(魚玄機というイヤホン ~または魚玄機の実像と虚像) 2025年12月~備忘録~

一旦手仕舞いしていた中華イヤホンですが、ダブルイレブン (独身の日) セール前に特別なストアクーポンをいただいたことから、(勿体ないので)性懲りも無くイヤホンを追加してしまいました。購入したのは "TANGZU Yu Xuan Ji (魚玄機)" というオープンバックの半開放型イヤホンです。11・11セールを待って注文しました。また、DAPの持ち出し用に2Pinの3Pケーブルが欲しくて、"CVJ NEKO" も付属のケーブル目的で購入しました。イヤホン自体は必要なかったのですが、あまりにNEKOがお安いので、ケーブル単体で買うより「イヤホン付きケーブルだね」と衝動的にポチっちゃいました。(セール特価+クーポン各種+コイン割引で、魚玄機が2,716円、NEKOが1,709円でした)
一週間ほどで届いて開封しましたが、TANGZU魚玄機のパッケージには、綺麗な女性 (魚玄機) のイラストがバーンと描かれていますし、NEKOには猫耳の可愛い女の子のイラストが描かれています。「いい歳して買う商品かいな?」と少し恥ずかしい気持ちになりましたが、魚玄機は元々興味があった女性でしたので、名前に惹かれて選んだものです。TANGZUのイヤホンには「李淵」「武則天」「上官婉児」他の唐代の王朝シリーズがありますが、それ以外にも「玄女」「哪吒」「小喬」他がありますね。次の製品はどんな名前で出すのかな?とこの記事を書きながら考えていたら、TANGZUの新しいイヤホンが発売されました。名前は「Xue Tao (薛濤=せつとう)」でした。
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薛濤 (字は洪度、長安出身。770-832年) は、中唐期の才色兼備の女性詩人です。良家出身で幼い頃から詩歌を学び八、九歳にして詩を能くしたと、その詩才を謳われています。唐朝の女流詩人では、魚玄機とならび詩妓の双璧と称されています。若くして成都(父の任地)に移りましたが、十四歳頃に官吏の父を亡くし、母に養われていた十六歳頃に韋皋(いこう)に召されて酒宴に侍り、詩を賦すようになり楽籍に入りました。以後、官妓として仕えていましたが、二十歳前後の頃に韋皋の怒りを買い、辺境 (松州高屯子/高屯堡とも呼ばれた辺境守備兵の駐屯地) に追放されたことがありました。高屯子の人々は、若く孤独で弱々しい薛濤を深く憐れみ、薪割りや水汲みを手伝ったそうです。松州に滞在中、薛涛は多くの詩を詠みましたが、中でも『十離詩』が代表作として知られます。この詩は『犬離主』『筆離手』など十首の作品を含む七言絶句の連作詩です。全詩題に「離」の字が使われて連なり、物事が役目を終えて捨てられる悲哀の運命を比喩にして、自身の境遇を嘆き、反省を含めて情状を訴えました。この連作詩の献上が功を奏して、薛涛は約一年程で韋皋に赦免され成都に戻りました。
韋皋(字は城武。745-805年) は、主に蜀を掌る剣南西川節度使として、25州を管轄する強大な権力を持ち、しばしば吐蕃を撃退して、西南辺境の守備と安定 (吐蕃・南詔の唐侵攻対策) に注力しました。また、武職ながら文雅を親しむ人物でした。韋皋が益州刺史 (西川節度使を兼ねた成都府長官) であったのは、貞元元年(785年)から永貞元年(805年)ですので、薛濤は約20年間、韋皋に仕える関係でした。この間、韋皋は検校司徒兼中書令に昇進し、南康郡王に封ぜられました。
薛濤は、その詩才を評価されて韋皋に召されてから、歴代の剣南西川節度使(韋皋から李徳裕までの11人)に仕えて知遇を得たとされています《元の費著『蜀牋譜』》。最後の李徳裕の就任が大和四年(830年)ですので、その期間は実に45年以上に及びます。「元和年間 (806-820年) に楽籍を脱して百花潭に居を移した」との説もあります《唐の范攄『雲渓友議』》。長らく仕えた韋皋が病没後の時期ですが、以降は詩人や書家として、西川節度使らと親交して仕えたのかも知れません。薛濤は多くの名士や文人らに伍して詩を賦し、その才能から「女校書」とも称されました。白居易や元稹・牛僧孺・令狐楚・裴度・嚴綬・張籍・杜牧・劉禹錫らとも交流し詩を唱和しました。特に元稹とは親しかったようです。晩年は成都郊外の百花潭 (浣花渓) に草庵を結び、道服を纏い清雅に過ごしました。また「薛濤箋」(浣花箋) と呼ばれる深紅色の詩箋(短冊)を創作して人気を博しました。生涯独身でした。なお、薛濤は王羲之(おうぎし) の書風を学び、書家としても高く評価されています。薛濤の庵は「吟詩楼」として、清代中期の嘉慶年間(1796-1820年)に薛濤井 (薛濤箋の製作用に水が汲まれた井戸) の傍らに、彼女を記念して建設 (再建) されました。

※薛濤の生卒年には諸説ありますが、松州への追放が徳宗貞元五年(789年)で二十歳とすれば、生年は770年としました。卒年は、段文昌が二度目の西川節度使となった際 (832年) に書いた薛濤の墓誌、および、張篷舟箋『薛濤詩箋』の「薛濤傳」にある「大和六年 (公元八三二年) 春、涵有『棠梨花和李太尉』詩「正及東渓春雨時」句。其年夏、濤卒。享年六十三歳」(李徳裕と劉萬錫の唱和詩の校注) から、大和六年 (832年) が通説になっています。本稿では、生年とも数え年で計算が合うので"享年六十三歳説"を採用しました。唐宋史研究家の傳璇琮も、大暦五年(770年)~大和六年(832年)と考察しています。なお、中国四川省が公開している同省の歴史説明では、薛濤の生卒年が約768~832年になっています。そのため享年六十五歳になり、松州への追放も二十二歳頃になります。説明では「貞元五年(789年)に罰せられて松州 (今の松潘) に赴く」「薛濤が松州に向かった時、彼女は20歳前後で、約1年間松州に滞在した」と記されています。
※薛涛が松州に追放された理由ですが、韋皋は薛涛の才能を認め、自身の (私設) 校書として公文書の処理業務に携わらせましたが、薛涛は才を恃んで傲慢になり、次第に大胆になったようです。当時、各地の役人が成都に赴任する際には、まず薛涛に贈り物を捧げるのが通例になり、献上された金銭や絹織物等を手にした薛濤は、往々にして、上納として受領しました。これを知った韋皋は激怒し、薛涛を追放する決心をしたようです。他にも、薛濤が他の男性と親しく交流したため、韋皋が嫉妬して追放したという説もあります。また、これらの理由が複合している可能性もあります。なお、韋皋は「校書郎」の肩書きを薛濤に授けるよう朝廷に上奏しましたが、校書郎は男性職でもあり、制度上や慣習上も無理があって実現しませんでした。このことが民間にも広く知られて、薛濤は「女校書」と呼ばれるようになりました。
※韋皋は検校司徒兼中書令に昇進し南康郡王に封ぜられましたが、これらの職位は唐の最高位に近い地位であり宰相級の権限を有することを表しながら、実際には、益州統治のための(成都府)長官および西川節度使としての実務職に対して名誉職の称号です。本来の中書令は、国権の中央にあって中書省の長官であり宰相級の地位です。韋皋が益州刺史在任期間の実際の中書令 (同中書門下三品あるいは同中書門下平章事) としては、李泌、竇参、陸贄、賈耽、杜佑、高郢、韋執誼などがいました。南康郡王は爵位のような称号です。それにしても、20年の長期にわたり益州を統治したのは希有な人物です。当時の益州は吐蕃や南詔との国境(辺境)があり、地政学的にも重要ながら治めにくい地域でした。
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今回は、TANGZU や CVJ のイヤホンレビューの前に、魚玄機の人物像に関して、史伝の魚玄機 (実像) と、森鴎外『魚玄機』(虚像) の違いや、鴎外の描いた魚玄機と「平塚らいてう」の類似説を真面目(?)にまとめましたので、長文の記事になりました (約3万字)。魚玄機という唐代の女性詩人は、とても興味深くネタの宝庫なのです。なお、小説『魚玄機』は、青空文庫で公開されていますので、インターネット上でも読むことができます。
魚玄機の実像と虚像
魚玄機は中国晩唐の詩人で、字は幼微 (または蕙蘭)。長安の倡家 (娼家) の出身です (注1)。傾国の美貌と卓越した詩才があったといわれる女性です。詩人の温庭筠(飛卿)らと詩を交換しましたが、唐の時代は、妓女であっても官能的な享楽の技術以外に、文化的教養も求められ、特に詩才のある女性は文人らに好まれました。玄機も幼少から詩歌の朗唱や創作の教育を受けていたようです。日本では森鷗外が大正四年に小説『魚玄機』を発表しています。その内容は史伝からの改作ですが、鷗外は独自の創作や詩を交えて、玄機が恋愛に傾倒し変貌していく物語を描いています。
