読書感想文「ホワイトカラー消滅: 私たちは働き方をどう変えるべきか」冨山 和彦 (著)

 時代からちょっと早い冨山さんの熱いメッセージだ。それにしても、まいったな。冨山さんが言いたいのは、世の中の経営能力不足問題、ビジネス戦闘能力不足問題となるのではないか。あるいは構想力、問題発見能力が足りてないとの指摘か。
 個々の被雇用者は、自分の人生なのだから自己点検・評価をしつつ経験やスキルを身につけ、それをもとにポジションや職場を求め、人生を歩めばいい。いや、むしろ、それだけだ。だが、経営者、起業家、事業主は違う。DX、CXによる事業転換、ビジネスモデルの再構築により、産業資本体として会社の利益の稼ぎ方を変えなくちゃならないのだが、それらが遅々として進まないのは、その地位にある者の能力不足ということになってしまう。もちろん、能力には、リーダーシップもあれば、アカウンタビリティもレスポンシビリティもあるわけだが。
 そうなると、実に嫌な言い方になるのだが、「失われた30年」とは「日本のリーダーたち、実はそんなに頭良くない問題」になってしまう。もしくは、本質的に果敢に挑戦せざるえない状況にも関わらず、怖気付いたままのアニマルスピリット不足ということになる。実数としてどれほどいるのかは怪しい純然たるホワイトカラー像は変わるのだし、「窓口」や「営業」の概念そのものは変わる。働く現場としてはそうであるが、経営から見れば、収益の源泉が変わるのだ。便利でスムーズでスピーディな世界になってしまうことで。
 もっとも、冨山さんだってローカルな事象の全てに解像度が決して高いわけじゃ無いし、エッセンシャルワークに不案内なことも見えてくる。例えば、地方のインフラで下水道が敷設されていないような場所にだって必要に人が住む必要があるし、そこに合併処理浄化槽を配備した場合、その浄化槽の点検や汚泥の抜き取りだって求められ、そのための人が働いてもらう必要もある。コンパクトを追いかけても、そう単純じゃない。そして、公共性としても、公正さの担保や手続きな重要さ、社会的包摂や社会参画の面を考えなくてはならない。また、資格の有用性を謳うならば、新たな資格の創出も積極的に主張すべきだろう。例えば、ごみ収集やトイレ清掃に従事する方々に「清掃士(仮)」を国家資格に置いてはどうか。
 「構造改革派としての物言いとしては、こうなる」と読むといいのではないか。冨山さんの「ブルーカラーやエッセンシャルワーカーは、現場で具体的な仕事をしている」という言葉が刺さる人が大勢いるということでもある。