の隣に静かに眠っています。

八雲とともに過ごした時間は短かったけど、セツの生涯で最も輝かしい時期だったのかもしれませんね。

まとめ

朝ドラ『ばけばけ』は、歴史に残るようなことはしていない、一人の普通の女性の物語です。

そこには、時代や文化の壁を乗り越えて支え合った、小泉八雲とセツの物語がありました。

セツの波乱に満ちた人生や、幼い頃から育まれた怪談への情熱、そして夫・八雲を支えた「語り手」としての役割。

そのすべてが、八雲の傑作『怪談』を誕生させるために、欠かせないピースでした。

言葉の通じない二人が、「ヘルンさん言葉」で心を通わせ、互いの孤独を埋め合った日々。

それは、まさにトキとヘブンの関係そのものかもしれません。

朝ドラ『ばけばけ』の主人公・松野トキが語る怪談と合わせて、モデルとなったセツの人生を感じてみてくださいね(*’▽’)!

タイトルとURLをコピーしました