鷗外の『魚玄機』では、玄機の生い立ちと人物像を物語の前段で記述しています。玄機の生家は「狭邪の地でどの家にも歌女を養っている。魚家もその倡家の一つである」と記して、玄機が詩を学びたいと言い出した時、両親が快諾したのは「他日この子を揺金樹にしようと云う願があったからである」と書いています。両親は将来 "金のなる木" にしたい考えでしたが、玄機には自発的に詩を学びたい欲求があったことを説明しています。その後、温庭筠と出会い、温を師として詩を学ぶ関係になる経緯を記述しています。
温は玄機が十五歳の頃に知り合います。「さて語を交えて見て、温は直に玄機が尋常の女でないことを知った。何故と云うに、この花の如き十五歳の少女には、些の嬌羞の色もなく、その口吻は男子に似ていたからである」と書いて、当時の玄機が「嬌羞の色もなく」男子らしく話す様子や、温の詩の題に応じたとして、玄機の『賦得江辺柳』を引用し、純粋に玄機の詩才を強調します。このような玄機の人物像を前半に記述することで、後半の情愛に傾倒していく玄機とのコントラストを高めているようです。
この物語では、恋した男 (陳某=ちんぼう) と侍女 (婢) の綠翹 (りょくぎょう) の密通を疑い、嫉妬から綠翹の吭を扼して殺害し、その罪で玄機は処刑されるのですが、綠翹殺害の顛末は史伝から継承しています。ただし陳某という人物は鷗外の創作であって史伝には存在しません。史伝によれば、玄機の交際 (交友) する多数の男性の一人と綠翹の密通を疑ったことが、綠翹を殺害した理由のようです。殺害の方法も「扼殺」ではありません。(注2)

史伝では、玄機が十五歳頃に長安の官吏・李億 (子安) に妾 (側室) として嫁ぎましたが (注3)、正夫人は嫉妬して二人の関係を許さず、また、李億の寵愛も長くは続きませんでした。結局、李億は玄機を咸宜観 (女冠道観) (注4) に託しました。玄機が十六歳の頃でした。玄機は咸宜観で入道し、一院を与えられて女冠 (女道士) になりました。鷗外の『魚玄機』では、十八歳で李億に妾として嫁いだと書かれています。李億と別れて咸宜観で女道士になったことは、ほぼ史伝を継承しています。そして、約一年後に楽人陳某と知り合い、七年ほど相親しむ関係であったと物語っています。(注5)
鷗外は、玄機が李億の妾を了承したのは、「蔓草が木の幹に纏い附こうとするような心であって、房帷の欲ではない。玄機は彼があったから、李の聘に応じたのである」と書いていて、恋愛感情ではなく、彼の詩人としての才能を尊敬し、李億を通じて詩歌の技法を手に入れる為としています。二人の交際に関しては、李億への愛情や妾としての不安や淋しさ等の内面描写が一貫して省略され、男女の関係をも拒絶しようとする玄機の姿が描かれています。
その代わり、陳に贈った詩として、玄機の『感懐寄人』(注6) を引用しています。本来この詩は、李億との別れの悲しみや孤独感から、李億との再会を渇望して詠んだものです。鴎外は、この詩を陳との恋愛の契機に応用し、李億と玄機の関係を情愛を省いて記述しておくことで、玄機の思い人を李億から陳にすり替えています。さらに、孤独からの救済を求めようとする、玄機の心情を映し出す役割もありました。興味深い部分ですが、一人の男性に恋愛感情を抱き、詩家として生きようとした強い女性から、陳との恋愛に傾斜し情愛に溺れ、嫉妬する玄機の物語を際立たせるために、鷗外が考えたプロットなのでしょう。
史伝による魚玄機像は、詩家として生きる強い意志や男性のような野心を持ち、社会に対峙する自我を持つ女性だったようです。当時の男性優位の社会にあって、女性が学問をもって身を立てられない不条理も感じていたようです。鴎外も引用している『崇真観の南楼で詠んだ詩』(注7) では、科挙試験の制度への不満や、女として生まれた悔しさを表しています。また李億への深い愛情を抱き、同時に李億の寵愛が、いつか離れていく不安や淋しさも抱えていたようです。李億へ寄せた玄機のいくつかの詩には、妾としての玄機の愛情や繊細で複雑な心情が込められています。
玄機は男女の情愛等を詠んだ詩に「恨」「愁」の字をよく使うと言われますが (注8) 、恋情への指向が強い時期に生きたことで、女性らしい繊細で複雑な内心を表現しやすい言葉を使ったのでしょう。同時に、生い立ちや女性であることの恨み、不満、不安、孤独感を常に抱えたペシミストな本性なのかもしれません。妾の頃に李億へ贈った『酬李學士寄簟』という詩には、嬉しいことがあっても、喜びと同時に悲観的なことを考える玄機がいます。境遇や若い繊細な感受性もあったのでしょうが、内心深く蟠る不安や孤独感から、他者に救済を求めようとする本能的な欲求を持ち、それに対抗しようとする強い意志や知性と共に、自らを否定して悲観する心理の葛藤が、恋愛や情愛に溺れる脆さになっているようにも思えます。
同じ唐代の女流詩人である「薛濤」や「李冶」は、六十歳から七十歳代まで存命して詩を詠んでいますが、玄機ほど情愛 (恋情) の詩の割合は高くないようです。薛濤は官妓のためか、高位官吏や名士らを称える献上詩も多いですが、女性らしい繊細な情趣や自然の情景を、洗練された韻律で感性豊かに表現する巧みさ (技術) がありました。女道士の李冶は「撲殺」という、玄機と同じような悲劇的な最後の女性ですが、男性に伍した性格で自由奔放に詩を詠んだようです。特に五言詩に長け、酬贈詩や遣懐詩と言われる自身の思いや感慨を寄せる詩をよく詠んでいます。その詩才は「女中詩豪」と評されるほど豊かでした。
玄機が殺めた綠翹ですが、史伝では、きれいな顔立ちをした賢い女性であり、決して醜い女性ではなかったようです (注9) 。鷗外の『魚玄機』では、「顔は美しくはないが、聡慧で媚態があった」「額の低い、頤の短い子に似た顔で、手足は粗大である。領や肘はいつも垢膩に汚れている」と書いていて、玄機が恋愛に溺れ、嫉妬に狂う女性に変貌したことを強調するように、「媚態があった」と嫉妬から殺害へのイントロダクションにして、綠翹をあえて悪く描いているようです。
綠翹殺害に至る描写では、史伝にある綠翹の遺言は一切無く、玄機の嫉妬心や殺害の過程を中心に記述しています。詰問された綠翹も「存じません、存じません」と言うだけで、密通の否定も曖昧ですが、これらは、玄機のカタストロフィこそが物語の核心的主題であり、綠翹や殺害の過程はそのための説明手段に過ぎないのでしょう。また、綠翹の遺言を採用しないことで、玄機への道義的な批判を避けると共に、陳への一途な恋情を背景にして、情愛から嫉妬に狂う玄機の変貌に焦点を定める、鴎外の意図なのかもしれません。
史伝では、綠翹は竹の板(笞)で何百回叩かれても、自身の密通疑いを否定しています。事件当日は、玄機の外出中に客 (愛人) が来て、不在のため帰った日でした。その日の夜、玄機に密通の疑いで詰問された綠翹は、「あなたに仕えて数年になるが、私は自分の言行に十分に気をつけている。あなたを尊重し意に逆らうことはない。私はただ、扉を閉めたまま、客にあなたが不在と伝えただけだ。客も無言で馬に乗って去った。もう何年も男性を愛したことはない。私を疑わないでください」と言いました。しかし玄機はさらに怒り始めて、綠翹に着物を脱ぐように命じると、笞で厳しく打ち据えました。
綠翹は既に立ち上がれなくなり、水を求めて天に祈りを捧げるために地面に撒きました。そして綠翹が言いました。「あなたは道家三清の不老長生の道を求めているが、男女の情愛を忘れることができず、他人を疑う心にとらわれて、私にぬれぎぬを着せている。今日、私はきっとあなたの手で死ぬだろう。天が無いのなら、私は何処にも無実を訴えることができない。必ずや私の怨念はあなたを呪い続けるだろう。私は死者の国にあっても、淫らで放蕩なあなたを許すことはできない」と言って死んでしまいました。綠翹は婢の身分でありながら、理路整然と自身の潔白を説明したにも拘らず、玄機は弁解を無視して拷問したのです。(注10)
魚玄機は、二十六歳で綠翹殺害の罪で斬に処せられ、生涯を閉じました。時節は立秋の頃でした。初夏に事件が発覚しましたので、さほど長い投獄ではありませんでした (注11)。玄機が刑せられることを惜しむ、多くの声があったことが史伝に残っています。聡明で唐朝四大女詩人と謳われる才能があっても、嫉妬に狂う女の性を持っていたのでしょうか。
綠翹が言う「錬士 三清長生の道を求めんと欲するも、未だ解佩薦枕の歡を忘るる能わず (注12)」という批判は、女道士となって道教の悟りの境地を求めながら、男女の情愛の歓びから脱し得なかった、玄機が抱えた葛藤を表すと共に、玄機が道義的に批判される理由にもなっています。何か悪女のような最後ですが、倡家出身の生い立ちや女性という宿命を背負いながらも、詩家として生きる強い意志や勤勉さがありながら、恋愛に傾斜し情愛を求める脆さを併せ持った、儚い短い人生が不憫にも思えます。

最後に、少しだけ魚玄機の詩を置きます。最初の詩は『贈鄰女』あるいは『寄李億員外』と題されて有名ですが、鷗外の『魚玄機』では、共に修行する女道士で寝食を共にするほどの関係であった、采蘋(さいひん、鴎外の創作人物)に贈ったものとして引用されています。しかし『三水小牘』によれば、投獄中の詩とされています。獄中にあって、なお、李億のことを思い、春の季節 (李億との恋愛) を愁い、愛情ある男性の得難さを嘆いています。
次に引用した詩は『唐女郎魚玄機詩』には掲載されていないもので、『附録魚玄機事略』『全唐詩話』『唐詩紀事』に記述されている断片的な句です。投獄中に詠まれたと記されているのは「易求無價寶、難得有心郎」と「明月照幽隙、清風開短襟」ですが、先の句は『贈鄰女』(寄李億員外) の詩に含まれるものです。これ以外を同書に記載の句と併せて掲載しました。これらを詩撰集に選定できなかった獄中の作とすると、己れの穢れに向き合い静謐に祈りを捧げる寂寞な心境を表し、また、獄外にあった頃の春秋の季節を想い偲びながら、心を絞るように詠んだ詩にも思えます。そこには、情愛の世界に迷妄して散っていった、詩人魚玄機の実像が滲み出ています。
『寄李億員外』
羞日遮羅袖、愁春懶起粧。
易求無價寶、難得有心郎。
枕上潜垂涙、花間暗断腸。
自能窺宋玉、何必恨王昌。
日を羞(は)ぢて羅袖(らしゅう)もて遮る、春を愁いて起粧するに懶(ものう)し。求め易きは價(あたい)無き寶(たから)、得難きは心有る郎。枕上潜(ひそ)かに涙を垂れ、花閒暗(ひそか)に腸(はらわた)を断つ。自ら能く宋玉を窺(うかが)う、何ぞ必ずしも王昌を恨まん。
《意訳》日差しに恥じて薄衣の袖で遮り、春の想いを愁いて化粧する気にもなれません。貴重な宝でも得るのは容易いですが、真に愛情ある人を得るのは難しいことです。ひとり窃かに涙で枕を濡らし、花の中にあっても胸が張り裂ける思いです。自ら好きな人の側に行ったのですから、別れた今でもどうして恨みましょうか。
《解釈》獄中作の前提です。日に恥じるところは、罪人として陽の元に身を晒す後ろめたさ (懺悔や恥辱の念) と、無化粧の素顔を重ねています。事件発覚が初夏ですから、投獄は夏から秋にかけての時期です。詩にある春は李億との切ない恋愛の思い出としました。
※李億に寄せた詩では、李學士、李子安、李億員外と色々な名前になっていますが、子安は字(あざな)で員外は「尚書諸司員外郎」という官職の略名を付けた敬称のようです。妾に嫁いだ頃は左補闕(従七品上)ですから従六品上の職位に昇進しています。
『無題』獄中作二首其一
焚香登玉壇、端簡禮金闕。
明月照幽隙、清風開短襟。
香を焚いて玉壇に登り、簡(ふだ)を端(ただし)て金闕(きんけつ)に禮(れい)す。
明月(めいげつ)は幽隙(ゆうげき)を照らし、清風は短襟(たんきん)を開く。
《意訳》香を焚いて玉壇(祭壇)に登り、祝詞(のりと)の簡(木簡)を整えて金闕(天子の宮殿)に礼拝する。月明かりがわずかな隙間から差し込み、爽やかな風が短い襟元を開かせる。
《解釈》獄中にありながら、香を焚き天に祈りを捧げる清らかな姿と、差し込む月明かりと涼風に襟元を広げる寂寥感と共に、穢れた世を離れて清くありたいと願う心情を表現しています。情景で心境を表した名句だと思います。
『無題』獄中作二首其二
綺陌春望遠、瑤徽秋興多。
殷勤不得語、紅淚一雙流。
綺陌(きはく)に春を遠く望み、瑤徽(ようき)に秋の興(きょう)多し。
殷勤(いんぎん)にして語るを得ず、紅涙(こうるい)一雙(いっそう)流る。
《意訳》綺麗な小道に春の景色が遠く広がり、美しい琴の音に秋の趣が満ちる。心からの(伝えたい)思いも言葉にできず、紅い(血のような)涙が頬を伝って双に流れる。
《解釈》華やいだ春の景色や秋の物寂しい趣の中で琴を奏でた想い出を偲び、境遇を悔いる遣る瀬ない切ない気持ちと共に、諦観の心境を表現しています。季節の想いには恋した人への思いも含まれています。素直に心情を吐露した沁み入る一句と思います。綺陌は綺麗な(綺)小道(陌)のことです。瑤徽は美しい琴(の音)の意味です (琴の弦を玉にたとえたもの)。
※「瑤徽秋興多」の部分を「瑤徽春興多」として紹介している記事がありますが、『附録魚玄機事略』や『全唐詩話』の原文 (筆跡) を見ると「春興」ではなく「秋興」になっています。
◇ ◇ ◇ 《 注 釈 》 ◇ ◇ ◇
(注1) 玄機が倡家の出身と記されているのは『三水小牘』のみですが、鴎外もこれを採用しています。ただし、三水小牘を引用としている『太平廣記 (綠翹の条) 』では「長安里家女也」になっています。また、三水小牘では玄機の字(あざな)を「幼微」としていますが、北夢瑣言では字が「蕙蘭」になっています。なお、"玄機" は咸宜観で入道後に称した道号です。その意味は、道教における「深淵な理」(物事の道理や哲理) のことです。
魚玄機の残存詩は『唐女郎魚玄機詩』に49首、『文苑英華』(宋代の李昉等が編纂の詩文集)からの1首『折楊柳』の追加で全50首あります。『附録魚玄機事略』『全唐詩話』(宋代の尤袤の編纂)、『唐詩紀事』(宋代の計有功が編纂)にいくつか断片の句が記載されています。宋刻本『唐女郎魚玄機詩』の選者 (編者) は魚玄機自身と考えられていますが、真偽不明ですので魚玄機の詩を集めた撰集として扱われています。「唐女郎」とは「唐朝の女性 (女流詩人)」という意味のようです。
(三水小牘の引用)『續談助』魚玄機の条
西京咸宜觀女道士魚玄機、字幼微、長安倡家女也、色旣傾國、思乃入神。
喜讀書屬文、尤致意於一吟一詠、(以下略)
「京(長安)の西にある咸宜観の女道士魚玄機。字は幼微。長安の倡家出身の女。その美貌は国を傾け、思想(知性)は比類無い程である。書を読み文作を好み、特に詩歌を朗唱し詠むことに勤しむ。」
『三水小牘』は、皇甫枚 (こうほばい・唐代の人) が著した物語集です (後梁の910年頃成立)。晩唐の異聞や逸話を中心にして、伝奇小説と実録的な要素を併せ持ち、宋代の『太平廣記』や『續談助』にも引用されています。「飛煙傳」「王知古」「却要」「魚玄機」等が代表作として記録されています。この書が魚玄機の最も古い伝記で原典ですが、原本は消失しています。そのため、後世の文献での引用や類書、叢書による再編集によって内容を知ることが出来ます。
『太平廣記』は、宋代の太平興国年間 (976-984年) に李昉等が編纂した、前漢から北宋初期までの奇談集です。『續談助』は、宋の晁載之の随筆です。唐代から宋代の故事や逸話、伝説等を集めています。『唐才子伝』は、元の辛文房が編纂した、唐から五代の詩人 (約278名) の伝記集です。多くの詩人たちの事績を記録しており、史料的・文学的価値の高い撰集作品です。『北夢瑣言』(ほくぼうさげん) は、宋の孫光憲が著した、唐末から五代の知られざる逸話や噂話等 (瑣言) を集めた書物です。
鴎外は『魚玄機』の執筆にあたり、これらの史書を参照したと記していますが、他にも『唐女郎魚玄機詩』(宋刻本)、および、清末の葉徳輝が『唐女郎魚玄機詩』を覆刻した際に附録に収録された「魚玄機事略」、『全唐詩』(清の彭定求ら編纂) などの参照を記しています。さらに、温飛卿に関しても多数の参考史料を記していますが、その数はかなり多く、本当に全てに目を通しているかは疑問です。森鴎外や『魚玄機』の研究家の多くは、『唐女郎魚玄機詩 (附録魚玄機事略)』と『温飛卿詩集箋注』の二書、および『唐才子伝』に拠って『魚玄機』を執筆したと考えているようです。鴎外は何故、評論や論文でもない短い創作物語 (短編小説) にこれほどの参照をあげたのでしょうか。如何にも多くの史伝を検討して小説を書いたという欺瞞でしょうか。
鴎外の小説『魚玄機』は、主な骨子は史伝を継承しながらも、その内容は独自の創作による物語になっています。北夢瑣言は、玄機を「自ら放埒な行いを好み、娼婦であった」と記していますが、鴎外は北夢瑣言や唐才子伝の語る玄機ほどには、放埒・放蕩な物語にはせず、また、太平廣記にある綠翹の遺言も採用せずに、一人の才能ある女詩人が情愛に傾斜し変貌して破滅する、きれいな物語に纏めようとしたようです。しかし、何度か読み返してもプロットの繋がりや一貫性に乏しく、史伝の参照や創作のトピックと引用詩を散りばめて、物語として唐突で不自然な流れも感じます。
魚玄機という良い題材なのですから、優れた詩才と対立する玄機の放蕩な性と、内心の複雑さや脆さを繊細な筆致で描いて欲しかったと思います。陸軍軍医総監医務局長の職を退く前年の執筆で、複雑な心境とプライドの高かった鴎外は、温飛卿の人物像に肩入れしているようで記述も多いですが、私的には、この小説はさほど出来の良いものとは評価していません。「森鴎外は小説を書くのに甚だ適当しなかった大作家の一人である。」「彼の遺した小説作品は、生来小説家でない作家が小説に手を染めるとどんな作品が出来上がるかを示した一つの天才的場合であると言えよう。」と思想家・評論家の林達夫氏は『鴎外における小説の問題』(林達夫著作集) で述べています。
(注2) 玄機は何人もの男性と付き合いがあり、男女の関係も持ったようですが、その中には「李近仁」という愛人兼パトロンもいました。李近仁は咸宜觀に多額の金銭や絹を寄進し、玄機の咸宜觀での生活費を負担しました。彼は富商のようですが、玄機が詠んだ『迎李近仁員外』という詩がありますので、実在の人物だったようです。この人物は緑翹殺害には関係していないようです (緑翹の密通疑惑の相手ではない)。ただし、李近仁のような実在の人物以外は、後世の史伝による創作 (脚色) が多々あると思われます。
(注3)『唐才子伝』に李億が玄機を迎えた顛末の記述があります。
咸通中及笄、為李億補闕侍寵。夫人妒、不能容、億遣隶咸宜觀披戴。
咸通年間、(玄機が) 髪を結う年齢 (15歳) になり、李億補闕(ほけつ)の側室 (妾) として侍り寵愛を受けた。しかし正夫人が妬んで許さず、李億は結局 (玄機を) 咸宜觀に託して女冠 (女道士) にした。
※及笄は「笄礼(けいれい)」という女性の成人儀式に基づく年齢(15歳)に達したことを指します。披戴は道教に入道のことで、(女冠になる) 冠帔を戴く儀式を行ったという意味です。年齢は数え年です。
※李億の正夫人(裴氏)は名門出の美人らしいですが、気丈で嫉妬深い女性だったようです。また、当時の李億は名家出身の縁故もあって、若くして左補闕の官職だったようです。補闕は皇帝の言動を補佐し諫言や記録を行う役職です。唐代の職官では「従七品上」の職位です。ちなみに、日本からの遣唐使だった阿倍仲麻呂が、その才能を玄宗皇帝に認められて左補闕に任命されています。
(唐代の身分制度と戸籍)
唐代の律令体制では、倡家や妓女は良民(公民)とは区別した賎民とされ、妓籍(または楽籍)として一般戸籍とは別に管理されていました。奴婢の身分も良民とは区別され、主人の戸籍に「附減(ふげん)」の形式で記載しました。独立した戸籍を持てない奴婢は、主人の財産の一部として売買の対象でもありました。身分は原則世襲されました。このような賤民思想による身分制度を「良賤二元制」といいます。この良賤制では結婚や職業選択の制度上の制約があり、身分の違いから妓籍の女(賎民)は官吏(良民)の正式な妻にはなれませんでした。娼妓には、宮廷によって妓籍が管理された(主に後宮に所属して仕えた)宮妓、官庁により妓籍が管理された官妓、妓楼(店)により籍を管理された妓女がありました。玄機が倡家の出身とすれば妓女にあたります。
なお、薛濤は官妓として良民の一般戸籍から楽籍(妓籍)に異動しましたが、後に高位官吏の計らい等で楽籍を脱して一般戸籍に戻ることができたようです。妓楼で管理された妓女で、借金等の理由で良民から妓籍になった場合は、借金を肩代りして身請けされることで、主人の正妻になったり外婦 (側室) になって妓籍を脱することができました。玄機は咸宜観で入道し女冠になりましたが、道士(および僧侶)は一般戸籍や妓籍とも異なる寺院の籍帳などで管理され、租庸調(租税)や力役(徴兵や労役)が免除される特権がありました。出家した女冠は原則として、結婚せずに独身生活を守ることが求められました。女冠が還俗して結婚することも出来ましたが、一般的ではありませんでした。
※玄宗皇帝の貴妃(皇后に次ぐ順位)になった楊貴妃(楊玉環)の特殊な例があります。楊貴妃は、元々は玄宗と武恵妃の第18子「寿王李瑁」(李琩) の妃でした。寵愛した武恵妃の死後に楊玉環に惚れた玄宗は、息子の妻を奪う事になるので、女冠にした後に還俗させて後宮に入れ、貴妃として寵愛しました。
《何というエロ親父なのでしょう!李瑁は韋昭訓の娘と再婚した後も父の玄宗に従い守りました。玄宗は即位当初は開元の治という善政を敷きましたが、楊貴妃に傾倒した晩年は楊一族の権勢を招き、それが安禄山とその部下の史思明による大規模な反乱(安史の乱)を引き起こしました。10年近く続いた乱世による死者数は1600万人や3600万人とも推計され、唐の国力低下を招きました。》
(注4) 咸宜観は、長安の親仁坊にあった女性の為の道観です。道観とは、道教の修行施設や寺院のことで、道士が居住して祭祀や修行を行う所です。
元々は睿宗 (えいそう、唐朝第五代・第八代皇帝) の故宅で、開元初め頃に睿宗の妃であった昭成皇后 (玄宗生母) と粛明皇后の廟としたものを、開元二十一年(733年)に道士の為の粛明観としました。その後、宝応元年(762年)に咸宜公主 (玄宗と武恵妃の娘) の入道に伴い、女冠 (女道士) の為の咸宜観と改称されました《宋敏求『長安志』》。当時の長安で知識階級の女性が入道する場合は、ほとんどが咸宜観に入りました《銭易『南部新書』》。
また、晩唐当時の道観は政治や公権力の支配の外にあり、法網や逮捕を逃れる場所、一時的な避難所にもなっていたようです。そのため、玄機も他の一部の道士や女冠らと同じく、純粋に道教の教理を学び修行していたのではなく、多くの名士らと交流したり詩を詠み交わす、自由な生活であったようです。このような環境も、晩唐の爛熟頽廃の時代にあって、玄機の放蕩さ (恋愛や男女の関係) の一因だったかも知れません。
※余談ですが、昭成皇后と粛明皇后ともに、武則天 (則天武后) によって秘密裏に処刑 (暗殺) されています。二人の遺体は発見されず、昭成皇后は招魂の形で衣冠塚が設置されました。武則天が皇帝に就いた武周王朝の前後は、帝位簒奪や皇位継承および復権等を巡る権力闘争や謀略、暗殺が多く、人間関係も複雑な絡み合いで奇々怪々です。それにしても、武則天は皇族・親族・男女・老若関係なく、かなり多くの人達を容赦なく殺しています。玄機は一人殺害で何故か斬首刑ですからスケールが全く違います。閻魔大王も「あんた、なんなの?」って聞いたそうです。《ハデスも暗殺して冥界史上初の女王になりそうです。》
(注5) 玄機が妾として嫁いだ歳と顛末
鴎外が何故、玄機が妾として嫁いだ歳を18歳としたかはわかりませんが、15歳 (満14歳) ではあまりに若いと思ったのでしょうか。史伝では、李億は玄機を咸宜観に託した約3年後、長安を離れ地方 (揚州) に夫人を伴い赴任しました。玄機はこれを知って、完全に捨てられたと大きなショックを受け、以降、放蕩な生活に変わるのですが、それが19歳頃です。それまでの咸宜観での生活は、一度も訪れない李億を恨みながら、道士の修行や詩作に勤しむ、比較的まともな生活だったようです。鴎外の『魚玄機』では、玄機が陳某と出会い恋するのが、同じく19歳頃で、恋愛や情愛に溺れ出す時期は一致しています。
ちなみに、鴎外の『魚玄機』で李億が玄機を知るきっかけとなった「温の机の上に玄機の詩稿があった。李はそれを見て歎称した。」の部分にある詩稿は、(車水)『中國歷代名女』(名妓巻:魚玄机多情才女成蕩婦) では、以下の六言雑詩なのだそうです。この詩は『唐女郎魚玄機詩』に掲載の『寓言』とは若干違いがあるので創作です。《この書の魚玄機小伝も眉唾ものですが、面白いので引用しました》
紅桃處處春色、碧柳家家明月。
鄰樓新妝侍夜、閨中含情脈脈。
芙蓉花下魚戲、帶來天邊雀聲。
人世悲歡一夢、如何得作雙成。
《意訳》紅い桃の花が春の訪れを告げ、緑の柳が家々を縁取り月明かりに照らされている。隣の高殿では婦人が新たに化粧して夜を待ち、閨房には優しい情愛が満ちている。芙蓉の花の下で魚たちが戯れ、遠くから鳥たちのさえずりが聞こえる。人の歓びも悲しみも夢に過ぎない。如何にして(愛する人と)永遠に結ばれることができようか。《五句と六句はエロい比喩でしょうか?下衆の勘繰り》
『寓言』~唐女郎魚玄機詩より~
紅桃處處春色、碧柳家家月明。
樓上新妝侍夜、閨中獨坐含情。
芙蓉月下魚戲、螮蝀天邊雀聲。
人世悲歡一夢、如何得作雙成。
《意訳》紅い桃の花が春の訪れを告げ、緑の柳が家々を縁取り月明かりに照らされている。高殿で新たに化粧して夜を待ち、閨房に独り座して(来ぬ人の)情を含(しの)ぶ。月明かりに蓮の葉の下で魚たちが戯れ、遠い虹の空では鳥たちがさえずる。人の歓びも悲しみも夢に過ぎない。如何にして(愛する人と)永遠に結ばれることができようか。
《人生の儚さを悟ったつもりながらも、愛する人と永遠に結ばれ添い遂げるという理想の愛への憧れと、それに対立する悲観的な内心の葛藤があるようです。若さ故の感受性と達観のような玄機の知性を感じます》
なお、温庭筠は李億を幼微 (玄機) に紹介し縁談を仲介しましたが、温が幼微に李億のことをどう思う?と聞くと、幼微は恥ずかしそうに頭を下げて「とても良い」(甚好) と二言だけ答えたそうです。《可愛いですね!この頃はまだ純情な幼微でした。》~多分というより絶対に創作でしょうけどね。
(注6)『感懐寄人』は咸宜観で詠んだ思い人に寄せた詩です。李億の妾であった時期は、別院 (林亭) で暮らしていました。李億を想って詠んだ詩ですが、誰にでも使えそうですね。
恨寄朱絃上、含情意不任。
早知雲雨会、未起蕙蘭心。
灼灼桃兼李、無妨國士尋。
蒼蒼松與桂、仍羨世人欽。
月色苔堦净、歌聲竹院深。
門前紅葉地、不掃待知音。
《意訳》恨み(別れの悲しみ)を朱絃(琴糸)に託しても、含(しの)ぶ情(思い)を伝えることはできません。もし雲雨の出会いと知らなければ、心ときめいて乱れることもありませんでした。今や鮮やかな桃や李(すもも)の花は、あなたの訪れを待つばかりです。蒼々と茂る松や桂のように、(あなたを)世人も敬愛し羨むでしょう。月明かりが苔むしたきざはし(庭階)を清らかに照らし、深い静寂の中に歌声が竹院(書院)に響きます。門の前には紅葉が落ちていますが、知音(あなた)を待ちながらそのままにしておきます。
《解釈》雲雨の会とは、男女の情愛または契りの縁になる出会いという意味でしょうか。意訳は趣がある二重否定ですが、別の言い方なら「あなたとの雲雨の出会いを思うと、心ときめいて静清な(蕙蘭の)気持ちではいられません」とかでしょうか。「灼灼桃兼李」は、一般的な美しく咲き誇る様として花に見立てましたが、この詩を季節感で捉えるとおかしいので、実際の春の桃や李の花ではなく、咲き誇る成熟した玄機自身を指しているのでしょう。桃や李の熟れた実としても良いのですが露骨でしょうか。別れの悲しさや再会への渇望に心揺れる切ない心情を吐露しています。そこには、孤独からの救済を他者(李億)に求める玄機の繊細な脆さが表れています。また、李億との出会いを「雲雨の会」とすることで、李億への執着が深いことが伺えます。門前に紅葉が落ちているので、詠んだ季節は秋から初冬の物寂しい時期なのでしょう。
※私的には、鴎外が引用した『感懐寄人』と『贈鄰女』は、その詩意から少し強引なように思えます。特に采蘋に贈った『贈鄰女』(寄李億員外) の引用には違和感がありました。
※『感懐寄人』の中の「苔堦」の部分が「庭階」と小説『魚玄機』に引用されていますが、『唐女郎魚玄機詩』(宋刻本) は「苔堦」になっています。『全唐詩』等の後世編纂書の一部に、字句の改変や平易化で異同があるのかもしれませんが、『唐女郎魚玄機詩』が最も古い原典なので「苔堦」が原文です。また、「仍羨世人欽」の部分の「欽」の字は、『唐女郎魚玄機詩』(宋刻本) の原文では ▇ として欠字になっています。『全唐詩』では「欽」の字で補われていますので、鴎外または出版社(編集)が全唐詩からこの詩を引用したのかも知れません。
(注7) 玄機が崇真観の南楼で詠んだ詩
遊崇真観南楼、覩新及第題名処。
雲峰満目放春晴、歴々銀鉤指下生。
自恨羅衣掩詩句、挙頭空羨榜中名。
《意訳》崇真観の南楼に遊び、新及第の題名の処を覩る
見渡すかぎりの雲の峰、晴れ渡った春の日差しの中に、進士の試験及第者の名前が書き付けられている。私がいくら詩を詠もうと何の役にもならない、自分が女であることを恨み (悔しくて)、立て札に書かれた名前を只羨ましく見上げる。
(注8) 旅先の武漢で李億から捨てられた後に詠んだ詩『送別』『閨怨』には「恨」も「愁」も無いのですが、二首の『送別』では突然の破局に呆然として、恨む以前に受け入れがたい未練の心情がうかがえます。また、破局後に李億への未練を吐露した『寄子安』や、破局前の李億への恋情の詩『情書寄李子安』には「愁」「怨」が使われています。これらは李億への玄機の一途な思いを表すものです。李億が玄機を捨てた理由は、正夫人の嫉妬もあったでしょうが、恋情に潜む若い玄機の依存心や克己心の葛藤を李億が受容できず、煩わしく思ったのなら、両者は相性不適合なのでしょう。以下に抜粋した詩を記載しました(意訳は長くなるので省略)。
『酬李學士寄簟』
珍簟新鋪翡翠樓、泓澄玉水記方流。
唯應雲扇情相似、同向銀牀恨早秋。
珍簟(たん)新たに敷く翡翠樓に、泓澄(おうちょう)たる玉水方流を記(しる)す。唯(ただ)應(まさ)に雲扇(うんせん)と情相い似て、同じく銀牀(ぎんしょう)に向かい早秋を恨むべし。
《意訳》立派な敷ござをいただき、嬉しくてすぐ床(寝台)に敷きました。ござの(竹の)模様が澄んだ清らかな水の流れのようで涼やかです。けれども、雲扇(班婕妤の扇子)に似て、あなたの私への思いも、ござと同じように秋になれば用もなくなり打ち捨てられるのでしょう。ござも私も秋が早く訪れるのを恨みます。
《解釈》最後の一句が下しにくいので「銀牀に同じく向(し)て早秋を恨むべし」の方が分かり易いかも。銀牀とは寝台のことで、ここでは寝台に敷かれている「ござ」と見なしました。「雲扇」は前漢の成帝の寵愛を受けていた班婕妤が、趙飛燕姉妹に寵愛を奪われ皇帝から捨てられた (後宮から退けられ皇太后の御所「長信宮」付き侍女になった) 故事に因む典故です。班婕妤は、夏が終われば捨てられる扇子に自身をなぞらえて『怨歌行』という詩を詠みました。
この詩からは、恋愛の始めにして、既に李億の寵愛を失う恐れと不安を抱えた、妾という境遇からの不安定な内心(葛藤)が伺えます。薛濤のように、追放されても『十離詩』を使って "したたか" に生きようとする強さがなく、境遇に流され内心の脆さを抱えたまま、(放埒放蕩さがあっても) 素直に自由に生きた女性のようにも思えます。なお、敷ござを贈ったのが李億ではなく、李という別の男性(學士)とする考え方もありますが、玄機が李億の別院に居た頃に詠んだとすれば、相手は李億だと思います。妾になり間もない時に浮気はまずいでしょ?
『送別』二首其一
秦樓幾夜愜心期、不料仙郎有別離。
睡覺莫言雲去處、殘燈一醆野蛾飛。
秦樓幾夜か愜心(きょうしん)を期せしも、料らざりき仙郎別離あらんとは。睡り醒めて言う莫(なか)れ雲の去りし處を、殘燈一醆(いっさん)野蛾の飛ぶ。
※(簫史と弄玉のように) 幾夜も愛し合おうと思ったのに、思いもしない突然の別れで、破局の現実を受け入れ難い虚ろな心情を素直に表わしています。こういう時、若い娘さんに単純な慰めを言ってはいけません。「馬鹿やろ~、あんたに何がわかる!」と八つ当たりされます。昔、失恋した部下の若い女性にやられました。
『送別』二首其二
水柔逐器知難定、雲出無心肯再歸。
惆悵春風楚江暮、鴛鴦一隻失群飛。
水柔らかにして器を逐(お)うて定め難きを知る、雲出づるに心無し肯(あ)えて再び帰らんや。春風に惆悵(ちゅうちょう)す楚江の暮、鴛鴦(えんおう=おしどり)一隻群れを失して飛ぶ。
※李億との破局を「愛の終わりは恋の定め」と悲観的に無常観を肯定しようとする心情と未練の葛藤の中で、春風に吹かれ、呆然として楚江(揚子江)の夕暮れを眺める玄機が映し出されています。水は器に定まらないことを比喩にしていますが、「覆水盆に返らず」という太公望 (呂尚) の故事もあるのですけどね。
『閨怨』
蘼蕪盈手泣斜暉、聞道隣家夫婿歸。
別日南鴻纔北去、今朝北雁又南飛。
春來秋去相思在、秋去春來信息稀。
扃閉朱門人不到、砧聲何事透羅幃。
蘼蕪(びぶ)手に盈(み)ちて斜暉(しゃき)に泣く、聞道(きくならく)鄰家夫婿(ふせい)の歸るを。別れし日南鴻(なんこう)纔(わず)かに北去し、今朝北雁又南に飛ぶ。春來り秋去るも相思う在り、秋去り春來たるも信息稀れなり。扃(とぼそ)閉じ朱門に人到らざるに、砧聲(ちんせい)何事ぞ羅幃(らい)を透す。
※切ない淋しさや孤独な心情と、別れた恋人が戻って来るのを渇望する情景を素直に表現しています。まるで待ち遠しい宅配便を待つように、トラックの音でカーテンの隙間から覗くような感じでしょう。《えっ、ちょっと違うんじゃないかって?似たような心境と思う自分は枯れてますけど、何か?》
『寄子安』
醉別千卮不浣愁、離腸百結解無由。
蕙蘭銷歇歸春圃、楊柳東西絆客舟。
聚散已悲雲不定、恩情須學水長流。
有花時節知難遇、未肯厭厭醉玉樓。
醉別千卮(し)なるも愁を浣(すす)がず、離腸百結解くに由無し。蕙蘭銷歇(しょうけつ)して春圃(しゅんぽ)に歸り、楊柳東西に客舟を絆(つな)ぐ。聚散(しゅうさん)已に悲しむ雲定まらずを、恩情須(すべか)らく學ぶべし水の長(とこしえ)に流るるを。花有るの時節遇い難きを知り、未だ肯えて厭厭として玉樓に醉はず。
※人の愛は雲のように集散して定まらない無常としながら、永遠の情愛の理想を求める悲観的な玄機がいます。詩中の蕙蘭は自身を指し、(花が) 銷歇 (萎れて) 歸春圃 (春の畑に戻る) ように実家に帰り、楊柳 (自分も) 東西絆客舟 (妓女としていろいろな客に侍る) のだろうという暗喩です。悲観的ですが現実的な未来予想です。この詩から鑑みるに、玄機はやはり倡家の妓女だったのでしょうか。『北夢瑣言』ではこの部分を引用し、玄機を「自是縦懐之倡婦也」(放埒な倡婦なり) と記しています。また、ここから玄機の字(あざな)を「蕙蘭」としたのでしょうか (詩中では春蘭・秋蘭 (寒蘭) のことだと思います)。未だ林亭に住んで居て酒に浸り咸宜観には入っていないようです。それにしても、十五・六歳の娘が呑んだくれても酔えないってなんなの?
『情書寄李子安(補闕)』
飲冰食檗誌無功、晉水壺關在夢中。
秦鏡欲分愁墮鵲、舜琴將弄怨飛鴻。
井邊桐葉鳴秋雨、窗下銀燈暗曉風。
書信茫茫何處問、持竿盡日碧江空。
冰(ひ)を飲むも檗(きはだ)を食らふも誌功無し、晉水壺關(こくかん)夢中に在り。秦鏡(しんきょう)分たんと欲するも墮鵲(だじゃく)を愁い、舜琴(しゅんきん)弄(ろう)せんと將(す)るも飛鴻(ほこう)を怨む。井邊(せいへん)の桐葉(とうよう)は秋雨に鳴り、窗下(そうか)の銀燈(ぎんとう)は暁風(ぎょうふう)に暗し。書信茫茫何れの處にか問わん、竿を持つこと盡日(じんじつ)なるも碧江空し。
※常識的に考えて、釣った魚 (鯉) の腹の中に手紙はありません!誰が生きた鯉の腹に手紙を入れて放しますか《鯉(恋)の郵便配達屋さん?》。故事(古楽府の詩『飲馬長城窟行』)にあるからといって、若い娘が一日中釣りをして空しいって何なの?そもそも故事は鯉の腹に手紙を隠して妻に送ったのですから、生きてる鯉ではなく現実的です。本当は便りの無い男は諦めて、新しい男を釣ろうと思ったりして!(邪推ですけど)。唐突な最後の一句は典故(故事)の知識も必要ですが難しいすよ。この詩は玄機の初期のもので、若さ故なのか格好いい文言や典故を並べて、いかにも学があるぞという「りきみ」(承認欲求) を感じます。飲冰食檗は清貧な生活を表す成語です。秦鏡、堕鵲、舜琴、飛鴻はいずれも故事がらみです。
(注9) 緑翹の容姿 ~『太平廣記』綠翹の条
一女僮曰緑翹、亦明慧有色、忽一日、機為鄰院所邀。
「緑翹という婢 (少女) がいた。賢くて綺麗である。ある日、玄機の院所に仕えるよう召された。」
※婢という身分ながら、境遇を受け入れ健気に静かに生きているにも拘らず、謂れの無い疑いで笞殺された緑翹が不憫でなりません。それも賢くて綺麗な娘なら尚更です。賢いということは、何かを学び理解し実践する能力があったのでしょう。綺麗ということは、清廉な整った精神が顔に現れているのでしょう。魚玄機に比べれば、こういう人こそ、立派で価値のある魂を持った人間なのだと思います。
※緑翹の年齢は不詳ですが、十三歳程で侍女になり数年仕えたなら、まだ十代後半の歳ではなかったかと思います(享年十六歳や十八歳の説もあります)。
(注10) 綠翹の言葉 ~『太平廣記』綠翹の条
翹曰。自執巾盥數年、實自檢御、不令有似是之過、致忤尊意、且某客至款扉、翹隔闔報云、鍊師不在、客無言、策馬而去、若云情愛、不蓄於胸襟有年矣、幸鍊師無疑。機愈怒、裸而笞百數、但言無之。旣委頓、請盃水酹地曰。鍊師欲求三清長生之道、而未能忘解佩薦枕之歡、反以沈猜、厚誣貞正、翹今必死於毒手矣、無天則無所訴、若有、誰能抑我彊魂、誓不蠢蠢於冥莫之中、縱爾淫佚。言訖、絕於地。
三水小牘では、綠翹殺害に関してもっと簡素に記されていた可能性もありますので、太平廣記の記述には脚色が含まれているかもしれません。簡素な記載の續談助の引用が原典に近いか、または、太平廣記が正しいかは不明です。しかし、この綠翹の遺言が後世に印象的に伝わり、魚玄機が批判される一因にもなっています。この綠翹の遺言は「綠翹の呪いの言葉」とも言われます。
(注11) 咸通戊子(九年) 868年の春正月頃に、玄機が綠翹を殺害、初夏に事件発覚、その立秋の頃に刑死というのが通説になっています。
玄機の生年は諸説あって、会昌癸亥(三年) 843年とする説を採用すると享年26歳になります。しかし、唐才子伝の記述「玄機が李億の妾になったのが15歳で咸通年間」、また以下の記述から、生年は845~846年が正しいようにも思います。 咸通元年に15歳であり16歳でもあったとすると、15歳で咸通元年を迎え、その年に16歳になったとするのが論理的に最も早い生年ですので、生年845年で享年24歳でしょうか?(歳は数え年)。
『太平廣記(綠翹の条)』にある「破瓜之歳、志慕清虚咸通初遂従冠帔、于咸宜而風月賞翫之佳句」からは、玄機が破瓜の歳 (16歳) の咸通初め頃 (元年860~861年) に咸宜観に入って冠帔を戴いたとすると、生年845~846年になり、享年23~24歳になります。享年26歳ではないのか?よくわからないですね。他にも生年840年や844年など様々な説があります。
『太平廣記』『續談助』共に、玄機が綠翹を殺害したのは「時咸通戊子春正月也」と記されています。また、両書共に以下の記載があり、これが『贈鄰女』(寄李億員外) の詩が獄中作とされる《三水小牘に拠る》根拠です。
(太平廣記/綠翹の条) 在獄中亦有詩曰、易求無價寶、難得有心郎、
(續談助/魚玄機の条) 在獄亦有詩曰、易求無價寶、難得有情郎。
なお、唐才子傳によれば『贈鄰女』(寄李億員外) の詩は、咸宜観で詠まれたとされています。その謂れは「ある村の娘が咸宜観にやって来て、泣きながら香を焚き、愛する男に捨てられたと訴えた。玄機はその娘のために詩を寄せることを決め、静謐な夜遅く蝋燭の灯火を頼りに、(李億が長安を去った) 絶望感の中で、李億を恨みながら詩を詠んだ。」という尤もらしい話があります。村の娘に寄せたから詩題が『贈鄰女』であり、獄中作説をとれば『寄李億員外』になるという訳です。
また、玄機の処刑ついては、唐才子傳や北夢瑣言では「京兆府尹 (京の行政長官)・温璋によって死刑に処された。」とされています。太平廣記と續談助には「京兆(府)の吏に逮捕された」の記述はありますが、温璋という名前は記されていません。処刑の時期は「秋竟」(秋 (立秋) の終わり頃) と記されています。ただし、同時期に温璋は京兆府尹に就任していますので、実際に、玄機を審問して斬首刑の判決を下したと思われます。温璋は法に厳格で、審判や執行も容赦のない残忍な人物でしたが、己の保身にも懸命な凡俗の士とも云われます。最後は収賄が発覚して毒酒を飲んで自殺しました。『太平廣記』にも温璋の逸話が記されています。
※当時の『唐律疏議』(唐律 [刑罰] の注釈) の関係規定は以下のようです。
諸奴婢有罪、其主不請官司而殺者、杖一百。無罪而殺者、徒一年。
期親及外祖父母殺者、與主同。下條部曲准此。
「奴婢が主人によって有罪とされ、正式な訴追を求めずに殺害された場合、主人は鞭打ち百回に処せられる。無実の奴婢が殺害された場合、主人は徒(懲役)一年に処せられる。親族または母方の祖父母によって殺害された場合、主人も同様に処せられる。以下の条項における奴婢も同様である。」
では何故、玄機は斬首刑という五刑の最重刑になったのでしょうか?無実の婢 (綠翹) を殺害したとしても、懲役1年ではないでしょうか?婢が罪を犯して殺害されたとしても、鞭打ち百回の刑とあります。量刑の審判で、①計画的な殺意(故殺)は無し(殺意有りと自白した?)、②傷害致死(笞殺)の残虐性は有り、③死体遺棄と隠蔽は有り、などで悪質と判断されたのでしょうか?それでも唐律疏議の刑罰規定(懲役1年)から最重刑の死刑まで量刑が重くなるのは不自然です。玄機の逮捕には多くの嘆願があったようですが、唐律疏議の刑罰規定を前提とした嘆願はなかったのでしょうか。不思議な判決です。
※温璋という人物も法に厳格なことが己の正義と拘る凡士だったのも玄機の不運ですが、唐律疏議には従わなかったということでしょうか。現在の日本の裁判なら奴婢の差別はありませんので、傷害致死罪(または殺人罪)及び死体遺棄罪ですが、計画的ではない一人の殺害であり、犯行も殺意までは無く折檻(暴行)の結果死亡なら、ヒステリーで心神耗弱状態だったと酌量されなくても、死体遺棄罪を含めても5年以上20年程 (最長で30年) の懲役刑でしょうか。
(注12) 解佩薦枕の歡(かいはいせんちんのかん)とは、佩 (おび) を解き枕を薦める歓びということで、男女の情交の歓びの意味です。
道教の三清とは、元始天尊(玉清)、霊宝天尊(上清)、道徳天尊(太清) の三柱の最高神の総称で、道教における至高の存在であり、三神が住まう清微天玉清境、禹餘天上清境、大赤天太清境という三つの仙境のことも指します。この至高の仙境に至り、悟りを啓いて永遠の生を得ることを修行の目的とします。綠翹は、玄機が清虚な精神をもって、この仙境に達することを求めていたが、世俗の情愛 (情交の歓び) を忘れることが出来ていないと言っています。
森鴎外は玄機を平塚明子 (はるこ・らいてう) に重ねていたという説があります。玄機と明子、そして彼女らの恋愛相手について、類似性があるというものです。李億は、明子と心中未遂事件を起こした森田草平、采蘋は、『青鞜社』社員の尾竹紅吉(本名: 尾竹一枝)、陳某は、夫であった奥村博史の三人です。明子と彼らの恋愛は、小説『煤煙』や『青鞜』誌上で公にされていました。自身の心中未遂事件を小説にして文壇デビューしたり、恋愛事情を自らの刊行誌で公開するのですから、さすがは「元始、女性は太陽であった」(『青鞜』創刊の辞および自伝) を執筆した、"新しい女" 平塚らいてうとその関係者です。
第一の恋愛は、明子 (当時は本名の明=はる) が二十二歳の頃、三~四歳年上の文学青年、森田草平に迫られるのですが、この二人の恋愛はかなり変なものです。なお、小説『煤煙』では主人公の小島要吉と真鍋朋子で語られています。森田は、明子が発表した『愛の末日』に対する批評を兼ねたラブレター?を送り、何度か手紙をやりとりした後にデートするのですが、森田はデート中、ダヌンツィオの『死の勝利』を度々口にしていました。これが心中未遂事件の伏線になるのですが、このデートで森田は初めて明子にキスします。そして突然明子の前に跪き、明子の袴にキスしました。明子はそんな森田の芝居がかった行為に苛立って、「どうか、もっとどうかして」と言ってしまいました。《もっとどうかしての明子もどうかしています》
明子も初めての男との逢い引きで上気していましたが、文学かぶれの青年のぐずぐずした行動に、我慢できなかったのでしょう。明子は女性ながら男のような断として単刀直入な心情を有しているところも、鴎外が書く若い頃の玄機の描写と重なるところです。一方、森田の方は欲情に火が付いた状態ですので、二日後に「もっとどうかする」ために、明子を待合に呼びました。森田は火鉢を挟んで暫し話をした後、奥から布団を敷きだして横たわると「ここにいらっしゃい」と誘いました。そのとき、明子は「わたしは女ぢゃない」さらに「男でもない」と言い放ちました。そこで森田も興醒めて、恋愛や性欲がない人生など無ではないか等と言い訳しますが、明子は「無でけっこうです」と言うのでした。これも玄機が李億との男女の交わりを拒否する描写に重なるところです。《それにしても面白い二人です》
これで二人の仲が破綻すれば普通ですが、『死の勝利』に取り憑かれている森田は、「我は執拗に君を愛す」と手紙やメモを送り、遂には「死ぬ瞬間が一番美しいあなたを殺したい」「わたくしはあなたなら殺せると思う。殺すよりほか、あなたを愛する道がないから」という手紙で、二人は心中先の塩原に行きます。しかし「僕は意気地のない人間なのだ」「あなたなら殺せるかと思ったけれど、だめだ」と言って未遂になるわけです。明子が森田の心情に同意して、何故塩原まで同行したのか不思議ですが、おそらく、意気地の無い森田の演技と見切っていて、やれるものなら殺ってみろと乗ったのかもしれません。ここにも明子の男性的な、挑まれたら避けずに対峙する気概が見えます。森田は夏目漱石のすすめで、平塚家の許可をもらうと、この心中未遂事件を小説にして、東京朝日新聞に『煤煙』として連載しました。しかし明子はこの小説の内容や森田の自己理解に対して批判的でした。《森田草平はかなり変人ですね。夏目漱石の弟子でした》
この事件の後、明子は「性」について、自分も経験しておくべきと決心したようです。禅の修業で知り合い、いたずらに軽くキスしたことのある、中原秀嶽という海禅寺の青年僧に処女をあげることにしました。秀嶽は明子にキスされて本気になってしまい、結婚することまで考えた若い禅僧でしたが、明子にとっては恋愛とは違う「異性に対する強烈な好奇心」から、女になったようです。二十四歳の頃でした。
《明子は後年のエッセイ『処女の真価』で、処女を捨てる動機を述べています。処女を「捨てるにもっとも適当な時がくるまで、大切に保たねばならない。」として、その時期は「恋人に対する霊的憧憬(愛情)の中から官能的要求を発し、自己の人格内に両者の一致結合を真に感じた場合ではあるまいか。」と述べています。真面目というか文学的表現ですが、当時の若い明子は、異性や性愛への単純な好奇心、また、自由な "新しい女" として、処女からの解放を(強迫観念のように)望んだようにも思いますけどね。反省した?》
第二の恋愛は、明子に魅了された『青鞜社』の社員、尾竹紅吉との同性愛です。紅吉は自身の明子への恋慕を『青鞜』に「編集室より」等の記事で書いています。また、明子も「紅吉を自分の世界の中なるものにしやうとした私の抱擁と接吻がいかに烈しかったか、私は知らぬ」「私の少年よ。らいてうの少年よ」と紅吉への気持ちを表しています。二人の関係は『青鞜』誌上で公でしたので、鴎外も知っていたはずです。鴎外が『魚玄機』で唐突に采蘋という女道士を創作した理由は、玄機の心情を『贈鄰女』の詩で表現するために相手が必要だったのか、または、明子の同性愛騒動から触発されたのか不明ですが、いずれにしても、玄機も明子も、年下の女を可愛がる同性愛の点で類似しています。紅吉は明子が奥村に傾倒し、自分への関心が無くなったと『青鞜社』を辞めています (大正元年十月退社)。これも、采蘋が突然男と出奔していなくなるのと似ています。
《紅吉は後に陶芸家の富本憲吉と結婚しましたが、徐々にマルクス主義に近づき、治安維持法で非合法であった共産党に関連して、検挙されたこともありました。身長が166cmで当時の女性としては長身だったようです。なお、紅吉 (一枝) は鴎外とも『魚玄機』執筆前から交友がありました。》
第三の恋愛は、五歳年下の画学生、奥村博史との恋愛です。結婚制度を拒否して共同生活という事実婚まで進展し、子供を二人もうけましたが後に別れました。奥村との恋愛関係では、明子は「二人の愛に対しては何人の干渉も絶対に許しません。どんな障碍もきっと征服します」と言い切って公然のものとなりました。奥村は病弱で絵もあまり売れなかったので、家計は明子が支えていました。奥村が年下の画学生であることと、陳某が年下の楽士であること、玄機も明子も、自ら惚れ込んでいるところが類似しています。
《明子と奥村の結婚は、籍を入れない事実婚の形でしたが、1941年に奥村博史と入籍し、明子は奥村姓になりました。入籍のきっかけは長男の軍隊入隊だったようです。》
玄機が中気真術の修行中「忽然悟入する所があった」の部分に関しても、『青鞜』五巻二号(大正四年二月)『小倉清三郎氏に~「性的生活と婦人問題」を読んで』の寄稿で、明子自身が「性愛を経験してからデザイア (欲情) が自分の中に表れてくる迄に五・六年もかかっております」「私は自分の恋愛の中から春的な欲望の生じてきたことを知っています」と記しています。これをもって斎藤茂吉は「忽然として悟入した感覚」を明子が告白していると『鴎外の歴史小説』の中で述べています。『魚玄機』が中央公論に発表されたのが大正四年七月です。茂吉によれば「性欲學に於て飽和するほどの知識」があった鴎外は、『青鞜社』や明子への関心もあったようですから、この告白は読んでいたはずです。茂吉は、玄機の性の目覚めは、明子のそれであり、鴎外は明子の文章に啓発されて『魚玄機』を執筆したのだと指摘しています。
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これだけ類似点があると、茂吉の指摘のとおりにも思えますね。それにしても、中気真術の修行で「悟入」というのも、唐突で不思議なトピックです。悟入がどの程度のドーパミンやβ-エンドルフィン等の脳内分泌で快感酩酊状態かは知りませんが、この記述を肯定的に捉え研究したりする文学 (研究) 者もいて、鴎外や茂吉も含めて女を知らない初心(うぶ)と言わざるを得ません。何故、男女の関係が李億では駄目で、修業による性の目覚め (男女の行為ではない悟入) で真の女子になったり、陳某とは直ぐに男女の関係になるのでしょうか。唐突に采蘋との同性愛も出てきて、あまりにも欲求不満なエロ女ではないですか。史伝の玄機が放蕩になるのは、李億との愛の破綻という正当な理由がありましたが、鴎外の書く玄機の変貌の始まりは、修行中の悟入という訳の分からない性の目覚めとしていることに大きな違いがあります。玄機を倡家出身として18歳で妾を了承しながら、"蔓草の思い"で李億に嫁いだというのも強引な設定です。そもそも閨房事を拒否する妾など直ぐに捨てられるでしょうし、玄機の変貌の要因から李億を除外する構成にしているのも、玄機の引用詩の違和感になっています。どうにもプロットの不自然(傲慢)さや唐突なトピックから、玄機の変貌から破滅に至る描写が軽々しい物語りになっています。
史伝や玄機の詩を読めば、玄機が李億によって、倡家の詩才ある娘という人格から解放され、自我の完全な独立と共に一人の女(妾)として開発されて、初めての激しい恋情と性的感覚記憶、失恋により凝結した孤独感から (往々にして初恋の人を忘れられないように) 生涯、李億に執着したのは明らかです。そもそも李億は名家の子息で、娼家出身の玄機とは不釣り合いな程に憧れの(雲雨の会と思う)男性でしたから尚更です。倡家出身で妾としてしか添い遂げられない不条理は、恋愛の先には捨てられる不安、憂愁、悲哀、孤独の感情が付き纏うもの、すなわち愛は常に不幸をもたらすものとして内心に浮遊していましたが、李億に捨てられたショックと恨みで固く沈泥してしまいました。若い未成熟な精神とも言えますが、生い立ちからの境遇という避けがたい現実は、他者に救済を求めようとする本能的な欲求を生み、同時に知性や理性との葛藤による(制御し難い)複雑な情動を抱えることになりました。これが放蕩さや自己破壊にも繋がる玄機の脆さになっています。
鴎外は玄機をきれいに書こうとして、男女の関係を陳某に限定しようとしています。それが鴎外の美意識によるプロットだとしても、魚玄機という題材には強引で不自然さを生じています。実像の玄機は放埒で放蕩な部分があったとしても、生い立ちや境遇から内心の複雑さを考えれば、より人間的で優れた知性と脆さを併せ抱えた普通の女性なのです。明子の告白に啓発されたかは知りませんが、思いつきのような糞トピックで玄機の性の目覚めを描くことは、逆に玄機を穢すような感じも受けます。玄機の性の目覚めが変貌への分水嶺となり、精神世界が肉体世界に侵食されていくような、あるいは、理性と本能の乖離による破滅を暗に表現しようとしたのかも知れませんが、そこには、浅はかで独りよがりな鴎外と傲慢な筆致による女性観や人間観が透けて見えます。
その茂吉が50代で恋した (愛人) 永井ふさ子ですが、茂吉への想いを断ち切るために一度は婚約 (結納) するも、破棄して生涯独身だったそうです。明子や玄機とは対照的な、貞淑な "天女" のような女性です。茂吉52歳、ふさ子24歳で知り合いましたから、親子ほどの歳の差がありました。茂吉は圧倒的な美貌のふさ子を溺愛し「ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。」「写真を出して、目に吸ふやうにして見てゐます、(中略) この中には乳ぶさ、それからその下の方にもその下の方にも、すきとほって見えます、ああそれなのにそれなのにネエです。食ひつきたい!」等と歌人らしからぬ、初心(うぶ)で衝撃的な恋文を書いています。《さすがに、女体がいい匂いとは書いていないので、本物の天女ではなかったようですけどね!》
ちなみに、『唐朝エロティック・ストーリー(唐朝豪放女)』(1984年, 香港, 18禁)という糞三級映画?の異色作(本格エロス大作)があるのですが、主人公は魚幼微(玄機)でした。詩人にして女道士の玄機が流浪の侠客 (崔博侯)、刀工の謳陽と出会うことで運命が大きく変わり、最後は史伝と同じく侍女 (綠翹) を殺害して刑死するというストーリーらしいです。観た人の話によると、采蘋は出てこないですが、代わりに綠翹とレズっているそうです。主演の美人女優パット・ハーが全裸でハードな絡みを演じ、観客を驚かせた問題作だったようで、金馬奨美術賞を受賞だそうです。
TANGZU Yu Xuan Ji(魚玄機)
前振りがちょっと長くなりましたが、箱出しからの試聴は、付属の5Pケーブルと "唐三彩" のイヤーピース (付属品) を付けて、アタッチメント無しのバランス接続です。音質チェックによく聴く曲を流してみたら、いきなり雄大な音場で抜けの良い音が出てきてビックリしました。左右インバランスも無く製造品質も良さそうです。このイヤホンの音は好きかも?と思いながら、色々なジャンルの楽曲を聴いてみました。付属の Tang Sancai (Balanced) イヤーピースも良い音です。Tang Sancai Noble よりもバランスが良くて好みかもしれません。

左写真のイヤーピースは Tang Sancai Balanced (M)
付属ケーブルはブラックの4.4mm/5P (4ストランド)
音質ですが、シグルドライバーのイヤホンですので、自然な伸びやかな発音で、低音から高音までの繋がりに不自然さがなく、バランスの良い音です。セパレーションも良いですね。そして一番の特徴は、オープンバック+メッシュフィルターの半開放型ということで、音の抜けの良さと広い音場感です。解像度は中高域は十分に良いと思いますが、低域は普通でしょうか。低音域は抜けの良さから、サブベースの消え方が早く量感が少なく感じます。低音は弾力感のあるミッドベースの量感で押し出す感じです。
中音域は、張り出す程には前に出ませんが、音圧もありますので、ボーカルも明瞭に聞こえます。ただし、抜けの良さは、逆に、残響がフッと早く消えてしまうので、良く言えば、スッキリした明瞭な音に聞こえます。悪く言えば、音場の密度感(濃さ)が出にくいイヤホンですね。ですから、EDMとかの電子音が多くリズムセクションのノリが良い音楽等に合う、との評価があるのかもしれません。しかし、これらの不満はアタッチメントを使うと改善するのです。
TANGZU Yu Xuan Ji(魚玄機)は、10mmトポロジーダイナミックドライバーを搭載しています。このドライバーは、振動膜に幾何学模様を施した特殊ナノ粒子コーティングにより、歪みを抑えた高解像度と固有周波数特性を実現しています。シェルは亜鉛合金製で、不要な振動や共振を軽減しています。優雅で特徴的なオープンバックには、音漏れを防ぐ精密メッシュフィルターを採用しています。

TANGZU 魚玄機+アタッチメント
このイヤホンに アタッチメント(BL2 or SE2) を付けると、大きく変身します。バランス接続なら、(BL3) を付けても音質が向上しますが、若干抵抗値の大きな (BL2) を付けた音が素晴らしい!特に中域が張り出してきて、ボーカルも前に出て一層明瞭になります。音場はさらに雄大に拡大しますが、中域の濃度が音場の密度感を向上させるようです。高域も解像感がありながら、突き抜けるように伸びやかです。ミッドベースや低中音も解像度が向上して、音の輪郭や楽器の見通しが良くなります。それでいて、抜けの良さは変わりませんので、ものすごく良い(好みの)音です。開放型ヘッドホンで聴いているようで、サブベースの量感が少ないことなど吹っ飛びます。
また、アタッチメントを付けると、抜けの良さによる残響の早い消え方も滑らかになって、より自然になりますので、響きの短さも然程気にならなくなります。シングルエンド接続でも (SE2) を付けると、同様な変化になります。DAP (SONY NW-X1060とTempoTec Variations V3 Blaze) に繋いで聴いてみましたが、音量も取れますので問題ないですね。DAPにアタッチメントを使わず直にイヤホンを繋ぐと、低音が少し緩い感じでしたが、(SE2) を付けると締まって弾力感のある低音は解像感も出てきます。
TempoTec Variations V3 Blaze は、PCM 32bit/768kHz, DSD512(22.4MHz) に対応していて、バランス出力・シングルエンド出力ともかなり良い音ですが、さすがに、TEAC UD-503(DAC)+自作フルバランス型ヘッドホンアンプ (AD812+TPA6120A2) の構成には及びません。DACは旭化成の AK4493SEQ をDUALで使っているので、音の傾向は似ているのですが、出力アンプの性能の違いもあり音質の差が結構あります。音の密度感や艶感、緻密な分解能、音場のスケール感等です。TempoTecのDAPはオペアンプ出力らしい?ドライで爽やかな音ですが、自作ヘッドホンアンプはアナログ的な艶のある滑らかな音です。ただし、DACとしての性能は良いようで、音源PCからUSB接続でDACとして使い、出力を自作ヘッドホンアンプに繋ぐと、据え置き型構成と然程遜色ない音が出るようです。
このDAPはスタンドアロンで使う以外にも、USBやBluetoothでDACとして使ったり、WiFiでのDLNAサーバーやMSEBの音質調整の機能もあり、バランス出力で最大825mW+825mW (32Ω) と据え置き型アンプ並みにパワフルです (ゲイン調整は3段階で設定可能)。HibyOSは動作が速くストレスの無い操作感ですし、バッテリー容量も3500mAhと大きく長持ちです。なお、楽曲データは2TBまでの MicroSD カード(MicroSD~SDXC)を使って記録します。現状、256GBのMicroSDXCカードにFLAC形式で5,000曲以上入れていますが、90GB以上の空き容量があります。お安いので買ってみましたが、お値段以上の性能でお勧めですね。まだ1ヶ月程度の使用ですが、アルバムアートの設定に少し手こずった以外は特に問題なく動作しています。何かDAPのレビューみたいになりましたが、ご参考まで。

このイヤホンは、まだ鳴らして20数時間程度ですが、既に整った音のような気がします。抜けの良い音は長時間使っても疲れないので、「ながら聴き」にも使えそうです。筐体が金属製で若干重いですが、装着しやすい滑らかなデザインですので、耳にあたって痛いとかはないですね。イヤーピースは、Tang Sancai (Balanced と Wide Bore) や NiceHCK C04 も良かったのですが、結局、最も低音の音圧があり、全帯域でバランスも良かった BGVP B01 を付けました。フィット感も良いです。
アタッチメントを付けた音質は、雄大な音場感では手持ちイヤホンで随一です。細かいことを言えば、ドライな音質なので少し艶が欲しいとか、響きや低音の量感とかの粗や贅沢な不満もあるのですが、私的には、「魚玄機さん、どストライク」なのです。
CVJ NEKO イヤホン
このイヤホンは、元々ケーブル目的で購入してみたのですが、箱出しで聴いてみたら、いい音するではないですか!こちらも予想以上で驚きました。低音はサブベースを含めて量感があり、やや締まりが緩いですが、音像の土台をしっかり支えるので、迫力ある濃い音場を作り出します。音場自体は広くはないですが、中域も埋もれず明瞭です。高域も十分に伸びやかで、歯擦音の刺さりも抑えられているようです。解像度は特に高いという程ではないので、聴き易さ重視でしょうか。TRN SHELL や CCA C12 に低中音の迫力を加えた感じ、または TRN CONCH の音を濃くした感じで、音の密度感がありダイナミックです。端正さではC12等に少し劣りますが、価格や猫耳娘(笑)からは考えられない良い音です。これは普通に良いイヤホンでしょう。

購入したのはシルバーモデルですのでケーブルもシルバー
目当ての付属ケーブルは、4ストランドの1線あたり91芯で合計364芯(コア)の銀メッキ銅線。プラグ交換式で、3.5mm/3P と 4.4mm/5P のプラグが付属しますので便利です。またプラグの接続では、ネジ式リングも付いているので、しっかり接続を固定出来ます。やや太めのケーブルですが、しなやかで取り回しも良いです。音の方も全帯域でバランスが良く、低域の膨らみや高域の詰まりもありません。ケーブル自体の解像度も高めで不満なく良好です。特筆すべきは音圧が出ることです。他の一般的な(お安い)ケーブルに比べて音量が大き目でダイナミックです。期待どおりの品質で、DAPの持ち出し用で普段使いによさそうです。
金属シェルにシングルドライバーですので、自然な発音で響きが良いイヤホンです。このイヤホンには先行販売の限定版がありますが、インピーダンスや感度が違うので別設計でしょう。インピーダンスは(限定版17Ω:通常版26Ω)、感度は(限定版107dB:通常版114dB)となっています。ドライバー自体は同じようです。なお、イヤホン本体は軽いのですが、通常使用のMサイズのイヤーピースでは、ステム根元の段差が耳に当たり、長時間付けていると痛くなりました。イヤーピースは NiceHCK C04 を付けていますが、段差のアタリを避けて、ひとつ大きなLサイズを耳に浅めに嵌めるようにしています。Lサイズでも低音がよく出て全帯域のバランスがよく、密閉感やフィット感も良いようです。
NEKOのシングルドライバーは、ナノゴールドメッキドーム+フレキシブルポリマーサラウンド複合構造のエッジを採用しています。シェルは航空機グレードのアルミ合金製で、音の伝達経路を最適化した内部キャビティ構造により、定在波と不要な共振を効果的に抑制し、内部干渉を低減し、クリアで安定した自然な音響性能を実現しています。その結果、全高調波歪率(THD) は 0.05% 以下を達成しています。


アタッチメント (BL2やBL3) (SE2) を繋ぐと、他のイヤホン同様な効果があり、背景の静けさと共に量感のある低音は適度に締まり、解像感や音場感も向上します。ボーカルも若干張り出して近い感じになります。また、少しは端正な鳴りになりますが、元々このイヤホンは音の密度(響きの重畳)でダイナミックに楽しく聴かせる出音なので、KZ PRX や SIMGOT EW200 に比べれば、クリアさや繊細さはさほど感じませんでした。それでも出てくる音は楽しく聴けるので大きな不満はありません。
アタッチメントの利用では、抵抗値の高い(BL2)の方が(BL3)よりも明らかな効果があるようですが、(BL3)でもオリジナルの押し出し感があって甲乙付け難いですね。低音もはっきりと締まり、弾力感や解像感が出てきます。それでいて密度の濃い音場感とダイナミックな躍動感もあります。このイヤホンでSmoothJazzやEDM等のノリの良い音楽を聴けば、殆どの人は満足するのではないでしょうか (他のジャンルでも楽しく聴けますけどね)。CVJ NEKOはケーブル目当てで入手しましたが「ごめんなさい」です。とても音の良いイヤホンです。感度も高めでDAPで使っても相性が良いですね。CVJのイヤホンは使うのが恥ずかしくなるデザインも多いですが (笑)、音は本物みたいです!
※※※ 試聴環境について ※※※
音質の評価は、録音品質を含めた音源ソースの品質や使用機器 (D/Aコンバータやヘッドホンアンプ等) によっても異なりますので、あくまで当方の環境での個人的な感想です。音源はPCMの96~192kHzハイレゾ録音楽曲、およびCDリッピングしたWAV音源を384kHzにアップサンプリングして出力したものを、自作の フルバランス型ヘッドホンアンプ(AD812+TPA6120A2)を使って、バランス出力およびシングルエンド出力で聴きました。またDAP接続ではSONY NW-X1060 と TempoTec Variations V3 Blazeを使いました。イコライザー等での音質コントロールはしていません。なお、D/Aコンバータ (TEAC UD-503) からはバランス出力でヘッドホンアンプに接続していますので、バランス接続でのイヤホン出力はD/Aコンバータからイヤホンまでフルバランスでのドライブです。

